論考

Thesis

なぜ今狂言がブームなのか

今、若い女性の間で狂言がブームである。先日京都で、邦舞、邦楽、能、狂言の4つの公演が行われた。これは若い人たちに日本の伝統芸能に触れてもらいたいという思いで企画された舞台であった。しかし、邦楽はガラガラ。邦舞、能は客席の平均年齢60歳。唯一狂言だけが若者で溢れ、公演1ヶ月前にはすでにチケットは完売という人気であった。数ある伝統芸能の中で、なぜ狂言だけが人気なのか。
 これには4つの理由が考えられる。まず一つめは、魅力的な若い狂言師の登場が挙げられる。イギリスでシェークスピアを学び、狂言に新風を送り込んでいる野村萬斎氏。現在放映されているNHKの大河ドラマ『北条時宗』で主役をつとめている和泉元彌氏。一家の若手だけでTOPPA!(心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修練磨の会)を結成し、積極的に若い狂言のファンを育成している茂山家の若手狂言師たち。彼らがこの今の狂言ブームの火付け役であることは言うまでもない。メンバーは千三郎氏、正邦氏、茂氏、宗彦氏、逸平氏、童司氏の6人。彼らは狂言界のジャニーズと称され、絶大な人気を誇っている。京都の狂言ブームは彼らが支えているといっても過言ではない。彼らはTOPPAとしての活動だけではなく、個々にミュージカルやドラマに出演したり(例えば、逸平くんは3月まで放映されていたNHKの朝の連続ドラマ『オードリー』に出演)、ラジオのDJをつとめたりと、それぞれの活動を通じても若いファンを獲得している。先日、千三郎氏に話を聞く機会があった。それによると、今現在、20代、30代の狂言師の人数が狂言始まって以来最も多いらしい。何にでも言えることだが、ファンというのは同じ年代にできやすい。若手の狂言師が多いからこそ、自然と若い狂言のファンが多いのである。
 2つめの理由としては、会話を中心にした芸能であるため、他の伝統芸能と比べてわかりやすい、ということが挙げられる。能と狂言、どちらも起源は猿楽である。室町時代に生まれた猿楽がストーリー性を持つようになり、その中で謡と舞を中心とするものが能、会話を中心とするものが狂言、と別れていったのである。何を表現しているのかわかりにくい舞と、何を言っているのかわかりにくい謡を中心にした能は、やはりわかりにくい。その点、会話を中心にした狂言は、言葉がわからずとも演技や表情、声の抑揚などから、ある程度の雰囲気は理解できる。
 また、先の千三郎氏によると、狂言が現代に受け入れられたのは時代感覚が似ていたからだという。狂言が生まれた中世は下剋上の時代。人間関係はかなりドライであった。そのような世相を反映して、狂言の中の人間関係、特に男女関係は平安時代さながらのドライさで、歌1つでくっついたりはなれたりする。それは現代の若者の感覚(特に女性の)に近いものがあるのでは、と千三郎氏は分析する。
 そして最後に私はこれが一番の理由だと思うのであるが、狂言が人間の肯定喜劇だということである。というのも、狂言に登場するのは皆“いい人”なのである。狂言には盗人やうそつきといった悪人が数多く登場するが、どうしても憎めないそれは、彼らが根っからの悪人というわけではなく、現代人である私たちも日ごろの生活の中でふと感じたことのあるような出来心を、理性で抑えられずについ表に出してしまったに過ぎない。そのため、どことなく共感してしまうのである。そしてストーリーが進むにつれて、悪人は罪を悔いて、更正していく。周りの人々もそれを許し、受け入れる。そしてハッピー・エンド。そんな悪人の姿に、観客は自分を重ねる。「あぁ、自分もあんな悪いことをしてしまった。でも彼もこうして罪を認め、改心していく。周りもそれを許し、受け入れている。私もきっと立ち直れる!心を入れ替えて、今日からまたがんばっていこう!」見終わった後、なんとなく自分に自信をもてる。元気になれるのである。その“なんとなく”が今、若者に、いや若者だけでなく日本人全体に必要とされているのである。人間のマイナスの部分も含め、それを人間の自然な姿として肯定していく、そんな狂言の懐の広さが、一人勝ちの秘訣であるように私は思う。
 これはあまり知られていないことであるが、狂言は世界最古の喜劇である。世界中で最も知られているシェークスピアでもその歴史は300年ほどであるが、狂言はその起源を遠くさかのぼれば、1000年近い歴史を持つ。「日本人は面白くない」とか、「ユーモアのセンスがない」などとよく言われるが、そんなことはない。世界ではじめて喜劇を生んだのである。それだけその時代にはユーモアのセンスがあったのである。これがなくなったのは300年間続いた武士道のせいだ、と千三郎氏は分析する。笑うことより、悲しむことのほうが大事にされた武士道、それが今でもしっかりと日本人の精神構造の中に根付き、笑顔は涙よりも下位なものと思われているふしがある。このままではユーモアを取り戻すことはできない。しかし、日本人の中には、狂言を生み、育んだ室町時代の人たちのDNAが残っているはずである。そこに訴えかけつづければ、必ず日本人はユーモアを取り戻せる。千三郎氏は狂言に取り組む思いを、そう語ってくれた。
 茂山家では“笑い”ではなく、“和らい”と書くという。“笑い”の中には、人をさげすむような冷ややかな笑いもあるが、そうではなく、自分自身も和むような“和らい”でありたい。畳の上では日本人が和むように、狂言も、見た人が癒されるような場であってほしい、そのような願いからである。今、日本全体が目標を見失い、人々は不安を感じ、ぎすぎすしている。この日本人の心を和ませ、日本を笑顔で溢れ返る国にする力を、狂言は持っているように私は感じた。
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山本満理子の論考

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Mariko Yamamoto

松下政経塾 本館

第21期

山本 満理子

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