論考

Thesis

真に日本に資する援助とは?

真に日本に資する援助とは?

 今年度のODA(政府開発援助)予算は1兆4066億円、赤ん坊まで含めた国民1人あたり1万円以上負担している計算になる。「日本自身が巨額の財政赤字に苦しんでいるにもかかわらず、なぜ他国にそこまでして援助する必要があるのか。」とODAの見直しがさかんに叫ばれている今、真に日本の国益に資する援助とは何かを考えてみたい。

続出する対中ODA批判

 今年は特に対中国のODA見なおしが集中的に論じられた年であった。中国は日本にとってインドネシアに次ぐ2番目の援助供与国であり、11、12年度の2年間で計約3900億円の援助を行ってきたが、98年江沢民訪日以来の日中関係の冷却化と、折からのODA全体に対する見なおし論があいまり、対中ODAの減額を求める声が大きくなった。これを受けて、政府与党に続き、外務省の「21世紀に向けた対中経済協力のあり方に関する懇談会」も平成十三年度以降の対中経済援助を事実上削減するよう求めている。
 対中ODA批判には大きく分けて2つの論調があるように思える。1つ目は日本のODAが中国の軍事大国化を利しているのではないか、というものだ。この批判はしごくもっともなものと思う。中国政府の国防費はここ12年、一貫して2ケタ増で、今年度も15.1%という大幅増の1200億元(約1兆5700億円)となっている。日本からの対中ODAの主体は空港や高速道路などの産業インフラで、軍事目的に転用できるものが少なくない。こうした軍事費は核兵器や長距離ミサイル、戦闘機などの増強に使われており、特に今年は中国海軍の情報収集艦が日本近海に出没したり、海洋調査船が日本の排他的経済水域内で調査活動を行うなどの行動も目立った。日本はODA大綱で「軍事支出や大量破壊兵器の開発の動向に十分、注意する」としており、この点から多いに対中国のODA支出を見直すべきと思う。

 2つ目の批判は、日本の援助に対する感謝が正当になされていないではないかというものだ。「中国政府は『日本からの援助』であることを国民にほとんど知らさない、しかも援助をもらっている身分にも関わらず、日本の教科書問題には口を出すし、中国自身が多数の途上国に経済援助を与えているのはおかしい。」といった指摘だ。
 しかしこの2点目の指摘については、私はもう少し慎重に考える必要があるように思える。

“日の丸”付き援助?

 確かに先進国に援助疲れが見られる中、9年連続して世界一のODA供与国として活躍してきた日本はもっと高く評価されるべきだと思う。残念ながら現在、中国のみならず世界各地でその貢献に比して、日本のODAは知られていないことも多い。本年度の外交青書でも広報活動がわざわざ独立に章を立てて論じられたが、戦略を持って活発に広報しなければならない。しかし、ここで問題にしたいのは、「援助してやっているのだから日本に感謝しろ。」という姿勢である。『日本からの援助』であることを被援助国の国民に知らしめること、いいかえれば援助に“日の丸”を付けて回ることが一体どれだけ日本の外交上プラスになるのだろうか。

 まず日本自身の例を考えてみるべきと思う。第2次大戦後の日本は、米国や世界銀行からの莫大な援助で経済復興を果たしてきた。全ての融資を返し終わったのは90年代に入ってからなのだが、こうした援助の存在をいったいどれだけの日本国民が知っていて、援助国の米国に感謝の念を表明しているのかといえば非常に心もとない。援助というのは大抵そういった類のものであると覚悟すべきだ。またODAをもらっているにも関わらず、他国へODAを拠出するのはけしからんという向きもあるが、日本も戦後賠償という特殊事情があったにせよ、援助を受けている最中にアジア諸国向けのODAを行ってきている。
 また多分に第2次大戦時の歴史によるところが大きいが、日本の侵略に対する悪感情が強く残っている国にとって、援助を見せ付けることは相手国民のプライドを傷つけ、逆に反発を招くことさえあることに注意を払うべきだ。私がフィリピンのセブ島に調査に行った時のことである。フィリピンは長くそのODAのほぼ50%近くを日本がまかなってきた国であり、セブ島も例外ではない。しかしその島で現地のNGOの人々からは、感謝の言葉よりも先に「JICAが調査に来て、OECD(現 国際協力銀行)がお金を出して、日本の企業が来て開発する。一体この島を誰の島だと思っているのか!」と詰め寄られてしまい往生した。

 日本の援助外交に全体の特徴としていえることに、とかく“日の丸”を付けたがるという傾向があるように思う。どうも日本が援助した“日の丸”付きの空港や橋が増え、その国の人々に『日本からの援助』を知らしめ、感謝してもらうことが日本の国益に資すると考えている節があるようだ。援助によって“日の丸”を輸出するという発想だ。
“日の丸”を輸出する援助外交で日本の国益が本当に達成されるだろうか。

国籍不用のガバナンス・民主化支援

 最近、世界のODAで注目を浴びているのは、Good Governance支援といわれる分野である。Good Governance とは国の政治、経済、社会を運営する能力の指針であり、具体的には、腐敗構造の改革、政策決定への透明性の付与、責任の明確化、法の整備と施行などを内容としている。こうした援助が注目を集める背景には、1990年代に入り旧社会主義圏の解体にともない、世界全体が民主化、市場経済化への道を歩むことが明らかになり、その移行を支援する必要が生じたことがある。さらに1997年のアジア通貨経済危機の原因を、金融セクターの脆弱性や市場の公正な競争や透明性の欠如であるとする議論がさかんになり、その結果これらの諸国における金融行政、経済・開発政策の策定やその政策担当者を育てるための支援が求められるようになった。アジア通過経済危機後、IMFがアジアの構造的な問題として、クローニーキャピタリズムを批判し、韓国、インドネシア、タイなどに改革を迫ったことは記憶に新しい。またカンボジアの選挙支援活動や、各国で行われている法の支配の貫徹を求める民主化支援もGood Governance 支援の一環と考えられる。

 こうしたGood Governance 支援の分野では、あまりどの国が援助しているのかが分からないといったことが多い。国連機関やIMF、世界銀行などを通して行われたり、民間の財団が中心になって行っていることも多い。1つのプロジェクトに幾つもの期間が関わっており、とてもではないが元をただせばどこの国が出しているかなど追っていっても不毛な詮索だ。
 そもそもGood Governance 支援では、被援助国の経済政策、法整備にまで踏み込んで、その国の社会体制を改善していくことを目指すため、どこかの一国が行っているとしたら、かえって内政干渉のそしりさえ受けかねない。ここで重要なのは、米国が援助しているという事実を伝えることではなく、米国が望む経済、社会システムを被援助国に売りこむことこそが重要なのだ。自国と法律、投資ルール、貿易ルールを共有できるような土壌を生み出し、安心して投資できる先を開拓していく。いわば援助を通じて“星条旗”を輸出する替わりに、米国の“思考”を輸出しているのである。
 アジア通貨経済危機後のIMFによる構造改革や旧社会主義圏からの移行のやり方が、あまりに性急でないかと言われ続けながらも、反対論を押しのけて進められてきたのは、実際には多くのIMF、米交流の自由主義市場経済主義者がアジア各国の政策担当者の中にいたからである。彼等の多くは米国の大学院で学んでいたり、また定期的に政策懇談会や米国の政治家との交換スタディーツアーに参加するなどして有形無形に影響を受けている。米国はこうしたGood Governance 支援を通じて、被援助国内に米国流の自由主義市場経済や民主主義のアイディアに共感する同志をつくっているとも言える。

“日の丸”の輸出ではなく日本の“思考”の輸出を!

 さて翻って日本の援助政策について考えてみよう。99年の「ODA中期政策」では、従来の経済インフラ整備型から社会開発型への転換がうたわれている。道路、橋、ダムなどといった大規模なハードを作るためにODAを使うよりも、医療や基礎教育、職業訓練などの貧困対策をNGOと協力して行うよう方針転換した。こうした変化は望ましいものだが、やはりその根底にある、援助を通じて“日の丸”を輸出しようという発想は変わっていないように思える。
 例えば今年の夏に発表された「ジャパンプラットフォーム構想」にもその傾向が見られる。この構想は災害や紛争などで生じた難民の緊急支援を目的としたもので、従来規模が小さいため資金集めに手間取り中々現地へ向かえなかった日本のNGOを支援するため、初期活動資金をプールしようというものだ。政府のみならず、多くの財界からも協力が表明され、日本のNGO支援態勢を整えるすばらしい企画だ。だが一点気になるのは、これを推進している政府側の考え方だ。他国のNGOよりも早く日本出身のNGOに緊急援助に向かわせ、一番に“日の丸”を貼った難民テントを立てたいというのが政府の意向らしい。どうやら政府は道路、橋、バスにとどまらず、難民テントにまで“日の丸”を貼ろうという発想らしい。
 重要なのは「“日本が”援助してやった。」ということではなく、援助を通じてどういう社会を被援助国に作り出すかということである。被援助国に日本と社会のルールを共有し、安心して投資でき、お互いに価値観を理解し合える社会を作れるかどうかが重要なのだ。逆に被援助国の社会を日本が望む方向に変えられるのであれば、米国だろうが国連だろうと誰の援助でも構わない。かえって他国の援助である方が、金を使わないで目的が達成できるだけ日本にとってはありがたい。

 今年、『中国東方リース』という会社と重慶市との間の係争が報じられた。『中国東方リース』は合弁会社として日本のオリックスなどが出資しており、中国国内の企業に対し、機械を貸し出すなどしていたが、貸し付け先が一向に代金を払わないため経営難に陥った。こうしたリース契約の保証人は国営企業の自体に結ばれたものが多いため、重慶市などの地方自治体がなっていたのだが、いざとなるとそんな保証人になった覚えはないといって重慶市に突っぱねられてしまう。裁判所も政府から独立していないため、訴えても無駄という合弁会社に出資した日本側としては、非常に厳しい事態に立たされた。中国国内では日本で考えるような法律の遵守が貫徹していないのである。その一方で重慶市の開発プロジェクトに日本のODAが投入されているため、感謝もしない、金も返さない奴らに何故援助してやらなければならないのか、といった声が噴出した。
 しかし、ここでただけしからんと怒って援助を止めてしまうのでは、今まで援助してきた分が無駄になり、かえって中国との関係を悪化させるだけで、いつまでたっても代金は帰ってくる見込みはないし、安心して日本企業が進出することもできない。同じ援助を使って中国の契約手続きをより信頼できる、透明性の高いものにする方法を考えればよい。
 先ほどのGood Governance支援のような方策である。借りた金は確実に返すような法律に律された社会に、また司法権が行政から独立した社会にするよう支援していけば良いのである。実際にモンゴル等の一部の国では、援助国からの専門家を受け入れ、ODAを使った司法制度改革などを大々的に行っている。援助を通じて輸出すべきは日本の法律、ルール、つまりは日本の“思考”であり、被援助国に日本とルールや価値観を共有できる社会を作り出すことだ。

 外務省の平成十一年度のODA年次報告によると、日本は三年以来、九年連続して世界一のODA供与国になっている。軍事面での国際貢献は制約が多いわが国にとって、ODAは外交の切り札だ。今回あまり触れなかったが、その国にとって最大の援助供与国が日本であるということは、それだけで重要な外交カードとなるものであり、資源、食料を他国に頼る日本のような国にとって安易に削れるものではない。これだけ出しているのに感謝されないと短気に援助削減に向かう前に、いかに効率良く日本の国益に資する援助を行っていくかを考えなければいけない。
 援助を通じて輸出するのは“日の丸”ではなく日本の“思考”である。獲得すべきは「日本様、ありがとうございました。」という感謝状ではなく、日本とルールを共有する社会であり、それを支える同志である。

 日本の“思考”は今、世界に必要とされている。日本は後発国が市場経済化、民主化を達成して繁栄した最初のモデルケースであり、急速な社会体制の移行にとまどう国々に対し有益なアドバイスをできる経験を持った国である。「“日本が”援助してやっているのだ。」見せつけるだけでは、安保理の投票などでの支持は得られても、実際の支持は得られていないし、何よりも金が尽きたら終わりである。日本の“思考”に共鳴する人々を増やし、日本とルールを共有する社会を被援助国に作り出すことこそ、真に日本に資する援助となるのではないだろうか。

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森岡洋一郎の論考

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Yoichiro Morioka

森岡洋一郎

第20期

森岡 洋一郎

もりおか・よういちろう

公益財団法人松下幸之助記念志財団 松下政経塾 研修部長

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