論考

Thesis

最後まであきらめない事の大切さ

 このお正月、小学校の同窓会があった。卒業してはや10数年、初めての同窓会であった。私が通ったのは地元の公立の小学校だったので、ほとんどはそのまま地元の公立中学校に進学するのだが、私は受験し、附属の中学に進学したため、高校で再会した一部を除いては、小学校の友人たちと会うのは10数年ぶり。顔を見ても名前が思い出せない人、名前を聞いても思い出せない人もいたほどだった。今こうして、主に小学校の教育というものを考えるようになった私が、その小学時代をどう過ごしていたのか――、何を考え、何を感じ、どんな友人たちとどんな会話をしていたのか――。懐かしい旧友たちとの会話を楽しみながら、ふとあの頃に思いを馳せた・・・。

 数多くの習い事をさせてもらっていた私は、実は放課後に友達と遊んだとういう記憶があまりない。毎日授業が終わったら家にまっすぐ帰る。着替えてレッスンに出かける。時には親がタクシーで校門の前まできて待っていて、授業が終わった私が飛び乗ってレッスンに直行、ということもあった(その頃はここまでしている子どもはほかにはほとんどいなかったため、自分で振り返ってみてもよくやったなぁと感心するとともに、そこまでしてくれた親に感謝するのだが、今では大して珍しいことではないという現状にはさすがに驚く)。そのため学校以外にも友達がたくさんおり、その分だけ自分の居場所もあり、例えば小学生お決まりの無視だとかプチいじめがあってもさほど深刻な問題にはならないほどに、学校の比重は小さかった。そんな小学時代、私が打ち込んでいたものの一つに卓球がある。全国的な組織だと思うのだが、私の故郷である岡山の小学校にはスポーツ少年団というものがあって、希望する生徒が放課後や休みの日に、小学校のグラウンドや体育館で野球やサッカー、バレーボール、卓球、剣道などのスポーツに取り組むことができた。私は3年生の1年間は少林寺拳法、4年から6年生までは卓球に所属していた。3年間もともに汗を流したということもあって、やはり卓球の友達が一番思い出深い。今でも思い出すのは6年生の最後の試合――。運良く大会開催の当番校にあたったということもあって、親も私たち子どもも、熱の入りようはものすごかった。学校の体育館での練習は週に3回だったのだが、それでは物足りない。そこで私の両親が卓球台を購入、母親の書道の教室に卓球台をおいて、毎日放課後我が家に集まって練習した。そのためにいつも教えてくださっていた以外のコーチをお願いしたほどである。おそろいのジャージまで購入した。そして、その努力は報われた――。

 大会当日、午前中は団体戦、午後に個人戦が行われた。開催校という恩賞もあって午前中の団体戦で私たちは銅メダルを獲得した。しかし実はこの団体戦、4戦あった中で私は1勝しかあげることができなかった。負けず嫌いの私は、その分午後の個人戦で挽回しようと心に決めた。そして運良くベスト8まで勝ち残った。そして準々決勝、相手は毎回メダルを獲得しているような強豪選手であった。不思議だった。何で私がこの人とこんな舞台で対戦しているのだろう・・・。そんな思いのまま試合は進んでいった。私はどこかで満足していた。準々決勝、人々の注目度も違う。まして試合の内容も五分と五分。こんな強い人を相手にここまで戦っただけで十分だわ。その瞬間勝負は決まった。私は最後の最後、完全燃焼することなく、中途半端な負け方をしてしまった。最後まであきらめなければ、気持ちの上で負けさえしなければ、確実に勝てた試合であったのに、何で私は・・・。情けなくて自分が腹立たしくて仕方がなかった。

 時は過ぎて2001年12月――、私は“大風流”の舞台に立っていた。「最後まであきらめずにがんばってきて、本当によかった。」これまでの道のりを振り返って一番に思った正直な気持ちだった。私はこの“大風流”という京都の若者の、若者による、若者のための文化祭典において4つの企画を担当した。ほとんど着物に触れたことのない若者に、着物を着て京都の街を歩いてもらおうという“きものde大風流”、もっと気楽にお茶に親しんでもらおうという“大風流茶会”、ロックとのコラボレーションにより、新しい狂言に挑戦した“Brand-new狂言「Rock三番三」”、そして龍村仁監督「地球交響曲第4番」自主上映会――。どの企画も途中何度も挫折しそうになった。しかしその都度原因はすべて自分にあった。自分の力不足を痛感し、努力不足を反省し、大勢の人に助けていただきながら、ようやくすべてが実現した。例えば狂言――。ロックとのコラボレーションと決まった時には、正直どうなるのかまったく想像できず、不安もぬぐいきれなかった。しかし、出来上がった音源を聞かせてもらって、私は鳥肌が立った。素晴らしかった。そしてそれに舞がついたとき、私は感動のあまり言葉を失った。本当に素晴らしかった。明らかに狂言、しかしまったく古さを感じさせない。大人が見ても子どもが見ても、誰もが口をそろえて「かっこいい」と言う。これこそが真の文化だと思った。その一方でうまくいったとはお世辞にも言えない企画もあった。それでも舞台を観に来てくださったお客様、お茶を飲みに、着物を着に来てくださったお客様、そして何よりも企画に賛同し、協力してくださった大勢の方々、皆さんが「やってよかった。本当にありがとう。」そう声をかけてくださった時のあの笑顔は、一生忘れられない宝物である。青少年育成事業をうたったこの“大風流”で一番成長したのはある意味私なのかもしれない。

 小学校6年生のときの最後の卓球の試合で、勝つことをあきらめて以来、私はどこかで逃げ続けていたような気がする。今回、まったく違う舞台でながら、私はあの時の自分にようやく向き合えた気がする。誰の言葉だったか、「人生は子どもの頃に感じたものを、大人になって、さまざまな体験をすることによって、再確認して歩く旅のようなものにすぎない。」最後まであきらめないということだけではない。今までの人生で体験し、感じたものすべてが、今回の成功を支えている。そのことを痛感した。

 1月より私はある小学校において、子供たちの表現能力を伸ばすプログラムの開発に携わる。いかにして表現能力を伸ばすか、ということはいかにして表現したいと思えるような感情を芽生えさせるか、さらにはいかにしてそれだけの強い体験をさせられるか、ということが大きく関わってくる。そしてそれはその後の人生にも大きく影響してくる。学校の、一つのプログラムでできることは限られているであろう。だからこそ、学校を支える家庭、地域社会とともに、社会全体を見据えたプログラムを開発していきたい。そしてその中で、どんなことも決して最後まであきらめず、地道にがんばることの大切さと、何か一つのことを成し遂げるためにどれだけの人の支えがあって初めてできるのか、ということを子供たちに伝えていきたい。

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山本満理子の論考

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Mariko Yamamoto

松下政経塾 本館

第21期

山本 満理子

やまもと・まりこ

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