松下政経塾 The Matsushita Institute of
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2002年5月

塾生レポート

自転車生活のススメ
原田大/卒塾生

 
環境にいい乗り物として、自転車が改めて脚光を浴びている。自転車は環境にいいだけではなく、風を肌で感じる感覚を現代人に取り戻し、ビール腹の中年男女や痩せ過ぎの若い男女にとっても、健康な肉体を自然にもたらしてくれる。しかも、自転車はカッコいい。環境のため、健康のために我慢するのではなく、楽しいから乗れる。そんな自転車を日常生活に導入しよう。

1.自転車のもたらす空気感

 自転車といえば、どんなイメージを持つだろうか。特に5月から6月にかけてのこの時期、風を切って走る爽快感は何物にも代えがたい魅力がある。この肌で感じる感覚が、非常に重要なのだ。環境教育で一番大切なことは、素肌で周囲の状況を感じ取ることである。家を出てからクーラーの効いた車に乗り、ガラス窓を開けることができない代わりに空調完備の最先端オフィスビルの中で一日中過ごしたりすると、人間は周囲の変化に対して非常に鈍感になる。暑いときには暑いと感じ、寒いときには寒いと感じるこのシンプルな人間の感覚こそ、大変重要なのだ。この周囲の空気の変化を常に感じ取る乗り物として、自転車が最も適している。自分の周囲を鉄とガラスの鎧で密閉してしまう自動車と違い、自転車では全身が必ず外気に触れている。さらに、時としてコントロールしきれないほどの分不相応な力を与えてしまう自動車と違い、自分の力で進む自転車は必然的に自分の力を認識させ制御することも覚えさせる。自動車という形で形成されてきた乗り物のテクノロジーは「速さ」と「楽さ」のみを追求して来た結果、周囲の環境を敏感に感じ取る人間の優れた感覚を損なってきた。人は科学技術を使いこなしていると思っていても、実は科学技術に内在する人間生活と社会構造を規定する力に気づかずに支配されてしまうことがよくあるのだ。人間が本来持っていた、周囲に対する鋭敏な感覚を取り戻すため、自転車を通勤通学に利用し、オフィスや家ではクーラーに頼る前に窓を開けて自然の涼を感じてみてはどうだろうか。

2.自転車と自動車の環境負荷

 自転車に乗って都内を走っていると、非常に不快なものが一つある。それは古いトラックなどから吐き出される、真っ黒な排気ガスだ。これには嫌煙家ならずとも辟易するだろう。歩行時と比べて、自転車走行時では一定レベルの心肺運動を行っている。つまり吸い込む息の量が多いので、自動車の排気ガスによる大気汚染のダメージをより強く感じるのだ。それに引き換え、自転車は大気汚染を引き起こさない。快適な日常生活にとってこれは重要なことだ。

 もう一つ大きいのが、地球温暖化への影響である。自動車で動くには、大量の化石燃料を消費するし、その結果温暖化の原因となるCO2を大量に排出する。ちょっと考えてみよう。同じ一人の人間を運ぶのに、自動車の場合は車体=1トン以上もある鉄の塊を同時に動かさなくてはならない。60キロそこそこの人間一人を運ぶために、20倍もの鉄の塊を同時に動かさなくてはならないのだ。どれだけ余計な力を使っているか、想像に難くはないだろう。それに引き換え、自転車の車体重量はせいぜい15キロである。しかも、化石燃料は一切使わない。適度な運動は、健康にもいい。

3.自転車と安全

 自転車は人力で進む。だから、自転車を乗りこなしている人は自分の肉体と同じように自転車の力とスピードを制御している。ところが自動車の場合は、人間の力を超えた大きな力を備えている。しばしばこれを制御できないがために不幸な事故が起こるし、あるいは自動車の力を自分の力と取り違えた人間が、ことさら示威行為を行ったり迷惑運転をしたりする。人間にとって、自分の力を知ることは非常に重要なことである。例えば自分の力を知り尽くした空手の達人が人を蹴り殺すという事件は聞かないが、銃を手にした弱い人間が銃を乱射していとも簡単に悲劇を引き起こすという事件は最近多い。空手の達人は自分の持つ力の威力を知り、それをコントロールする技術を十分に持っているのだが、銃を手にした弱い人は分不相応な力を急に持ったがために、その力をコントロールできないのだ。これまでの人類は科学技術を発展するに任せてきた。それが今日の核技術における放射能汚染の危機、バイオ技術におけるクローン人間や未知の遺伝子組み換え食品への恐怖、IT技術における個人情報の不適切な取り扱いなどの現代病を生んできた。科学技術だけではない。暴走したコントロール不能の投機的資金はアジア、南米などで各国経済に大きな影響を与えてきた。これらはともするとまるで遠い世界で起きているような感覚を持つ人も多いかもしれないが、それは体を鍛えるより銃を持つ事を選んで、自分の持つ力の意味を認識しないようにする生活を選んでいるからである。これをしっかりとコントロールすることが、同時代の生態系の一部、また過去から未来への世代の連なりの一部として節度ある社会をつくるために、必要である。車に代えて、自分の力で進む自転車を導入することは、抑制を伴った本当の意味での力の感覚を取り戻すよい契機になる。

4.自転車と歩行者

 日本では自転車の位置付けが不明確であるため、自転車は歩道も走るし車道も走っている。歩道では時に歩行者に脅威を与えるような乗り方をする人もあり、車道でも自転車の存在を煙たがる自動車がほとんどである。平成10年には約80万件の交通事故があったが、このうち自転車事故は約14万件起きており、これは全体の約18%に相当する。自転車事故のうち約90%は自転車が被害者となる対自動車事故だが、逆に自転車が歩行者に対して加害者となる対人事故も約0.5%(661件)発生している(交通事故総合分析センター調べ*1)。もちろん自転車で歩道を走る際には、歩行者に対して十分配慮することが必要だが、より積極的には社会の中で自転車にきちんとした位置付けを与える必要があろう。

 自転車先進国として知られているのが、オランダである。オランダでは歩道、車道とは別に自転車専用道路が広く整備され、自転車専用の信号機もある。1990年には自転車マスタープランも策定され、自転車による死亡事故者数も25%以上、負傷者数も27%と大幅に減らすことに成功した(*2)。最近では環境問題への関心の高まりなどもあり、駐車場に木を植えるなどして、意図的に車に厳しいまちづくりを進めている。

 日本のケースとしては、国土交通省のウェブサイト上で、28の自転車施策先進都市が紹介されている(*3)。

5.放置・盗難対策-自転車の共有

  自転車に乗ったことのある人であれば、一度は自分の自転車を盗まれた経験を持つ人も多いだろう。『犯罪白書』によれば、自転車の盗難件数はここ数年間約40万件で推移しており、毎年増える傾向にある。盗まれた自転車が放置自転車となって、さらに社会的問題を大きくすることもある。これに関して、東京都練馬区の取り組みは面白い。練馬区では、大泉学園駅南口にレンタサイクルを設けている。都心へ通勤する周辺住民が自転車を使う時間帯と、大泉学園駅に到着した通勤・通学者が自転車を使う時間帯のずれに着目し、レンタサイクルを提供することで周辺住民と通勤・通学者の自転車の「共有」・台数削減を図っている。これを個人利用者の視点から見れば、駅前に駐輪して盗まれたり、放置自転車として撤去されたりする心配から開放されることになる。練馬区では周辺の駅にもレンタサイクルを設置して、これを相互にネットワークさせることで「コミュニティサイクルシステム」へと発展させる予定だという。このように、道路だけではなく自転車そのもののインフラとしての整備も始まっている。

6.電車との連携

 ドイツなどでは、鉄道などの大量輸送機関と自転車・自動車などの個別輸送機関の連携も進んでいる。駅には無料の駐車場が整備され、最寄り駅まで自動車で来た乗客が都心へ電車で向かったり、座席の代わりに自転車を留めるフックのついた車両に乗客が自転車ごと乗り込めたりする。日本でも、鉄道等の環境負荷の低い大量輸送機関と自転車との連携に関して、鉄道側の対応が求められる。もっとも都心で通勤時間に自転車を積める余裕を得るのはなかなか難しいかも知れないが。環境省、経済産業省などでは「地球にやさしい“魔法の箒”デザインコンテスト」と題して、公共交通機関と自転車などの個別移動手段の連携に関する新しい提案を募集している。2002年の9月30日まで誰でも応募できる。募集要項は、http://www.ceis-jp.org/mahounohouki/。JR東日本も協賛しているのだが、「自転車にやさしい車両デザインコンテスト」のほうはまだ行われていないようである。

7.自転車はカッコいい身近な技術

 科学技術はもはや普通の手に負えないくらい発展し、金融市場における投機的資金の暴走ももはや国家レベルですら手がつけられない。テレビや携帯電話、インターネットといった情報技術の発展は、こうした身近な感覚の喪失により一層拍車をかけている。その一方で覚えなければならない知識の量は、飛躍的に増加している。そのギャップにより、体験を経ない頭だけの知識が増大し、様々な問題が起きている。家から車や地下鉄でオフィスへ直行し、窓もない最先端オフィスビルに閉じこもって一日過ごす。こうして退化した人間の感覚は花や緑、鳥や虫の鳴声にもはや反応することをやめてしまう。それだけならまだよいが、テレビゲームでいとも簡単に敵を殺すという「知識」を得た少年が、「体験」を得るために実際に事件を起こしてしまう。大人とて、パソコンのフライトシミュレータにハマッた人間が、本物の飛行機を操縦したくてハイジャック事件を起こす。こうした皮膚感覚の喪失という現代病を治すには、身体感覚に富んだツールを持つ必要がある。自転車はそれにぴったりだ。都心ならほとんどの場合車や電車よりも時間的にも早く目的地に着くし、健康にもいい。そして環境のために“昔に戻れ”式でも過度に倹約を勧めるでもなく、純粋にカッコいい。健全な精神のためにも良く、時間も早く、環境にも良く、体にもいいとなれば、より積極的に自転車を組み込んだライフスタイル、そして社会システムを考えられるだろう。21世紀型の新しい発展のかたちは、身近なところにこそ転がっているものである。

*1 財団法人交通事故総合分析センター
   http://www.itarda.or.jp/info23/info23_1.htm#part0
*2 前・オランダ運輸公共事業水利省乗客輸送局長トン・ヴェレマン氏
   http://www.mlit.go.jp/road/road/bicycle/data/forum/1-2.html
*3  http://www.mlit.go.jp/road/road/bicycle/introduce/index.html

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