Thesis
2月、私は生まれて初めて訪れた沖縄で、同期で沖縄出身の上里直司君とともに、那覇市近郊の大里村(おおざとそん)にあるあおぞら保育園で実習させていただいた。
私はここで初めて乳幼児教育の理論について触れ、0~5歳の全クラスに入って実践・実習する機会をいただき、大変実りある研修となったが、研修を離れて考えても、私の人生に大きく影響を与えるであろう経験となった。当レポートを是非御一読いただきたい。
保育園での研修中は、那覇市内にある同期の上里直司君のアパートに居候させてもらった。
保育園の道のりは、なかなかだった。那覇のアパートから歩いて15分ほどの那覇バスセンターで乗車し、バスに40分ほど揺られて、大里村入口のバス停で降車し、やはり歩いて15分ほど。
研修前日に道確認のために初めて園を訪れた時のことである。バス亭で降り、歩いていくと、住宅がとぎれ、小高い山が見え、さとうきび畑が拡がっている。思わず「ここに本当に保育園があるの?」と上里君に問う。すると突然私の育った東京では見たこともない様な大きな保育園が現れた。広い園庭は、土に溢れ、坂があり、山羊が「メーメー」と鳴いている。
こんなに恵まれた環境で育つ子ども達を羨ましく思った。伸び伸びと育っている子ども達と会える明日が楽しみだ。
翌日の研修初日。朝、園に着くと、既に子ども達は笑いながら元気に走り回っている。下見した時に想像したとおりの子ども達の姿だ。私が滞在中の沖縄は、北部の山間部で数十年ぶりにあられが降るなど、天候不順でかなり寒かったが、子ども達は半袖、短パン、裸足という出で立ちで駆け回っている。ある子ども達は、楽しそうに山羊にえさをやっている。
園の名前のとおり、皆あおぞらの様な顔をしている。いったいどんな保育をしているのだろう?
明るく、話しかけてくる。
「だーれ?」「どこから来たの?」
園庭での集会で、私たち2人の見習いは挨拶をさせていただくこととなった。上里君は、「たーしー」、私は「ばなな先生」と呼んでもらうよう挨拶、子ども達はすぐに2人の名前を覚えてくれた。
私は0歳児たんぽぽ組から実習させていただいた。まさに乳児といった赤ちゃんもいれば、満一歳を超え、歩ける子どももいる。13kgもある子どもがいたのには驚いた。しかも抱っこをせがんでくる。歩ける子は好奇心旺盛で、木の柵のところで、年長児達の遊びを見ている。たまに真似をしようと試みている。
同じように私も年長児達の様子を見ていると異様な光景があった。もう駆け回れる、大きな3歳児がみんなでハイハイをしている。まさか「ホフク前進」の訓練をしているわけでもあるまい。(?1)
寝ころんで、体をくねくねさせている子どももいる。(?2)また、保育士の先生方も、小中学校の体育館で使うようなマットを丸め、その上に子ども達を腹這いに寝かせ(乗せ)、背中をさすっている。(?3)という具合に何でだろう?と思うことがたくさんあった。
これらの疑問は、以下に述べる様に、園長先生から理由を聞いて、解消されていった。
保育園では、昼食後2時間ほど園児達が午睡をするが、この間を利用して、勉強をさせていただいた。保育園の記録映画を拝見した後、仲原園長先生、御長女のちあき先生から、保育の要諦について御教授を受けた。素人の私たち2人に御配慮いただき、翌日が3歳児「りす組」での実習であれば、3歳児の記録映画を見せていただき、その特徴と適切な接し方、保育の仕方について、御講義いただいた。初めて知ることばかりで、感動することしきりであった。
さて、あおぞら保育園は、保育関係者や園児の父母から「保育の神様」と称される斉藤公子先生が創設された「さくらんぼ保育園」の姉妹園にあたる。見せていただいた映画は、この「さくらんぼ保育園」の子ども達を記録したものである。
斉藤先生は大正生まれで、戦前に東京女子高等師範学校保育実習科を卒業され、我が国の乳幼児教育・保育の草創期から、子ども達の育ちゆく適切なみちすじの研究・実践に生涯をかけてこられた方である。
仲原りつ子園長先生は、この斉藤先生の保育を知って惚れ込み、師事して経験を積まれた後、自ら故郷沖縄で保育園を経営され、姉妹園として、実践されてきた。
斉藤先生の保育は、リズム遊びや絵本の読み聞かせ、自然や小動物との触れあい、土や水に親しむ遊びを通して、子どもの心身を育てるものであった。斉藤先生は、運動・感覚神経の発達が脳の中枢神経の発達を促す、とりわけ0歳から6歳までの運動が心身の発達にとって重要である、と長年の御経験から確信され、実践されてきたものだそうである。斉藤先生の確信は、近年医学的にも実証されたそうである。
諺にも「三つ子の魂、百までも」というが、人の大脳の発育は、3歳までに80%に達し、6歳までに90%に達するそうである。この乳幼児期の過ごし方が、つまりは保育園で過ごす期間は、子ども達の一生を左右するわけである。
この大脳の発達には、五感が大いに関係していて、特に触覚は重要という。先述した様な子ども達が裸足で、半袖短パン姿というのは、触覚を鍛える意味合い。その重要な触覚に中でも、とりわけ「突き出た大脳」とも言われる指の触覚が重要だそうである。
先に述べた(?1)のハイハイでは、足の指の感覚や、力をつけるのに役立つ。水頭症など脳に何らかの障害がある場合には、足の指が上に反り返らない。
また、人間は、長い時間をかけて、魚類、両生類、爬虫類から進化してきたが、これは胎児の成長からも観察出来る。二本足で歩けるようになってからも、これらの先祖の動きを真似することは身体の発達に資するという。(?2)の「くねくね運動」は魚の運動、(?1)のハイハイは、両生類の運動だそうである。
(?3)の丸めたマットの上で子どもを腹這いに寝かせ、背中を揺らし、さすっているのは、マット上で子ども達の緊張を解きほぐした上で、背骨や姿勢が曲がっていないか、異常はないか、確認し、場合によっては矯正をする作業だそうである。
斉藤先生は、障害児保育、また障害のある子どもと健常児を一緒に保育する統合保育にも尽力されてこられた。
先生が考案されたこの様な運動やリズム遊びは、重度の脳障害児の症状を大きく改善、あるいは解消したことが、映像に記録されている。感覚神経、運動神経を発達させることで、障害のある脳の中枢神経を刺激、活性化し、持てる力、眠れる力を引き出していく。埼玉県にある斉藤先生の「さくらんぼ保育園」には、全国から、さらに遠くオランダからもその名声を聞き、障害児を持つ家族が引っ越してきたそうである。
あおぞら保育園でも統合保育が行われていたが、障害があることにほとんど気付かなかった。担任の先生方から教えていただいて知ることが多かった。適切な保育を行えば、素人目には見分けられない程、普通の子ども達と同じようになることに改めて驚いた。
これは障害のある子に限らないことであるが、あおぞら保育園の保母さん達は、一人一人の個性や能力に応じて、持てる力を引き出そうとされていた。一人一人の子どものことを良く観察されていて、例えば、跳び箱や側転が出来ない時には、助けの手を差し伸べるべきか、そうではなく、出来るのに甘えているだけで差し伸べるべきではないか、瞬時に判断されていた。
転んだり、泣いたりすると、すぐに抱っこをしてしまう自分を反省。甘やかすことと愛情は別物と学んだ。
保母さん達は、体力的にも相当きつい仕事忙しい合間を縫って、ルソーの「エミール」を読む勉強会を行ったり、子どもの心理を移す絵の分析の勉強もされ、常に向上を目指されていた。また、卒園式で渡すために、一人一人の写真を取って、アルバムを手作りされていた。
保育園の子ども達は、文字通りあおぞらの下、保母さん達の愛情と、育ちに必要な適切な保育を受けながら、本当に楽しそうに遊んでいる。年長組さんは卒園式で披露する竹馬や側転に粘り強く取り組んでいる。それを年下の子ども達が羨望のまなざしで見ている。
とにかく、毎日が楽しくてたまらないといった感じである。私も思わず、子どもに戻って、楽しんでしまった。子ども達と遊びながら、平安末期の庶民の歌を集めた梁塵秘抄(りょうじんひしょう)の一つの歌を思い出していた。
遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ
<現代語訳>
遊ぶために生まれて来たのか、戯れるために生まれてきたのか?
遊んでいる子供の声を聞いていると、自分の体も思わず動いてしまう。
子ども達が歓声を上げながら、山羊にえさを与えているのを見ている内、大好きな動物をたまに行く動物園で見ることしか出来ない我が子のことを、ふと思った。
Thesis
Hidenori Tachibana
第23期
たちばな・ひでのり
日本充電インフラ株式会社 代表取締役
Mission
児童福祉施設で現場実習