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人間観
2012年6月

塾生レポート

掃除とダンゴ虫から考える塾主の新しい人間観 ~新しい人間観の提唱の考察~
岡﨑広樹/卒塾生

松下幸之助塾主(以下塾主)の人間探求の集大成である“新しい人間観の提唱”について、早朝研修の掃除を基に考えたことを以下に述べたい。

 

1.塾の掃除における悩み

 塾の1日は、約1時間に亘る塾内の掃除から始まる。1年生は、全体ないしは各持ち場のリーダーとして塾生を纏め、時間内に掃除を終わらせる役割を担う。入塾後の1、2ヶ月は朝5時に起きること自体も辛かったし、掃除の仕方やリーダーの役割を担うことに慣れるので精一杯であった。

 しかし、6月にもなると早起きや掃除にも慣れてきたせいか、ダンゴ虫などの虫たちが、通路や通路脇などに多数存在しており、掃除の際に何気なく掃いてしまっていたことに気づき始めた。それ以降は、1匹1匹の虫をなるべく掃かないように気を付けると時間内に掃除が終わらないし、といって、虫たちの命が、掃除により奪われてしまってよいのだろうかと悩むようになった。
  もちろん、虫たちの個体数が掃除により適度に調整されて、塾内の生態系が維持されている可能性も否定できない。私たちの掃除が、自然の調整機能の一翼を担っていて、まことに自然はよくできているのかもしれない。しかし、その機能が証明されていない中、虫たちの命を奪ってまで掃除するべきなのだろうか。毎日塾内を綺麗に保つことは、お客様に対する最低限の礼儀であると思う。しかし、それと虫の命は天秤に掛けることなのかと考えてしまう。

 一つ明確なのは、私の一存で虫たちの生死が左右されるという事実である。やはり、虫たちの命が最優先であれば掃除をしなくてもよいだろうし、塾内を綺麗に保つことが最優先であれば、虫たちの命を奪っても掃除を充分にするべきだ。どちらも正しい考え方に思えて、掃除に対する悩みは深まるばかりであった。

2.人間は万物の王者である

 この問題は考えれば考える程何が正しいのか分からなくなった。そこで、一つの視点からこの問題を考えてみようと思い、塾主の“新しい人間観の提唱”に基づいて解釈してみることにした。

 “新しい人間観の提唱”では、人間には、万物の本質を見出して適切に活用し、物心一如の真の繁栄を生み出すという天命が与えられている。そして、人間は万物の王者として、その天命に基づき万物の存在理由を明らかにする。まことに人間は崇高で偉大な存在であるとある。更に、塾主はその注釈文で、弱いものと考えられている人間を偉大なる王者として認識しようとするので、王者としてふさわしい責務、行動をみずから自覚実践しなければならないとおっしゃっている。
  つまり、人間は、万物の王者として与えられた権利を自覚し、万物の本質を見極めて適切に活用していく責務があると理解できる。掃除の話に立ち返ると、その存在に気づくまでは何気なくダンゴ虫を掃いて捨てていたわけであり、ダンゴ虫たちは焼却炉で燃やされてしまっていただろう。

 私は、少なくとも塾の掃除においては、万物の王者としてダンゴ虫を活かすことも殺すこともできる立場にいて、今までは無自覚にその命を奪っていたのである。自らの有する力に無自覚なのは、その力を有意義に使えていないことと同義ではないだろうか。
 例えば、ダンゴ虫を掃かないで活かす方法を編み出す力も備わっているはずではないだろうか。だから、自分に備わっている力への自覚が、虫たちや万物に対する思いやりにつながるのではと、万物の王者としての自覚に対する必要性を痛感したものである。

3.適切な処遇

 更に、塾主は、万物の王者として与えられた権利を自覚する一方、万物の本質を見極め、適切に活用していく責務があるとおっしゃっている。万物を支配する権利を与えられているということは、自分のほしいままに好き勝手に利用するのではなく、万物の特質を見極めて、その特質を活かしきる責務を負っているということである。
  その視点に立てば、ダンゴ虫を掃いて捨てることは、ダンゴ虫の特質を活かしきったとはいえないだろう。ダンゴ虫は、落ち葉を食べて微生物が分解しやすい状態にするので、土壌を豊かにする能力を有している。ダンゴ虫の異常発生が生態系を崩すのならば、掃いて捨てるのも一つの考えだが、基本的には落ち葉を分解して土壌を豊かにすることに活かした方が望ましい。この特質を無視して掃除の最中に捨ててしまうのは、ダンゴ虫の特質を適切に活用しているとは言い難い。

 私は、自分の責任だけを考えて、行動してしまうところがある。しかし、そのような狭い視点では、万物の特質を見極めて最大限にそれを活かしきるという発想をとても持つことはできないだろう。もちろん、掃除においては、時間内に問題なく完了させることに集中してしまい、ダンゴ虫を活かすという発想を持つことはとてもできていなかった。
 これは、自分に置き換えてみると、不向きな仕事を担当しており、自分の力を活かしきれずに、まるでダンゴ虫のように掃いて捨てられていると感じてしまう状況と同じではないだろうか。やはり、自分に向いた仕事の方が実力を活かしきれるし、自分の存在理由を実感もできるだろう。

 万物の王者の視点に立てば、ダンゴ虫の特質を活かしきれる適切な処遇を考える必要があるだろう。自分に置き換えて考えてみれば、自分の存在理由を殺されてしまっているのと同義なわけである。だから、適切な処遇によりダンゴ虫の特質を活かしきることなしには、彼らを自由に扱っていいというわけではないということを実感している。

4.衆知を集める

 自らの強大な力を自覚し、ダンゴ虫に対する適切な処遇を考えた上で、更に考慮すべきことがある。それは、ダンゴ虫を適切に活かしながらも、過不足のない掃除のやり方である。結局のところ、私が独りで考えてしまうと、掃除を優先してダンゴ虫を全て掃いてしまうか、ダンゴ虫を優先して掃除を適度にするのかの二者択一で考えてしまうだろう。しかも、この二者択一はどちらも正しい論点を含むが故に、どちらを選択するのか決めかねて、最後は問題を先延ばしにしてしまう。

 一方、塾主は、“新しい人間観の提唱”において、

“人間の偉大さは、個々の知恵、個々の力で発揮することはできない。(中略)その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである。まさに衆知こそ、自然の理法をひろく共同生活の上に具現せしめ、人間の天命を発揮させる最大の力である”

と述べられている。
  一人の知識や知恵には限界があるが、多くの人の力を借りれば、想像し得なかった素晴らしい発想が生まれることは往々にしてあることだ。三人よれば文殊の知恵というが、三人で文殊菩薩様なら、百人よれば仏様のように悟りを含んだ知恵を生み出すことができるかもしれない。
  だから、ダンゴ虫に詳しい人に相談すれば、二者択一の解答に陥ることなく、ダンゴ虫の性質を活かしながら過不足なく掃除をする方法を編み出せるだろう。例えば、ダンゴ虫は落ち葉に集まるという習性を利用して、ダンゴ虫の生息場所を意識的に作って、掃除するルートに集まらないようにはできないだろうか。

 多くの方々に対しこのような自分の考えを相談すれば、多面的な視点を得ることができ、物事の真理に近づけるのではないだろうか。独りよがりな考えを超えて衆知を集めることが、結果として物事を深化させる可能性を含んでいると考えるところである。

5.素直なこころ

 衆知を集めれば、ダンゴ虫を活かしながら、塾へお客様を迎えられる水準の掃除方法を編み出すことが出来るかもしれない。しかし、仮にその方法が編み出されたとしても、私が積極的にその方法に取り組めるのかという問題がある。ダンゴ虫を無駄に殺めたくないと考える一方、作業の増加量によっては、その方法を積極的に受け入れ難いのが人情ではないだろうか。
  例えば、カラスが朝のゴミ捨て場を食い散らかしてしまう問題があるとする。通常はゴミの周囲に網を掛けるが、より優れた方法として町内会員の持ち回りで、ゴミが回収されるまで見守ることとする。こうすれば、カラスはゴミを食い散らかせなくなるので問題解決となるが、朝のとても忙しい時にゴミの付近で長時間見守るのは面倒であるし、誰か代わりの人がやってくれれば一番望ましいと考えるのが人情であると思う。

 塾主は、“新しい人間観の提唱”において、個々の利害得失や知恵才覚にとらわれ歩まんとする結果、人間はしばしば不幸におそわれてきていると述べられている。課題を解決するのには必要なことであっても、個人の利益や不利益を考慮しながら行動してしまい、全体の利益を損ねることは多々あると考える。
  一方、塾主は、“素直なこころ”の重要性を説いておられる。“素直なこころ”とは、

“私心なくくもりのない心というか、一つのことにとらわれずに、物事をあるがままに見ようとする心といえるでしょう。そういう心からは、物事の実相をつかむ力も生まれてくるのではないかと思うのです。だから、素直な心というものは、真理をつかむ働きのある心だと思います。物事の真実を見きわめて、それに適応していく心だと思うのです”

 と述べられている。
  つまり、一言でいえば、私は真理に従順な心と解釈できると思う。いかに真理をつく提案や意見であっても、個人の利害得失に捉われてしまうのが人情である。しかし、物事の真理を個人の利害で拒否することは、物事を誤った方向に進めてしまうだろう。掃除についても、ダンゴ虫を活用できて、過不足のない方法が衆知によって編み出されたならば、個人の利害を超えるべきであると考える。そのために、普段から素直なこころになるための努力をする必要性を実感している。

6.新しい人間観を求めて

 塾主の人間探求の集大成である“新しい人間観の提唱”は、掃除とダンゴ虫を通して考察すると、物事を捉える重要な視点が盛り込まれていると痛感する。特に重要なのは、人間が万物の王者として強大な力を有することへの自覚を説いているところであろう。

 例えば、格闘技の経験者は、相手に怪我をさせてしまうことを自覚しているので、無闇に人と喧嘩しないだろう。しかし、仮に格闘技経験者のみに囲まれて育った人がいるとする。その人が、初めて格闘技の未経験者と喧嘩する場合、彼は自分の力がいかに強いかを理解していないから、きっと手加減できず相手に怪我をさせてしまうだろう。
 実は、普段の私たちもそれと同じ状況ではないだろうか。人間が有する強大な力を理解していないから、無自覚に他の生物の命を奪ったり自然を破壊したりできるのではないだろうか。もし、その強大な力を心の底から理解していれば、その力の使い方に責任をもつはずである。

 そして、私たちは無自覚な万物の王者のままで、今後も生きていくことができるのだろうか。現代は、人口や食料問題、環境破壊に温暖化など、世界全体の持続可能性を揺るがす問題が様々に起きている。私たちが万物の王者としての力を自覚して、万物を活かしきってその責任を果たすことに真剣に取り組まなければ世界は破滅してしまうかもしれない。
 そのためにまずは、私が“新しい人間観の提唱”を心の底から理解して、その必要性を社会に対して訴えかけられるようにしなければならないだろう。とかく、大きな視点に立って物事を考えると、何かを理解できたかのような錯覚に陥ってしまう。
 しかし、本来は普段の生活に落とし込まない限り、その真に意図するところを体得するのは難しいのではないだろうか。だからこそ、私は、掃除とダンゴ虫の問題を考え続けて、塾主の新しい人間観を自分なりに体得したいと思う。

 最後に、塾主の“新しい人間観の提唱”の全文を引用して終わりとしたい。

 「宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である。
  人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。人間は、たえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである。
  かかる人間の特性は、自然の理法によって与えられた天命である。
  この天命が与えられているために、人間は万物の王者となり、その支配者となる。すなわち人間は、この天命に基づいて善悪を判断し、是非を定め、いっさいのものの存在理由を明らかにする。そしてなにものもかかる人間の判定を否定することはできない。まことに人間は崇高にして偉大な存在である。
  このすぐれた特性を与えられた人間も、個々の現実の姿を見れば、必ずしも公正にして力強い存在とはいえない。人間はつねに繁栄を求めつつも往々にして貧困に陥り、平和を願いつつもいつしか争いに明け暮れ、幸福を得んとしてしばしば不幸におそわれてきている。
  かかる人間の現実の姿こそ、みずからに与えられた天命を悟らず、個々の利害得失や知恵才覚にとらわれて歩まんとする結果にほかならない。
  すなわち、人間の偉大さは、個々の知恵、個々の力ではこれを十分に発揮することはできない。古今東西の先哲諸聖をはじめ幾多の人びとの知恵が、自由に、何のさまたげも受けずして高められつつ融合されていくとき、その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである。まさに衆知こそ、自然の理法をひろく共同生活の上に具現せしめ、人間の天命を発揮させる最大の力である。
  まことに人間は崇高にして偉大な存在である。お互いにこの人間の偉大さを悟り、その天命を自覚し、衆知を高めつつ生成発展の大業を営まなければならない。
  長久なる人間の使命は、この天命を自覚実践することにある。この使命の意義を明らかにし、その達成を期せんがため、ここに新しい人間観を提唱するものである」

  新しい人間観を腹の底から体得するために、この視点に立って真理を求め続けていきたい。

参考文献:
松下幸之助『人間を考える 第一巻』PHP研究所 1975年
松下幸之助『人間を考える 第二巻』PHP研究所 1982年
松下幸之助『素直な心になるために』PHP研究所 1976年
松下幸之助『実践経営哲学』PHP研究所 1978年

2012年6月 執筆
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