論考

Thesis

人間を考える

宇宙、人間、天命、衆知、素直な心、そして使命とは何か。松下幸之助の著書の中でも、最も難解かつその考え方の根本を示したとされる「人間を考える-新しい人間観の提唱」と向き合うことを通して、松下幸之助哲学を探求する。

1 はじめに

 『人間を考える-新しい人間観の提唱』が出来上がった時、松下幸之助は「自分はこれまでいろいろなことを考え、話してきたが、結局このことが言いたかったのだ。自分の考え方の根本はこれにつきる。」と言い、数ある著書の中で最も力を入れたものであるとも述べている。このようなことから、『人間を考える-新しい人間観の提唱』は松下幸之助の著書の中でも、その思いがぎっしりと詰まったものであると言えよう。他の著書が、実践的・具体的な分かり易い内容であるのに比べて、抽象的・哲学的で、その著書の中で最も難解なものである。私はこの著書を理解すべく、何度か格闘を試みた。今回、私なりにその全体像を整理した上で、新しい人間観に迫っていきたい。

2 新しい人間観

(1)宇宙

 松下幸之助は、真に人間の本質を明らかにするには正しい宇宙観に基づかなければならないと考えており、その宇宙観を次のように述べている。
「一言でいえば、宇宙に存在するいっさいのものは、つねに生成し、たえず発展しているということです。」
そして、宇宙の本質が生成発展であることから、人間もこれまで、逐次進歩を歩み続けてきたと指摘している。私も幼い頃には、宇宙には果てがあるのか、宇宙はどのように誕生したのか、と見えぬ宇宙に思いを馳せたもので、兄弟、友人と無邪気に宇宙について考え合ったものだが、長じてからは、いつしかそのような事も考えなくなっていた。都会のコンクリートジャングルに囲まれて激務に励む中で、宇宙、地球、自然について考える機会も、余裕も少なくなっているのが、現代人の姿であろう。私も初めは、この生成発展という宇宙観を頭で理解するのに留まっていたが、ある身近な経験を通して、生成発展の宇宙観を感じることができた。

 松下幸之助は政経塾創設の際に、その立地をどこにするのか、ことの他、心を砕かれて湘南の地を選んだと聞く。塾生は塾の外周、茅ヶ崎のビーチなどを、毎朝3キロ程ランニングする。私は入塾時には、烏帽子岩や江ノ島といった遠方の景色に見とれて走っていた。最近、走るコースを伸ばして浜辺の波打ち際をランニングするようになってから、海や浪間の日々の変化に気がついた。潮の満ち引きの加減で、浜辺に残される漂流物も変わってくる、前日やその日の天気、気温によって波の色も異なるし、風の強さによって波の勢いも変わってくる。遠方から見ていた際には変わらぬ大海も、近づいてみるとこんなにも表情を変えるものかと驚いた。幼い頃は、自然に触れる中で当たり前に感じてきた事であったかもしれないが、まさに「地球上においては、変化の姿に、早い遅いや、大小の差はあっても、人間はじめいっさいのものは、たえず動き、変わりつつある。」という万物流転の道理を体感したのであった。

 産業人たる松下幸之助が、何故宇宙にまで思いを馳せることができたのかについては、松下幸之助は大きな苦悩を背負っていたから、哲学者としての思考を持ち合わせていたからなど、様々な理由が思いつくが、私は松下幸之助が宇宙を感じる環境に、自らを置くようにした努力の成果であると感じている。松下幸之助がPHP研究を進めた真々庵を、今年の5月に訪問した。木立から見える山々と空、木々や芝生の青さ、琵琶湖から引いてきた清流のせせらぎ、しっとりと広がる苔のじゅうたんなど、そこには四季や自然を感じ、さらに地球、宇宙を身近に感じることができる場であるように思えた。そのような場に自らを置くようにした意思が、その壮大な宇宙観を産み出すことに寄与したのではないだろうか。

(2)人間の天命

 松下幸之助は人間の誕生について、「当初においては人間が人間を生んだのではなく、自然の理法というものが人間を発生せしめたと考えられます。」と述べている。自然の理法とは何であるのか、『人間を考える-新しい人間観の提唱』では詳細に解説されていないが、PHP総合研究所佐藤悌二郎先生によれば、人間をはじめすべてのものは、宇宙根源の力の働きによってこの宇宙に生み出され、存在せしめられている、というのが松下幸之助の考えであり、この根源という概念は、松下幸之助独自の発想であるという。人間自らの祖先というものをずっとずっと先まで追っていく時に、最後には大きな壁に行きつく。それは、最初に人間を産み出したのは何であろうということだ。この疑問に対して、松下幸之助は宇宙の根源の力が人間を産み出したという解を示し、真々庵、門真本社、PHP総合研究所に根源をまつる社を設置した。根源の社は伊勢神宮を模した造りであり、中には「根源」と書かれたお札が奉納されている。松下幸之助は根源の社へのお参りを欠かさず、悩み多き時は、その前で長い祈り・瞑想をしたという。松下幸之助にとって、根源とは人間を超越した、いわゆる-神-に近い存在であったのであろう。このように、松下幸之助は、従来の宗教や進化論とは異なる考え方で人間を捉えていた。

 そして、もう一つ人間を捉える大切な考え方がある。それは、人間が「万物の王者」としての天命を与えられているということである。松下幸之助は「人間の本質、人間を他の万物いっさいから区別する特質とはどういうものでしょうか。それは、一言にしていえば万物を支配活用する王者としての素質を発生当初から与えられているということです。」と述べている。この考え方を傲慢と感じる人もいるであろう。私も初めて読んだ時には、違和感を禁じえなかった。それは、私が幼い頃に読んだ本の中に、本質的には生命は同一であるということ、価値としては同一である動物や植物の生命を殺生することは罪であるが、人間は生きていくために殺生せざるを得ないこと、という内容が思い出されたからであろう。また、王者や支配という言葉に、戦後教育を受けた者としてアレルギー反応があったのかもしれない。

 今、「万物の王者」という考え方を紐といて見れば
(?)「人間は、みずからの知恵の働きによって、生成発展しつつある万物とそれを動かしている自然の理法を、逐次認識していくことができる本性を持っている。」つまり、自然の理法を認識できるか否かといった点において、人間とその他の生物には大きな違いがあり、同一な存在ではないということ、
(?)「万物それぞれにどのような特質があり、いかなる存在意義を与えられているかということを考え、それを明らかにしつつ、それぞれの存在意義を全うさせるという姿において、支配活用するのでなくてはならないと思います。」つまり、人間は万物を恣意的に扱うのではなく、その力が最大限発揮されるような、万物を導き活かす自然界のリーダーたる役割が与えられていること、と捉えることができる。松下幸之助は、自社の社員に対して、「社員は社員稼業の社長」といった気概を持って仕事に取り組んで欲しいと述べている。このような、誰しもが独立したリーダーとしての気構えをといった考え方は、人間観にも相通ずるものであり、万物の王者とは特定の人間ではなく、人間一般を指していて、人間誰しもが万物の王者であり、王者たる自覚を持って行動すべきであるということになるだろう。特定の人間だけではなく、人間誰しもが王者であるという考え方に、松下幸之助らしさを感じる。

(3)天命を生かす道

 万物の王者という人間の天命を実現するための具体的な方法として、松下幸之助は「本質の自覚」と「衆知を集めること」の2つを示しており、「人間が王者としての道をあゆむために、まず何よりも必要なことは、王者としてのみずからのすぐれた本質を、しっかりと自覚認識すること。」と示している。そして、過去の先人における人間観の中で、人間は罪業深重の凡夫や、人間は罪の子だという教えがあり、「人間はいかに努力しても、しょせんは不幸や争いから逃れられないとするような考え方が通念として生まれてきている面もあります。」としながらも、そのような考え方では、人間の本質が力強く発揮されるということはできにくいと指摘している。人間を否定する考え方(たとえば、環境保全のための最も有効な手段は人間がいなくなることであるなど)もある中で、人間を根本的に肯定し、その役割の自覚を強く促すものである。

 そして次に、人間の偉大な本質を発揮していく上でもう一つ忘れてはならない最も大切なこととして、「衆知を集めること」を示している。何故、衆知が必要なのか。それは、人間一人の知恵には限りがあるためであり、これは万人に異論の無い見識であろう。それでは、衆知とは何か。一般的には「多くの人の知恵」と定義されているが、著書によれば「過去現在を通じてのすべての人間の知恵」だと示されている。そして、「過去現在を通じてのすべての人間の知恵が融合調和されたものが叡智、すなわち真の大衆知であり、その時に人間は万物の王者となる。これに対して、現実の共同生活におけるさまざまな段階の衆知を集めた場合には、これは小王者といってもいいでしょう。」と言い、現在の衆知を集めるのみならず、過去に人間が蓄積してきた知恵をも集めて、大衆知を形成することを求めている。さらに、人が集まり、単にその知恵が出されれば衆知になるというものではなく、個々の利害や感情にとらわれずに相互に知恵を出し合い、真剣に議論して、はじめてそれが衆知となるのだとまとめている。

 私は衆知を集めることは、何も世界全体という大上段に構えるのではなく、家族、職場、地域などさまざまな場において心がけるべきものであると考えている。そのように考えると、衆知を集めるということは日常的である反面で、大変に難しいものである。私が行政マンとしてこれまで見てきた審議会や研究会では、ある一つの立場・利害を代表した委員同士が意見交換をし、報告・提言をまとめていた。しかし、各委員で個々の利害や感情にとらわれていたものはなかったか、本当に真剣に議論していたのかという点を振り返ると、いささか疑問符が付くものも少なくなかった。知恵を集めるだけ集めて、ほったらかしの会議というものも見受けられた。近年、地域づくりなどで公募の市民委員なども含めた委員会・研究会などが盛んになっている。これは、広く意見を聞く、市民が参加するといった観点から大変に意義深いものであるが、その議論の内容は、時に個人的な感情に基づく一方的なものがあり、なかなか有意義な議論ができないことも多いと聞いている。衆知を集める際の各人の心の持ちようが見直されるべき一例である。

(3)衆知を集めるために大切な「素直な心」

 では、松下幸之助は衆知を集めるための各人の心の持ちようについて、どのように言及しているのか。絶えず自らの知恵を高める必要性などにも言及しているが、その基本的な心がまえとして、「素直な心」が大切であると指摘している。素直な心とは、一般の通念では従順であることと定義されているが、松下幸之助が言う素直な心には、独特な意味があり、「私心なくくもりのない心といいますか、一つのことにとらわれずに物事をあるがままにみようとする心」であると定義している。

 しかし、素直な心を実践することはなかなか難しい。私の知り合いの起業家が以前、次のように述べていた。「最高の営業マンは、プレゼンが上手い者では無い。赤ん坊と同じような真っ白な心でお客様に接することができる者である。」。今の私にとって、それは人生で成功する、人間として成功するには、素直な心で物事と向き合う事が大切であると説いていたのだと理解している。卑近な例であるが、私自身多くの場面でこう言われてきた。ある上司からは「津曲君、かっこつけないでもっと素直に報告書をまとめても良いのではないか。」、家族からは「あまり飾らずに素直に表現したらどう?」。もちろん、この文脈における「素直」はありのままにという意味であろうが、それは、私心無くくもりのない心と言い換えることができるであろう。見栄や意地など、様々な個人的な感情で素直な心を忘れてしまうことが多いが、人は素直な心や素直な心で表現されたものを求め、魅了されるのであろう。

 蛇足になるかもしれないが、私はこの「素直な心」というものに初めて接した時に、具体的には言えないが、仏教的な何かを感じたのである。「宗教は素直な心を教えるもの」といった松下幸之助の記述もあり、素直な心は仏教に限らない、宗教全般に関わるものかもしれない。だが、ある松下幸之助の発言では「釈迦の心は、いわゆる素直な心であった。お釈迦さんが尊い修行をされたということは二つの段階がある。一つは、みずから素直な気持ちになって悟りをひらかれた。それが第一段階である。第二段階は、その心をもって森羅万象を見たのである。」としている。今回の検討の中で、素直な心と仏教哲学との直接的なつながりまでは検討できなかったが、素直な心と釈迦の悟りを関連付けている内容からも、素直な心と仏教哲学とのつながりを感じている。

(4)長久なる(長きにわたる)人間の使命

 松下幸之助は「長久なる人間の使命とは、人間みずからのすぐれた本質を自覚し、古今東西の衆知を集めてその偉大な天命をひろく共同生活の上に実践していくところにある。」と述べている。また、「人間がみずからの使命を自覚し、その上に立って素直な心で衆知を集めていくならば、もはや人間がこれまでのように、争いをくり返し、みずから不幸と貧困とを招来するというような姿は逐次解消されて、少なくなっていくでしょう。」と言い切っている。知恵を高めた衆知を集めることに留まるところなく、広く共同生活の上に実践していくと唱えていることに、実践を大切にした実務家である松下幸之助らしさを感じる。

3 人間観の生成発展に向けて

「真に国家と国民を愛し新しい人間観に基づく政治経営の理念を探求し人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献しよう」。

これは、政経塾生が毎朝唱える塾是である。そこには、政治経営の理念は正しい人間観に基づくものでなくてはならないという、松下幸之助の強い意志を感じる。そういった事もあり、今回『人間を考える-新しい人間観の提唱』の理解に全力を挙げた。そんな私の様子を知ってか、松下幸之助について造形の深いある先輩がこう述べていた。
「1年生の時に読んで分かったつもりになっていたが、上級生になって100回読み直して、理解の深さが変わってきた。何度も読み返すべきものである。」
この著書との格闘は始まったばかりであり、読書百遍意自ら通ずと言う。塾生期間を通じて、この著書と格闘し続け人間観に関する理解を生成発展させていきたい。

参考文献

新しい人間観 松下幸之助
リーダーを志す君へ 松下幸之助
社員は社員稼業の社長 松下幸之助
日本と日本人について 松下幸之助
素直な心になるために 松下幸之助
PHPのことば 松下幸之助
松下幸之助全集三十六、四十三 PHP研究所
PHP研究所資料

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津曲俊明の論考

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津曲俊明

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