論考

Thesis

インバウンド観光振興作戦!

日本へ来る外国人観光客(インバウンド)数は外国への日本人観光客(アウトバウンド)の4分の1しかない。この原因は日本が外国人観光客にとって魅力のない国だからだろうか。それとも他に原因があるのだろうか。

■冨田勲コンサートを通しての発見

 私は昨年の6月、冨田勲作曲「源氏物語交響絵巻」ロンドン公演のプロデュースに参加した。冨田氏は日本の誇るシンセサイザー音楽の世界的権威である。その冨田氏作曲の「源氏物語交響絵巻」をロンドン屈指のオーケストラであるロンドンフィルハーモニックと、琵琶、笙、篳篥などの日本の伝統楽器が一体となって、冨田氏自らの指揮の下、演奏を行った。さらに、オーケストラのバックには、世界最新鋭のハイビジョンを駆使して撮影した、京都を中心とする日本の美しい四季の風景の映像が楽曲と連動して映し出され、クラシックのコンサートとしては非常に凝った演出が施されていた。ちなみに撮影したのは、日本屈指の映像ディレクター清水満氏である。この美しい日本の四季の情景には、観客だけでなく、演奏者も裏方も魅了された。

 ホールは日本人以外の観客が8割を占めた。演奏会終了後、ホール中央のオペレーションセンターにいた私は数多くの観客から質問を浴びた。「この映像は日本のどこで撮ったのか、どこに行ったら見られるのか」。ほとんどが、次は自分の眼で直にあの風景を見てみたいと言う気持ちから生まれる質問だった。

 しかしながら、ここロンドンでどの旅行会社を廻ってみても、日本へのパッケージ旅行の商品はほとんど陳列されていない。せっかく、それまで日本のことなど興味も持っていなかった人が日本についてもっと触れてみたいと思っても、その受入態勢がまったく整っていないのである。実際にその場所へ行き、自分の眼で見、耳で聴き、肌で触れてこそ、そこで初めて日本への想いがその人の中に深く刻み込まれる。日本へ来る外国人観光客(インバウンド)を増やすことが如何に国益に合致したことか、もっと国家としてインバウンド振興を行うことが重要であることを強く感じ、昨年10月からノースロンドン大学MBA観光学専攻課程で観光学を学び始めた。

■いびつな日本の観光事情

 現在、日本はアメリカに次いで世界第2位の観光大国として位置付けられている。これはひとえに海外への日本人旅行者数によるものである。1998年に集計した最新の統計によると、海外への日本人観光客(アウトバウンド)数が1581万人に対して、海外からの旅行者は411万人と実に4分の1といういびつな構造となっている。このようないびつな構造は日本だけであり、世界でも、外国人旅行者の受入数を比較すると日本は32位(1996年統計より)である。

 ただ、日本政府としてもインバウンドを伸ばす動きがまったくないわけではない。観光白書でもインバウンド振興はしっかりと謳われており、1996年には学識経験者等から「ウェルカムプラン21」と称する訪日観光交流倍増計画が提言されている。その内容は2005年を目途に訪日外国人旅行者数を倍増させ、地方圏へ誘客を促進するというものである。しかしこの提言も日本の地域振興のために訪日観光振興を利用するという側面が強く、インバウンド自体を伸ばすという意識は乏しいのが現状である。ここ10年間で自然増に任せているアウトバウンドは164%の伸びを示したのに対し、インバウンドは施策を講じているにもかかわらず145%に留まっている。アウトバウンドとインバウンドの割合の比率は縮まるどころか開く一方である。
 なぜ伸びないのか。有識者は口をそろえて、円高の影響で日本の物価の高さが敬遠されていることと、日本における英語が通じない現状を唱える。しかし果たしてこの2点が本当に真の原因なのだろうか。

 まず、円高の影響であるが、もしも円高が主たる原因ならば、一昨年起こった円安の状況下においては多少のゆり戻しがあってしかるべきである。しかし、平成9年と10年を比較して見ると平成9年は422万人であったのに対して、平成10年は411万人と逆に減少している。当局は韓国、タイ等を襲った通貨危機が原因で減少したとする見解を発表しているが、韓国以外の国に販路を広げていないことが逆に証明されたのだと私は読む。政府は、この現象がヨーロッパ、アメリカ等、世界のマーケットに日本観光がまったく浸透していないことを逆に露呈しているのだと認め、早急に対策を講じるべきである。そうしなければ、最近の円高傾向によって、このいびつさはますます拡大されることになるだろう。
 また、円高による日本の物価の高値感という面も主たる原因とは言い難い。何しろ世界で一番インバウンドを受け入れている国は、旅行者にとって世界で一番物価が高い国のひとつとして知られているフランスなのである。ヨーロッパは言うに及ばず、発展途上国のリゾート地でも、アジアのリゾートはそれなりに割安感はあるので別におくとしても、カリブ、地中海の島々など欧米人が好んで出かける観光地には、ツーリスト価格と現地価格という二重価格が厳然と存在し、旅行者がこうした地で割安感を感じることは不可能であるのが実状である。
 また、英語が通じないという面も、私が入手した1998年のある統計によると、同じ英語が通じない韓国は日本よりインバウンドは多く受け入れている。もう一度図1を参照されたい。1996年の統計になってしまうが、本当に英語が通用するか否かがインバウンド振興の決定的条件ではないということが分かるであろう。

■日本の観光業界の問題点

 それではなぜ相も変わらず、有識者は「円高」、「英語」の2点を口をそろえて主張するのだろうか。私は、この2点は真の問題点を隠蔽するための隠れ蓑に過ぎないと断言したい。この2点はいわば、一朝一夕ではどうしようもない問題である。それを提示することで、インバウンドを振興するというポーズだけは取って、実のところはインバウンドを振興したくないという「本音」がその底に隠されているとみる。

 この「本音」と日本の観光業界の問題点は密接に関係している。ここで日本の観光業界の問題点を列挙してみる。
 まず一つ目に、行政側の取り組みの問題がある。日本には観光省(庁)というものが存在しないので、運輸省が観光を管轄している。ただ、運輸省は名前の通り運輸がメインであり、観光を扱うのは、運輸政策局の中の観光部という部署になる。しかし、ここは国内、国際全ての観光を扱っているので、インバウンド観光振興だけにかかりっきりというわけではない。つまり、インバウンド観光は数ある中のひとつに過ぎず、それを専門に扱う部署はない。トータルで観光を振興すれば目的は達成できるのである。その結果、省庁間の利害関係の対立があったとき、観光は後回しにされる。たとえば、アウトバウンドに偏った日本の観光業の現状は貿易黒字を縮小する効果を持つ。そのため、省庁間の利害関係という見地からすれば、このいびつな構造は逆に歓迎されるべきことなのである。

 そして、先ほど、国の取り組みの例として挙げた「ウエルカムプラン21」、これには訪日外国人観光客を地方に誘導するということが明言されているが、その目的はインバウンドを地域振興に利用することである。しかし、外国人にとって魅力なのは首都圏や関西圏である。本当にインバウンドを振興するなら、まず、首都圏、関西圏に触れてもらい、次にリピーターになった時に地方圏を訪れてもらうのが、顧客の立場に立ったマーケティングではないだろうか。まったく初めて英国を訪れる人にロンドンに立ち寄らず、マンチェスターを見せて帰すようなものである。方法論としては、まず、顧客の意向を満足させるために、首都圏、関西圏のツアーを大々的に振興する。そして、日本を気にいった人に地方圏のよさを伝え、さらに興味を持ってもらえるように環境を整えるのである。そうして次に地方に来てもらえれば、リピーターとなりうる。最初から地方へ誘導するのではなく、まず顧客の意向をくみ、次に顧客が自発的に選択する環境を整えなければならない。そういった発想になるためにも、観光庁、もしくはそれに準ずるインバウンド振興に責任を持って統括する部署をぜひ作るべきである。

 次に、本稿でも、学識経験者、有識者という言葉を用いたが、果たして日本の観光学界が世界に通用するレベルの有識者、学識経験者を有しているのかどうかという問題がある。日本中で観光学部を擁する大学は立教大学をはじめ数えるほどしかない。
 私が大学院で使っているテキストには、日本についての記述も頻繁に出てくるが、これが往々にして誤解されている場合が多い。観光学のテキストとして最も利用されているもののひとつにA・プーン著『観光事業、科学技術、競争戦略』(Poon,A “Tourism,Technology and Competitive Strategies”)があるが、彼女は日本の観光業界の特徴を電化製品、自動車と同じという前提で述べている。参考文献一覧を見ると、日本の著者が書いた工業に関する著作は入っているが、こと日本の観光に関する文献はJTBが出した統計一覧しかない。他のテキストもほぼ同じ状況である。理由は簡単である。英語で書かれた日本人による日本の観光業の現状についての本がないからである。英語で表現できる世界レベルの日本人ツーリズム研究者を早急に輩出し、世界に正しい情報を発信しなければいけない。

 3番目に、既存の大手旅行会社がインバウンドをやりたがらないという点が挙げられる。旅行会社は日本人を海外に送り出した方が収益に繋がる。旅行会社の収入源である各航空会社からの販売手数料は送客数による歩合制をとる場合が多いので、日本人海外渡航者数は減らしたくない。海外のお土産屋からの手数料も高額の買い物をする日本人を扱ったほうが多くもらえる。しかし、海外からの顧客を扱うと取引代理店の信用調査も日本ほどは綿密には出来ないので、旅行代金が未収になる可能性も高く、極端な場合、犯罪に巻き込まれることもありうる。リスクが大きいので、既存の旅行会社がやりたがらないのは理解できる。

 しかし、ニッチ(隙間)市場であることは大きな可能性を秘めているということでもある。HISが大手旅行会社の敬遠した格安の国際航空券のみのばら売りを始め、瞬く間にその規模を拡大したのは記憶に新しい。当初は利幅が薄いとして無視していた各大手も結局今では関連会社を作って格安航空券を扱っている。それに習い、インバウンドを積極的に扱う旅行会社が現れることを望む。インバウンド市場はまったくといっていいほど未開拓な上、競合社数も少ない。利幅の薄い格安航空券をHISの後塵を拝しながら扱うより、クリエイティブでやりがいのある分野だと思う。インバウンド市場はハイリスクであると同時にハイリターンであると確信する。

■アイデンティティアピールとしての観光振興

 インターネット時代になって、情報を得るにはインターネットで十分ではないか、ヴァーチャル観光の時代になるのではないかという意見もある。しかし、私は実際にロンドンに滞在し、インターネットから主に日本の情報を得て分かったのだが、物事が立体的に見えないのである。ある意味、情報提供者の恣意的な意図に左右されやすい。今後、超覇権国が世界に発信する影響力のある情報を握ってくるなかで、世界に対して日本の正しい情報をアピールするために世界に日本ファンを増やす必要がある。すなわち超覇権国からどんなに恣意的な情報が流れても、日本はそんな国ではないと言える現地の人が世界各国にいれば、国益に多大な貢献が出来るのである。そのためにもインバウンド振興はまさに急務であると主張したい。そして、一部の国からの受け入れに偏ることなく、世界各国からあまねく歓迎する環境を整えるべきである。それには観光だけではなく、留学生の受け入れも同じ観点で考えたほうがよい。
 私は、従来から存在する観光の経済的側面からの振興策よりも、国家のアイデンティティアピールという側面でのインバウンド振興を今後も研究し、積極的に主張していきたい。

<参考文献>
Poon,A.”Tourism,Technology and Competitive Strategies”,Oxon:CAB International,1993
総理府編『平成11年版 観光白書』大蔵省印刷局

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島川崇の論考

Thesis

Takashi Shimakawa

島川崇

第19期

島川 崇

しまかわ・たかし

神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科観光文化コース教授/日本国際観光学会会長

Mission

観光政策(サステナブル・ツーリズム、インバウンド振興

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