論考

Thesis

理想の国家像と政治理念の要諦~この国の中小企業政策を考える

先日6月度合同合宿において、我々は東京都墨田区の中小企業を訪れた。大企業に比べ厳しい環境におかれる中小企業、その環境の悪化は年々増幅傾向にある。どうすれば中小企業全体に活力が生まれるのか?それとも市場原理に任せてつぶれたら良いのか?意見交換会での疑問から生じた今回のレポート。

<はじめに>

 我々松下政経塾生は、6月16日から6月20日まで全学年による合同合宿をおこなった。「経営」をテーマにした今回の合宿では、東京都墨田区にある中小企業を訪問し、経営者から直接工場を案内していただきながら、中小企業の抱える問題について意見交換会を行うという研修があった。

 私が訪問したのは、刻印機などを製品化する会社と、印刷された紙を製本する会社の2社である。製本会社で行われた意見交換会では、従業員からこんな質問があがった。

「大企業からは単価を下げないと仕事がもらえない。けれどもその単価では赤字になってしまう。かといって他に仕事があるわけでもない。ウチのような零細企業はどうすればよいのでしょうか。何か良い知恵を授けてください」

 これを聞いてあるひとはこう答えるだろう。

「市場にはできる限り行政や政治が介入すべきではありません。自身の経営努力、業務改善、新しい研究開発、フロンティア精神、営業などによって何とかするしかないでしょう。とにかく頑張ってください」

 いわゆる「自助の精神」や「ベンチャースピリッツ」を説く「市場原理主義」の考え方である。だがちょっと待ってほしい。中小企業の先行きは暗く、悲しい事件も起きているのだ。

(1.文京区での製本会社一家心中事件)

 東京都文京区小石川の製本工場兼経営者宅で2008年4月28日未明、一家6人が腹や胸を刺されるなどして倒れているのが見つかった事件で、男女3人の死亡が確認され、経営者や小学生を含む3人が重傷を負った。

 犯人は経営者である社長(42)で、数カ月後に売り上げの半数を占める得意先の製本会社が埼玉県に移転。「仕事が減ってしまう。給料が減るかもしれない」などと従業員に漏らしていた。社長は、製本会社を経営していたが経営に行き詰まり、警視庁は将来を悲観して一家心中を図ったとみている。

(2.足立区での機械工一家心中事件)

 2008年2月11日午後3時45分ごろ、東京都足立区の機械工(52)宅のシャッターのすき間から、血が流れているのを通行人が発見、近くの交番に届け出た。

 警視庁西新井署員が駆け付けたところ、1~2階で機械工ら家族3人が血だらけで死亡しているのが見つかった。機械工が書いたとみられる遺書が見つかったことから、同庁捜査一課では、無理心中の疑いで調べている。

 親類によると機械工は、父親から継いだ金属加工機械の販売を自宅でしていたが、最近「機械が売れないので大変だ」などと漏らしていたという。

 バブルが崩壊し日本型産業構造が転換を迫られるなかで、規制緩和や構造改革が進み、いわゆる「小さな政府」論に基づいた「市場原理主義」が中小企業を席巻して久しい。大企業の業績が回復すれば、中小企業もその恩恵を受ける仕組み。しかしその仕組みの果ては、倒産を超えた2件の一家心中という悲劇であった。

<日本の中小企業は世界一か>

 最近、「モノづくりニッポンの底力」や「日本の中小企業の世界に誇る技術力」など、日本の中小企業がそのオンリーワンの独自技術を駆使して、熾烈な企業間競争を勝ち抜いている様子を新聞や雑誌・テレビなどでよく見かける。中小企業の力を結晶してロケット「まいど1号」を打ち上げようと意気軒昂の東大阪宇宙開発協同組合(大阪府)はテレビCMでもおなじみだ。また紙幣計算機用真空ポンプでは海外6割、国内9割のシェアを誇る三津海製作所(東京都)、全米ライフル協会の2004年度ショットガン・オブ・ザ・イヤーも受賞し匠の技と最新技術の融合で年間12万丁の猟銃を生産するミロク製作所(高知県)などは、政府が「明日の日本を支える元気なモノづくり中小企業」とお墨付きを与えるほどである。

 しかし、ここで誤った認識に陥ってはならない。先にあげたような元気な中小企業とは、あくまで金型、鋳造・鍛造、めっき等の基盤産業を中心とした製造業が大部分を占めているのであって、中小企業全体が元気というわけでは決してない。

<中小企業白書が示す日本の中小企業の実情>

 中小企業の低迷は、中小企業庁が発行する「中小企業白書2008」も危惧するところである。このところの原油・原材料の価格高騰等の影響を受けて、中小企業の経営環境は悪化傾向にあるというのだ。特に2006年から倒産件数が増加に転じ一層警戒感を強めている。

 白書によれば、我が国の輸出の増大と設備投資に牽引され、外需型製造業である機械関連の一部の業種は相対的に好調であるが、内需型であるそれ以外のほとんどすべての業種、小売、建設、石油製品、パルプ・紙製品、出版・印刷、クリーニング、運輸、繊維工業等は厳しい状況に立たされているという。

 特に多くの中小企業が原油価格高騰によるコスト上昇分を自社の製品・サービスの価格に転嫁することが困難としており、全く転嫁できていないとする中小企業は6割に及んでいる。つまり下請け企業の場合などでは、大企業へ納入製品の単価アップを認めてもらえない状況が今も続いているということなのだ。

 その大企業とは、利益率においても格差が広がっている。特に資本金1000万円未満の企業との差は歴然だ。次のデータを見てほしい。

大企業(資本金1億円以上) 1998年 2.2% → 2006年 4.8%
中企業(資本金1億円未満) 1998年 1.0% → 2006年 2.2%
小企業(資本金1000万円未満) 1998年 -0.1% → 2006年 0.6%
出典:財務省「法人企業統計年報」

 このように資本金1億円以上の大企業との売上高経常利益率の差は、1998年の2.3%から、2006年度には4.2%に拡大し、過去30年間での最大の値となっている。データは2006年のものであるが、2007年、2008年は原油・原材料の高騰があり、価格転嫁できていないと6割の会社が回答していることからも、その差を縮めるものになっているとは到底考えられないだろう。

<大企業と下請け企業>

 大企業との関係についてはもう少し触れておきたい。バブル崩壊後の長期不況の下で、大企業の下請企業管理は熾烈化した。ある自動車メーカーの復活は万人の知るところであるが、この会社が2002年3月期、過去最高の4892億円の連結営業利益を達成したのは、部品などの購買費を一気に2割削減したことにある。当然ながら急激な購買費削減は部品会社に大打撃を与えた。部品各社は購入単価の切り下げを調達部門より迫られた結果、本体およびその系列会社を主要取引先とする部品各社の連結営業利益は1社を除いて軒並み大幅減や赤字となったのだ。

 市場原理主義の考え方に基づけば、この場合「いやそれは企業努力が足りないから赤字になるんでしょう」となるのだが、それで本当に良いのだろうか。

<日本政府の中小企業政策の現状>

 日経平均株価の現状、原油・原材料の高騰、円高、個人消費・個人所得の伸び悩みなどに局面する中、今の日本の景気全体はそれほど良いと私は考えていない。しかしなぜこのように中小企業が大企業に比べ低迷しなければならないのだろうか。それは日本政府がこれまでとってきた中小企業政策に原因がある。

 実は政府は1999年に中小企業政策の大転換を行った。中小企業政策は、「中小企業基本法」によって説明されるが、従来は、「中小企業の経済的社会的制約による不利を是正する」とともに、「中小企業の取引条件に関する不利を補正するように」過度の競争の防止及び下請取引の適正化を図ることを明記していた。そして、「過度の競争の防止」、「下請取引の適正化」、「事業活動の機会の適正な確保」、「国等からの受注機会の確保」、「輸出の振興」、「輸入品との関係の調整」という、それぞれ国が図るべき施策を掲げていたのである。すなわち、「大企業との格差の是正」を主眼においていたのがわかる。

 ところが新基本法ではこれがすべて言葉として消え、中小企業の「柔軟性や創造性、機動性」に注目し、中小企業こそが「我が国経済の発展と活力の源泉であり、中小企業の自助努力を正面から支援」することになった。つまり「自由で公正な競争」を理念とし、「人材の確保力、資金力の脆弱性等中小企業ゆえの制約」のあることを認めながらも、それを克服するには、まず中小企業の「自助努力」によるべきであり、政策的支援は「経済合理性の指し示す方向」に沿って行われるべきであると代わったのである。この一連の「転換」のうちで大いに注目を受けたのが、「弱者保護」に代わる、「創業支援、ベンチャー支援」政策であった。

 この政策転換の基本的なイデオロギーは、まさしく「小さな政府」論に基づいた「市場原理主義」そのものであり、結果は先ほどの白書が示す通り「自由で公正な競争」にさらされた中小企業は競争によって力をつけるどころか、ますます苦境にあえぐことになってしまったのである。

<諸外国の中小企業政策>

 それでは日本以外の他の国は中小企業をどのようにとらえ、政策を行っているのだろうか。アメリカとドイツ、2つの例を見てみよう。

(アメリカ)

 米国に、「ベンチャー支援策」などという政策は基本的にない。あるのは、むしろ小規模企業対策であり、長い伝統をもつ官や公の仕事を中小企業に確保する政策が特徴的である。それは、中小企業は「新規雇用創出において米国経済にとって重要な存在である」と考えているからであり、貧困地域や開発地域の中小企業や、アメリカン・ドリームを目指す外国人などの人種マイノリティ及び女性の企業主に対する具体的な支援に焦点を当てるといった、リベラル色が強いものである。

 具体的には、連邦政府が調達するものに対する優遇策や補助金制度、中小企業を対象にした税制方針である。1993年には中小企業を対象に減税が実施された。

(ドイツ)

 世界屈指の高度な工業国ドイツでは、マイスター(職人)という言葉が有名なように、手工業による零細企業が非常に多い。そして彼らを政府は「手工業秩序法」という法律によって保護している。これは第二次世界大戦まで独占的大企業への生産の集中が進み、経済に弊害が生じたことから、第二次世界大戦後は市場での有効な競争を確保するために手工業者を保護することになったのだという。

 その政策は、「社会的市場経済」という言葉で表わされる。それは競争から生ずる社会的不公正を国家的施策が是正しようという考え方である。市場での自由な競争を保証するには、市場での自由な競争の障害となるものを駆除することが求められるのであり、その意味では社会福祉的な側面も備えているといえるだろう。

<未来の中小企業のために>

 諸外国の例でも明らかなように、中小企業政策は、単なる経済政策ではなく社会政策や地域政策でもある。だからこそ、中小企業の自助努力と市場原理に任せていたのでは大企業の寡占化、利益の独占化が進み、愛知や東京の有効求人倍率と青森のそれとの比較でも明らかなように地域格差も生まれてくる。

 政治や行政ができる限り市場に介入しない「市場原理主義」路線をこれからも維持していくのでは、やがて日本の中小企業は一部を残して消え、競争に打ち勝ったアジアや諸外国にその仕事を奪われることになるだろう。人間は自然状態では弱肉強食の社会になってしまうことを恐れ、政治体が人民を支配するという社会契約を結んだ。市場もそのままでは自然状態なのである。

 もちろん、決して中小企業を甘やかす政策になってはならない。大多数の人々が働く場所であり、自己実現の場である中小企業の持つ可能性の追求こそが何といっても重要である。業種転換を可能にする仕組みや、アメリカのような官や公の仕事を中小企業に確保する政策、東京都墨田区で行われている経営塾(すみだ塾)に代表されるキャリア・スキルアップ制度など細部はいろいろとあるだろうが、何といっても理念である。「中小企業の自助努力に任せる」から「日本は中小企業とともに未来を切り開く」くらいの決意がなければ中小企業もその真価を発揮することはできないだろう。

 最後に述べておきたいのだが、中小企業の現場で働くことは本当に大変だ。朝から晩まで同じ作業を延々と続ける人々、暗い工場内で働く人々、油臭の中で働く人々、ほこりまみれの中で働く人々。そして給料は大企業に比べて安い。われわれの社会は、そんな人々の普段の努力で成り立っていることを忘れてはならない。彼らの労働こそが、この高度情報社会と呼ばれる複雑な今の日本社会を根底から支えているのである。

 日本で働くすべての人々のために。そして日本の未来のために。中小企業のあり方をもう一度みんなで考えてみたいと思う、今日このごろである。

(以上)

参考文献

「21世紀中小企業論」渡辺幸男・小川正博・黒瀬直宏・向山雅夫 有斐閣
「中小企業ですがモノづくりでは世界でトップです」 木村元紀 洋泉社
「自由はどこまで可能か」 森村進 講談社現代新書
「中小企業白書2008」 中小企業庁 ぎょうせい
「ブッシュ政権の中小企業政策」 中小企業総合事業団ニューヨーク事務所
「ドイツにおける中小企業政策」 平澤克彦 日本大学
「中小企業政策の大転換~『政経研究』第75号~」 三井逸友 政治経済研究所

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井桁幹人の論考

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Mikito Igeta

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第27期

井桁 幹人

いげた・みきと

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