Thesis
現在、欧州の難民受け入れや、日本の移民受け入れなど、人々の国境を越える移動に対して、その是非が議論されている。今回のレポートでは、日本の労働者の減少と外国人労働者の受け入れを切り口に、将来どのような日本に住んでいたいのかを決めることが、日本の長期的な経済政策につながることを考察してみたい。
2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催決定から、約2年が経過した。夏季オリンピック開催国は、開催4年前から経済発展を加速させ、開催年にピークを迎えるといわれる。従って、今回のオリンピックは、日本の経済成長にプラスの影響を与えるだろう。
その経済成長は、観光客の増加だけでなく、道路や会場整備などの建設需要の増加にも影響を受けるだろう。しかし、建設業は人手不足に悩まされており、この建設需要を満たすだけの十分な労働力が確保できるのだろうか。
建設業の就業者は、総務省の労働力調査によると、2015年7月時点で498万人と、1992年の619万人から、実に20%も減少している。また、建設業就業者の年齢構成は、2014年平均で、55歳以上が34.3%、29歳以下は10.7%であり、高齢化の進展が著しい。更には、29歳以下の建設業への就業者数は、1997年時点で約22%のため、約20年間で実にマイナス10%である。その建設業離れは、深刻化しているといえる。
つまり、この人手不足は、日本人の労働力だけを考慮に入れても、到底解消できない。そこで、2015年4月、建設業の人手不足対策として、「建設分野における外国人材の活用に係る緊急措置」が開始された。従って、建設業に従事する外国人労働者の増加に伴い、隣近所に外国人を見かけることが、多くなるに違いない。
建設業の労働需要は、「建設分野における外国人材の活用に係る緊急措置」が、2020年度に終了する時限的措置のため、一過性といえるかもしれない。
一方で、日本の労働者数は、将来的に必ず不足するといわれている。以下図1は、厚生労働省HPから抜粋した日本の人口推移である。
日本の人口は、2060年に約8,674万人を見込んでいる。その人口は、2012年の約70%でしかない。また、2060年の労働者数は、約4,400万人と見込まれている。その数は、2012年の約55%まで減少すると見込まれている。
この労働者の減少が、日本へもたらす問題について、家庭を例えに考察してみたい。この家庭は、父親と母親と子ども二人である。両親は共働きで、各25万円の月収である。
もし、父親が専業主夫になった場合、月収は母親の25万のみとなる。従って、収入に見合った生活にするため、自宅を引っ越し、外食を控え、最低限の生活必需品しか買えなくなるだろう。
つまり、労働者の減少は、収入の減少をもたらし、以前と同じ生活は維持できないだろう。もし、以前の生活をしたいならば、父親の復職や母親の転職など、家庭に新たな負担が生じるだろう。
労働者の減少に伴う収入の減少は、家庭だけでなく、国の収入でも同様である。つまり、日本の労働者の減少は、日本人の生活水準の低下につながる。その維持には、労働者の増加や、各労働者の生み出す付加価値の向上、つまり生産性の向上を必要とする。
労働者の増加には、子どもの数や働く女性や高齢者を増やしたり、外国人労働者を受け入れたりすることも考えられる。また、生産性の向上には、無駄な仕事を省いてワークライフバランスをとりながら、余暇の時間を新たな学びに費やすことも必要だろう。
つまり、日本の人口減少、特に、労働者の減少は、今後の日本に様々な変化を生む要因といえるだろう。
労働者の減少は、家庭を例えに考えてみたところ、収入の減少につながっていた。そして、労働者の減少は、経済理論上でも、収入の減少=経済状況の悪化をもたらす。
一般的な経済成長理論では、①労働人口の増加率、②技術の進歩率、③一人当たりの資本蓄積率を経済成長の鍵としている。先ずは、その理由を一つずつ説明してみたい。
①労働人口の増加率
労働者の増加は、その生み出す付加価値を増加させる。例えば、二台のパソコンに対して、一人の労働者の場合、一台のパソコンしか利用しないだろう。しかし、二人の労働者であれば、二台のパソコンでより多くのサービスを生み出せる。つまり、労働者の増加は、その付加価値を高めているといえるだろう。
②技術の進歩率
技術進歩は、効率的なサービスにつながる。例えば、今日と五年前のパソコンは、同じ時間で生み出されるサービスの質も量も異なっている。つまり技術進歩による性能向上が、付加価値の向上につながっているといえるだろう。
③一人当たりの資本蓄積率
資本蓄積とは、製品の利益を投資して生産の拡大を図ることである。例えば、一台のパソコン画面で仕事をしていたが、製品を売った利益でもう一台の画面を購入したとする。二台のパソコン画面による複数作業が、その人の生み出す付加価値を向上させるだろう。
上述の①~③は、生み出される付加価値を向上させる要因である。一方で、労働者の減少は、一人当たりの資本蓄積率を増加させる。例えば、同僚の退職により、余ったパソコン画面を利用して、二台のパソコン画面を利用して付加価値を向上するケースである。
しかし、一人の労働者の利用できるパソコン画面には、数の限界もあるだろう。一人の労働者が、四台のパソコン画面を同時に利用するのは難しい。従って、パソコン画面の数に応じて労働者を適正に配置できれば、付加価値は向上するかもしれない。しかし、日本の終身雇用制度などは、労働者の適正配置を困難にしている。
また、労働者の減少に伴う資本蓄積率の上昇は、日本の慢性的な需要不足により、経済成長に寄与すると必ずしもいえない。更には、人口の減少は、研究開発に携わる人材の減少をもたらし、結果的に技術革新が起こりづらくなる可能性もある。
つまり、労働者一人あたりの技術革新の割合が減少し、長期的な付加価値の減少につながる。従って、労働者の減少は、経済成長理論上でも、経済の悪化につながるのである。
上述の通り、将来推計人口において、労働者の減少が見込まれている。推計人口は、その予想を超える早さで実現するといわれる。従って、労働者の減少に伴う経済状況の悪化は、避けられない可能性が高いといえる。
もし、経済成長を追い求めるならば、15歳~64歳までの労働者の増加を検討しなければならない。従って、出産数の増加、働ける元気な高齢者の増加、働く女性の増加、そして、外国人労働者の増加などの対策が想定されうる。
しかし、出産は各個人の自由意思である。今日は、“産めよ増やせよ”と奨励する時代ではない。また、医療技術の進歩により、元気な高齢者は増えているだろう。しかし、建設業などの長期に亘る肉体労働は、高齢者の方々に適していない。
そして、働く女性の増加は、一時的な労働者の増加につながるが、長期に亘る労働者の減少を解消できない。更に、外国人労働者の増加は、生活習慣の相違などのもたらす課題の克服を必要とする。従って、労働者の減少する時代における経済成長には、様々な困難が伴ってくるといえる。
一方で、経済成長を追い求めない社会を考えてみたい。経済成長とは、物質的な豊かさに価値をおく社会と定義し、その対比として、精神的な豊かさに価値をおく社会を“経済成熟”と定義してみる。
この社会では、人口の一定の減少を受け入れるため、現在の生活水準を維持できないだろう。この状況を家庭に例えてみる。仕事一筋だった両親が、休暇を取れる仕事に転職したとする。収入は確かに減ったかもしれない。しかし、円満な家庭生活の中で精神的な充足を得られるかもしれない。
つまり、経済成熟の社会では、生活水準の一定の低下を受け入れつつ、これまで以上に精神的な満足感を得られるかもしれない。一体、私たちは、経済成長?経済成熟?どのような日本の将来像を望んでいるのだろうか。
日本における労働者の減少幅からは、経済成長、経済成熟のどちらの社会においても、その減少幅に一定の歯止めを必要としている。その歯止めとは、少子化対策、女性・高齢者の活用、高齢者の健康促進などが考えられるだろう。一方、上述の通り、推計人口は予想を超える早さで実現するといわれる。
つまり、これらの歯止めだけでは、いずれにしても十分な労働者を確保できないだろう。また、出生率が急回復しても、子どもの成長速度と日本の高齢化の速度を比較した場合、日本の若いエネルギーは、今後、確実に不足するに違いない。
従って、日本の労働者の減少幅と若いエネルギーの不足を考慮した場合、外国人労働者の受け入れが、その対策を検討するにあたっての必須事項であると気づく。
ここからは、外国人労働者の受け入れを、経済と社会の多様性という視点から考察してみたい。図2は、縦軸を経済的視点、横軸を人々の多様性の範囲で区分した図である。
現在の日本は第一象限といえる。外国人労働者は、一時的な受け入れに留められる。大多数が日本人の均質的な社会を維持しつつ、経済成長を追い求めている。しかし、労働者の減少や世界のグローバル化により、旧来の社会構造での経済成長は可能だろうか。
第二象限は、外国人労働者の受け入れにより、労働者の減少を解消しつつ、経済成長を追い求める社会である。現政府は、外国人労働者受け入れの対象拡大や期間延長を検討しているため、この社会像に近いかもしれない。
第三象限は、日本人だけの均質性を維持しながら、経済が衰退していく社会である。今後、外国人労働者を受け入れない場合、持続的なマイナス成長による生活水準の大幅な低下が見込まれる。
第四象限は、一定の外国人労働者を受け入れながら多様性のある社会を構築しつつ、経済成熟を目指す社会である。従って、外国人労働者の受け入れには、労働者の減少幅を抑える目的だけでなく、経済成長と異なる新しい価値を見出すことになるだろう。
第一象限と第三象限は、今後の労働者の減少幅を踏まえると、現実的に困難な道筋といえる。何故なら、今日の私たちは、生活水準の著しい低下を受け入れられるのだろうか。従って、第二象限か第四象限が、現実的な選択肢といえないだろうか。
その二つの差は、外国人労働者にどのような価値を見出すかにある。それは、経済成長の源泉なのか。もしくは、経済成長と異なる新たな価値をもたらす存在なのか。私たちの望む日本の将来像が、外国人労働者の受け入れ方針を決めるといえるだろう。
これまで、労働者の減少と外国人労働者の受け入れを切り口にして、経済と日本の将来像の関係を考察してきた。日本の将来像とは、日本の行く末を決める大方針である。その大方針は、政治家などの一部の人々だけで考えるものなのだろうか。
もし、一部の人々で議論した結果を提示された場合、私たちはその結果に納得して、自分たちの子どもや孫の世代に対して、その内容をしっかりと説明できるのだろうか。仮に、その将来像に間違いがあった場合、政治家などの一部の人々にその責任を押し付けたとしても、将来の世代は納得できないはずである。
その将来像には、労働者の減少を見込む以上、外国人労働者受け入れの議論に関する結果を含まなければならないだろう。そして、このテーマは、参政権、公務員の資格、地域の多文化共生など、長期的な視点で多岐に亘る論点を議論しなければ、目の前の現実に囚われた結論しかでないだろう。
また、毎年五万人の外国人労働者を受け入れたとしても、2060年における日本の人口は現在の約4分の3にしかならない。従って、この将来推計人口を理解した上で、図2のどの社会像を選択したいのか考察することで、木の長きを求むる者は必ず根本を固くす、といった長期的な視点での経済政策を議論できるのではないだろうか。
あなたはどんな日本の将来像を望みますか?私たちによる将来像の選択は、将来の世代に対して責任を果たすことでもある。今を生きる一人一人に委ねられた日本の将来像を、この文章を読んで下さった皆さまと、一緒に引き続き考察できれば幸いである。
参考資料:
国立社会保障・人口問題研究所『日本の将来推計人口(平成24年1月推計)』2012年
法務省『平成25年6月末現在における在留外国人数について(確定値)』2013年
総務省統計局『労働力調査』2015年
国土交通省ホームページ http://www.mlit.go.jp/totikensangyo/const/totikensangyo_const_tk2_000084.html 2015年9月17日現在
Thesis
Hiroki Okazaki
第33期
おかざき・ひろき
Mission
「ゆるやかな共生」にもとづく「隣近所の多文化共生」