論考

Thesis

支援国の市民との対話

本年7.8月はフィリピンへ現地のNGOの調査とその政治への影響を調査しに行った。7月月例の現地NGOのレポートに続き、本月例ではそれをめぐる支援態勢について検討したい。

恨めしい産業用地と日本の援助?

 「あの埋立地が恨めしいよ。産業開発とか言って、結局金持ちがさらに金持ちになって、貧乏人はさらに貧乏になるだけじゃないか。」
 ワークショップで知り合った現地のNGOの人々に薦められ、日本のODAがかつて援助していた埋立地プロジェクトの現場に行くこととなった。着いた先はセブ島の中心から車で20分ほど行った海沿いの小さな漁村。村の半分くらいは海の上に浮かんだ形になっており、木やトタン板でできた家が何個も連ねてその中心を細い木の板で作った通路でつないでいた。

 中に入ってみるとむわっとした臭気が漂っている。木の通路は歩くたびにミシミシいい、朽ちかけていて今にも底が抜けそうな場所がそこかしこにある。土曜の昼下がりということもあったが、迷路のような通路でつながれた家々には想像以上にたくさんの人と、野良犬、食用らしい鶏などがひしめき合っていた。海面はすぐ床下まで来ており、小さな台風でも来たら一発で流されてしまうのではと心配になる。
 実はこの村から数百メートル沖合いで、問題の埋立地プロジェクトが行われている。フィリピンの経済発展にともなって不足してきた工業用地を、埋め立てで作り出そうといったものだ。ところがこの漁村にとっては、この埋め立て計画は壊滅的な打撃をもたらすこととなった。もともと村のほとんどの住民が、海へ漁に出かけるか、干潮になった時の軒下の貝などを拾い集めることで生計を成り立たせてきた。その海への出口を遮るようなかっこうで埋立地ができてしまったのだ。この結果、多くの村民が職を失うこととなった。もともと貧しかった暮らしは、より貧乏になっていった。ティムティムさん(51)の家でも、息子さんが高校中退を余儀なくされたそうだ。もっとも中退したからといって働き口が簡単に見つかるわけではない。今は手彫りのおみやげ物とか作ってどうにかこうにか一家でしのいでいるそうだ。だがこうした苦境にも関わらず、政府からの補償は全くないという。

 村の曲がりくねった通路の先は海へ突き出している。そこから対岸の埋め立て工事がよく見える。何台ものトラックが粉塵をあげながら忙しなく動いていた。それを見つめながらティムティムさんは「埋立地がうらめしい。政府は何の補償もしないで俺ら貧乏人の生活を潰して、大企業が入る産業用地を作っている。金持ちがますます豊かになって、俺ら貧乏人がますます貧しくなるだけ。聞けば日本がだいぶ金を出していたそうじゃないか。どうせあのトラックも日本の建設会社だろ。日本が埋め立て工事して、日本の会社の工場が建つんだろう。金持ちのくせにさらに貧乏人を犠牲にしてまだ儲けたいのか。」と憤った。自分達の職を奪い生活を潰して、産業用地作りを進めるフィリピン政府への怒り、その延長線にこのプロジェクトを支援していた日本への不満、それがここには渦巻いている。
 こうした日本のODAへの批判は後をたたない。日本のODAは大規模な公共事業ばかりであり、日本の建設会社が儲けるためのえげつない開発であるといった言われ方をすることも多い。現在、毎年フィリピンが1年間に受け取る海外からの援助の50%近くは日本のODAである。(昨年はアジア経済危機後の特別円借款の影響もあり81%)毎年フィリピン一国の援助のため、400億円近くの額を拠出しており文句なく世界一である。それにも関わらず、支援して感謝されるどころか逆に恨まれるというのはあまりに情けない。どう改善していけば良いのだろうか?

支援国の市民との対話を

 私はその解決策の1つは、支援国の市民、そして世論と向かい合っていくことにあると思う。それは現在日本のODAが受けている誤解を取り除き、また日本の支援が支援国の健全な社会の発展に真に役立つためにも必要なことだ。

 第1に日本のODAは間違ったイメージが広がることで誤解を受けているところが多い。前述の日本のODAは大規模な公共事業ばかりであり、日本の建設会社が儲けるためのえげつない開発という典型的な批判も全てが正しい訳ではない。例えば日本のODAで作られるプロジェクトを日本企業が受注するよう指定するいわゆる「ひもつき援助」についても、80年代の批判を受け既に大幅に改善された。現在9割以上の案件が調達先を全く指定しない「ひもなし援助」となっている。
 また日本が伝統的に得意としてきた公共事業への支援の全て悪いわけではない。日本の国土ではもうこれ以上公共事業で無駄な道路や建物を増やす必要はなくなってきているかもしれないが、フィリピンはまだまだこれから開発が進み、経済発展をしていく段階にある。よって道路や橋の建設などの公共事業の支援は大いに役立つものと思う。実際、セブ島と空港をつなぐ橋は日本の援助で建ったものだ。あの橋がなければ誰もセブ島に行けず、観光産業に頼るセブ島のまさに生命線である。さらに埋立で産業用地を作るのも、5年10年先を考えれば、確実にその国の経済発展に結びつき、新しいもっと安定した雇用を生み出すことも十分ありうる。そうすれば家の近くの魚や貝を拾い集めての食うや食わずの貧しい暮らしから脱出できるかもしれない。(もっとも環境に悪影響を及ぼすプロジェクトは長期的に見てもマイナス効果である。)
 過去の負のイメージが先行した結果の誤解も含めたODA批判を多く見かける一方で、日本のODAがいかにフィリピンに貢献しているのかを知っている人は数少なかった。支援国の市民が作り出す世論と、それに大きな影響を与えるメディアに注目することで、こうした日本ODAが受けている誤解を払拭し、良い例はアピールしていく必要があろう。 第2にODAの誤解の払拭と成果のアピールだけにとどまらず、さらに一歩進んだ支援国の市民との対話に踏み込まなければならない。それは支援国の社会制度自体の検討をすることだ。日本の援助が支援国の健全な社会の発展に真に役立つものになるためにも避けられないものと思う。

 公共事業の中には、長期的に見れば非常に有用でフィリピンでの雇用創出に貢献するものが多いとしても、前述の漁村のようにそこであおりを食う人達は必ずおり、フィリピン政府はその人たちに他の職や住まいを補償しなければならない。そして開発の成果がこうした貧しい人々に還元されていかなければならない。ところが支援国の実態では、必ずしもそうなっていないことが多いのだ。実際、セブ島の漁村の人々が、職を失い息子が高校に通う金がなくなった状態になっても、いまだフィリピン政府は何の補償もしていない。また、ティムティムさんが言ったように「金持ちがどんどん金持ちになり、貧乏人がますます貧乏になる」といった社会の構造がある。フィリピンでは大地主制がまだ一部残っているような土地柄で、プール付きの別荘をいくつも持っているような富豪がいる一方で、国民の32%が苦しい生活を強いられている。経済発展を急ぐあまり、こうした欠陥を持ったまま産業開発が進められることもしばしばだ。

 こうした社会の仕組み自体への不満が市民の間に渦巻いており、その改革が叫ばれている。これらの声をきちんと吸い上げ、援助の際に反映させていくことが必要だ。日本の援助はその国の今ある既存の社会制度や政府を信頼して行うのが通例だが、それだけでは支援国の社会自身が歪んでいた場合、せっかくのODAが貧困層の削減に使われないばかりか、時にはその阻害にさえなることがある。86年までのマルコス独裁を支えていたのは日本のODAといった批判などまさにその最たる例であろう。

 7月月例で述べたように、フィリピンにおけるこうした社会への市民の不満は、現地のフィリピン人NGOなどの市民グループを中心として、86年のマルコス独裁崩壊や、現在の農地改革など、フィリピンの社会改革を進める原動力となってきた。これらの市民の声とうまく対話し、これらの市民グループを支えてきたのはいくつかの国連や欧米の援助機関である。こうした援助は額こそ少ないが、フィリピン社会に与える影響は非常に大きい。支援国の自主性を尊重するのは当たり前だが、時には勇気を持って支援国の社会自体の改革に踏み込んで支援を考えていくべきと思う。

 ある欧米の援助機関の代表と話した際に、セブ島の漁村の話をした際に言われた言葉が強く耳に残っている。「もちろん環境への配慮は大切だし、そこで漁村が犠牲になるのはよくない。ただこれは他国の援助でも起こりうることだよ。それよりも日本が問題にすべきは、どうやって支援国の市民の声と向き合っていくかを知らないことではないかな」。

 フィリピンに限らず、日本は現在、世界各地で最大の援助国となっている。しかしそれにも関わらず、日本のODAへの批判は根強い。支援国の市民、そして世論と向かい合うことが、誤解を取り除き、また支援国の健全な社会の発展に真に役立つ支援をするために重要ではないだろうか。

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森岡洋一郎の論考

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Yoichiro Morioka

森岡洋一郎

第20期

森岡 洋一郎

もりおか・よういちろう

公益財団法人松下幸之助記念志財団 松下政経塾 研修部長

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