Thesis
軍政から民政へ移管し、約10年を経た今なお、政治的民主化が最重要課題となっているチリ共和国。その国から、日本の政治システムや市民形成過程を研究しようと、チリ・カトリック大学助教授のパトリシオ・ヴァルディヴィエソ氏が来塾した。氏にチリの現状と問題点を聞いた。
〔チリ共和国概要〕
南アメリカ南部、太平洋岸に位置する南北に長い国。東側はアンデス山脈。人口約1500万人。国土面積は日本の約2倍。
1818年にスペインから独立。1938年には中間層政党と社会主義政党によるラテンアメリカ唯一の人民戦線政府が誕生。70年、アジェンデ人民連合政府が成立し、議会制下での社会主義社会の建設を試みる。73年、クーデターでピノチェト軍事政権が誕生し、89年まで続く。同年民生移管選挙が行われ、翌90年、文民政権が発足。その後、現在まで何度かの選挙を経て、民主化の定着に努めている。
98年にピノチェト元大統領が軍政時代の弾圧による殺人容疑でロンドン警視庁に逮捕され、国際ニュースとなった。現在、チリ国内で裁判の実施を巡り係争中。
▲チリ、日本、ドイツの「政治的社会化と市民形成」を比較研究するために日本に訪れたヴァルディヴィエゾ氏。 |
ヴァルディヴィエソ
1980年に憲法ができ、それにすべて従っています。しかし、それは、ピノチェット、つまり軍に都合のいいように作られています。基本的自由や人権に関する部分です。今、その不平等・不公平な部分を変えよう、新しくしようとしている最中です。しかし、憲法の改正には、上下両院のそれぞれ3分の2の賛成が必要なため、なかなか簡単にはいきません。
―― ピノチェトの軍事独裁政権というのは、いわゆる民主主義国家といわれる国々からは大変批判されているようです。チリ国内でのピノチェト政権に対する評価はどうですか。
ヴァルディヴィエソ
チリ国内におけるピノチェットに対する評価は、いい・悪いが非常にはっきりしています。ピノチェト政権を「良かった」とする理由は、ピノチェットはすごい右寄りで独裁者だったけれども、彼は経済的大成功を収めたということです。さらに、アジェンデという社会主義政権を、クーデターによって阻止したということが挙げられます。ピノチェトは社会主義になろうとしていたのを阻止した、という認識です。
一方、批判するのは、軍事政権下で行われた弾圧で3000人を超す死者・行方不明者が出ていることです。
―― すると、ピノチェットを支持する国民も多いということですね。
ヴァルディヴィエソ
大変人気があります。それは、ピノチェトが社会主義を倒したということにすごく意味を持っている人たちです。そのことを非常に重要視している人々には、大変人気があります。ピノチェットが政権を取った時というのは、ちょうど世界が資本主義と社会主義に二分し対決していた冷戦の真っ只中でした。そういう時代にあって、社会主義を阻止したということで、彼はある一方の陣営から非常に高く評価され、大変な援助を受けました。彼の政権は、そういう世界の対立構図の中で誕生したわけです。そこで、その場に居合わせた人々は、ピノチェット側に寄るか、そうじゃないほうへ逃げて闘うか、という選択を迫られました。
しかし、ここへきて、冷戦構造が崩壊したことによって、変化が起きています。それまでと違う価値が台頭してきました。
―― 非常に興味深いお話です。一国の政治形態が、実はその国独自の政治文化から出てきたのではなくて、冷戦構造の反映によって生まれたものだというのは。そして、今度は90年代に入り、冷戦構造が崩壊し、社会主義も崩壊したから、もはやそれは評価の対象にならなくなってきた。今度はきっと「民主化」というコンセプトが、より評価の対象になってきたのでしょうね。
ヴァルディヴィエソ
そのとおりです。
ベルリンの壁の崩れた1989年、この年にピノチェットも終わっています。結局、ピノチェト政権は、冷戦構造に支配された政権でした。そして、こうした情勢と平行して、1970年代の終わり頃、米国に新しい動きが起きます。
例えば、チリでは労働組合を作ることが禁じられていたのですが、そういうことに対し「これはおかしいんじゃないか」と、異議を唱え始めたのです。ご承知のとおり米国は人権問題にうるさいですから。そして、ピノチェットに対し、批判的な態度をとるようになってきたのです。
そうした経緯を経て、チリは90年に民政に移管しました。しかし、日が浅いということもあって、チリの政治的民主化はまだ確立されていません。そこが問題です。どうすれば政治的民主化をすすめることができるか。
―― チリの民主化を考える場合、一番大きな問題は何だとお考えですか。
ヴァルディヴィエソ
チリは現在、大統領制をもち、憲法をもつ民主主義国家ということになっています。
しかし、民主主義といっても軍部の政治介入は憲法で合法化されているし、そのレベルはまだまだ低い。これを改善するには、政治にしても経済にしても、基本はそれを支えるというか、構成する構成員の質の向上を図るしかないと思います。それにはいい教育システムが必要です。これには、いわゆる学校教育も含まれていますし、国民の社会参加を促す社会教育も含まれています。
例えば、チリでは初等教育(義務教育)は5~14歳で無料です。その後中等教育(職業教育も含む)4年、高等教育(大学、専門学校)4~7年とあります。学校は公立学校と私立学校とあり、公立(初等、中等)は国の財政補助で、私立は父母からの授業料で運営されています。このように言いますと、制度的には非常に整っているように見えると思います。しかし、教育の中身のほうは統一されていません。これは国土が南北に4200キロと長いことも影響しています。
それによって何が起きているかというと、チリ人の労働現場での生産性がきわめて低い状態にあるということです。チリは世界でも1番ぐらいに労働時間が長い国です。しかし、それに対し生産性はものすごく低い。1人の人間がいろいろなことをやるのだけど、やりっぱなしになっていて、それを一つにまとめることができない。みんながそういう状態にある。これは、教育の質に問題があると、私は考えています。
それから「階級」社会がまだ残っていて、下のクラスの人間は上へ行けない。「一億総中流」という日本のような社会とはまったく違います。
つまり、チリの教育制度は、見た目はともかく、内容的には全国レベルの統合がなされておらず問題がある。どうしてこういう状況になっているかというと、それは明確な国家目標が定まっていないからです。政治家も含め国民全体に、どういう国家になろう、どういう国にしようという明確なビジョンがない。だから、どういう国民を育てていけばいいのか、どういう教育をすればいいのか、ということが定まらない。
これを解決するには、いろいろな角度から問題を捉え、取り組む必要があると考えます。それには、できる限り多くの人間ができる限りすべてのことに参加することです。例えば社会問題、地域問題、教育問題、これらそれぞれに対する責任の問題とか、倫理的な問題とか、労働の生産性を上げる問題とか、そのすべてを人々が自分の問題として捉え、積極的に関わっていく。そこから始めるしかない。
―― 「参加する」ことですね。
ヴァルディヴィエソ
そうです。参加することによって「決定」に加わり、その決定が社会にどのような影響を及ぼすか国民一人一人が実感する。これによって国民意識が形成される。
例えば、チリの南のほうに行くとまだインディアンが少し残っています。その他、スラムに住む低所得の人とか、田舎に住む人とか、同じ国に住みながら、置かれている状況がものすごく違う。統一された国民意識をもつということはどこの国でも容易なことではないと思いますが、特にチリのように国土が長く広いと、それは非常に難しい。しかし、それができないと何もできません。
―― それは、コンセンサスを得て何かをやっていこうとするときには、必ず必要なものですからね。
今日はありがとうございました。
<Patricio Valdivieso(パトリシオ・ヴァルディヴィエソ)氏 略歴> ※いずれも執筆当時
1963年チリ・サンチャゴ生まれ。
チリ・カトリック大学で歴史政治科学修士号取得。アイシュタットカトリック大学(ドイツ)で博士号取得。
現在、チリ・カトリック大学政治学部助教授。著書に、”Ein Weg zur Sozialreform in Latenamerika(ラテンアメリカの社会改革への道)” Stuttgart: Hans-Dieter Heinz, Akademischer Verlagなどがある。
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