論考

Thesis

『新世紀エヴァンゲリオン』が映し出すイマドキの人間観考

碇シンジ、綾波レイ、惣流・アスカ・ラングレー、3人の少年少女が織り成すアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』。絶大な人気の背景には、若者たちが共鳴する人間観が隠されている。「シンクロ」という言葉をキーワードに、その理由を探っていく。

<はじめに>

 1995年7月にアニメが放送されてから12年、若者たちに未だ相変わらずの人気である。その名は『新世紀エヴァンゲリオン』。9月1日に映画『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序 EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE』が公開されるや、国内興行収入であの『ハリーポッター』を抑え首位にたち、映画館では満席で立ち見が出るほどの過熱ぶり。興行収入は20億円に到達する勢いである。(10月7日現在)

 日本経済新聞は映画公開日の9月1日、社説『春秋』で「綾波レイに思いを寄せる男性は日本中に100万人はいるだろう…」と評した。様々なメディアにおいて作品の内容を扱った記事、映像を見つけることもたやすい。2006年文化庁メディア芸術祭の10周年記念企画として行われたアンケート「日本のメディア芸術100選」のアニメーション部門では、1950年代から2006年までの全てのアニメの中から『風の谷のナウシカ』や『機動戦士ガンダム』といった不朽の名作を抑えて第1位に選出された。

 日本のアニメ文化は、世界に誇るそれであることに異論はないと考える。またその国の文化がその国の人間形成に影響を与えることに異論がないとすれば、アニメにもそれは当てはまると考えたい。特に人間性や自分探し、明確な世界観や人間観を提起するアニメがあることは間違いない。(宗教アニメは特にそうである)

 ではこれほどまでの過熱振りを見せる『新世紀エヴァンゲリオン』とは、いかほど若者と「シンクロ」するものがあるのであろうか。

 「シンクロ」、この言葉も『新世紀エヴァンゲリオン』では重要なキーワードだ。人造人間であるロボット「エヴァンゲリオン」は、従来のロボットアニメがそうであったように、シフトレバーの操縦で動くようには造られていない。パイロットと心身一体にならないと動いてくれない。それが「シンクロ率」である。一定のシンクロ率になってはじめて人造人間「エヴァンゲリオン」は動くのだ。(『機動戦士ガンダム』では似たような概念として「ニュータイプ」があるが、ロボットを動かすのに「ニュータイプ」は必要条件ではない)

 『新世紀エヴァンゲリオン』の魅力、それは一言でいうと「イマドキの人間観」が凝縮されているからに他ならない。つまり、

 『新世紀エヴァンゲリオン』が映し出すイマドキの人間観
                ↓
       イマドキの若者に合致(シンクロ)

というわけだ。

 そしてそれは『新世紀エヴァンゲリオン』の3人の登場人物、主人公である碇シンジとヒロイン的存在である綾波レイ、惣流・アスカ・ラングレーが織り成す人間ドラマに、視聴者自身が惹きこまれてしまうからでもある。そこで今回は3人との「シンクロ」を分析することで上記仮説の論証を試み、では社会がこの「イマドキの人間観」に対しどう捉えればよいのか、について考えてみたいと思う。

 ここで参考までに『新世紀エヴァンゲリオン』のストーリーを記しておきたい。

時は西暦2015年。
南極の氷雪溶解による世界的危機(セカンドインパクト) から復興しつつある時代。
箱根に建設中の計画都市、「第3新東京市」に突如襲来する“使徒”。彼らはその正体も目的も不明だが、 さまざまな形態・特殊能力で人類に戦いを挑んできた。
この謎の敵“使徒”に人類が対抗する唯一の手段が「汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン」である。国際連合直属の特務機関「ネルフ」によって主人公「碇シンジ」を含む3人の少年少女がその操縦者に抜擢された。
今、人類の命運を掛けた戦いの火蓋が切って落とされる。
果たして“使徒”の正体とは?
少年たちの、そして人類の運命は?  (公式ホームページより)

<碇シンジとのシンクロについて>

 さてこの物語の主人公、碇シンジは14歳の少年である。彼の性格は漫画本第1巻の最初のページに端的に示されている。

 僕には将来なりたいものなんてない
 夢とか希望とか考えたことがない
 14歳の今までなるようになってきたし
 これからもそうなるだろう

 だから事故やなんかで死んでしまっても別に
 かまわないと思った

 つまり典型的なペシミスト(悲観主義者・厭世観)なのだ。幼少時の母親の死と、父親に捨てられたことがトラウマとなり極めて内気な性格。後ろ向きでコミュニケーションが苦手。「友達なんか最初からいない方がマシだよ」は彼の名セリフでもある。冷静で大人びた考え方。その一方、病室で同年齢の女性パイロットの半裸に欲情して自慰を行なったりする普通の少年である。しかしここに「自分と同じ考え方のキャラをはじめて見た!」という発見と驚きがあり、その瞬間シンジとのシンクロが始まっていく。(後ほど詳述する)

 またアニメの主題歌「残酷な天使のテーゼ」というタイトルも見逃せない。アニメではこの主題歌が流れシンジが活躍するからである。聖なる天使は実は残酷であるということもペシミスティックそのもの。それを口ずさむことで自分と同じ考え方のシンジとシンクロする格好の材料になっているといえるだろう。

<綾波レイとのシンクロについて>

 綾波レイはシンジと同じく14歳、この物語のヒロイン的役割を担っているとともに、『新世紀エヴァンゲリオン』という作品を象徴する人物でもある。過去の経歴は一切不詳、家族や親戚など肉親はゼロ。ほとんど感情を表に出さず、無口で無表情だが、シンジに心を開く一面も見せる。レイの家に訪れたシンジに入浴後裸を見られても無反応。日常生活においても他者との交流を持たず、私生活においても無頓着で、下着も質素、私服は中学校の制服のみである。

 また自分の命に対する執着が希薄であり、「私が死んでも代わりはいるもの」の名セリフに表れている。

 ショートカットの髪の毛は青色、赤い目、そして白い肌とクールな性格。無機質な彼女を慕うファンは社会現象を惹起するまでになった。綾波レイの等身大フィギュアは公式ストアで379,527円の値段がつくほどに、非常に高い支持と人気がある。いったい彼らはレイと何をシンクロするのであろうか。

 その理由を文芸評論家の東浩紀氏は、自身の著書『動物化するポストモダン』において以下のように述べている。
 ―――アニメにおいて原作の物語とは無関係に、その断片であるイラストや設定だけが単独で消費され、その断片に向けて消費者が勝手に感情移入を強めていく、という別のタイプの消費行動が90年代から台頭してきた。この新たな消費行動は、オタクたち自身によって「キャラ萌え」と呼ばれている。(略)そこではオタクたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している―――と。

 「内面をわかって欲しい僕」「内面をわかってあげたい君」、つまりボク(碇シンジ)がキミ(綾波レイ)に感情移入する「萌え」の疑似空間において、レイとのシンクロが発生しているのである。

<惣流・アスカ・ラングレーとのシンクロについて>

 もうひとりのヒロイン、惣流・アスカ・ラングレーはレイと同じく14歳の少女である。容姿端麗な美少女で、14歳にして大学卒業の天才で異常なほどプライドが強い。また「あんたバカぁ?」のセリフに代表されるように勝気で負けず嫌いな性格で、年上の男性に胸をはだけてアタックをかけたりもする。シンジには「バカシンジ」呼ばわりで、一見愚弄しているように思えるが、シンジとレイの関係を気にするなど実は「甘え」のニュアンスも垣間見られる。背景には母親の自殺というトラウマが影響している。

 今でいう「ツンデレ系(生意気な態度が、あるきっかけで急にしおらしくなる。あるいは本心では好意を寄せていながら天邪鬼に接してしまう女性を指す)」で、異性として気になるシンジになかなかそれを表現できない女性として、レイに劣らずファンに人気がある。

 ファンはツンツンしているところが最高で、「あんたバカぁ?」と罵られることを望む。普通ではお高くて話をすることなんてできっこない。でも一面弱い部分も見え隠れ。良くも悪くも男性の願望と現実認識が入り混じるところに、綾波レイと同じような「内面をわかって欲しい僕」「内面をわかってあげたい君」のシンクロが生まれているのだろう。

<3人が織り成す今という時代とのシンクロについて>

 以上のように、3人は様々精神的な不安を抱えて生きている。シンジやアスカはトラウマ、レイは感情の存在を知らない。それぞれが自分たちの悩みに手一杯である。特にシンジは自分の存在意義に悩み、「自分はなぜ生きているのか」「自分はなぜ敵と戦わなくてはならないのか」と自身に問いかける。でもいつまでたっても見つからない。

 つまりここから自分が生きている意味を見出せず、さまよう現代の若者たちの姿が映し出されてくる。ニートや引きこもり、社会との疎外感からリストカットや自殺を試みる者。それだけではない、優等生の子の「勉強した方がいいのはわかってる。けど勉強して出世したところで、何らいいことなんかなくて、バブルで失敗した世代と同じことになるんじゃないか」的厭世観。

 しかしシンジは、そんな同じく挫折を味わって精神的に屈折しやすい時期の現代の若者に、「逃げちゃダメだ!」と訴える(彼の名セリフである)。とにかく現実に向き合って生きていく。そして帰属する集団の中で自分の役割を見つけていくしかないんだ、というメッセージを発信する。

 性と直面したシンジのたじろぎ、段々とシンジに惹かれるレイ、おとなの女になろうと必死なアスカ。子供以上大人未満、微妙な年頃の3人は、いずれも現代の若者が内にかかえる心理的葛藤や疑念を具現化する。悩んだり欲求不満を感じたり、孤独や疑念を抱くのはごく自然なことだと語りかけ、我々の心の傷を深くえぐってくる一方で、「逃げちゃダメだ!」と勇気付ける。そんな3人に現代の多くの若者が、同じような少年期をすごした大人になりきれない大人が次々にシンクロしていった。「あぁ、わかるなぁこの気持ち」、この気持ち=このイマドキの人間観の合致こそ、『新世紀エヴァンゲリオン』が12年の歳月を経ても何ら不動の支持を保ち続ける最大の要因なのである。

<論証の帰結、そして社会が考えるべきこと>

 他人に対する冷めた視線、人間は孤独なんだとペシミスティックに社会と一定の距離をとろうとする人間観。何かあればインターネットや携帯電話があるから問題ない。シンジに自分の気持ちを代弁してもらい、レイやアスカに現実逃避しようとする。つまり『新世紀エヴァンゲリオン』は一面現代社会に生きる若者の声なき声ともいえる。

 ではこの人間観は否定されるべきものだろうか。違う。私はこの人間観を現実として社会が十分に受けとめてほしいとこそ理解している。学校での授業、家庭でのしつけによって若者の人間観が形成されることを前提とすれば、彼らの視点に立てばむしろ『新世紀エヴァンゲリオン』に見る人間観を形成するのが必然であるということだ。

 家に帰っても母親はパートで外出中、あるのは冷めた夕ごはんだけ。少子化が進んでおり兄弟姉妹もいない。父親は仕事で忙しく、もう何日も顔を見ていない。いくら外で友達と遊んでいたとしても、家に帰ったときの妙に感じる孤独感。学校がいくらみんなで助け合って生きていきましょうと教えても、イマイチ信じることができない。なぜなら現実が孤独であるからだ。

 社会は社会でどうか。バブル崩壊後リストラは進み構造改革は進んでいるものの、景気がいいとは到底実感できない。格差というワードが流行し、企業の不祥事、政治とカネの問題、犯罪の増加、数限りない不透明感の中で、いったい何に希望を持てばいいのか、若者がそう感じるのは至極当然ともいえるだろう。

 もしかしたら『新世紀エヴァンゲリオン』は、本当は大人たちへのメッセージなのかもしれない。であればこそ、このメッセージを衷心から理解し、大人たちが強くたくましく希望を持って生きていくことを率先してはじめて、将来を担う若者たちに希望を取り戻すことが可能となるのではないだろうか。そう、『新世紀エヴァンゲリオン』のメッセージは時代の警鐘、大人たちは今この投げかけられた社会的使命を果たしていく必要に迫られているのである。

(参考文献)

東浩紀:『動物化するポストモダンーオタクから見た日本社会』 講談社
貞本義行:『新世紀エヴァンゲリオン1巻~11巻』 角川書店
庵野秀明:『アニメ新世紀エヴァンゲリオン第1話~第26話』 テレビ東京
ガイナックス監修:『エヴァンゲリオン・クロニクル』 ソニーマガジンズ
北村正裕:『エヴァンゲリオン解読―そして夢のつづき』 三一書房

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井桁幹人の論考

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Mikito Igeta

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第27期

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