松下政経塾 The Matsushita Institute of
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2004年1月

塾生レポート

沖縄スタディーツアーを終えて
上里直司/卒塾生

 
 2004年1月26日から30日にかけて、松下政経塾の有志塾生8名で沖縄を訪れた。沖縄出身である私が、沖縄を通して日本の多様性を考えて欲しいと思い立ち、企画したものだ。わずか5日間の行程は多少短い気もするが、沖縄本島を北から南まで駆け巡り、多くの人や現場に足を運ぶことができた。このような盛りだくさんの沖縄スタディーツアーとなったのも、ご協力いただいた皆様のおかげで、今、感謝の気持ちでいっぱいである。

沖縄スタディーツアーの目的

 今回の沖縄スタディーツアーの目的は、一言でいうと「多様な日本のありかたを考える」ということであった。沖縄の独自性を理解し、それを活かすために何が必要なのかを問うことは、日本全国の多様な地域を活かすヒントになるのではないかと考えたからである。何も沖縄だけが特色ある地域ではないが、明治以来の中央集権体制、戦後の高度成長の中で、日本の様々な地域の特色が消滅していく一方、沖縄はその地理的、歴史的な背景から今なお特色を維持している。沖縄の特色を考えると、南北に長い日本がかくも多様な地域で構成されていることに改めて驚く。今回の訪問時期には、日本で一番早い桜祭りが開かれていた。わが国を構成している列島には、様々な風土から織り成す人々の営み、つまり多様な文化がある。これらの多様な文化はわが国の重要な資源で、これを活かしていくことが地域を発展させる鍵といっても過言ではないだろう。そして、この多様性を活かした繁栄を目指すのが日本を担う為政者の使命である。

沖縄スタディーツアーの内容

 さて、今回のスタディーツアーでは、沖縄の特色や問題を多面的に捉えようと、政治・経済、安全保障・基地問題、文化・歴史の三つの分野に着目し、有識者や現場を訪れた。

目的 訪問先
政治・経済 稲嶺惠一県知事、牧野浩隆副知事、吉元政矩元副知事、國場幸一郎テラスグループ最高顧問、上原良幸県科学・学術振興室長、名護市金融特区ヒヤリングと現場訪問
基地問題・安全保障 宮城篤実嘉手納町長、海上自衛隊基地、米海兵隊普天間基地、海兵隊外交政策部G5、普天間基地移設代替予定地
文化・歴史 文化・歴史 瑞泉酒造(泡盛)、世界遺産(首里城、座喜味城、今帰仁城)、万国津梁館(2000年沖縄サミット会場)、ひめゆり平和祈念資料館、平和の礎


 政治・経済においては、現職の稲嶺知事を始め、沖縄を背負うリーダー、キーパーソンとお会いした。そして、一国二制度的な情報・金融特区のヒヤリングと現場を訪問した。

 基地問題・安全保障については、町の面積の約83%が米軍基地となっている、嘉手納町の宮城町長から、基地を抱える町の問題とそれをいかに打開してきたかについてお話を伺った。また、海上自衛隊基地、米海兵隊普天間基地など、安全保障上の重要な施設を訪問した。なかなか立ち入ることのできない場所に訪問できたことも有意義であったが、沖縄が太平洋の要石(キー・ストーン・オブ・パシフィック)と呼ばれ、戦略的に重要な位置にあることを安全保障の観点から考えることができた。

 最後に文化・歴史については、泡盛酒造メーカーの工場見学、世界遺産などの見学をはじめ、沖縄サミットの際、クリントン大統領も訪れた平和の礎など、わが国唯一の地上戦の戦跡も訪問した。

 沖縄が地理的、歴史的に見ても、日本列島の他の地域と異なる歩みをたどったことは、実感として理解してもらえたようだ。このような独自色の強い地域も日本の一部なのである。日本の長期展望を描くとき、このような地域を活かすために何が必要なのかを考えることは重要である。

印象に残ったこと

 一つ一つの訪問先に対し、それぞれに強い思いを抱いたのであるが、ここでは、とりわけ印象に残った事を一つお伝えしたい。

 まず、今回お会いした吉元政矩元副知事と上原良幸県科学・学術振興室長が、いみじくも同趣旨のことを言われていたことが非常に印象的であった。アジア・太平洋の「結び目」としての沖縄をどう作るか、ということである。つまり、交流や共生の拠点としての結節機能をいかに作るか、ということが沖縄の課題であると指摘されているのだ。

 私はかねてから沖縄を、異文化を持つ人々が集まるような地域にしたいと思っていたが、その仕組みづくりまでは頭にはなかった。交流と共生の拠点づくりの魅力は、単に人口が増えるといったことではなく、新しい知恵や発想によって、これまでにない何かを産み出す可能性である。もちろん受け入れるには大なり小なりの摩擦が生じることも事実であろうが、そうした苦労を乗り越えて得るものは大きい。

 思えば琉球・沖縄は、歴史的にみても、常に異文化を受け入れ、豊かな文化を築いてきた。泡盛、それを入れる甕、三味線、全て他の地域から入り自分たちの文化にしっかりと根付いたものである。最近の例では、昨年の県内果実の取扱金額で6位となったドラゴンフルーツは、台湾から移住し帰化した松永兄弟が栽培を始めたことで沖縄に広まったものである。1997年頃から栽培をはじめ翌年98年に本格的に栽培されたこの果物は、いまや県内果実での重要な位置をしめている。

 沖縄という地は、常に他の地域と結ぶことで繁栄の礎を築いてきたと言えよう。今回、訪れた2000年沖縄サミットの会場、万国津梁館の由来となった「万国津梁」とは、世界の国々を繋ぐ架け橋という意味である。この言葉は、かつて首里城正殿前にかけられた万国津梁の鐘に刻み付けられた銘文にあり、東アジア世界を舞台に大交易を繰り広げた琉球の気概を伝えている。この気概を、過去のノスタルジーとして終わらせるのではなく、これからの沖縄が大交流、大共生時代へ向かうための新たな意気込みとしたいものだ。

沖縄スタディーツアーを通して今後の展望

 現在沖縄では、アジア・太平洋との結節点となるために必要な仕組みづくりが着々と進められている。例えば、世界最高峰の教授陣を集めた大学院大学の設置に向けて大きく動いているのも、その一つとしてあげられる。学術や研究を通した交流拠点はこれまでになかったものであるが、他地域との交流を目指す沖縄にとって良い効果をもたらすのではないかと期待できる。一つの大学だけでなく、例えば、国連アジア本部の誘致など、国際的な研究機関の誘致など、人材の交流拠点が複合的に絡みあえば、沖縄はより一層魅力ある島となるだろう。

 私は、沖縄に住む人間が、誘致した機関で働き、世界の平和や繁栄に貢献していくことも望んでいるが、直接的に仕事に関わる以外にも様々な役割がある。

 例えば、地域での生活を考えると、世界からやってくる人々の生活を支える人材は必須である。医療、教育、介護、保育など、世界一流の交流拠点になるには、それを支える世界一流の生活支援があってしかるべきだろう。そういった社会整備、それを支える資金の確保、それを担う人材の育成も大きな課題である。人材育成一つをとっても、時間とお金がかかるものである。今後のことを考える上でも、例えば生活支援のサービスを担う人材育成にいち早くとりかかるなど、先を見通した上での計画が必要であろう。

 今回のスタディーツアーの目的である、「多様な日本のあり方を考える」という所期の目的は、私自身ある程度達成できたかと思える。ただ、日本全体の長期展望を描きつつも、沖縄の文化を活かした繁栄の道を探ることは私に課せられたテーマといえよう。

 第二次世界大戦後、沖縄は、太平洋の要石として軍事戦略的に重要な位置となった。この沖縄が、今後も戦略的重要性が消えることはないだろうが、軍事力や戦争の拠点とした島よりも、世界中の人々との交流と共生の拠点としてこの島がよりいっそう光り輝くようつとめていきたい。

2004年1月 執筆
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