論考

Thesis

家族と離れて暮らす子ども達 ~児童福祉施設現場体験リポート 中編(児童養護施設他編)~

二.児童養護施設乳児院での研修体験

 先月11月に引き続き、私は、茨城県高萩市及び東茨城郡内原町にある社会福祉法人同仁会で研修させていただいている。先月は、保育園での活動体験をお伝えしたが、今回は、児童養護施設、乳児院、情緒障害短期治療施設での実習体験を報告させていただく。

児童養護施設とは?

 さて、「児童養護施設とは何でしょうか?」と尋ねられ、答えられる読者はまず少数派であろう(かくいう私も実は良く知らなかった)。

 児童養護施設とは、様々な事情から、親や家族と一緒に住むことが出来ない子ども達が暮らす施設である。現在全国に552ヶ所あり、約3万人の子ども達が暮らしている。乳児院は、概ね2歳以下の子ども達が暮らす施設で、現在全国で144ヶ所ある。なお、児童福祉法はそれぞれ次の様に定義付けている。

児童福祉法(昭和22年法律第164号)
(乳児院)
第三十七条 乳児院は、乳児(保健上その他の理由により特に必要のある場合には、おおむね二歳未満の幼児を含む。)を入院させて、これを養育することを目的とする施設とする。
(児童養護施設)
第四十一条 児童養護施設は、乳児を除いて、保護者のない児童、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせてその自立を支援することを目的とする施設とする。
「児童養護施設」に至る歴史

 多くの人は、「かつては孤児院と言いました」と説明して、初めてイメージ出来るとおり、「児童養護施設」よりも、「孤児院」という言葉により馴染みがあると思う。しかしながら、実は「孤児院」は、現在は存在しない。

 なぜなら、戦後間もなく児童福祉法が成立した際に「養護施設」へと名称が変わったからである。さらに近年、改正児童福祉法が施行(1998年4月)され、現在の「児童養護施設」に名称変更となった。

「孤児」を広辞苑で調べると「両親を失った幼児。身寄りのない子。みなしご。」と出ている。我が国において、孤児院の歴史は古く、聖徳太子が593年に建立された悲田院(ひでんいん)が日本最初の孤児院と言われている。また和気広虫は、藤原仲麻呂の乱(764年)の逆徒の助命を嘆願し、島流しに減刑させ、それによって生じた孤児83名に夫の姓を与え、「育児院」で養育した。

 明治期には石井十次による「岡山孤児院」を始め、いくつかの孤児院が作られ、救護法(昭和4年法律第39号)によって、第6条で救護施設として法的に位置付けられた。なお「育児院」という名称は、戦前の社会事業法(昭和13年法律第59号)第一条にあった。

 戦後直ぐの国会会議録や歴史を調べる過程で、児童福祉に情熱を注いだ多くの先人達の努力を知り、胸が熱くなった。

 こうした長い歴史と伝統や、戦後の混乱期に多くの戦災孤児や引揚孤児がいた記憶から、「孤児院」の名称が定着しているものと思われるが、現在では、施設にいる子ども達の大半には親がおり、何らかの事情で離れて暮らしているに過ぎない。いわゆる「孤児」は極めて稀であり、また戦後直後に全ての子どもを対象に積極的福祉の増進を目指し制定された児童福祉法(※1)は、「・・・乳兒院といつた施設を、今の單に救貧的な、貧困要件のみを條件とするという施設でなしに、・・・積極的な面にできるだけもつていきたいと考えてつくつた次第・・・」(米澤常道厚生事務官答弁、昭和22年9月29日。第一回通常国会衆議院厚生委員会会議録より抜粋)であり、やはり「孤児院」という名称はふさわしくないであろう。

 松下政経塾OBの草間吉夫氏(第16期生)は、「孤児院」という言葉から生じる誤解や偏見の問題を挙げ、「児童養護施設」の知名度アップ(※2)を訴えている。

現場実習体験記

 私が社会福祉法人同仁会で研修させていただいた施設の内、親や家族と離れて暮らす子どもの施設は、3ヶ所の児童養護施設(臨海学園、子どもホーム、内原和敬寮)、乳児院、子ども心理療育施設(情緒障害児短期治療施設)であった。

1.児童養護施設での研修

 児童養護施設は、次の三ヶ所で研修をさせていただいた。

(1)臨海学園(高萩市)
(2)子どもホーム(高萩市) 未就学児~高校生 男女
(3)内原和敬寮(東茨城郡内原町)

 いずれの施設でも温かく迎えていただき、宿直もさせていただき、子ども達と生活を共にした。なお、以下の部分は、ぼやかしたり、若干わかりづらい記述が多くなっているが、個人や施設か特定されないよう配慮したためであることを御理解いただきたい。

施設による差異

 一口に児童養護施設といっても、施設ごとに大きな違いがあることに驚いた。

 77人の子どもがいる大きな施設もあれば、25人程度の小さな施設もある。立ち上げて数ヶ月しか経ていない施設もあれば、昭和20年代から続く施設もある。生活に関しても、職員が子どもと一緒に入り、文字通り「裸の付き合い」をしている所もあれば、そういうことは一切しない所もある。食事を調理師さんに任せ切りの所もあれば、新たな試みとして、食事作りも指導員や子どもが参加する施設もある。全ての年齢の男女の子ども達が一緒に暮らしている施設もあれば、2階は未就学児、3階は男子学童、4階は女子学童という様に隔てている施設もある。子ども達に職員を「先生」と呼ばせる施設もあれば、「お兄さん」「お姉さん」と呼ばせる施設もあった。

 そして、子ども達も施設によりかなり異なっていた。

異国の天使達

 入所している子どもが、日本人が大半の施設もあれば、他の施設では、不法残留で拘留されている外国人の子どもが多い施設もある。

 ある施設での私の研修初日、両親が入国管理局に拘束され、一日前に入所してきたばかりの姉弟がいた。とても、明るく朗らかな三姉妹弟で、良くしゃべり、良く歌い、良く遊ぶ。何も無かった部屋に、早速自分用のカラーボックスが与えられると、嬉しいらしくピョンピョン跳び跳ねている。また服をもらったことに、とても感謝していた。私は天使のようなこの子達のことが大好きになった。

 この子ども達は、日本で生まれたというが、生年月日がはっきりわからず、学校に行ったことが無いという。登校する他の日本の子ども達を羨ましそうに見送っていた。いつ両親とともに帰国するかははっきりしないが、施設長は、短期間でも登校出来るよう教育委員会や学校へと熱心に掛け合われていた。

 他の子ども達が登校している昼間の時間帯に私はこの姉弟達と良く遊んだ。その日もいつもの様に遊んでいたが、突然、しっかりものに見える8歳の長女が、急に泣き出し、私にしがみついてきた。びっくりして、

「どうしたの?」
と尋ねたところ、泣きながら、
「ママはいつ帰ってくるの?」
と言う。

 週末に一旦神奈川の自分の家に戻るため、帰り支度をしていると、いつ戻ってくるのか、と何度も尋ねてくる。常磐自動車道を南下する車中で、短い研修期間だが、この姉弟達に、日本を離れる前に、少しでも楽しい思いをさせてあげたい、と心から思った。

Bad Communication 危ういコミュニケーション手段

 明るく穏やかで、礼儀作法もきちんとしている子どもが多い施設もあれば、多くの子ども達が問題行動を起こす施設もあった。例えば、未就学の子どもが、自分より小さい子どもを殴ったり、蹴ったり、目を覆いたくなるような場面に始終出くわすなど、他の子や大人に対して、暴力をふるう子どもの多さにはまいった。私が他の子と遊んでいると、私か他の子を殴ったり蹴ったり、時には噛み付いたりして、注目を引こうとする子どもも多い。肩車や抱っこをしていると決まって力ずくで引きずり降ろしにかかる。

「こんなことを自分がされたら嫌だろ?だから、やっちゃいけないよ。」と諭しても、全く無駄であった。時には、大声で叱ったりもしてしまった。思いやりや感謝の気持ちのかけらも見られない・・・。子どもの振る舞いながら、何とも言えない嫌なものを感じることが多くあった。不適切な表現だが、はっきり言えば、「胸くそが悪くなった」。

 子どもの行動の意味がわからず、戸惑うことも多かった。初対面の私に対して、肩車や抱っこをせがんだり、ものすごく子どもらしく甘えてきていた子どもが、ある時には「あっちへ行け」「おまえなんて消えろ」「おまえなんて死んでしまえ」と言う。表情も豹変している。そして次に会うと、また人なつっこくなって、甘えてくる。

 後で職員さんに聞いてみたところ、これらは、被虐待児に見られる典型的な特徴だそうである。暴力で気を引こうとするのは、身体的虐待を受けて育った子どもで、親がしばしば殴ったり蹴ったりしていたため、暴力がコミュニケーションの手段となってしまっているそうである。

 私はしばしば手を挙げそうになったが、これは厳禁だそうである。虐待を受けて、心に傷を負った子どもを力で押さえつけようとした場合、ますます自分の殻に閉じ籠もってしまうそうだ。

 また初対面の大人に対して、全く人見知りせず、甘えてくるのも、被虐待児に多く見られるという。人見知りをする幼児は正常で、母親と安定した関係が結べている証左だという。

 研修当初は、両親の不法滞在で入所することになった外国籍の子ども達のケアこそ最重要と思ったのだが、研修が進む内、むしろ日本籍の子ども達の心の方が、より大きく傷ついており、ケアが不可欠だと感じるようになった。

 外国籍の子ども達の入所の理由は、不法滞在による親の拘留がほとんどで、親から愛情を受けて育ってきている。しかし、日本籍の子どもの入所理由のトップは児童虐待である。 平成14年度に児童養護施設に新規に入所した児童5,684人の内、実に53%に当たる2,982人が虐待を受けた経験を持つ(平成15年5月、全国児童養護施設協会調べ)。

 児童養護施設では、心の不安や迷いを解決するための専門家、心理療法士の方が活躍されていたが、掃除や配膳など、他の仕事も一生懸命されていた他、常勤ではないと聞き、驚いた。現在の仕組みでは、心理療法を必要とする子どもが10人以上いる施設にだけしか心理療法士は配置されず、人数も僅かに1名、さらにその勤務態勢は非常勤であるという。

巣立ち後の厳しい姿

 ある施設長からうかがったこれまで施設を育っていった子ども達の姿には、つらいものがあった。

 この施設出身者のこれまでの高校進学率は20~25%、近年上がったというものの約40%に過ぎない。私も職人の家に育ったこともあり、学歴は必ずしも必要とは思わないが、厳しい実態だ。地域の高校進学率は95%に対して余りにも低過ぎる数字だ。集団生活を嫌い、義務教育終了後に施設を出て、独立したがる子どもが多いという。

 年頃になれば自分の個室も欲しいし、無理もなかろう。

 住み込むことが出来る職を探す。しかし、不況に加え、施設出身者に対する様々な偏見や誤解に基づく差別もあり、就職は厳しいという。

 巣立ってから連絡が取れなくなったり、曲がった方向に行ってしまう子ども達も多いという。生活保護を受けている卒業生も多いという。

2.乳児院・・・同仁会乳児院(高萩市)

 この乳児院には現在26人の子ども達が暮らしている。私が研修させていただいたのは、一番上のだいたい2歳児のクラスであった。やっと歩けるようになった子ども達と朝はNHKの「お母さんといっしょ」を見、トイレに一緒に行ったり、おしめを変えたり、散歩に行くなど、私が家庭で現在2歳の子どもとしているのと同じことをした。違いは、我が子では無いということだけで、一人一人の子どもが本当に可愛いらしい。子どもが時折保育士さんに向かって、すっかり信頼しきった様子で「あーちゃん」と言っているが、何のことであろうか?聞いてみると、「あーちゃん」とは、主にその子を担当する保育士さんのことだそうである。

 しかし、入所の理由を聞いて、一人一人の子どもの顔を浮かべながら、涙が出そうになった。虐待が増加した他、親が行方不明、育児放棄、刑務所に服役中、入国管理局に拘束中などと経済的な理由は少ないそうである。戦後の貧しい時代とは様変わりしているそうだ。親の前では良き娘を演じ、内緒で出産し、預ける若い母親も増えているという。乳児院の院長先生は「家族、親子関係が、うまく機能しなくなっています」と言われ、例えば、虐待の連鎖(子どもの頃に虐待されて育った親が、虐待をしてしまう現象)を断ち切るような支援策、親子が離れ離れにならないような予防策を講じる必要性がある、と指摘された。

3.児童心理療育施設・・・内原和敬寮(うちはらしんけいりょう・内原町)

「児童心理療育施設」でも研修をさせていただいた。児童福祉法上では、次のとおり、「情緒障害児短期治療施設」という名称になっている。

児童福祉法(昭和22年法律第164号)
(情緒障害児短期治療施設)
第43条の5 情緒障害児短期治療施設は、軽度の情緒障害を要する児童を、短期間、入所させ、又は保護者の下から通わせて、その情緒障害を治すことを目的とする。
「情緒障害」には決まった定義は無いそうだが、「様々な要因」(ストレス)により心が不安定となり、社会生活への適応が難しくなった状態」と言われるそうだ。具体的には「学校になじめない、学校へ行けない」、「怒りっぽく、落ち着きが無い」、「不安や恐怖心が強い」といった児童達が対象になる。

 子ども達は、施設の敷地内にある分校に通っている。ここでも、やはり暴力によりコミュニケーションを図る子が見られた。また朝、なかなか学校に行かずに困らせたり、わざと汚い言葉を浴びせかけたり、挑発したり、一緒の席で食事を食べたくないとか言ってきたりと、いろいろやってくる。研修最後の施設で慣れが出てきたせいか、あるいは事前に情緒不安定と聞いていたせいか、不思議とあまり気にならなかった。むしろ、盤上ゲームで一緒に遊んだり、勉強(宿題)を教えたり、逆に不器用な私が、折り紙の折り方を子どもから教わったりと割合、和気藹々とすることが多く、私も楽しむことも多かった。

まとめ

子どもはきっと良くなれる

 研修最後の日、同仁会遠藤光洋理事長は、自宅(お寺)に私を招いてくださった。私は様々疑問に思っていたことを質問したが、理事長は一つ一つに丁寧にお答えをくださった。

「これまでは子どもは小さく、可愛く、純粋で、守られるべきものと思って来ましたが、私や他の子に対し、暴力をふるったり、自分の欲求を満たすために人を人と思わない様な行動をすることには驚きました。」

 という話を私がすると、理事長は、こういう言われた。

「子どもを『餓鬼』と表現するのは、一面当たっている。子どもは人間として正しく導かれず、愛情を注がれずに育ったら、人間にはなれない。まさに仏教でいう『餓鬼』になってしまう。」

 餓鬼は常に飢えと乾きに苦しむという。感謝に至ることがなく、常に愛情に飢え、心が渇いている多くの子どもを思い出し、私はうなってしまった。

 一方で日々感謝を忘れず、明るく、やさしい子ども達も多くいたことを思い出した。素直で、礼儀正しい子どもが多くいたアットホームな施設の中でも、とりわけ素直で他の子達を自分の弟妹同様可愛がり、よく面倒を見ていたある子どもについて聞いてみたところ、何と、

「その子は、もともと虐待が入所理由で、他の被虐待児同様、まともにコミュニケーションが取れない状態だった」

 という。

 子どもは養育環境次第でいくらでも良くなり、悪くもなるものだ、私は確信した。

未来への投資を

 先月のレポートにも書いたが、子どもはスキンシップを求め、心のケアを必要とし、一人一人が自分を見てくれる大人を必要としている。しかし、大人が足りない。保育士、指導員、心理療法士、あらゆる必要な職種の人が足りない。子どもの幸せのために様々な経営努力をされているにも関わらず、児童養護施設、乳児院、子ども心理療育施設で共通して感じたことは、やはり保育園同様、子どもに比して、職員さんの数が少ないということだ。自分の子どもの様に付きっきりにはなれない。そんな中で、職員さん達が子どもの幸せのために、日夜奮闘される姿には感動を覚えた。

 国の配置基準は、乳児院では0・1歳児が1.7人、2歳児が2人に対し職員一人、児童養護施設では、子ども6人に対し職員一人となっている。さらに労働基準法を遵守せねばならないので、実態はもっと厳しい。一日24時間を一人8時間労働で単純計算、3倍すると、実態は0・1歳児が5.1人、2歳児は6人に職員一人、児童養護施設は、子ども18人に職員一人ということとなる(就寝時間帯があるので、3倍計算はおおざっぱではあるが、週休2日制を考慮に入れると、あながちオーバーとは言えない)。

 現在厚生労働省を旗振り役に、児童養護施設を出来るだけ家庭環境を近づけるため、小舎制(ひとつの建物に子ども12人まで)への移行が提唱されている。私も研修で、家庭の雰囲気に近い施設ほど、子ども達の顔が明るく、情緒が安定していると感じた。

 しかし、大人を増やすこと無しに現状のまま、小舎制へと移行するのは無理があろう(全国550施設の内、小舎制をとるのは僅かに73施設)。児童養護施設では、年間子ども一人当たり約220万円の公金が支出されている。その80%強が人件費で占められていると言い、逼迫した財政状況の下で、これ以上の職員数を増やすことは困難とは思うが、子どもの情緒を安定させるためには、質だけではなく、寮量を増やすことは不可欠だ。近い将来親になる子ども達が立派に育つための未来へ投資は、優先させるべきである。

 乳児院の院長先生は「日本をつくるためには、人をつくる、子どもを育てることが基礎となります。子どもを幸せにしないと国は滅びてしまうかもしれません」と語り、社会全体で子どもを育てていくこと、福祉分野での老人・子どもの予算比(社会保障給付。現在老人:68%、子ども・子育て関連:3.5%)を逆転しても良いぐらいだ、と言われた。全く同感である。

日本の家族の危機

 不思議なことに、経済的に豊かになった我が国で、しかも少子化が進行しているのに、施設に入所する子どもの数は減らないという。そして、入所理由のトップは児童虐待。

 これは何も施設に限らない。

 児童相談所における児童虐待の相談件数は、平成2(1990)年の1,101件から、平成14年には24,195件と約22倍も増えている。また10年前の医師による三歳未満の乳幼児を持つ母親に対する調査によると、約4分の1の母親が「虐待しているのではないかと思う」という選択肢を選んでいる。虐待に至らずとも、半数を超える人が「子育てに悩みがある」、「育児ノイローゼに共感できる」と答えている。

 ある施設の職員さんは、こう語ってくれた。

「ここは決して特別な所ではありません。日本の子育ての縮図なんですよ」
「このまま放置していたら、日本は手遅れになります」

 今回の現場研修は、当政経塾の創設者松下幸之助翁の言う日本の危機の一端が垣間見えたような気がした。今後は、社会として何をなすべきなのか、そして自分が何をなすべきなのか、じっくりと考えていきたい。

 次回は、育児不安に悩む現代の家庭の支援、地域の子育てに関するあらゆる相談や支援を行っている児童家庭支援センターについて、レポートさせていただく。

<脚注>

(※1)児童福祉法案趣旨説明 1947(昭和22年)9月18日 一松定吉厚生大臣
(第一回通常国会 衆議院厚生委員会会議録より抜粋)

「・・・現在兒童保護に關する法律は、わずかに少年教護法及び兒童虐待防止法があるのみで、現行法律によつては保護に漏れる兒童も少くないので、この際兒童全般の福祉を増進しようとする總合的法律が必要であり、また日本が將來民主的な文化國家として力強い歩みをするためには、兒童福祉の問題を大きく取上げる必要を痛感いたしましたので、今囘この法案を提案するに至つた次第であります。・・・」

(※2)草間吉夫氏「児童養護施設の知名度アップを」
(松下政経塾 月例レポート1999年1月号)
https://www.mskj.or.jp/getsurei/kusama9901.html

<参考書籍他>

  • 「児童福祉/現代社会と児童問題 第2版」井垣 章二 著 ミネルヴァ書房 1993年
  • 「有斐閣 法律用語辞典」 内閣法制局法令用語研究会 有斐閣 1993年
  • 「もっと、もっと知って欲しい 児童養護施設」全国児童養護施設教会

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橘秀徳の論考

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Hidenori Tachibana

橘秀徳

第23期

橘 秀徳

たちばな・ひでのり

日本充電インフラ株式会社 代表取締役

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児童福祉施設で現場実習

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