論考

Thesis

みんなが幸せになればいいわけや~一致団結こそが理想の姿~

松下幸之助塾主(以下塾主)は、その生涯に亘り人間の幸せを希求し、人間探究の集大成として“新しい人間観”を提唱した。塾主の生涯や新しい人間観を基に、政治や経営などを通じて社会に関わる私たちの理想の姿を考察したい。

1.人間の幸せを希求して~三つの事業と物心一如の幸せ

 “結局みんなが幸せになればいいわけや”*1
 
 この言葉は、解釈の分かれたある問題に対し、どちらが正しいか話し合っていた際、塾主が述べた言葉らしい。これは、塾主の人生を端的に表す言葉ではないだろうか。
 塾主は、その生涯に亘って人間の幸せを実現するため、三つの事業に取り組んだ。それは、松下電器産業での生産活動、PHP研究所における理念研究、そして松下政経塾による人材育成だ。

 1918年、塾主は松下電器産業を設立する。そして、1932年に、
 
 “生活物資を、水道の水のように大量に、安く供給して、社会を豊かにする”*2
 
という松下電器産業の使命(水道哲学とよばれる)を悟る。
 当時の日本は、決して裕福な国とは言えなかった。古くからある諺に、四百四病の病より貧よりつらいものはない、とあるが、貧しさがもたらす不幸せを世の中から無くしたい。塾主は、水道哲学の達成を目指し、松下電器産業の事業に取り組んだ。

 また、松下電器産業を経営する一方で、人間の本質について研究することになる。戦後間もない頃である。塾主は、野山の小鳥や兎を獲ってみると、みな満腹していて栄養失調などしていない、と人から聞いた。そこから、野生の動物でさえ食べ物に困らないのに、万物の霊長といわれる人間が、何故、餓死などの不幸な目に遭うのか、と考える。
 その理由は、人間がその本質を発揮した社会を実現できていないからではないかと考えた。そして、1946年、その本質とは何かを研究するPHP研究所を設立する。PHPとは、「Peace and happiness through the Prosperity」の略称で、人間の本質に即した繁栄を通じて、平和・幸福を求めていく考え方のことだ。

 更に、塾主は、政治の失敗が国民の努力を全て水泡に帰すると敗戦で痛感し、国家経営を担う人材育成へ取り組むことになる。1965年、高度経済成長期の時代に、塾の設立構想を初めて友人へ相談する。しかし、商売人が政治に関わって成功した例がない、と諭されて、一旦はその構想を断念する。
 その後、日本の政治・経済が赤字国債を発行する等、益々混迷を深めていく中、塾主は、

 “やはり、塾をやらねば”*3

と再度同じ友人達に相談する。今度は、友人達も大いに賛同し、1979年に松下政経塾の設立に至るのである。塾主は、決して若者任せにせず、自らも塾長として塾生と切磋琢磨しながら塾の舵を取ったのだ。

 塾主は、生産活動を通じて物質的な豊かさによる幸せの実現を目指した。一方で、人間の本質に即した理念研究と実践者の育成を通じて、人間の本質に則った精神的な幸せの実現という、物心一如の幸せを希求した生涯であったといえる。

2.塾主が求めた幸せの形とは?~新しい人間観の提唱からみる

 塾主が希求した人間の幸せの形は、”新しい人間観の提唱”という、たった800文字程度の文章に込められている。新しい人間観とは、その人間探究の集大成として、塾主の人間の捉え方=人間観を端的に表したものだ。
 これを編纂した背景は、過去の人間観に限界を感じていた塾主の想いがあった。近代における科学の急激な発達は、これまでない程に戦争を凄惨なものとした。過去の宗教や哲学を基盤にした人間観では、科学発達以降の社会変化に対応出来ない。今こそ先哲諸聖等の衆知を集めた新しい人間観を創り上げて、人間の本質に即した真の幸せを実現しよう、と考えたのだ。

 新しい人間観では、人間を万物の王者という極めて強い存在として捉える。これは、人間の持つ力の大きさに対して自覚を促すものだ。一方で、今日の人間は個々の利害に囚われて、戦争や貧困などの対立が生まれてしまい、万物の王者の力を充分に発揮出来ていない。従って、市民、学者、先哲諸聖等、過去から現在に至る衆知を集めて、個々の利害を超えていくことで、人間がその天命を初めて正しく発揮できる、と考えた。

 この状況を、会社やサークル等の組織が、プロジェクトを推進する場合を例として考えてみる。例えば、各々のメンバーや、各部署の思惑が絡みあって、あるプロジェクトが遅々として進まないことがある。その際、原因は様々にある筈だが、先ず関係者や外部の力を結集して、プロジェクトの真の目的を明らかにするべきだ。
 何故なら、仮に当初設定した目的があったとしても、その目的が形骸化した故に、個々の利害に囚われている場合がよくある。真に共有できる目的があれば、このプロジェクトが達成すべきこと=プロジェクトの天命を悟れるに違いない。これが、個々の思惑や利害を超えて、一致団結した取り組みを可能にする筈だ。

 このように、個々の利害を超えて、ある目的の下に一致団結すれば、人間はその天命を生かすことが出来る。そして、その天命を生かしきった姿が、新しい人間観から見えてくる、塾主の希求した人間の幸せの形ではないだろうか。

3.ある特定の幸せだけを追い求めると?~新しい人間観に基づく政治・経営の理念

 塾主の生涯や“新しい人間観の提唱”からは、人間の幸せを希求した塾主の姿が見えてきた。また、松下政経塾の存在目的を記した塾是には、
 
 “新しい人間観に基づく政治・経営の理念を探求し”*4
 
とある。これは、塾主の生涯や新しい人間観を踏まえると、人間全体の幸せを達成する理念を求めていたのではないだろうか。
 政治や経営は、私たちが生きる上で必須だ。政治は、外交、貿易交渉や国防などの日本の重要事項を決定している。また、スーパーや電車などの事業経営があるから日々の暮らしを安心して営める。
 しかし、その政治や経営が、ある特定の人間だけの幸せを追求し、人間全体の幸せを第一としなかったら社会はどうなるのだろうか。

 政治については、アメリカ銃規制の問題を例に考えてみたい。2013年、アメリカ連邦議会の上院は、銃規制の強化法案を否決した。アメリカでは業界団体のロビー活動により、議員が銃規制に反対票を投じる、といわれる。これが事実ならば、一部団体の利益保護のために、銃による惨劇が繰り返されているのだ。
 確かに、アメリカの憲法には、民兵による国家安全保障を確保する目的で、国民が武器を所持・携帯する権利を侵してはならない、とある。しかし、これは未だ警察組織が整っていない1789年に制定された条項であり、自己防衛せざるをえなかった時代の遺物ではないだろうか。

 経営については、2008年のリーマンショックを例に考えてみる。リーマンショックの引き金は、アメリカ住宅バブルの崩壊にある。それが、低所得層に対する住宅ローン(=サブプライムローン)の証券化商品を大量保有していた、リーマン・ブラザース証券を経営破綻に追い込み、これを発端に国際的な金融危機が生じたのだ。
 これは、一部の企業と投資家の利益となる極めて劣悪な金融商品が、世界中を不幸に陥れた一例ではないだろうか。政治、経営ともに、一部の幸せだけを求めると、やはり人間全体を不幸に陥れるように思えてくる。

4.個々の利害を超えて~人間全体の幸せは掴めるものなのか?

 政治や経営は、人間がお互いを幸せにするための活動の筈だ。しかし、今日の政治や経営は、大多数の人たちの首を絞めながら、一部の幸せだけを目的にしていないだろうか。そもそも、人間は個々の利害を超えて、人間全体の幸せを掴むことなど出来るのか。
 この点は、実体験に基づいて考察してみたい。その実体験とは、2013年4月27日に開催した塾主研究の成果報告会である。この報告会は、同期4人の思惑が交差して、開催自体を決める迄に長期間を要したのであった。

 松下政経塾には、塾主を学ぶ塾主研究の時間が設けられており、その成果報告は自由に決めて良い。私たちは、その成果として外部向けセミナーの実施を、2012年8月に決定した。しかし、そのセミナーに向けた4人の歩みが、当初遅々として進まなかったのだ。それは、その目的や今後への活かし方等を、相互に共有出来ていなかったのが原因であった。
 もちろん、当初立てた目的はあったが、4人の間で充分に納得を出来ていなかったのだ。そこで、研究開始から既に4ヶ月も経過していたが、再度、本研究の目的や4人に共通する課題などを整理した。そして、外部向け報告会が、目的や課題に対して妥当であるかを再検討した。その結果、その開催が研究成果の深化に適していると合意する迄に、実に3ヶ月以上を要したのだ。

 この経験は、個々の利害を超えるには、先ず話し合いを尽くす必要がある、ということに気付かせてくれた。問題の本質が話し合いを通じて掴めれば、その本質と個々の利害を初めて比較出来るようになる。その結果、個々の利害が、その本質に即さないことを納得して譲れるようになるのだ。
 当事者でなければ極めて小さな体験と感じるに違いない。しかし、話し合いを尽くせば、個々の利害を超えられる、と体感できた今、私たちは人間全体の幸せを掴むことも出来る筈だ、と実体験から力強く言えるのだ。

5.話し合いを尽くす人づくり~人間全体の幸せは教育から始まる

 上述の通り、人間全体の幸せは、お互いに話し合いを尽くすことから始まるのだ。それが、個々の利害を超えた、人間全体の幸せに到達出来る理念=新しい人間観に基づく政治・経営の理念を、社会に具現化する第一歩目を踏み出すことになるのではないだろうか。
 一方で、今日の日本では、話し合いを尽くすことを軽視しがちだ。政治を例に考えてみる。例えば、定数の過半数の議席を有する政党が、熟慮に基づく議会での合意を尊重せず、多数派の論理における議案可決をしばしば見掛ける。もちろん、当人達は全体の幸せを目指した可決と答える筈だが、結局のところ、一部の幸せを目指した政治に違いない。

 これは、基本的な価値観の同じ日本人の間ならば、許容出来る点もあるだろう。しかし、グローバル化が進展するに従って、異なる価値観や生活習慣の外国人とも、日本国内において一緒に暮らすようになる筈だ。双方の考え方が異なる前提ならば、熟慮をしない決断をし続けることは難しくなる。
 日本に住む外国人の状況を概観してみると、2013年6月の外国人登録者数は約205万人。実に人口の50人に1人が外国人の時代である。更に、国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計からは、2060年における人口の約5%は外国人と考えられる。つまり、今後の日本では、国内で一生暮らし続けていても、隣近所が外国人の時代が来るのだ。

 隣近所の外国人との暮らしには、何が最も必要になるのか。それが、お互いの違いを先ず理解することではないだろうか。日本人と外国人は、その価値観や生活習慣に異なる部分があり、共有できる部分とそうでない部分を把握する必要がある。従って、日本人と外国人の直面する課題とは、相互理解を促進するための、話し合いを尽くすことになる筈だ。
 しかし、日本人は、価値観の相違を埋めることが苦手かもしれない。上述の政治の話は、その典型例だ。従って、話し合いを尽くす力を育む訓練が必要だろう。その力は初等教育で育まれることが望ましい。その理由は、幼少期の学びは簡単に失われないからだ。初等教育を通じた話し合いを尽くす力の育成が、将来的な日本の成功の鍵になるかもしれない。

6.終わりに

 現在の安倍政権における教育再生実行会議では、英語教育の充実や大学入試の改革等、グローバル化への適応を目的とする教育改革を目指している。もちろん、英語は話せるにこしたことはないし、大学入試も日本の教育を鍵となる重大な論点に違いない。 
 一方で、現在の教育改革の議論は、社会生活におけるスキルの向上に焦点を当て過ぎているようにも感じる。教育とは、各人の人間性を向上することを眼目とする筈だ。その次に、社会生活を営むための行儀や基礎知識を育むことではないだろうか。
 だから、現在の教育改革の目指す社会生活におけるスキル向上に加えて、みんなの幸せを実現するための人間性の向上も勘案されるべきではないだろうか。それには、話し合いを尽くす力が、実体験を通じて体得出来る教育を模索する必要があると強調したい。

 塾主は、人間の幸せを希求して、その到達すべき姿を“新しい人間観の提唱”に込めた。これが人間の理想の姿なのか、正直なところ未だに分からない。一方、政治・経営を含む全ての社会活動で一致団結出来るならば、新しい人間観にもあるように、みんなの幸せを社会に実現出来るのではないだろうか。だから、一致団結の土台となる、話し合いを尽くす力を育む教育方法を考察しながら、日本の将来を担う人材育成に携わりたいと思うのだ。

注*:
1. 佐藤悌二郎 『松下幸之助成功への軌跡 その経営哲学の源流と形成過程を辿る』 PHP研究所 1997年 P498
2. 松下幸之助 『松下幸之助発言集18』 PHP研究所 1991年 P57
3. 松下政経塾編 『松下政経塾25年の歩み』 松下政経塾 2004年 P21
4. 松下政経塾HP https://www.mskj.or.jp/how/chikai.html 2014年2月12日現在

参考資料:
松下幸之助 『人間を考える 第一巻』 PHP研究所 1975年
佐藤悌二郎 『松下幸之助成功への軌跡 その経営哲学の源流と形成過程を辿る』 PHP研究所 1997年 
国立社会保障・人口問題研究所 『日本の将来推計人口(平成24年1月推計)』 2012年
法務省 『平成25年6月末現在における在留外国人数について(確定値)』 2013年
教育再生実行会議 『第三次・第四次提言』 2013年
松下政経塾HP 『第33期生塾主研究報告会』
https://www.mskj.or.jp/katsudou/katsudoustream.html  2014年2月12日現在

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岡﨑広樹の論考

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Hiroki Okazaki

岡﨑広樹

第33期

岡﨑 広樹

おかざき・ひろき

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