論考

Thesis

今どきの子ども達 ~児童福祉施設現場体験リポート 前編(保育園編)~

 現在私は、茨城県高萩市にある社会福祉法人同仁会で研修させていただいている。児童福祉、家族支援の現場を知りたいという私の要望に、松下政経塾OB(第16期生)で、同会が経営する児童擁護施設出身者の草間吉夫先輩が応じてくださり、11月17日から12月17日の一ヶ月間に渡り、6種8施設(保育園、学童保育、乳児院、児童家庭支援センター、情緒障害短期治療施設、児童養護施設3箇所)の児童福祉施設で研修させていただけることとなった次第である。まずは、草間吉夫先輩へ、そして今回の無理なお願いを聞き入れてくださり、機会を与えていただいた同仁会遠藤光洋理事長、各施設の方々にこの場を借りて深く感謝を申し上げたい。

 なお、私が今回の現場研修をしたいと願ったのは、これまで国会議員政策スタッフとして、あるいは松下政経塾生として、法案の起案、政策づくり、提言の補助作業を行ってきたが、現場をほとんど見ることがなかったことを反省したためである。

 今回の現場研修は11月と12月にまたがるので、今月11月号、来月12月号の二回に分け、体験レポートをお送りしたい。そして体験を踏まえ、感じた問題点、課題をいかに解決していくかなど論じてみたい。

 たった一ヶ月間の研修で、現場を知るとはおこがましく、付け焼き刃に陥る虞もあるが、そこは大目にみていただければ幸いである。

高萩市


 さて今回の研修地である高萩市は、茨城県の北東部に位置し、北は福島県に接し、東京からは約150km、常磐自動車道、JR常磐線で約2時間の距離にある。東は太平洋に面し、美しい白い砂浜は万葉集中の歌でも読まれている。西は多賀山地が連なり、海や山の自然景観は県の自然公園に指定されている。人口は3万5千人ほど、かつては炭坑の町として栄えたが閉山し、その後基幹産業となった大手製紙工場も近年破綻して、現在は不況で雇用状況も厳しい。市の財政も悪化、打開策として国の産廃最終処分場を誘致するか否かで市が揺れていたそうだ。しかし市民の明るい人柄は不景気をみじんも感じさせず、人々が話す「すっぺ(しようよの意)」というような温かいお国訛りの言葉にはほっとさせられる。

各施設での研修体験

 各施設の職員さん達は一様に親切で、得体の知れない34歳の研修生を快く受け入れてくださった。以下、各施設での研修体験を記していく。

一.保育園研修 同仁東保育園

1.保育園初日

 11月18日、私は初めて同仁東保育園を訪れた。保育園は、砂浜の前にあり、保育園のどの部屋からも水平線が見え、波の形まではっきりと見える。日当たりも良好、自分の子どもも通わせたくなるほど、素晴らしい環境に恵まれた保育園だ。

 遠藤律子同仁東保育園園長が、

「子どもを可愛くして家庭に戻すこと、親が迎えに来た時に子どもが笑顔でいるようにすることが、私たちの仕事だと考えています。」

と言われたのを聞きながら、私は約200年前に理想社会を論じたロバート・オーウェンの言葉を思い出していた。

「親たちは、子どもが一人歩きできる時期から学校に入る時期までの間、子どもの付き添いから現に生じている時間の損失と世話と心配から解放されるであろう。

 子どもは安全な場所におかれ、そこで未来の学校友達や仲間達とともに、最善の習慣と原理を習得し、食事時間と夜は、両親の温かい懐へ帰ってゆくだろう。そして離れることによって、相互の愛情は恐らく強められるであろう。」
~ ロバート・オーウェン「新社会観」より ~
 さて、私が子ども達に最初に出会ったのは、園での初日、建物を案内されている内に、鼓笛の練習をしていた時であった。5・6歳の年長組の子ども達は、数日後に控えた11月23日の高萩市民音楽祭での発表に向け、熱心に練習していた。子ども達が整列し、一糸乱れぬ見事な演奏が始まった。小さな鼓笛隊の演奏に聴き惚れている内に演奏が終わると、突然、指導している先生が、「みんながどうだったか、橘先生に聞いてみましょう!」と振られ、慌てて講評したことから、私の「先生体験」は始まった。

<写真:高萩市民音楽祭での演奏>

2.保育園の一日

 私が実習させていただいたのは、2歳児(満2~3歳)クラス、4歳児クラス、5歳児クラスであった。

 保育園の開園時間は午前7時から午後7時、必要により午後8時までとなっている。

 園児の保育園での一日を、2歳児クラスのたんぽぽ組を例にとって、簡単に紹介すると、午前9時頃、「朝のお集まり」で先生にご挨拶、9時40分におやつ、その後、天気の良い日は園庭で遊ぶか、外に散歩に出掛け、園舎に戻って、午前11時半から昼食。

 午後は1時から3時まではお昼寝。目覚めてからおやつで、3時半にお集まりをして、降園の準備を始め、4時頃からお母さん達のお迎え。お迎えは7時頃まで続き、その間、子ども達はおもちゃで遊んだり、先生に本を読んでもらったり、アンパンマンのビデオを見ていたりして過ごす。

3.子ども達を観察

 子ども達はとてもなついてくれた。保育園児には、「タチバナセンセイ」という名前は難しいらしくなかなか言えない。何人かの園児が呼び出したのをきっかけに、私は「バナナせんせい」ということになった。

 さてここでは、子ども達と実際に過ごしてみての、私なりの観察を記していく。

(1)子ども達に共通する点

  1. 喜怒哀楽
    子ども達は喜怒哀楽が激しいし、それを顔に言葉に表す。
    特によく泣く。
    昼食時、おやつの時間はひと騒動で、多くの子が隣で食べられないと言って泣く。
    先の鼓笛隊でも中心的な役割を果たし、普段少し生意気な口を利く大人っぽい子どもが、私が「他の子ども達と遊んで、自分と遊んでくれない」と園庭で大泣きした時には、驚き、戸惑ってしまった。

  2. 独占欲
    上述の例にも出したが、子どもは独占欲が強い。一人一人が先生に話を聞いてもらいたい。「あのね、バナナせんせい!」と多い時には7・8人の子ども達が一斉に話しかけてくる。

  3. 求ム スキンシップ
    子ども達が、これほどまでに「抱っこ」、「負んぶ」、「肩車」を求めてくるとは思わなかった。これは年齢を問わない。私の2つの膝の上は常に定員オーバー、また肩車をしながら、別の子を抱っこという状態。毎日、宿に帰ると布団にバタンキューで、翌朝体中が痛かった。
 驚いたのは、特に兄弟姉妹構成の中で真ん中の子ども達が、甘えん坊ということだ。おそらく初子は小さい頃親を独占できるが、真ん中の子は、早い内から下の小さい弟・妹がいて、親はそちらにかかりきり、満足がいくまで抱っこ・負んぶをしてもらうことがないからであろう。

(2)個性
 上述の共通点とは反対に、一人一人が全く異なった個性の持ち主であった。

 無口な子、良くしゃべる子。自分のことより、他の子のことを心配する子、大人はもちろん、他の子が気付かないことに気付く子。将来自分が何になりたいかの答えも、「バスの運転手さん」、「お医者さん」、「バイク屋さん」、「サッカー選手」、「忍者」、「アバレンジャー」など実に様々だ。

4.本職と見習いの大きな差

 当然であるが、本職の先生と見習いの私の差は歴然であった。それは、子どもが言うことをきくか、聞かないかということだ。一人がふざけ出すと、続々と後に続き、収拾がつかなくなっていく。子ども達はなついてくれても、なめられっぱなしの私には為すすべがない。ここで本職の保育士の先生達は、驚異的な指導力で事態を見事に収拾していく。さらには、この子ども達をして、見事な鼓笛の合奏をさせるのである。

5.これからの保育園の課題

 ここでは実習を通じて、素人ながら現場で考えたことをまとめてみたい。

(1)一人一人と向き合う時間が足りない

 各々違う個性を持つ一人一人の子どもの話を聞き、一人一人とスキンシップをするには、先生は少な過ぎる。クラスには20数人の子ども達がおり、同仁東保育園では常に2人以上の保育士がいるが、一般の保育園では、年長クラスには大抵一人の先生しかいないそうだ。

 国の保育所職員配置基準(厚生労働省令「児童福祉施設最低基準」第33条)は、0歳児は子ども3人につき保育士1人、1・2歳児は子ども6人に保育士1人、3歳児は子ども20人につき保育士1人、4・5歳児は30人につき保育士1人となっており、市町村による運営費の支給も、これを基に行われている。


 保育園の先生達がいくら奮闘しても(実際に奮闘されており、頭の下がる思いであったが)、一人一人とじっくり対するのはとても無理である。子どもが求めているのと同様に、先生方も「もっと一人一人の子どもとじっくり接っしたい」と言われておられた。 現実には、一人一人の子どもからじっくりと話を聞ける、そして一人一人の表情をじっくり観察できるような時間と人員のゆとりはない。

 一週間に一度でも、一時間でも良いから、一人の子どもが、先生一人を独占出来る時間帯を作れないものだろうか。

(2)今どきの園児と家庭

 実習中に感じたことの一つに、おもちゃで遊ぶ順番を守らない、私が抱っこしている子を引きずり降ろす子ども、すぐ殴りかかってしまう子ども、など友達と仲良く遊べない子どもが多いことであった。自分が幼稚園児の頃を思い出して、あまりこんなことは無かったような気がする。疑問に思って、20年以上子ども達とその父兄を見てきたベテランの先生にお話をうかがった。

「10年前と比較して、幼い、自己中心的な子どもが増えてきています。子ども時代貧しく育った世代が、不自由をかけたくないと思って、育てた世代が今のお母さん、お父さん達になっています。今のお母さん、お父さん達が子どもにわがままを言って、子どもが我慢を強いられ、その結果、屈折してしまうようなケースもありましたよ。」

 家庭の養育機能が低下しているのであろうか?

 子育てには保育園と家庭(親)が車の両輪とならなければならないということを実習で改めて感じ、保育園に2歳児の我が子を預ける親としての思いと責任感を新たにした。

(3)競争の時代に潜む危険

 小泉首相が「待機児童ゼロ作戦」を宣言するなど、全国の都市部で大きな社会問題になっている「待機児童」がこの高萩市にはいない。遠藤律子園長は、

「待機児童がいない分、親は保育園を選ぶことができるので、保育園の魅力づくり、経営努力が必要なんですよ。」

と言われる。また、少子化や、これまで措置制度からサービスの利用化に代わったことも相まって、目に見える成果が求められるし、クレームには即対応しなければならない。

 今日、保育園経営も転換点を迎え、競争の時代に入った。この点、理事長は「選ばれることで保育園は楽しくなる」と前向きにとらえておられた。

 なお、先述のとおり、0~2歳児の運営費(市から支給)は高いので、経営を成り立たせるには、この年齢層の子ども達を獲得する必要があろう。

 東京都のある自治体における保育園児の年齢別保育経費の公負担分(平成13年度)をみると、0歳児一人当たり税金による補助が407,680円、4・5歳児については106,561円となっている。ちなみに保護者負担はならすと経費の9%に過ぎない。

 さて、選択と競争の時代には、目に見える成果が求められると思うが、目に見える成果だけを追い求めることへの危険を思う。親や保護者が求める目に見える成果(例えば知育、学習勉強面)と、子どもが求めるもの(例えば、負んぶ、だっこ、肩車といったスキンシップ、じっくり話を聞いてもらうこと)の間には大きな隔たりが見られると思う。また表情や仕草をみて、大人が子どものSOSを感じ取ることはとても重要なことであると思うが、これも目に見える成果とはならないであろう。知育が発達していても、すぐ切れる子どもが増加し、学級崩壊や短絡的・猟奇的な少年犯罪が相次いでいる現在、むしろ必要なのは目に見えない成果、情緒を安定させていくようなことではなかろうか。

 別の民間保育園で実際にあったケースとして、ある園児が、歯がボロボロで、この年齢の子どもが食べられるものは咀嚼できず、栄養失調の状態。家庭で朝食は与えず、送迎の様子を見ても愛情も感じられない。児童虐待の一つのネグレクトに該当するとして、担任の保育士が児童相談所に通報しようと決裁を求めたところ、園長は対外的な評判をきにしてか「我が園には問題家庭は存在せず」と言って拒否した。結局、担任の先生が通報し、事態は解決に向かったという。選択と競争の時代は、一歩間違うと、子ども達にとって「受難の時代」にもなりうる。 次回は、様々な事情から、親や家族と一緒に住むことが出来ない子ども達が暮らす児童養護施設、乳児院での実習体験を中心に報告する。

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橘秀徳の論考

Thesis

Hidenori Tachibana

橘秀徳

第23期

橘 秀徳

たちばな・ひでのり

日本充電インフラ株式会社 代表取締役

Mission

児童福祉施設で現場実習

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