Thesis
スウェーデンは世界有数の福祉国家として知られる。日本でも多くの福祉実践が先行事例として紹介されてきた。特筆すべきはこうした高福祉が高負担の裏付けのもとに実施され、市民がその負担を受け入れているということである。対して日本は租税負担に対する抵抗感[1]が強い国である。こうした背景には、政策の良し悪し以前に様々な要因があるのではないか。私は2022年7月11日~19日にわたってスウェーデンの首都ストックホルムで研修を行った。本稿ではスウェーデンを福祉国家となしている基盤を探っていく。
スウェーデンでは1992年に社会保障制度の持続性を保つ観点から、エーデル改革と呼ばれる大胆な福祉改革を行った。それ以降、医療はランスティング(県)、介護はコミューン(市)が責任を負うようになったことに伴い、事業の実施は民間事業者への委託が主となっている。また、近年、高齢者住宅での介護から在宅介護へのシフトを図っている。こうした在宅介護を支えているのが、ホームヘルプサービスである。2014年時点で65歳以上の高齢者(191万人)の 11.6%がホームヘルプサービスを利用しており、4.7%が特別な住居(高齢者施設)に入居している[2]。 筆者は、ストックホルムから電車で20分超の郊外にあるÅkeslunds Hemtjänst
というサービス事業所を訪問した。ここは、約40名超の利用者に対し、25名(半分が正規雇用)のヘルパーが対応している。大規模な事業所では利用者も多く、担当するヘルパーは日替わりで、非正規の職員が担当することも多い。それに対し、当事業所は利用者を基本的に徒歩圏内の利用者に限ることで、同じヘルパーが同じ利用者を担当している。 日本ではヘルパーの業務が報告等を含めた事務負担に圧迫されていることが問題となっている。当事業所では、スマートフォンのアプリによって簡単な記録を行う。コミューンはこの記録をもとにサービス提供時間を管理し、事業者へ費用を支払っている。近年、スウェーデンでは街中のキャッシュレス化も急激に進んでいるが、こうしたIT技術の積極的な取り入れもスウェーデン社会の柔軟性と効率性を象徴している。 利用者のご夫婦に話を聴くことができた。ご夫婦でアパートに住んでおり、夫が月に100時間程度の支援が必要である。妻は介護を必要としていないが、あえて夫の介護には積極的にかかわらないという。サービスを利用している間に妻は自身の趣味であるコーラスにでかけることもあるという。妻は「これはお互いを愛し続けるための方法なんです。お互いのwell-beingが非常に重要なんです。このサービスがなければここには住めません」と話す。well-beingは身体的な健康のみならず、社会的にも精神的にも満たされた状態を指す。スウェーデンでは至るところでこの言葉を耳にした。 施設の管理者から話を聞くと、サービスの質が利用者のwell-beingに直結すると主張する。だからこそ、自らも議会への働きかけを積極的に行うことで、民間委託による大規模化の流れに歯止めをかけることを提案している。このように、社会課題を見つけたら自らが動き出すのもスウェーデン流である。
次に訪問したのは、公営のコレクティブハウスのDunderbackens kollektivhus である。 コレクティブハウスとは「それぞれ個人のプライバシーを尊重した住まいがありつつ、豊かな共用スペースを持ち、時には一緒に食事をしたり、季節の行事を楽しんだり、子育てなどをする暮らし[3]」を送ることができる集合住宅の形態である。ストックホルム郊外に位置し、40歳以上の独居者向けの住宅である。住居には共同のジム、サウナ、庭、DIYルーム、編み物部屋も完備。ガーデニング、食事、清掃、などのチームが存在し、住民はこれらに所属することで共同生活の一端を担う。中でもコミュニケーションの肝は食事である。平日は申し込み制で食事をとることができる。一緒に作り、一緒に食べることが「共に暮らす」感覚を養うのだという。 家賃は共同空間があるため相場より高めである。しかし利用者に話を聞くと、日常の中にちょっとした手助けや支え合いがあるため、総じて生活コストは低いという。
この住宅は公営不動産会社であるFamiljeBostäder(FB)が設立した。市民自らが団体活動を通してアイデアを出し合い、well-beingな住まいの在り方を提案したのがきっかけである。代表の一人であるエリザベス氏は「独り住まいで、孤独にならない生活を望んでいました。以前、ほかのコレクティブハウスでのボランティアを通して私もこのような環境で暮らしたいと思ったのです」と話す。市民自らが民主的に団体を組織し、ボトムアップで案を作る。それをコミューンが政策化する。現在も、住まいに関するルールは小さなことでも民主的な議論で決める。さらにエリザベス氏はスウェーデンでも高齢者の社会的孤立が社会問題となる中で、コミューンも主体的にコレクティブハウスの設置を行うべきであると主張する。
福祉の現場で共通していた考えは「well-being」と「民主主義」である。特に、政治に自らが積極的に参加し、意見を述べ、時には自ら行動する、こうした姿勢が社会の中で強固な基盤として機能している。象徴的なのはスウェーデンの国会である。観光地である旧市街ガムラスタンの入り口に位置する国会は、一部期間を除いて外国人を含めた一般公開がされておりガイドツアーでスウェーデンの民主主義の歴史を学ぶことができる。
(撮影:筆者、国会議会、2022年7月12日)
夏季休暇の期間では、国会が観光客に人気のスポットである。また、子供向けの政治教育冊子も豊富に存在し、身近に政治の存在を感じることができる。しかしこうした民主主義教育は、単に学校教育などの公的な制度だけの成果ではない。余暇活動などの社会参加の経験を通して、肌感覚として民主主義を学んでいく。 スウェーデンではフェレーニングと呼ばれる民間の非営利団体による余暇活動が盛んである。35歳~54歳の成人の約7割、25歳~29歳の若者も同様に70%がこれらの団体に所属し活動している。団体には、住宅管理のための消費者団体や労働組合などの利益者団体、またNPOのような非営利団体など多様な自主組織としての形態がある[4]。こうした環境で育ってきた若者にとって社会参加はごく自然な営みなのである。 両角達平氏は日本の教育や子ども・若者支援との決定的違いは「民主主義である」と述べる。その上で、「民主主義が理念として掲げられているだけでなく、それが高い投票率や社会参加へと結実しているのは、若者の現場だけではなく社会のあらゆる側面で民主主義が意識され、取り組まれている結果ではないだろうか[5]」と問いかけている。
スウェーデンでは社会への参加、余暇活動、民主主義、教育といったさまざまな要素が一体となって社会に生息している。それぞれは個々のパーツではなく、まさにecosystem(生態系)を形成しているところに、福祉国家としての基盤があると確信した。一般的に福祉国家は計画主義的な「上からの」政策執行に関して批判される。しかし、筆者が見たのは、むしろ市民一人一人が自ら社会課題の解決に参画し、行動していく中で政治との距離が近い参加型民主主義が確立している社会であった。 それでもやっぱり民主主義は面倒くさい。しかし、スウェーデンではこの面倒くささと覚悟を決めて向き合い続けてきたからこそ、福祉と挑戦の調和が生み出されてきた。そうであるならば、日本もたゆまぬ努力のもとにこうした未来を獲得することは不可能ではないはずである。まずは身近な民主主義を諦めないことから一歩一歩進んでいきたい。
注
Thesis
Hajime Sohno
第41期
そうの・はじめ
Mission
ユニバーサルな社会保障制度の探究