Thesis
個別テーマレポートの最終回にあたる今回は、松下政経塾での「少子化・人口減少時代の家族子育て支援策」をテーマとする研修活動を振り返り、現地現場での体験、肌で感じた問題点をまとめ、最後に解決策を提示する。
3年前に青雲の志を抱いて、松下政経塾の門を叩いて以来、塾生としての活動を続けてきたが、早いもので間もなく卒塾を迎える。松下政経塾生としての三年間の内、最初の一年間は同期が皆一緒に受ける集合研修である。残りの2年間は、各自が選んだ個別テーマを現地現場で探求していく。
私のテーマは「少子化・人口減少社会における子育て支援」であり、これまで多くのレポートを書いてきたが、今回の月例レポートは、個別テーマレポートのいよいよ最終回にあたる。そこで、松下政経塾在塾中の2年間の自分の個別テーマ研修を振り返り、総括してみたい。最後に卒塾後に目指すことについて述べたい。
私が、子育て支援に取り組むきっかけとなった契機は、次の3つのことである。
第一にかつて国会議員政策担当秘書として勤務していた折、児童虐待防止の問題に取り組んだことである。当時、児童虐待が激増し、毎年およそ百人の子どもが命を落としており、大きな社会問題となりながら、法令では児童虐待の定義すら無い有様であった。2000年に超党派の議員立法として、与野党全会一致で「児童虐待の防止等に関する法律」が成立した。私はある野党の原案作成作業にあたったが、作業に平行して、児童虐待の実態を調べ、この問題がいかに深刻かを知った。さらに虐待まで至っていない多くの一般家庭でも、子育て負担・不安に悩んでおり、日本の子育ての現状がいかに厳しいものであるかを知ったのである。また、こうした状況下で、少子化、人口減少が進んでいることも知り、いずれ取り組んでみたいと思うに至ったわけである。
第二には、松下政経塾に入塾が許され、「国家百年の計」に取り組んでみたいと思ったことである。
松下電器産業の創業者である 松下幸之助は、自らの経験と直感から、数十年前に「日本はますます混迷の度を深めていく」と今日の日本の危機的状況を予見し、この難局を打開するためには、政治が変わらなければならないと考えた。国家百年の安泰を図り、「新しい国家経営を推進していく指導者育成が、何としても必要である」との思いから、私財70億を投じ、1979年、財団法人松下政経塾を設立した。私は「少子化、人口減少、子育て支援」のテーマこそ、松下幸之助のいう国家百年の計に当たると考え、松下政経塾生として、取り組んむことにふさわしいと考えたわけである。
第三の契機は、2001年に長男が誕生し、自分自身が父親になったことである。まさに自分自身の問題ともなったためである。
1.人口減少の様相
江戸時代初期の日本の人口は約1,000万人、幕末には約3,000万人、戦後まもない1950(昭和25)年には8,000万人を超え、1967(昭和42)年には1億人を超えた。この様に近代から現代の我が国は、人口増加社会であった。
しかしながら、今後我が国は人口減少社会となる。先日総務省が発表した推計は、人口減少社会が目前に迫っていることを数字の上でも裏付けるものだった。これによると、2004年10月1日現在の我が国の人口は、1億2768万7千人、人口増加率は初めて1%を切り、過去最低の僅か0.05%にとどまった。
2002年に発表された厚生労働省管轄の国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」によると、我が国の人口は、来年2006年1億2774万人でピークを迎え、以後は減少に転ずる。特に四半世紀後の2030年代からの減少は激しく、50年代にかけて毎年100万人に近い減少となる。
現在のトレンドを辿ると、2050年には9203万人、今世紀末には4645万人とほぼ三分の一の人口規模となる。
2.少子化の様相
この人口減少の原因は、出生数の減少である。
厚生労働省の人口動態推計によれば、2004年の新生児は、110万7千人で前年より1万7千に少なく、4年連続で最少記録を更新した。1970年前後には新生児が年間200万人前後だったのに対し、おおよそ半減したことになる。低下を続けた出生率は現在1・29(2004年)と、人口を安定させる水準(2.08)をはるかに下回っている。政府は、2004年の出生率はさらに下がる可能性があると予測している。
3.過疎の国・・・50年後の日本の姿
人口が減少すること自体は問題ではない。問題なのは、若年層に偏った形で人口が減少することである。高齢者の人口が今後数十年間に渡って増加し続けるのに対し、生産年齢人口とされる15~64歳人口は減り続ける。その結果、25年後には4人に1人は高齢者、50年後には3人に1人以上が高齢者となると推測されている。
新潟県中越地震後に私は、被災者支援ボランティアとして約2ヶ月に渡って活動したが、山古志村の避難所では、やたらとお年寄りが多く、子どもが少ない。山古志村の方々は、集落ごとに、長岡市内8ヶ所の施設で暮らしておられるが、この長岡高校小体育館で暮らす164人の村民の中で、幼児は僅かに3人しかおらず、小中学生も少ない。そのため、学校も廃止されてしまったという。休憩中に喫煙所で、お年寄りにお話をうかがうと、自分の孫や曾孫は何人もいるのだが、子どもが長岡や東京に出てしまい、村には住まないのだよ、と教えてくださった。「子どもがいないってのは寂しいもんだよ」。多くの方々からこの言葉を聞いた。
新潟県庁の統計によれば、10月の中越地震前の数字になるが、平成16年7月1日現在、山古志村の人口は2023人、うち802人、39.6%が高齢者である。人口の約四割もが高齢者である。国立社会保障・人口問題研究所の低位推計によれば、今から50年後の2054年の高齢者比率(39.8%)とほぼ同じである。日本中が、高齢者が多く、子どもの少ない現在の過疎の村と同じ状態になると想像していただきたい。
人口減少、少子高齢化に伴う影響として、多くのことが懸念される。
生産年齢人口の減少によって、労働力供給制約、衰退産業発生等によって、経済成長率は低下し、国民負担率は現在の40%から50年後には60%と急上昇することが予想されている。国防・消防等でも人材難が予想される。
また若年層の政治的発言力は一層低下し、制度改革は困難になっていくことが予想される。我が国も含む少子高齢化社会にある先進諸国共通の傾向として、人口構成自体が高齢者が多い中で、高齢者の高投票率、若年層の低投票率によって、高齢者の向けの政治施策が実行されている。限られた予算内で、高齢者向け施策が拡充され、子どもや青壮年層向けの福祉・教育予算が削減されるこの減少は「プレストン効果」と言われている。
外交面でも相対的な影響力の低下は否めない。日本の人口を100とした比較で見ると、中国の人口は1950年の660から、2050年には1510に増加し、南北朝鮮もこの間53から85まで増加すると予測されている。経済の低調も重なり、既に米国の大学院や研究機関でも、日本を扱う講座、研究所は大いに減少しているという。
このまま手をこまねいていては、我が国は国際社会において、過疎の国となってしまう。
4.歴史の教訓
人口減少社会が問題ではないとする意見も多い。例えば、西欧諸国は日本の様な1億もの人口を持っていない。
人口減少で発展した例として、イタリアのルネサンス期の例がよく挙がる。黒死病(ペスト)の流行で人口が1340年の930万人から、1500年の550万人へと人口が減少した。人口減少の要因は、黒死病(ペスト)であった。根拠となる統計を見つけることはできなかったが、おそらくは働き手の世代(生産年齢人口)よりも、体力の弱い高齢者を中心とする人口減少ではなかったのではなかろうか。安易に現在の日本の状況と重ね会わすことはできないと思われる。
「ローマ人の物語」の著書で知られる作家塩野七生氏は、「少子化の問題を放置した国が再興した例は過去にはない」と述べる。古代ローマも少子化に悩み、対策を講じたという。独身の女性に独身税を課したり、子どもが多い男性を優先的に公職に採用したり、寡婦の夫の遺産の相続も子どもがいないと十分の一に削減するなどしたという。この様な政策は現在では問題となろうと思うが、強い意志をもって歴代の皇帝は少子化対策に取り組んだと言えよう。
5.必要な改革
偏った形(少子高齢化)を伴った人口減少は、放置すれば、日本の将来に多大な悪影響を及ぼす。その解決策として、2つのことを考えた。
第一に、人口減少、少子高齢化は避けられないトレンドとして、従来のような右肩上がりを前提としない社会システムにつくりかえる改革。
第二に少子化対策を講じ、出生数を増加させる。
私は後者の方法が、抜本的な解決策、また国家百年の安泰に直結する方法であると考え、松下政経塾での研修で追い求めることとした。
松下政経塾の伝統として「現地現場主義」というものがある。創設者松下幸之助は「国中を研修の場として、様々な体験を 肌をもって感じよ」という言葉を塾生に残している。これは机上で問題を考えるのではなく、現地現場で体感しながら、解決策を探れというものである。
先輩方から話しを聞いたところ、原口一博代議士はホームレス問題をテーマとした際、実際に自分でホームレスになってみたと言われ、中田宏横浜市長は、ゴミ問題をテーマに実際に清掃車作業員になって活動したと言われた。
私も実際に、北は福島、新潟から南は沖縄まで、保育園、幼稚園、児童養護施設(旧孤児院)、乳児院、情緒障害児短期治療施設、学童保育など、全国の子育て支援の現地現場で長期間の実習をさせていただいた。
現地現場で私が肌で感じた問題点は、次の三点であった。
1.予算と人員の不足・・・関わる大人が足りない!
第一に児童福祉現場の共通の実態として、予算と人員が不足していることである。
上の写真を見ていただきたい。
これは茨城県での保育園実習の一こまで、昼食後の2歳児クラスの風景である。私と対面する子どもはボタンを閉めてと言い、膝に座っている子どもは「絵本を読んで」とをせがんでいる。さらに背面ではおんぶをせがむ子ども、奥の子どもは抱っこをせがんでいる。
各々違う個性を持つ一人一人の子どもの話を聞き、一人一人とスキンシップをするには、先生は少な過ぎる。クラスには20数人の子ども達がおり、同仁東保育園では常に2人以上の保育士がいるが、一般の保育園では、年長クラスには大抵一人の先生しかいないそうだ。
国の保育所職員配置基準(厚生労働省令「児童福祉施設最低基準」第33条)は、0歳児は子ども3人につき保育士1人、1・2歳児は子ども6人に保育士1人、3歳児は子ども20人につき保育士1人、4・5歳児は30人につき保育士1人となっており、市町村による運営費の支給も、これを基に行われている。
保育園の先生達がいくら奮闘しても(実際に奮闘されており、頭の下がる思いであったが)、一人一人とじっくり対するのはとても無理である。子どもが求めているのと同様に、先生方も「もっと一人一人の子どもとじっくり接したい」と言われておられた。現実には、一人一人の子どもからじっくりと話を聞ける、そして一人一人の表情をじっくり観察できるような時間、予算と人員のゆとりはない。
様々な事情で親と一緒に住むことが出来ない子ども達のいる児童養護施設でも、親代わりとなるべき施設職員一人あたりの子どもの数は6人。8時間の交代勤務を考え併せると、実際には18人の子どもを一人の職員が見ているという実態であった。
2.子ども達の様子・・・情緒不安と問題行動
第二に多くの子ども達の様子が不安定だったことである。例えば、小学生低学年の子ども達で勉強はよく出来ても、抱っこをせがむなど幼児期に見られる行動を取るこどもが多かった。また自分より小さい子ども、弱い者に対しての思いやりのなさや攻撃性が随所に見られた。特に虐待を受けた経験のある子どもは、コミュニケーションの手段として、暴力を使うことが多く、研修では青あざをつくることもしばしばであった。
3.乳幼児教育の重要性
沖縄の保育園実習では、乳幼児教育の重要性についても学ばせていただいた。この園ではリズム遊びや絵本の読み聞かせ、自然や小動物との触れあい、土や水に親しむ遊びを通して、子どもの心身を育てるものであった。運動・感覚神経の発達が脳の中枢神経の発達を促す、とりわけ0歳から6歳までの運動が心身の発達にとって重要である、と長年のご経験から確信され、実践されてきたものだそうである。この確信は、近年医学的にも実証されたそうである。
諺にも「三つ子の魂、百までも」というが、人の大脳の発育は、3歳までに80%に達し、6歳までに90%に達するそうである。この時期にいかに五感を使った適切な保育、子育てをするか否かが、子ども達の一生を左右するわけである。
4.日本の家族の危機
児童養護施設で研修した際、不思議に感じたことは、これだけ経済的に豊かになった我が国で、しかも少子化が進行しているのに、施設に入所する子どもの数は減っていないということであった。そして、入所理由のトップは児童虐待で、半数以上という。
これは何も施設に限らない。一般の家庭でも事態は深刻な所に来ている。児童相談所における児童虐待の相談件数は、平成2(1990)年の1,101件から、平成14年には24,195件と約22倍も増えている。また10年前の医師による三歳未満の乳幼児を持つ母親に対する調査によると、約4分の1の母親が「虐待しているのではないかと思う」という選択肢を選んでいる。虐待に至らずとも、半数を超える人が「子育てに悩みがある」、「育児ノイローゼに共感できる」と答えている。
ある職員さんは、こう語ってくれた。
「ここは決して特別な所ではありません。日本の子育ての縮図なんですよ」
「このまま放置していたら、日本は手遅れになります」
当政経塾の創設者松下幸之助翁の言う日本の危機の一端が垣間見えたような気がした。
現場実習で感じたことは、要は日本の家族、子育ては困難な状況にあり、これが少子化の要因になっているということであった。子育て環境を整えていくことがこの問題の一番の解決策であることを知った。
その方策について、私の考えているところを、以下述べていく。
1.子育て予算の拡充を
(1)政治の力で予算配分の転換を
先進国のデータで見ると、女性の社会進出や保育施策を始めとする子育て・家族施策が進んでいる国ほど、出生率は高くなっている。現在、我が国の家族政策は非常に貧困であり、社会保障関係給付費の内、高齢者関係給付費が68%に対し、児童・家族関係給付費が僅か3.5%と圧倒的に少なくなっている。子ども・子育て関係への予算を重点的に配分していくことが必要であり、これこそが政治の役割である。先述したプレストン効果と呼ばれる予算配分現象を転換し、将来に渡り政治的多数派となることが確実な高齢者層に対して、既得権の削減も含め、将来の日本を良くするための改革策を示し、納得してもらうことは避けて通れない。
この点、松下政経塾の先輩である山田宏杉並区長は、高齢者を説得し、長年の慣例となっていた長寿のお祝いの饅頭の支給を廃止した。その際に「この分を孫や子ども達のために使わせて欲しい」と言ったところ、高齢者は納得したという。
先日お会いした森ゆうこ参議院議員が少子化対策について、「政治が強い意志を予算で示すべきである」と言われていたが、全く同感である。
(2)児童手当制度の一層の拡充を
理想の子ども数を持てない理由として、各種アンケート調査で、一番多い回答が「子育てにお金がかかる」というものだ。例えば、総理府の「国民生活選考度調査(1997年)」によると、全体でもダントツにトップに挙げられるが、特に20歳代(男性:66.7%、女性:57.0%)、30歳代(男性:41.1%、女性:49.0%)でこの回答が多い。
平成16年4月1日から、児童手当制度が拡充され、支給対象年齢が、現在の義務教育就学前(6歳到達後最初の年度末)までから、小学校第3学年修了前(9歳到達後最初の年度末)までに拡大されたが、西欧諸国に比べ、まだまだ貧困である。
西欧諸国で所得制限無しが標準であるのに対し、日本は所得制限をかけて、対象を限定している。支給年齢でみると、フランス、イギリス、スウェーデン、ドイツなどの諸国は、原則16才未満を対象にしている。支給額でも、日本の支給月額が、第1子及び第2子が5千円、第3子以降1万円に対し、例えばドイツは第一子及び第二子が1.7万円、第三子が2万円とほぼ倍の水準である。
ここで、現在義務教育(中学校)終了までの全ての子ども達を対象に一人2万円を支給した場合を考えてみる。
総務省統計局の最新の統計によると、2003年の時点で、年少人口に当たる15才未満の子どもの人口は約1,796万人、計算し易くするために、1800万人とする。これに2万円をかけると、3,600億円である。
国民一人当たり3千円弱の出費を伴うこととなるが、財源は消費税及び以下の子育て保険で賄うことを提案したい。
(3)子育て保険の導入を
介護保険で老人福祉に関しては、ある程度の完成を見たと言えると思う。今後は、子育てを社会化する公的な子育て保険の導入を提案していきたい。
現在、出産に関する費用や不妊治療は保険の適用外となっており、(2)で挙げた様に、子育て全般に関しての費用負担感は大変重たくなっている。これを社会で負担する新たな仕組みをつくる必要がある。
子育て保険あるいは(2)の児童手当などの子育て支援策に関しては、これまで様々な議論が行われ、反対論も多く出されている。まとめると以下の様な意見である。
1)保険とは、そもそも偶発的な事故を前提とするものである。出産はなじまない。
2)かつて母親は5人、10人と貧乏な中でも平気で育ててきた。責任放棄である。
3)子どもを持たない選択をする自由の侵害だ。なぜ子どもを持たない者までが負担しなければならないのか
こうした反対論に関して、今後説得することを試みていきたい。
1)に関しては、子どもを授かる授からないは、まさに偶発的な出来事であり、保険こそなじむ制度ではないかと思う。
2)については、かつては共同体で地縁血縁で、多くの大人達が自然に子育てに関わってきた環境から、現代は大きく変化し、母親一人に責任が強くなっているという状況の変化を無視する意見であると考える。子育て経験が無い人ほど、この種の反論をしやすい。
3)に関しては、あまりに自分勝手な個人主義で、社会や国について考えが及んでいない。
私たちは、一人では生きていけない。国や社会があってこそ、生きていける。私たちはこれまでの先人の歴史の積み重ねの上に生きており、そして未来をつくる責任がある。将来を担う子ども達を、たとえ自分の子どもでなくても育てていく責任があるのだ。
2.民間・社会と政治・行政が両輪となって支援する仕組みづくりを
保育園一辺倒からの脱却を・・・民間・社会の取り組みを活かす
日本は国と地方を併せて700兆円を超える日本の財政赤字は、近い内に個人金融資産を超える危機的な状況を迎えることがささやかれている。1で主張したこととの間に少し矛盾を感じられるかもしれないが、いくら大切な子育て支援とはいえ、無尽蔵に公費を使うことは不可能である。
現在の家族・子育て支援策の柱は、子育てと仕事の両立支援であり、保育園定員の拡充策がその中心をなすが、低年齢児に関しては、莫大な予算がかかる。例えば、東京都のある自治体における保育園児の年齢別保育経費の公費負担分(平成13年度)をみると、0歳児一人当たりが月額40万円以上も、1・2歳児が20万以上もの、税金による補助が行われている。
一方で、4・5歳児については半分以下の約10万円となっており、負担は大きく少なくなっている。
公的な施設保育への支援に加えて、現場から生まれた民間や社会の取り組みをどう活かし、政治・行政がサポートしていくかが、今後の次世代育成支援策の要諦になると考える。
現在の我が国では、3歳以下の子どもがいる場合の日本の母親の就労率は2割に満たない。また子どもの数で見ても、保育所の利用は、全乳幼児の内の4分の1程度、27.5%(厚生労働省「保育所の状況」平成15年)にとどまっている。さらにこれは0~2歳児に限ると、17.0%に過ぎない。
この現状をみて、全ての年令の子どもに保育をとする意見もあるが、これは財政的に不可能であろう。私はむしろ、低年齢児は家庭で育てることも選択できるようなインセンティブを与える政策を採るべきで、そのための支援策を講じるべきであると考えている。
現状で問題なのは、母親達は選択できる環境にないこと、そしてこの圧倒的多数(子どもの数で約4分の3)を占める在宅育児への支援策が薄いことである。
このような問題意識から、松下政経塾三年次の研修では、様々な取り組みをしている団体の活動を視た。以下3点ほど、紹介したい。
(1)子育て支援は母親支援 全国に子育て支援センターを
こうした専業主婦に対する支援、在宅育児支援の必要性に早くから気付き、この子育て支援センターの事業を始めたのが財団法人神奈川県児童医療福祉財団 小児療育相談センター子育て事業部 菅井正彦 部長である(私は三年次に特にこの菅井正彦部長に指導を仰ぎ、私が担当した松下政経塾「子育て支援フォーラムin新潟(県央)」《2005年2月5日開催》にも出演していただいた)。
かつては、子育ての悩みを打ち明ける相手はどこにでもいたが、現在は都市化、核家族化、人間関係の稀薄化などで気軽に相談できる人はいない。家で子どもと一対一になり、閉ざされた空間で、一人で悩みを深め、虐待に至ってしまうケースもある若い母親達へどう支援を行っていくべきか。神奈川県では菅井部長を中心に、関係者の努力と試行錯誤の末、1999年、茅ヶ崎市で子育て支援センターが誕生した。
現在では、神奈川県の12の市町に拡がった子育て支援センターは、地域に常設されたフリースペースで、概ね午前9時から午後3時までの間でいつでも、子育てをする人なら誰でも自由に利用できる。母親達が子連れでいつでも気軽に来られて、自然な形で語り合ったり、さらには子育ての悩みを打ち明け、相談出来る子育てアドバイザー(エプロンおばさん=子育てが一段落した方)がいる。
相談内容は、子育てのことばかりではなく、家族内での実母や義母との確執、夫婦関係などの悩みもある。当初の想定以上にセンターには若い母親が殺到し、そうした悩みを打ち明ける内に、ストレスが解消、子どもへの暴力もなくなるなど、大いに成果を挙げている。
(2)民間発の病児保育室
私は研修で数多くの子育て支援団体など民間の取り組みを拝見したが、共通して感じたのは、政治・行政がもっと積極的に支援を行えば、もっと良くなるということであった。
病気の子どもを預けられる「わたぼうし病児保育室」を運営している塚田こども医院の塚田次郎院長を新潟県上越市に訪ねた。
病気の回復期に子どもを預かる病後児保育はよく見られるが、病気そのものの子どもを預かる病児保育は、稀である。
私がお邪魔した日には、39度の熱のある子も含め、10人の子どもを預かっていた。
塚田院長曰く、「1日2,100円という出血大サービスで取り組んでいます。人件費など年間1200万円の大変な赤字です。」
しかし、驚くべきことに公費助成を一切受けずに運営している。
「公費助成を受けた場合、定員を超えたら官の発想で断らなければなりません。民間だから出来ることです」
子どもの具合が悪い時くらいは休め、と言われるが、実際にはそうはいかないのが現実である。親のニーズ、期待を受け入れられない行政のスタイルが問題だ、塚田先生は指摘された。
塚田先生の様に、莫大な赤字を出しながら、経営を続けていくことは容易なことではない。全国に拡げていくためには、診療報酬点数化など仕組み、制度づくりなど、政治・行政の支援が不可欠である。
(3)子育て支援グループかるがも
新潟県三条市の「かるがも」は、保育ヘルパー育成セミナー受講生が集まって出来た子育て支援グループである。約30名の保育ヘルパーを有し、新潟県県央地域で地域密着の保育サービスを提供している。保育の依頼があると、個人宅なり会議を行う団体なりの指定された場所に行って保育をするというシステムで、三条市にとどまらず、加茂市、燕市、白根市・巻町・分水町・岩室村へもおもちゃとお昼寝布団を積んで出かけている。行政では対応できない細かい要望に応える活動をされていた。
私が担当した松下政経塾「子育て支援フォーラムin新潟(県央)」(2005年2月5日開催)で設置した保育ルームも「かるがも」に運営していただいた。
代表の野水良子氏は、「市役所の紹介で依頼する人が多く、行政のできない点をかるがもが担っていると感じる。市民グループと行政との車の両輪がうまく回っている。」と言われる。
3.親としての力、コミュニケーション能力の養成を
高度経済成長を担った当時の若者達が、核家族を形成し、その子ども達は日常の生活の中で年寄りを見ることもなければ、小さい子ども達の面倒を見ることもない。学校では自分の成績を伸ばし、良い学校に入ることが至上の価値とされる。この様な環境で、コミュニケーション能力を育むのは至難の業ではなかろうか。
児童虐待のケーススタディを行う中で、親子間のコミュニケーションの不足(ネグレクト)、あるいはコミュニケーション能力の欠如による事例を多く読んだ。かつて、虐待をしたお母さんから話を聞いた時、驚いたのは、「子どもを愛していながらも虐待してしまう」との切実な叫びであった。自分の子どもとすら、適切なコミュニケーションが取れない状況――「コミュニケーション障害症候群」とでもいうべきか。
10代から社会に出た時代から、現代は高学歴化やいわゆる「パラサイト」(親への寄生)の長期化で、実社会に出るのが、遅くなっている。現場での体験、違う世代、違うグループとの交流体験は、希薄であり、仲間内で固まり電車内での傍若無人な態度をとる若者達が増加するのは自然なことかもしれない。
「コミュニケーションの回復には何をすべきか?」を考えている内に出会ったのが、鳥取県立赤碕高校の高塚人志先生であった。先生は9年前から、人との関わり方を学ぶ「レクリエーション指導授業(人間関係体験学習)」を始めた。
このレク授業の学習内容は、次の2段階に分かれている。
(1)基礎編 コミュニケーション・ゲームなどでクラスの仲間とふれあう。
(2)応用編 保育所園児や高齢者とそれこそ1対1で長期間関わる。
この授業で生徒達は、実際の生身の人間との心的物的接触、経験を通じて、人情の機微を、命の尊さについて学ぶ。さらに効果として、1)自己肯定感、2)級友の意外な良さの発見、3)縁の提供、人間関係づくりを体験から学べる、4)お年寄り、子どもが好きになった 等が見られ、生徒達の表情も格段に明るくなったという。
高塚先生が主催され、こうした取組を全国で拡げていこうとする第2回人間性回復プロジェクト全国集会(2004年11月6日(土)・7(日)鳥取県三朝町)が開催された。その配付資料に私の月例レポート(2003年8月「失われた時を求めて」)を掲載したい、ということで御連絡をいただき、私は全国集会に参加し、高塚先生とその生徒を訪ねた。生徒達の表情は、明るさと自信に満ちあふれ、眩しいばかりであった。
このレク授業の取組は、テレビや新聞などマスコミで報道され、大学の医学部で導入するなど、拡がりを見せ始めている。私は学校教育課程にこの様な対人関係、コミュニケーション養成の授業を取り入れるべきであると考えている。
子育て支援の観点から言うと、親になる前に子育ての体験をさせ、子どもとの適切なコミュニケーションの術を学ぶことができる。これによって、虐待などの悲劇も減り、子育てが楽しくなる可能性が大いにある。
長くなってしまったが、以上の解決策をまとめると、次の3点となる。
1.子育て予算の拡充
(1)予算配分の転換
(2)児童手当の拡充
(3)子育て保険の導入
2.民間・社会と政治・行政が車の両輪となって子育て支援を行う仕組みづくり
3.教育課程でのコミュニケーション能力養成授業の導入
松下政経塾入塾以来、多くのご縁や機会をいただき、様々な現場で研修をさせていただいた。研修現場では、ずぶの素人で、様々な失敗もし、御迷惑をお掛けした。関係各位にこの場をお借りして、お詫びと御礼を申し上げたい。
我が子育て
松下政経塾入塾式の決意表明で、私は当時1才になったばかりの息子を前に、こう言った。
「日本を我が子に自信をもって引き継げるようにしたい」
あれから三年が経過し、今では息子も3歳になる。塾にいる三年の間、全国を研修の場として私には充実した日々であったが、家にいない日々が大半で、息子には寂しい思いをさせた。沖縄で、茨城で、京都で子ども達を育てる研修をしながら、我が子はほとんど育てていない。
先週、息子が幼い友人宅で遊んでいる時に、突然「パパがいない」と言って泣き出してしまったと帰宅後に妻から聞いた。大いに反省させられる一幕であった。
保育の神様の明言「子育ては錦を織るしごと」
保育関係者や園児の父母から「保育の神様」と称される斉藤公子先生は大正生まれで、戦前に東京女子高等師範学校保育実習科を卒業され、我が国の乳幼児教育・保育の草創期から、子ども達の育ちゆく適切なみちすじの研究・実践に生涯をかけてこられた方である。
その保育の神様が著書「子育て=錦を織るしごと」の序文で次のように書かれている。
「私は、このあこがれの錦を織る仕事を、”子育て”におきかえた。そして執念をもやしつづけてきた。
錦を織る仕事と同じように、細かい、細かい仕事を、まことに根気づよく、一枚一枚織りあげるのに何年もかけて・・・。今でも、この根気強い仕事はつづいている。」
私も、松下政経塾卒塾後、自分の家庭でも、公の場所でも、一生をかけて、この錦を織るしごとに執念を燃やし続ける所存である。
【参考書籍他】
「子育て支援は親支援――その理念と方法」飯田進・菅井正彦 大揚社 2000年
「子育て支援は母親支援(子育てブックレットまいんど50/51号合併号)」菅井正彦
「児童福祉/現代社会と児童問題 第2版」井垣 章二 著 ミネルヴァ書房 1993年
「有斐閣 法律用語辞典」 内閣法制局法令用語研究会 有斐閣 1993年
「もっと、もっと知って欲しい 児童養護施設」全国児童養護施設教会
「子育て=錦を織るしごと」斉藤公子著 旬報社
「さくらんぼ坊やの世界 乳幼児の育ちゆくみちすじ」山崎定人・斉藤公子 旬報社
「さくら・さくらんぼの子どもたち 100人のアリサが巣立つ時」斉藤公子・山崎定人 旬報社
「斉藤公子の保育論」井尻正二 築地書館
「次世代育成支援対策関係資料集」厚生労働省 平成15年4月
【映画】
映画「さくらんぼ坊や」1~6 山崎定人監督作品
Thesis
Hidenori Tachibana
第23期
たちばな・ひでのり
日本充電インフラ株式会社 代表取締役
Mission
児童福祉施設で現場実習