論考

Thesis

“バルス”のもつ本当の意義とは~日本の安全保障とこの国のかけがえのない価値

バルス祭りで話題沸騰の”バルス”という言葉。これは日本の安全保障を考察するにあたり、重要な意義を内包する。今日の日本人が、バルスから学ぶべきものとは何か。それを解き明かしてみたい。

1.天空の城ラピュタを見て

 「バルス!」、この滅びの言葉が発せられるや否や、全国の人々は一斉に呼応した。その熱き想いは世界を駆け巡り、この瞬間、バルス祭りの参加者は紛れもなく一つになったのである。ビールを片手に、友達勢揃いで、はたまた、残業中のオフィスでも。
 かくゆう私は、緊張のあまりか、気持ちが高ぶり過ぎたのか!?ツイートのクリックと同時にマウスが滑ってしまったのだ。ああ、まさかの2秒遅れの“バルス”。その時の絶望感。とても言葉では表現し難く、そこは想像にお任せしたい。いかなる時も平常心の大切さを実感した、暑い熱い夏であった。

 さて、祭りの余韻も冷めやらぬまま、この祭りの研修への活かし方を考えてみた。そう、万事研修のことだ。そこで、“バルス”を唱えた主人公の気持ちから、学ぶべきものがある筈だ、と考えた。
 “バルス”は、天空の城ラピュタを崩壊させる言葉だ。そのラピュタで世界征服を狙う敵役ムスカの野望は、主人公のパズーとシータによる、この滅びの言葉によって打ち砕かれる。彼らは、科学の結晶である天空の城ラピュタを失うことを躊躇わなかった。現代人の感覚では、貴重な科学の結晶を失うことは難しいに違いない。しかし、彼らは選んだ。一体、何故なのだろうか?
 
 その理由は、シータのこのセリフに全て込められているのではないだろうか。

 “ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。ゴンドアの谷の詩にあるもの。土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ。”*1

 シータは、ゴンドアの谷に子々孫々と受け継がれてきたこの詩によって、土から離れられて生きられない、ということを理解していた。それが、科学に依った生活よりも、自然と共に生きる営みに、かけがえのない価値を見出すことになったのだ。だからこそ、天空の城ラピュタを破壊することを躊躇わなかったといえる。

 このように“バルス”という滅びの言葉を唱えられたのは、一族のかけがえのない価値を詩で伝え続けてきた、自然な教育の賜物であった。彼らは、その価値を、“バルス”と唱えることで守り抜いたのである。
 この話からは、かけがえのない価値を守るには、教育を通じてその価値を受け継ぐことが必要、と考えることが出来る。そして、今回のテーマ「日本の安全保障」には、日本のかけがえのない価値を明確にし、かつ、教育を通じてその価値を受け継ぐことが、その要となることを次章以降で解き明かしていきたい。

2.かけがえのない価値を守る~安全保障の概念とは

 かけがえのない価値を守ることは、何もアニメの中だけの話ではない。もちろん現実にも存在しており、それは、今回のテーマである安全保障の考え方に通ずるのだ。
 安全保障と聞くと、先ず日米安全保障条約を思い出される方も多いだろう。安全保障の単語は知っていても、その概念は、一般的に知られていないだろう。安全保障とは、学術的にも普遍的な定義を有していないようだ。
 例えば、

“ある主体が、その主体にとってかけがえのない何らかの価値を、何らかの脅威から、何らかの手段によって、守る”*2

と言った定義もあるし、

“安全保障とは、客観的には獲得した価値に対する脅威の不在、主観的には獲得した価値が攻撃される恐怖の不在”*3

と言った定義もある。様々な定義に共通することは、「ある主体にとっての価値が守られていること」、といえる。しかし、これだけでは抽象的な概念過ぎて、具体的な自分事として捉えることが難しい。そこで、

『誰が、何を、何から、何によって』

という4つの観点から安全保障を考察すると、具体的な問題として捉えられる。例えば、先程のラピュタを用いて考えてみよう。その観点からは、

①シータとパズーが(誰が)
②自然と共に生きる営みを(何を)
③科学の力から(何から)
④滅びの言葉によって(何によって)

守った、と整理できる。つまり、自然と共に生きる営みが、彼らのかけがえのない価値であった、ということが改めて理解できる。

3.安全保障の核とは何か?~日本の安全保障から考える

 天空の城ラピュタは、あくまでもアニメの話だ。更に、安全保障を自分事として捉えるために、日本の安全保障を先程の4つの観点から考えてみたい。

①誰が(守るのか?)
 これは日本人が、で間違いない筈だ。もし、日本のかけがえのない価値が、日本人以外の誰かによって守られているのならば、日本という国の存在目的は何になるのだろうか。

②何を(守るのか?)
 日本は、かけがえのない価値として何を守りたいのだろうか。例えば、日本国憲法の前文には、

“日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した”

 とある。ここには、安全と生存の保持が強い決意と共に謳われている。つまり、安全に生きることが、その価値ともいえるだろうか。
 しかし、これでは「生き残れば何でもよいのか?」とも考えてしまう。そもそも、日本人ならば誰もが納得できる、その価値を見聞きした記憶もないのが実情だ。

③何から(守るのか?)
 例えば、“安全と生存”を守るならば、それを脅かす全ての個人・組織等から、となる筈だ。しかし、“何を”が明確でなければ、“何から”、も当然決めることは出来ないだろう。

④何によって(守るのか?)
 これは、“何から”が明確にならなければ、その守る手段を決めることが出来ない筈だ。

 従って、私たちが、そのかけがえのない価値を明確に定めることで、その相手と手段を初めて決められる、ということが分かってきた。つまり、安全保障の核とは、その守るべき価値にあるようだ。次章では、この価値について考察してみたい。

4.安全?生存?豊かさ?~日本のかけがえのない価値とは?

 今日の日本における経済的な豊かさは、戦後に培われた欧米的な価値観の、自由・平等・基本的人権等を一つの基盤としている筈だ。もし、この豊さが代えがたいものならば、日本のかけがえのない価値とは、戦後に培ったこれらの価値観に近いものがあるに違いない。
 しかし、この豊かさが何にも代えがたい、といえるのだろうか。戦後直後は、充分な栄養を摂取できない状態にあり、先ず経済的な豊かさを追い求めたことは理解できる。一方で、今の生活に精神的な不安定さを感じることはないだろうか。

 米国の民主主義を分析したアレクシ・ド・トクヴィルは、自由と平等がアメリカ人の生活を忙しなくしていると分析した。その社会は、誰もが産業を手段として、自己の地位や生活を向上でき、日々忙しくなく活動することを刺激され続けている、というのだ。
 戦後、日本は欧米的な自由と平等という価値観を導入した結果、自己の地位や生活を向上したい、という欲望を刺激され続けてきた。そして、物質的に満たされても、精神的に満足出来ない状態をつくり出してしまったのではないだろうか。

 一方、昔からの美徳で、“分をわきまえる”、ということを耳にすることがある。“分”とは、組織や社会における立場や役割のことをいうらしい。日本では、農村における村落共同体を維持するために、分をわきまえて自らの役割期待を果たすことが求められていた。
 また、江戸時代の士農工商の身分制度は、幕藩体制の維持のため、上下関係の“分”をわきまえさせていたに違いない。しかし、今日の日本では、前近代的なものとして敬遠されがちな考えと感じる。このように、社会制度や慣習の変化が、日本的な美徳を失わさせてきた点もあるだろう。

 もちろん、身分制度が望ましいとは思わないし、現在の自由・平等・基本的人権等が、日本の大切な価値観であることに変わりはない。しかし、今の経済的な豊かさの基盤となる欧米的な価値観だけでは、精神的な不安定さが助長されていく、と感じている。
 天空の城ラピュタにおいてパズーとシータが、自然と共に生きることを彼らの価値と選択したように、日本は経済的な豊かさに加え、例えば、“分をわきまえる”といった精神的な面も豊かにする、日本のかけがえのない価値を再考する時期にいるのではないだろうか。

5.安全保障の要とは?~日本の安全保障戦略を考える

 その価値を考える最中、安倍内閣が、今後5~10年間の指針となる国家安全保障戦略を、年内に策定する方針を固めたと報道で知った。日本は、これまで外交、防衛など個別計画しかなく、このことは日本の安全保障に一石を投じたともいえる。
 しかし、安全保障の核は、上述の通り、かけがえのない価値を守ることにある。つまり、その価値が明確でなければ、只の生存戦略に過ぎないともいえる。確かに、生存は生物の本能的な欲求であり、何にも代えがたい価値といえるだろう。

 だが、あくまでも“日本”の国家安全保障戦略に言及しているのだ。日本は只、生き残ればいい、ということを望むのだろうか。やはり、何らかの根本的な価値を次世代に受け継ぎたい、そのために日本の生存を確保していきたい、と考えるのではないか。
 その価値を基盤としない安全保障戦略は、例えば、建物の基礎を疎かにして、その上に家を建てることと同じではないか。どれほど素晴らしい家屋が建てられても、その基礎が杜撰なものならば、地震等で簡単に崩壊する、砂上の楼閣に過ぎないだろう。
 従って、国家安全保障戦略を策定して日本の生存基盤を確保しつつ、一方で、日本のかけがえのない価値を、責任ある立場の人々が議論した上で、国民に対して発信する必要がある筈だ。やはり、木の長きを求むる者は必ず根本を固くす、なのだ。

 また、日本の安全保障を考える上で、軍隊の保持は一つの焦点に違いない。最近では、憲法9条と96条の改正が、話題に上がるようになってきている。確かに、近代国家の前提からすれば、軍隊を持たない日本の異常性を指摘することは可能である。
 一方で、軍隊は国民の生命を守ることに加えて、その国の根本的な価値を守り、後世に受け継いでいく手段でもあるのではないか。従って、もし、憲法9条や96条の改正が議論されるならば、日本のかけがえのない価値についても同様に議論されるべきなのだ。
 更に、憲法改正の議論とは、この国の統治のあり方を再考することである。統治には、その目的が必要な筈であり、それは日本の生存を守ることだけではない筈だ。だから、統治のあり方に先行する形で、次世代に受け継ぐべき、かけがえのない価値を議論することが筋ではないだろうか。これこそが、日本の安全保障戦略の要になる筈なのだ。

6.かけがえのない価値を受け継ぐには~“バルス”から見えてきた日本の安全保障

 もし、その価値が明確になり、国民がそれに共感したとしても、その状態を継続出来るとは限らない。時間の経過が、その意識を薄めてしまい、全く異なった価値と戦略が打ち出される可能性もある。安全保障の戦略は、政権の交代等によって基本的な考えを、度々変更することは望ましくない。だからこそ、その根本的な価値が、国民へ継続的に浸透される仕組みが必要となる。
 それには、例えば、学校教育や成人になる歳になった段階で、日本のかけがえのない価値を学び、考える機会を提供することはどうだろうか。冒頭で、天空の城ラピュタにおけるシータの言葉を引用した。彼女の一族は、そのかけがえのない価値を、詩という自然な教育の形にして、先祖代々受け継いできたのだ。

 一方、教育を通じて、このような価値観を教え、考えることの賛否両論が出てくる筈だ。確かに、物事の考え方は自由であるべきだし、一方的な価値観の押しつけはその自由を奪うようにも思える。
 しかし、ある組織や団体が、多様性のある考え方を許容できるのは、その構成員が、根本にある価値を共有しているからではないだろうか。例えば、スポーツをしたい人たちの団体に、音楽をしたい人たちが参加する。そして、吹奏楽や合唱をしたいと主張し始めたら、混乱するに違いない。結局、スポーツだけ、音楽だけをする団体に、自然と分かれるだろう。これは、両者が根本的な考え方を共有出来ていなかったからだ。

 同様に、国家においては、フランスであれば、「自由、博愛、平等」、アメリカであれば、「自由と民主主義」のような根本的な価値を共有することで、多様性の中にも、国家としての統一を保っている筈なのだ。しかし、今日の日本は、そのような価値を明確にしているのだろうか。自由や多様性を追い求め過ぎたが故に、根本的な価値を土台に据えることを蔑ろにしてきのではないだろうか。
 だからこそ、多様性を許容しながらも、日本の安全保障戦略を継続的に機能させる為、日本のかけがえのない価値を受け継ぐ仕組みとしての、教育が必要になる、と考えるのである。

 冒頭の通り、パズーとシータは、彼らの価値を守るために、”バルス”という滅びの言葉を唱えた。かけがえのない価値には、何ものも代えられない。そして、日本のかけがえのない価値を明確にし、それを継続する仕組みを作ることが、この国の安全保障を確固たるものにする、ということを“バルス”という言葉から学ばなければならないのだ。

注*:
1. 宮崎駿監督 『天空の城ラピュタ』 1986年
2. 防衛大学校安全保障学研究会 『新訂第4版安全保障学入門』 亜紀書房 2009年 P3
3. 土山實男 『安全保障の国際政治学 焦りと傲り』 有斐閣 2004年 P78

参考資料:
A・トクヴィル 『アメリカの民主政治(上)(中)(下)』 講談社 1987年
小室直樹・色摩力夫 『人にはなぜ教育が必要なのか』 総合法令 1997年
防衛大学校安全保障学研究会 『新訂第4版安全保障学入門』 亜紀書房 2009年
PHP「日本のグランド・ストラテジー」研究会[編] 『日本の大戦略 歴史的パワーシフトをどう乗り切るか』 PHP研究所 2012年

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岡﨑広樹の論考

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Hiroki Okazaki

岡﨑広樹

第33期

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