論考

Thesis

『ベッドタウン』は『寝床』じゃない!

 今秋から彩の国未来ビジョンづくりの一環として、埼玉県内でのリサーチ活動を行っている。埼玉県(特に南部・東部)の特徴はよくもわるくも東京の一大ベッドタウンとして発達した点に集約される。ところがこのベッドタウンの構造はどういうわけかネガティブなイメージで語られることが多い。発想の転換を提言したい。

彩の国では寝てばかり?

『埼玉都民』、この言葉に埼玉県の特徴は集約されている。県内の通勤・通学者の3分の1以上は東京都へ通っている。職場が東京にあって埼玉県には寝にかえってくるだけという人もかなり多い。自然と他の県と比べれば愛県心というものは育ちづらいらしい。他の地方へ行って「どこから来ましたか?」と聞かれると、「埼玉です。」とは答えず「東京から…」と思わず言ってしまった経験は大体の人が持っていよう。少し古くなるが『ダサいたま』という失礼な言葉が流行っても、「まあいいか。どうせ本当の居場所は東京なんだし…。」と苦笑いしながら受け流す、そんな人も多いのかもしれない。こうした埼玉県人特有のメンタリティーへの揶揄もこめて『埼玉都民』と呼ばれているのだ。

『埼玉都民』のライフスタイルは少し悲惨である。朝1番に子供が起きだすころには東京への満員電車に揺られ、帰ってくればもう子供は寝ている。会うのは休日だけだが、その土日は力つきて寝ている。東京でがんばって働いて、彩の国(埼玉)では寝てばかり、まさに寝床の『ベッドタウン』という言葉がよくあてはまる。実際、埼玉県は通勤も含めた第2次生活時間が全国で最長、逆に余暇や趣味活動の第3次生活時間が全国最低となっている。埼玉県のサラリーマンに地域での居場所はあまりない。休日にゴルフにいそしむのがせいぜいである。それでも東京に仕事があり、余暇の時間もそこで過ごすことも多いから現役のうちはまだいい。問題は退職後だ。それまで近所の人とも薄い付き合いだった男性は、奥様が地域で活発に活動しているのを尻目に、何もすることがない。東京の会社を退職したら埼玉の街では自分の居場所がないことに気づく。

 現役はすし詰め列車に耐えて、ひたすら東京へ毎日通って家族を支え、いざ退職して悠悠自適にと思った時には、地域に自分の居場所がない。それでは『埼玉都民』は寂しすぎるのではないだろうか。

『ベッドタウン』は『寝床』じゃない

 『埼玉都民』がこれだけ多いという背景は、やはり仕事・雇用が東京に集中していることが大きい。昼夜間人口比率は86.1%とこれも全国最低である。『ベッドタウン』という言葉は現役世代にとっては「=仕事がないこと」を意味しているようである。現役世代、特に若者にとっては、そこで仕事にありつけるかということは非常に重要だ。埼玉県はけっして仕事量が少ないわけではないが、やはり地元で仕事を見つけられず、東京へ出るという人も多い。そのため県内の雇用創出は念願であり続けた。中央官庁の関東局の移転を核とした『さいたま新都心』構想などは、そこから出てきたものだ。しかし、新都心の集客施設である『さいたまスーパーアリーナ』などの建設は、規模が大き過ぎて、なかなか県内の中小企業が受注できるわけでもなく、一部の地元業者からは新都心ができても、仕事が地元に落ちてこないと嘆く声も聞こえる。今後、関東局にある許認可等の必要がある関連企業が、本社機能を移転することが期待されており、4万5千から5万という就業人口の創出を計画していたが、これが実現するにはまだまだ遠い道のりである。また最近は県内工業団地にあまりが出ている状況だ。埼玉県は従来、東京の下請けで加工製造業の街として発達してきた経緯がある。しかしながら、高速道路網が発達したことでより安い地価を求めて、県内工場がどんどん群馬、茨城、栃木などに移転してしまっている。さらにより安い人件費を求めて、海外に流出する企業も目立ち始めている。県内の雇用環境は悪化の一途をたどっている。

 そんな中、今注目されるのがサービス業だ。商業などをぬいた狭義のサービス業、特に生活直結産業と言われる分野だ。洗濯・理容業、介護・育児などの社会福祉業、教育機関、機械・家具の修理業、その他の生活関連サービスなどだ。小売・卸売りのような商業分野、情報サービス・調査業などの対事業所サービスでは、東京に県内消費を吸収されてしまっている。しかし対個人が中心であるこの生活直結サービスの分野では、実は埼玉県は実に豊富な市場を持っているのである。県内のサービス市場は、事業収入額で3兆3840億円(平成元年)から6兆7051億円(平成11年)と10年間で約2倍の成長を遂げているのだ。こうしたサービスは人件費が安いからといって海外に逃げることはない。人の住んでいる場所がそのまま市場であり、雇用のある場所だ。

『ベッドタウン』は東京へ毎日仕事で通う『埼玉都民』にとっては寝床に見えるかもしれない。そこには生活の場がある。家庭が、家があるのだ。休日には地元の郊外大型店へ車で日用品の買い物に行き、子供はその場所で育つ。そこには生活の場がある。ベッドタウンは寝床ではない。そこは生活の場であり、その生活の場こそ仕事も産業も生み出せる場所なのだ。

愛県心

 冒頭で『愛県心』という耳慣れない言葉を使ったが、こうした「愛国心」や「愛県心」というある一定の場所を愛する心とは何であろうか。それは、その人の人生の舞台がそこにあると感じられる場所、ということではないだろうか。ある人が自己実現をしている舞台、それは仕事でかもしれないし、家庭でかもしれない。そこには確かに自分を必要としてくれている人がいて、自分の夢がある、そんな場所だと思うのだ。はたして『彩の国』はそんな愛を感じられる場所になっているだろうか?

『埼玉都民』のメンタリティーについて話をしている時、いつも思い出すことがある。2年前フィリピンに行った時のことだ。マニラ市外でコンピューター学校の先生をしている友人ホセ(26歳)の一言は衝撃だった。「本音を言えばこの国の3分の1の人間は、アメリカに渡って向こうで市民権を取るのが夢なんだ。そのために一生懸命勉強している。ここじゃ仕事もないし夢もない。それがフィリピーナのアメリカンドリームなんだよ。」(*1)年末久しぶりに中学の同級生達と新年会をした。そこでこんな話が出た。「前の仕事が納得できなくてやめたはいいんだけど、まだ次が見つからなくてさ。プータロー状態な訳よ。昼間から家にいる状態でさ。早く就職して埼玉なんかから出て行かないと…。」どこか似ていないだろうか。

 私は埼玉県と東京の関係が、フィリピンとアメリカだとは思わない。埼玉は他県と比べてもかなり裕福だし、そこから東京へ通うこともできる。だがそこに住む人に夢を感じてもらえない、という点では同じだと思う。現役世代にとって自己実現の一つは仕事であろう。ところがそれが埼玉にない。あってもそこに若者が夢を感じない。戦い終えた団塊の世代のサラリーマンが疲れ果てて帰ってきても居場所がなくて眠るだけ、夢を求める若者は外へ飛び出していってしまう。そんな寒々とした地になってしまうのではないだろうか。街の活力、そして究極的には国力とは、そこの政府がどれだけ優秀か、どんな大企業があるかではない。その街に、国にパワーにあふれたいきいきとした人生がどれだけあるかで決まるのだと思う。そして一人一人のそんな人生づくりをサポートすることこそ政治の役目だと思う。『ベッドタウン』は『寝床』ではない。夢も仕事も実現できる、一人一人の人生の母港になれるのだ。

(*1 )フィリピンはアメリカの植民地だったこともあり、英語が広く普及している。大学に入るには英語を自由に扱えるのが当然の条件といった感じだ。

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森岡洋一郎の論考

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Yoichiro Morioka

森岡洋一郎

第20期

森岡 洋一郎

もりおか・よういちろう

公益財団法人松下幸之助記念志財団 松下政経塾 研修部長

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