Thesis
日本人は、刻々と変化する自然と向き合う生活、また、外敵からの脅威の少ない環境の中で、物事に対処する柔軟さを育んできた。日本の伝統文化や生活習慣なども、その柔軟さ無くして実現し得なかった、と言える。今回のレポートでは、日本の伝統精神としての“柔軟さ”を考察してみたい。
今回のテーマは、日本の伝統精神である。日本の伝統精神とは、日本人全般に共通している物の見方や考え方として考察したい。
その定義を踏まえれば、日本といえば○○としてあげられる、時間に対する正確さや武士道などは、日本人のある一側面に過ぎない。例えば、時間に対する正確さは、現代に特有のものであるし、武士道は、当時少数の支配階級であった武士の精神にその起源をもつ。
従って、日本の伝統精神は、個々の事象を検討するだけでは理解できない。むしろ、日本人が、それらを受容できた理由を探ることで、日本の伝統精神を考察できるのではないだろうか。
そこで、日本人といえば○○と言われる事例を、日本の伝統精神と呼べるのか検討したい。
一つ目は、日本人の時間に対する正確さである。日本人は、一般的に約束時間に対して正確と言われる。5分前行動と呼ばれるものは、その代表例ではないだろうか。
一方で、日本人は昔から時間に対して正確であったわけではない。明治時代以降、太陽暦や定時法の導入、機械時計の普及、工場労働者が都市部に増加する過程で、現在につながる時間間隔は徐々に形成されていったと言われる。
日本全体では、1950年代以降、農村から都市部へ人の流入が加速する中で、時間感覚が人々の中に共有されていった。つまり、現在の時間感覚は、僅か150年の間に意図的に形成されてきたものと言えるだろう。
二つ目に、日本の伝統精神としての武士道である。武士道とは、江戸時代の武士によって育まれてきた精神である。江戸時代の階級別の人口比率は、一般的に武士1割、農工8割、商人1割と考えると、武士道とは、当時の少数派の精神といえるだろう。
その武士道は、江戸時代の商人や農民と全く関わりを持っていなかったわけではない。武士道の精神は、石田梅岩などにより商人階級に共有されていったし、寺子屋教育を通じて、階級を問わず共有された部分もあった筈である。
明治時代以降は剣道の普及などにより、その精神が多くの日本人に共有されていったと言える。全日本剣道連盟によれば、剣道を学ぶということは、剣の理法の奥にある武士の精神を学ぶことが重要という。つまり、江戸時代から徐々に広まっていった武士の精神は、明治時代以降に剣道などを通じて、一般の日本人にも共有されていったと言えるだろう。
三つ目は、日本人の礼儀である。礼儀作法を人間関係のルールと捉えれば、それは、どの時代にも、どの階級にも存在していた。一方で、日本では、明治時代に四民平等の社会となった際、日本人全体に共有できる礼儀作法を必要とした。
江戸時代までは、主として各階級間の中で共有できる礼儀を、それぞれが有していた。日頃から交流の少ない階級同士には、共通の礼儀を設ける必要がなかったのである。しかし、明治政府は、武士の価値観や慣習法を、日本人共通のものとして押し広げてきたのである。
従って、現代の日本人の礼儀正しさは、明治時代以降、明治政府によって押し広げられた武士階級の礼儀が、徐々に普及された結果と言えるだろう。
時間の正確さ、武士道、礼儀正しさの3つを検討したみたところ、これらは、日本人全体という視点でみると、明治時代以降に日本に広まってきたものと言えるだろう。
なぜ日本人は、明治時代以降にこれらを受容して、日本人と言えば○○である、と言われるまでになったのだろうか。鈴木大拙は、浄土真宗が日本人に幅広く根付いた理由について、南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽浄土にいけるという思想が、日本人の性質に適していたからではないか、と指摘している。
確かに、日本人は、生活上のニーズに合わせて、様々なものを受容してきた。仮に、鈴木大拙が指摘するような、日本的霊性があったとして、その核となる性質とは何だろうか。
日本人は、明治時代以降、当時の生活上のニーズに合わせる形で、上述の3つのような変化を受容してきた。それは、社会の変化を柔軟に生活の中に取り入れてきたと言える。また、浄土真宗が広まったのも、厳しい戒律に縛られることなく、南無阿弥陀仏さえ唱えていれば、柔軟で良い点が日本人の性質に適していたのではないだろうか。
これらを踏まえると、日本の伝統精神とは、物事の変化に対して柔軟に対応できる点にあるのではないだろうか。
ここで、現代の満員電車を考察してみたい。日本の満員電車には作法がある。例えば、降車の際、ドア側の人は一旦降りて邪魔にならないようにする。また、満員電車の中に少しでも多くの人が入れるように、入口から奥側に詰めていく。これらは、誰かに教えてもらうものではない。周囲の状況と自己の振る舞いを適応させていく技術と言える。
一方で、外国生活の中では、このような経験を殆どしたことがなく、周囲の状況を優先させることが少ないと感じる。この満員電車に見受けられるような、周囲の状況と自己の振る舞いを合わせる日本人の柔軟さは、諸外国で見受けられないものと考えると、日本人に固有のものではないだろうか。
そして、日本人の物事に対する柔軟さは、主として二つの理由があるのではないだろうか。
一つ目は、日本人が、自然に対する鋭敏な感覚を養ってきたことである。日本には、明確な四季があり、台風や地震などの天災も多くある。これらの自然の脅威を回避すると同時に。その恵みを受けるために、刻々と変わる自然に対して柔軟にならざるを得なかった。
二つ目は、自己と外敵を隔てるための、日本人が共有する価値観を形成してこなかったことである。世界では、自己と外敵を隔てるために、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、そして、儒教などの宗教により価値観を共有している場合も少なくない。
一方、日本では、明治維新後に、国家神道による国家統一を試みている。国家神道には、その他宗教のような具体的な経典がなく、天皇の下の平等という関係性が利用されたに過ぎない。日本は国家統一のための共通の価値観を必要としてこなかったため、柔軟に物事を判断できるのである。
つまり、明確な四季のある自然やその脅威に対して柔軟に反応してきたこと。外敵の侵入をほとんど経験せず、強固な価値観を有してこなかったこと。この2点のために、日本人は、物事に対する柔軟さを育めたのではないだろうか。日本人は、西洋やイスラム諸国と比して人工的な価値観を形成せず、極めて自然に近しい素朴な自然人なのである。その素朴な自然人としての柔軟さが、日本の伝統精神の根幹ではないだろうか。
日本の伝統精神である“柔軟さ”は、今後どのように変化していくのであろうか。戦後、日本の生活様式は、高度経済成長期を経て一遍した。張り巡らされた道路、コンクリートの建物、自然から遠ざかる都会の街並み。三大都市圏への人口集中は、2050年に約57%になると言われている。私たちの生活からは、ますます自然との距離ができてくるだろう。
掛かる状況下、刻々と変化する自然に対処してきた素朴な柔軟さが失われて、ただの自然人になる可能性もあるのが、今後の日本人ではないだろうか。一方で、人間を人間たらしめているものとは、ただの自然人としてのゼロサムの世界を超えて、共同生活を可能にする人間的理性に違いない。
日本では、その人間的理性が、自然の中で育まれてきた柔軟さを根幹にした日本の伝統精神であった。そして、西欧やイスラムの世界では、宗教をベースにした価値観であったと言えるだろう。
しかし、素朴な自然人としての柔軟さも、宗教をベースにした価値観も存在していないのが、今日の日本である。つまり、人間の共同生活を成り立たせる“精神”が存在していない状態になりつつある。
一方で、過去のような自然と向き合う生活に戻ることはできない筈である。つまり、日本人の伝統精神の柔軟さは、将来的に失われる可能性もあるだろう。従って、人間としての共同生活を成り立たせる価値観が、今後の日本に必要になるのではないだろうか。日本の伝統精神が失われつつある昨今、それに代替する精神や価値観を見出すことが、現在の日本に求められているのである。
今回のレポートでは、素朴な自然人の柔軟さとして日本の伝統精神を考察してきた。その柔軟さは、自然と向き合う生活が日常生活の中に組み込まれていたから生活の一部として機能していたと言える。
日本の伝統精神が、どれだけ素晴らしいものであっても、日常生活の一部でなければ、自然と身に付けることは難しい。しかし、学校教育で意識的に育むには、それだけの環境を整えることも難しいだろう。つまり、生活様式が変化している昨今、日本の伝統精神としての柔軟さが失われていくことは、致し方のないことではないだろうか。
むしろ、新しい時代と向き合いながら、日本人に適した新しい価値観を模索していくことが建設的である。その価値観とは、既存の宗教かもしれないし、その他の新しい価値観かもしれない。
私たち日本人は、ただの自然人ではなく、人間としての共同生活を営むための新しい価値観を必要としている。その価値観が議論されることなく、瑣末な政策だけを議論していることは、砂上の楼閣に過ぎない。日本の伝統精神を踏まえた上で、それに拘ることなく新しい日本の伝統精神を定義することが、今痛切に求められているのではないだろうか。
参考文献:
速水融編 『歴史のなかの江戸時代』 東経選書 1977年
松下幸之助 『人間を考える 第二巻』 PHP研究所 1982年
新渡戸稲造 『武士道』 講談社インターナショナル 1998年
河合隼雄 『中空構造日本の深層』 中央公論社 1999年
橋本毅彦+栗山茂久編著 『遅刻の誕生』 三元社 2001年
ウィリアム・G・ハウエル 『さまよえる日本人-無責任社会の本質に迫る』 チクマ秀版社 2001年
安岡正篤 『日本の伝統精神』 PHP研究所 2003年
鈴木大拙 『日本的霊性 完全版』 角川学芸出版 2010年
熊倉功夫 『文化としてのマナー』 岩波書店 2014年
Thesis
Hiroki Okazaki
第33期
おかざき・ひろき
Mission
「ゆるやかな共生」にもとづく「隣近所の多文化共生」