Thesis
雇用をとりまく環境が激変する昨今、税制・保障の在り方も現実的かつ根本的転換を求められている。だからこそ、今一度松下幸之助塾主(以下塾主)が思い描いた、天分を自由に活かす楽土の建設という理念に立ち戻り、私たちがなすべきことを考えていきたい。本稿では塾主の労働観、租税観、福祉観を振り返ったのち、現代をとりまく環境を検討する。そして、塾主が国家百年の大計として「無税国家・収益分配国家」とその前段階の「所得税減税」を提唱したように、「ベーシックインカム」と「給付付き税額控除」の可能性を提示する。
塾主は「人おのおのに与えられた天分をそれぞれに生かすとき、そこに人間の幸福が味わえます。楽土とは、だれもがこの天分を自由に活かすことのできる社会であります。[i]」と述べ、人間にとって最も幸福な状態であるとする真の楽土の建設こそが、民主主義の極致であるとする。天分とは人それぞれに異なって与えられている素質であり、それを素直に活かすことこそが幸福であるとする。これを社会的観点で考えると、自分の天分にあった職業を自分の好みに従って求めることのできる自由さと、その職業がいつも与えられる社会にすることが政治の意義である。すなわち、二十億の人間がいれば、二十億の職種が必要となる。塾主の言葉を借りれば「職種の花を百花繚乱と咲き競わせる[ii]」結果として、社会が生成発展していくのである。さらに、塾主は他者に喜びを与える社会性もあわせて仕事に見出していることが分かる逸話がある。工場研修の感想を述べた塾生に対し「その人が『単純だ』と思っている仕事でも、それは立派に社会に役立っているわけです。(中略)その人は多くの人々に喜びを与えたり、その生活を充実させている(中略)みなそこに生きがいがあるということになります。[iii]」と述べる。
以上のように塾主は“はたらく[iv]”ことを賃金を単に得るための労働ではなく、自らの天分を存分に活かし、また、社会の中で他者に喜びを与えることでうまれる生きがいの源泉として高い価値をおいていたことがわかる。
一方で塾主が「天与の姿のままに生きるよう心掛けるとともに、また同時に、おのおのの天分を自由に伸ばせる社会秩序をも確立しなければならない[v]」とも述べ、喜びと自由に満ちた“はたらき“を共同生活で実現するにも一定の秩序[vi]が必要であると唱えていることも指摘しておきたい。
“はたらく”ことに高い価値をおいた塾主は、「所得の大部分を国家に納めてしまうのでは、働きがいがありません。(中略)国家のためになると同時に自分個人の意欲も満たされるということになると、人々は最高の活動と最善の知能を発揮するようになります。[vii]」とのべ、働きがいのある適正な税制の設定を求めた。具体的政策としては、アメリカのケネディ大統領の減税政策を例示しながら、個人所得税の減税を提案する[viii]。高所得者向け富裕税を所得再配分機能として残し、所得税の大減税を実施することで、国民の活動が活発になり経済が好転することで長期的には税収も上向く主張した。そして、長期的展望として「無税国家」を掲げる。
また、支出面の福祉や保障に関しては、塾主の著書『21世紀の日本』で描いた理想的社会において「生きがいを伴う社会福祉」を提唱する。「困っている人は人間らしい温かい互助の精神でこれを助けて生かし、まだ働ける人にはあえてその力をおさえないで、大いにその働きの場を提供して、働きがい、生きがいを味わっていただくようにする[ix]」と述べ、自立性のある福祉制度の必要性を説いた。
この塾主の理念を踏まえた私のビジョンは、誰もが活き活きと働き、納得して納税し、十分に生活ができる社会の実現である。
近年、AIやデジタル通信技術などのテクノロジーが指数関数的発展を見せている。歴史を振り返れば、18世紀後半にかつてない人口増加と社会開発をもたらした産業革命の時代を「第一機械時代」(ファースト・マシン・エイジ)とすれば、現代は「第二機械時代」(セカンド・マシン・エイジ)である[x]。技術によってより多くの富がより少ない労働から生み出され、労働の量と質に大きな変化が生まれている。野村総合研究所の調査では、日本の労働人口の49%が技術的には人工知能やロボットに代替できるようになる可能性が高いとしている[xi]。実際に私の前職である銀行では、電子端末機能向上やワトソン・RPAの導入が進み、労働環境は大きく変化した。
さらに重要なのは、ゆたかさの進行とともに格差が拡大することである。歴史的にみると「賃金は生産性と歩調をそろえて上昇してきた。(中略)だが、ここに来て、生産性は上昇しても賃金の中央値は上がっていない。[xii]」との指摘があるように、技術をもつ資本家と構造的賃金低下圧力のあおりを受ける労働者の格差が広がることが考えられる。日本に目を向けると2018年世帯別平均所得は551万6千円である一方、中央値は423万であり、実に62.4%の世帯が平均所得以下[xiii]となっている[xiv]。今後、こうした賃金・雇用の問題が深刻さを増していく中で、所得再分配は避けては通れない議論であろう。
しかし財政もまた深刻な状況にある。少子高齢化が進行する中、2019年度一般会計社会保障費は約34兆円で33.4%を占める[xv]。社会保障給付費全体では2018年度で約121兆と膨らみ続けており、2040年の社会保障給付費は188兆~190兆規模まで拡大すると予想されている[xvi]。そういった状況下で2038年には厚生年金積立金が枯渇[xvii]し、2060年には高齢者一人を現役世代一人が支える[xviii]時代が迫っている現実がある。一方で、国地方あわせた長期債務残高は2018年度で1095兆円となり、歳出の23%以上を占め、財政の硬直性を高めるとともに、所得の再配分機能を弱める一因にもなっている[xix]。このように、日本の財政は危機的な状況であり、改革は「待ったなし」の状況であるといえる。
前節までの論考の中で、既存職業の消滅していく中での自由な職業選択の確保、税制効率化・財政継続性の確保、広がる格差の是正と弱まる所得再分配の強化、という我が国の課題が明確化された。これらは、①天分を活かせる百花繚乱の職業選択を可能にし、②適正な税制のもとに、③生きがいのある福祉を実現する、という塾主の理念を国家百年の大計としていかに実現するかに他ならない。その一つの道筋としてベーシックインカム(以下BI)の導入が検討できる。BIとは、ルドガー・ブレグマンの「福祉はいらない、直接お金を与えればよい[xx]」という言葉で象徴的なように、一律で最低限の生活が可能となる現金を給付する制度である。その上で、「金銭(ベーシックインカム(原文ママ))、時間(労働時間の短縮)、課税(労働に対してではなく、資本に対して)を再配分し、もちろんロボットも再配分する[xxi]」という大胆な改革が求められる。BIはリバタリアンからは自由の拡充の観点[xxii]から、リベラルからは再分配機能強化の観点から支持される。齋藤精一郎は塾主の理念に沿ってこの構想を日本で実現する場合、年額150万程度の現金支給と住宅・医療のみを保障すべきであるとする[xxiii]。塾主はかつて毎年の利益を積み立てることで、「無税国家」を実現し、さらにその先には余剰収益を国民の福祉として分配する「収益分配国家[xxiv]」を一つの理想として提案していた。まさにBIのアイデアは適正な国家利益の確保を前提とした上で、その理想に一歩近づくものとも考えられる。このように、BIは現状の課題解決・あるべき社会像の追求という両面で非常に魅力的である。
しかしながら重要な課題として、財源、労働と収入をわける価値観の問題がある。BIの実現には、月額10万円の支給と考えると、財源は約150兆[xxv]となり、社会保険負担分を含めた全額を税方式とし保障を全廃しても約30兆円が必要である。そのための巨額の増税への合意形成は即時的にできるものではないだろう。実際、フィンランド等のBI導入実験は、効果の実証の困難さと十分な給付を行うための財源の合意形成が難しく早期終了に至った[xxvi]。また、BIは労働と収入をわける思想がベースとなっており、労働観そのものの大きな転換が余儀なくされる。私は先ずは給与労働とリンクした保障設計とし、女性や高齢者の労働をワークシェア[xxvii]という形で促進していくことが現実的かつ、BI制度の支え手を増やす基盤としても重要であると考える。以上の点から、「給付付き税額控除」を先に導入すべき政策として提案したい。
給付付き税額控除はフリードマンの「負の所得税[xxviii]」という言葉でも表現されるように、所得控除基準に満たない国民に対し、差額×税率分を税額控除(実質の現金給付)するものである。当制度の海外事例には様々な制度設計がある[xxix]が、労働の拡大という観点から個人の勤労所得とリンクした制度設計を提案する。当制度は勤労意欲を減退させないため、給付依存のモラルハザードを回避できるメリットがある。制度全体では所得控除を当制度に一本化し効率性を担保するとともに、将来的には年金・公的扶助のスリム化を図る。埋橋孝文は当制度をワーキングプア対策として試算した[xxx]。すると最大31.2万円を満額、貧困層555万人に支給したとしても1兆7316億円の財源で可能ある。支給対象者を4000万人程度まで広げても約12.6兆円の予算であり、消費税収1%あたりを2.5兆円と考えれば約5%の増税で対応でき、しかもこれは控除統合前の試算である。さらに、富裕資産課税を強化し、現在課税件数8.3%である[xxxi]相続税課税対象を最低でも倍以上に広げることで税収を確保すべきである。一方、負担側(特に中高所得)の合意形成をいかに図るかに関しては、階層間に公平感のある政策パッケージとして提示することが必要となると考えられる[xxxii]。また導入にあたり、マイナンバーによる税と社会保障の一体管理の問題もあり、大きなハードルであるといえる。
こうした点を踏まえながらも、私は以上の政策に道筋をつけることで、国家百年の大計として日本の社会保障と働き方の未来に一つの展望をもたらしていきたいと考える。
https://www.nri.com/-/media/Corporate/jp/Files/PDF/news/newsrelease/cc/2015/151202_1.pdf (2020年5月31日閲覧)
参照:アメリカの例をあげれば、実際に一人当たりの実質GDPの上昇に対し、2000年代以降の所得中央値は横ばいあるいは減少傾向にある。(p218)
https://www.mhlw.go.jp/www1/toukei/ksk/htm/ksk021.html (2020年5月31日閲覧)
参照:1995年の同調査で平均世帯別所得664万2千円、中央値545万 であったことからしても、すでに生活水準の引下げが進行していることが分かる。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/002.pdf (2020年5月31日閲覧)
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森信は1勤労税額控除2児童税額控除3社会保険料負担軽減税額控除4消費税逆進性対策税額控除、といったバリエーションがあるとする。
井手は中間層の受益感の欠如による租税抵抗を指摘する。そして、ドイツ・フランス等の例をあげ負担の公平感を考えて、各階層の負担をパッケージ化して政策推進する必要性を唱える。「政策のパッケージ化、包括化というのは、こうした人びと(低所得者層と富裕層[筆者追記])から合意を取り付けるための真摯な努力を体現するものに他ならない」p142
参考文献一覧
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・エリック・ブニョルフソン、アンドリュー・マカフィー『ザ・セカンド・マシン・エイジ』訳 村井章子、日経BP社、2015年
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・松下幸之助『君に志はあるか―松下政経塾 塾長問答集―』PHP文庫、1995年
・松下幸之助『21世紀の日本―私の夢・日本の夢』PHP文庫、1994年
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・松下幸之助、盛田昭夫『憂論―日本はいまなにを考えなすべきか―』PHP研究所、1975年
・ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』訳 村井章子、日経BP、2008年
・編著森信茂樹『給付つき税額控除』中央経済社、2008年
・ルドガー・ブレグマン『隷属なき道―AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働―』訳 野中香方子、文藝春秋、2017年
Thesis
Hajime Sohno
第41期
そうの・はじめ
Mission
ユニバーサルな社会保障制度の探究