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国家観
2007年12月

ハラカ国とポレポレ国 ~グローバル化のその向こう
兼頭一司/卒塾生

幸せってなんだっけ? そんな素朴な疑問を物語風に調理して、経済学風の味付けで、歴史のスパイスをきかせたら、こうなっちゃいました。幸せな方も、そうでない方も、よろしかったら召し上がれ。

 

プロローグ ~島へ来たビジネスマン

 わりと知られた笑い話にこんなのがあります。

 あるビジネスマンが、久しぶりに休みがとれて、仕事の疲れを癒しに南の島へやって来た。そこは本当に空気も食べ物も美味しく、自然豊かでうっとりするような景色に囲まれている。住人たちは、人懐っこく親切で、とても明るい。お酒と談笑が好きで、仕事といえば朝方漁に出かけることだが、その日食べる分だけ取れるとすぐ帰ってきて、日もまだ高いうちからワイワイ始めるという具合だ。

 ビジネスマンは、彼らの奔放さ、無邪気さに魅力を感じながらも、その日暮らしを送る彼らの生き方が、なんだがもどかしくてならなかった。そして3日目の夜についに尋ねてみた。

ビジネスマン 「どうしてもっと魚を獲らないんだ?」
住人 「必要ないからさ。だって明日の分は明日また獲れる。新鮮な方が美味いに決まっている。」
ビジネスマン 「それが馬鹿だってんだ。」
住人 「どうしてさ?」
ビジネスマン 「たくさん魚を獲って、マーケットでさばけばお金を稼げるじゃないか。」
住人 「稼いだお金をどうするんだい?」
ビジネスマン 「それを元手に、投資をするんだよ。」
住人 「投資をするとどうなるんだい?」
ビジネスマン 「もっと効率的に、お金が稼げるのさ。」
住人 「さっきから、お金お金っていうけど、そんなにお金を稼いで、あんたどうするつもりだね?」
ビジネスマン 「そうだな・・。南の島でのんびり暮らすよ。」

 住人たちは互いに顔を見合わせ、不思議そうにこう言った。
「それなら、そんな回りくどいことしなくったって、俺たちは最初からやってるぜ。」

 既に述べた通り、これは笑い話です。笑わないで「あ、なるほどね!確かに!」と言ってしまった人は相当重症です。休みを取って、南の島へ行ってしまいましょう。それでもだめなら、北の大地で頭を冷やしましょう。

 ところで、この島の隣に、まったく同じような島があったとしたらどうでしょう?人口も、面積も、ちょうどおんなじくらいの島です。そして、同じような気候と風土と生活風習の中で、住人たちは同じようなのんびりした暮らしを営んでいたとします。おやおや、そこへやっぱり同じように都会から仕事虫のビジネスマンがやってきましたよ。

 架空の話(おそらく)に、さらに架空のエピソードを加えた新たな物語の始まりです。さて、一体どんな展開が待ち受けているのやら・・・。

果たして、似た顔をもつ二つの島国は、全く異なる運命を歩み始めた。

 さて、元ネタにあった南の島を仮に「ポレポレ国」、その隣の島を「ハラカ国」としておきましょう。

 ポレポレ国にやって来たビジネスマンは、島の住人に軽くいなされてしまった例の一件以来、仕事に追われる毎日で見失っていた豊かさの意味とか、人生の目的といったことについてゼロから考えるようになりました。風の噂では、しばらくのちに会社を辞めて田舎へ移住し、農業を始めたそうです。有機肥料で体にいい野菜を作っているらしいですよ。もちろんポレポレ国の住人たちは、相変わらず、その日の魚を取って食べて飲んで歌って、スローな日々を楽しみながら暮らしています。そんなポレポレ国にビジネスマンが最初にやって来たあの当時、実は海を隔てた隣のハラカ国にも別のビジネスマンがやって来ていたのです。

 では、しばらく二つの島国の物語にお付き合いいただきましょう。

 そのビジネスマンは、久しぶりに休みがとれて、仕事の疲れを癒しに南の島へやって来ていた。そこは本当に空気も食べ物も美味しく、自然豊かでうっとりするような景色に囲まれている。住人たちは、人懐っこく親切で、とても明るい。お酒と談笑が好きで、仕事といえば朝方漁に出かけることだが、その日食べる分だけ取れるとすぐ帰ってきて、日もまだ高いうちからワイワイ始めるという具合だ。

 それを見ていたビジネスマンが例によってこう切り出すのである。

「なんで魚をもっと獲らないんだい?」
それを聞いた住人は、笑って答える。
「何でもっと獲らなきゃいけないんだい?そんなに食べられないさ。獲るだけ無駄だろう?」
ビジネスマン 「馬鹿だな、それを市場に持ってって売るのさ。」
住人 「市場で売るだって? そんなものは、この島にはないよ。魚なんてものはこの島のどこの浜でも獲れるし、山のもんは野菜をもってきてくれて、お互い必要なものを買うだけさ。物々交換みたいなもんだ。それでみんなが食べられて誰も困らないんだからいいんじゃないか?」
ビジネスマン 「だから馬鹿だってんだ。島の中に閉じこもって何も見えてないんだな。相手にするのは、島の連中じゃない。世界だよ! いいか? これだけ豊かな漁場を遊ばせとくのはもったいない。ここで獲れたものを外国へもって行けば、もっと高い値段で、飛ぶように売れるんだ!」
住人 「・・・。」
ビジネスマン 「そこで稼いだら設備投資だ。浪費はいけないぜ。でかい船を買って、もっとたくさんの魚を獲りまくるんだよ。冷凍設備も必要だな。たくさん獲れるときに獲って冷凍して、魚が獲れなくなって値段が上がったときに売りさばくのさ。人間の頭は使うためにあるんだぜ。」
住人 「・・・なあ、あんた。わしら何も困っちゃいないんだ。なんで、大変な思いをして働いて余分な魚獲って、さらに面倒なことに、そいつをわざわざ外国にまで持ってって売んなきゃいけないんだ?」
ビジネスマン 「おいおい、おいおい。お前たちは心底馬鹿だな。え? 本当にわかんないのか?あきれたもんだな。金に決まってんだろ。マネーだよ、マネー。」
住人 「金、か・・。あんたたち外国からやって来るやつらは、二言目には金、金っていうが、金ってのはそんなに大事なもんかね?」
ビジネスマン 「あったりまえだろ、馬鹿!世の中動かしてるのは全て金の力なんだぜ。」
住人 「あんまり馬鹿馬鹿言わんでくれよ。金をかせいでも、わしらにゃ使い道がわからんのだ。」
ビジネスマン 「ふふふ・・。そうだよな。考えてみりゃ、生まれてこのかた、こんな世界の果てみたいな島から一歩も出たことがないってんだから無理ないよな。よし、俺様がこれからそれをじっくり教えてやるよ。いいかい? 世界は、あんたたちが知ってる世界がすべてじゃない。いや、むしろあんたたちは世界から取り残されている。こんな生活で幸せと思っているのは、あんたたちだけだぜ。井の中の蛙もいいとこだ。いいか、俺たちの国では、みんなもっと立派な家に住んで、いい車に乗って、きらびやかなショーや映画を見て楽しんでいる。食事だって、世界中の色んな食材を使った毎日違う料理を食べられるんだ。チャンネルを回せば、世界中のあらゆる情報がはいってくる。それらのすべてが、お金で手に入るんだよ。好きなときに、好きなところへ行けて、好きなものが食べられる。好きなことができる。お金で手に入らないものはない。"Money is all. All is money." だ。いいか、女だって、とびきりのいい女が・・・・」

 ビジネスマンはひたすら話し続け、延々5時間半に及んだ。聞いている住人のほうも、最初は、「本当にお金というものが万能なんだろうか?」とか「ほんとうにそんな生活が幸せなんだろうか?」とか疑問の目を持ちながら聞いていたのだが、ビジネスマンの怒涛のような話に圧倒されて、そんな疑問もかき消されてしまった。さらに長時間じっとしていることに慣らされていない彼らは極度の疲労で目もうつろになってきた。そうして、おばあちゃんが無圧布団の購入契約書にいつの間にかハンコを押してしまうかのごとく、その男の主張することが至極全うに思えてきたのである。

住人 「ああ、わかった。たしかにあんたの言うとおりかもしれない。わしら世界を知らな過ぎた。俺たちは馬鹿だった。俺たちは、なんて貧しくて、つまらなくて、不便な暮らしをしてるんだろう、って気がしてきたよ。わしらも、あんたのいうような、贅沢で、いろんな楽しみがあって、便利な生活をしてみたい。」
ビジネスマン 「そうかい。そいつは俺も講義した甲斐があったってもんだ。」
住人 「でも・・・。」
ビジネスマン 「でも、なんだ?」
住人 「やっぱり、わしらにゃ無理だよ。」
ビジネスマン 「おいおい、ちょっと待てよ。なんで、そうなるんだよ?」
住人 「わしらには、そんな生活をしたくても、どうやってお金をかせげばいいかわからん。魚を獲ることができても、どうやって売ればいいかもわからんのだ。」
ビジネスマン 「なんだよ、そんなことか・・。よしよし、そんなものは俺がなんとかしてやる。あんたたちの前にいるのは世界一級の商社マンだぜ。あんたたちのタダ同然の魚を、黄金にかえてやるよ。」
住人 「へえ!?魚が黄金に?そんなことができるのかえ?赤とか青とかの魚はここらの海にゃいっぱいいるけど・・」
ビジネスマン 「馬鹿だな、泳いでる魚が生きたまま黄金に変色するわけじゃない。巨大な流通マーケットがあんたらの魚を金に変えてくれるのさ。それにはブランド作りも大切だな。PR戦略がカギになる。」
住人 「?????」
ビジネスマン 「ははは・・・。大丈夫、大丈夫。心配するな、俺にまかしとけって。俺の手にかかりゃ、ちょちょいのちょいだ。魚だけじゃないな。農産品も売ろう。野菜よりも果物の方が高く売れるから、畑は全部果物に切り替えよう。木材もたっぷりあるな。ブルドーザーを森に入れれば効率よく伐採できるから、当面の稼ぎにはもってこいだな。そうそう。このひと気のないビーチだって、腕のいいカメラマンに写真撮らせて、有名コピーライターにキャッチフレーズつけさせりゃ世界中から金ヅルたちがバカ面下げて集まってくるぜ。そのときに備えて、おバカなリッチどもに受けそうな名物料理とみやげ物、高級ホテルも必要だな。ようし、忙しくなるぞ・・・」

 こうして、ハラカ国の住人たちは、一人のビジネスマンの手に未来を委ねた。それまで長い間ずっと続けてきたスローな日々に別れを告げる決心をしたのである。

ハラカ国、世界へ。

 その後のハラカ国のたどった道はこうだ。

 ビジネスマンは、帰国し、さっそく自らの所属する商社において、ハラカ国の観光や産業の開発を計画する。自国で、大きなポジションを占めるその商社は、政治的にも影響力を持っており、国費からハラカ国へ向けての多額の政府開発援助も引き出すことに成功した。もちろん、その開発による利益は、この商社にたっぷりと還元される。かくしてハラカ国は、市場経済という世界システムの中に組み込まれていく。

 ハラカ国の浜辺は半分がリゾートとして開発され、やしの木より高いものは何一つなかった島の沿岸に、高級ホテルの建設ラッシュが起こる。そして浜辺のもう半分は、埋め立てられ、防波堤やテトラポットで囲まれた立派な港湾設備を備えた漁港や、物資の海外輸送のために加工工場や大型倉庫と直結した貿易港などが着々と出来ていった。

 豊かな原生森は、安価な木材供給源として次々と切り開かれ姿を消し、かつて森のあった場所には、安い労働力を提供する工場として、新たに世界企業が続々と進出してきた。しかもそれらの工場建設が、前述の政府開発援助によって賄われるのである。進出企業も、ハラカ国政府の役人たちも大いに喜んだ。

 島の住人たちは、今までほとんど気にすることもなかった「お金」の魅力にとりつかれる。

 ホテルに港に道路に工場にと、どの建設現場でも人は慢性的に足りなかったし、出来上がったホテルや工場でも同様で、今まで家庭内の仕事を受け持つことの多かった女性や、少年たちも駆り出されていった。そうして、育児や家事といった家庭の仕事は、我々の国で当たり前に利用するのと同様の、それらを専門に代行するサービスに取って代わられる。それまで、島でその日その日にとれたものが並んだ食卓は、輸入された食材をつかった加工食品や外食チェーンでの食事へと変化していた。仮に仕事が早くに終わって家で作ろうにも、近海で取れる魚は商品としてほとんど全てが外国へ行き、地元に流通するものも大半がリゾート客向けの食材となり、価格的にも分量的にも庶民には手が届かなくなってきている。野菜にいたっては、商品用の果樹栽培への切り替えがなされたため、高級ホテルやレストランの間でも争奪戦であり、庶民は新鮮な野菜をほとんど目にしなくなった。かといって工場やホテルへ勤める人々が、かつてのように庭で野菜を育てるなどということをすることもない。新鮮な地元の旬の食材は手に入らなくなったが、金さえ出せば食べるものには困らない世の中になったのだ。

 そのお金も、島の誰もが面白いように稼げるのだ。次から次へと出来てくる店や会社のどこもが、人手が足りなくて困っている。おかげで島の人たちは、より楽な仕事で、より高い給料を得られる仕事を選ぶことが出来る。その結果、企業は労働力確保のためにどんどん賃金を上げてゆく。住人たちが何もしなくとも、給料のほうが勝手に上がってくれるのである。

 最初は、自転車を一台手に入れただけで大喜びをしていた島の人々は、洗濯機や冷蔵庫、自動車と、次々に便利で快適な道具を手に入れていった。テレビやラジオなどの情報メディアも充実してきた。「夢」が、向こうから「現実」となってやって来たのである。

 一方その頃、お隣のポレポレ国ときたら、相変わらずのその日暮らしを謳歌していたのである。

祇園精舎の鐘の音

 イソップ童話の「アリとキリギリス」であれば、ここで話は終わります。働き者のハラカ国は栄光のドリームを手にし、怠け者のポレポレ国は世界に取り残されてしまいました。「皆さん、懸命に働いて競争社会に勝ち残るのですよ。そうしなければ、ポレポレ国の人のように惨めな一生に終わりますよ。」という教訓です。

 ところが、現実は(現実ではないのですが)そうはなりません。この先があるのです。

 日の出の勢いと思われたハラカ国に、徐々に影が忍び寄ってくる。

 まず最初に起こった問題は、環境汚染である。コストを重視した工場の排水処理や排気処理の不備等により、水質、土壌、大気の汚染を招き、島の人々の健康や農林水産物の生産などにも甚大な被害を及ぼし始める。

 住民は、国、企業を相手取って訴訟を起こし、両者の間に大きな溝ができる。やがて和解が成立し、それまでの生産効率一辺倒の姿勢を改め、環境配慮のための処置を企業に義務付け、行政にその監督責任を負わせる法律ができたが、お互いの不信感は拭えぬまま溝は残った。一方で、企業にとっては、生産コストの大幅増加につながった。

 環境問題は、工場による汚染問題だけではなかった。木材輸出や工場建設のために大量の木を伐採し、森を切り開いていったことにより、山の水源涵養機能や土壌保全機能が衰え、しばしば渇水で川が干上がったり、大雨の日には洪水や土砂崩れ、土石流の被害が起こるようになった。いずれも森が黒々とあった当時には、ほとんどなかった災害である。当然、農作物生産にも大きなダメージを受けた。またあれだけ豊かだった漁場も、森の運んでくれた栄養分がなくなって魚の数も種類も激減した。もはや農業も林業も漁業も、人的コスト増も手伝って、この国の主要産業ではなくなってしまったのだ。

 それでも、工場労働など企業のもたらす収益により、食糧は外から輸入し続けることができた。ところが、それもずっとは続かなかった。

 高い経済成長と、国民をあげての所得の大幅な向上により、便利な道具の数々も手にいれ、生活にもお金にも余裕がうまれてきたハラカの人々は、やがて、余ったお金を不動産や金融商品などに投機するようになる。お金がお金を求めて移動するという資本の流動化が常態化する。

 しかし、その過程で、投機の過熱が実体経済との乖離を生み、何気ない不安材料をきっかけに投機熱が一気に冷却し、バブルがはじけて経済に大打撃をおよぼすことになる。一瞬にして、企業は多大な債務を抱えることになり、金融機関が自己防衛的に貸し渋り、貸しはがしを行うことで、事業面で好調と思われる企業すら倒産の憂き目にあう。関連する企業の連鎖倒産を呼び、金融機関の多くの債権が不良債権化していくという悪循環にはまり、企業の生産活動と金融システムは機能不全に陥ってしまった。

 ハラカにはグローバル企業にけん引される形でたくさんの国内企業が存在していたが、それらの倒産が相次ぎ、町に失業者があふれ始める。

 しかし、今やハラカ国の給与水準は国際的にみても高い位置にあり、グローバル企業にとって、人的コストや環境コストの高いハラカ国での工業生産はほとんど旨みがなくなっている。

 ハラカの経済危機に伴い、外国資本の企業は、早々にハラカから撤退。この島に富をもたらすきっかけを作ったあのビジネスマンもアフリカのどこかに新たな開発ターゲットを見つけて躍起になっているとかで、とうの昔にここにはいない。国内の企業でなんとか生き残ったものも次々と生産コストの安い海外へと拠点を移していった。

 ハラカ国政府は、失業対策、生活者保護などの福祉対策、景気浮揚のための財政政策などの予算を緊急に組んだが、公共事業による景気刺激の効果はほとんど見られず、あとに残ったのは莫大な財政赤字である。

 しかも、景気が回復しないため税収はのびず、少子高齢化によって社会保障費を中心に歳出圧力が一層高まる傾向にあり、財政の健全化のめどが立たない。

 束の間の栄光に酔いしれたハラカの人々は、一転、出口の見えない暗闇をさ迷い歩くことになる。

 それでも、時流をつかんだIT長者など、進行するグローバルな消費市場、金融市場においては、不況の中でも巨万の富を手にする成功者が現れはしたが、大半の人々がそんな成功とは無縁の、極貧生活へと落ちて行った。かつての総中流社会が嘘のような格差社会の到来である。

 それでも昔のハラカであれば、近隣の者同士が助け合ってなんとか生き抜いていたのであろうが、都市生活化の浸透で、もはや助け合うようなコミュニティの結びつきもなくなってしまっている。個人主義、競争主義の社会では、助け合うどころか、自らが勝ち残ることこそが至上命題であり、その結果、人と人の間にあった強い信頼は、疑念や嫉妬に取って代わられ、お互いがねたみ合い、攻撃し合う対象となって、何かといえば摩擦が生じ、相手の責任追及と自己の権利の主張ばかりが繰り広げられた。ジリ貧の行政に対しても、様々な要求をするだけで、自分たちの力で何か改善策を講じようという動きもなかったし、そんなことができるとも思っていなかった。

 やがて、自治体が次々と財政破綻し、企業が集中する中枢都市と地方の格差も進行していく。

 あれほど明るいバラ色の世界に思えていたハラカの社会は、もはやお互いの不信感や将来への不安感の渦巻くギスギスした社会になってしまった。人々は働く意欲を失い(働こうにも働き口がないのだが)、若年層を中心にニートやひきこもりが増えた。助けを求めたくても求め方のわからぬ人々の多くが、自ら命を絶っていった。競争や効率ばかりが求められる極度のストレス社会は、子供にも深い翳を落とし、陰湿ないじめや子供による凶悪な事件も横行してきた。果ては、親の子殺し、子の親殺しや残酷な猟奇的殺人事件などかつてはほとんど見られなかった恐ろしい出来事が、連日のようにニュースとして流れ、もうそれらを耳にしても誰も驚かないか、あるいはむしろ新たな刺激として求めているかのような空気が世間に漂っている。まるで、人間社会が人間という生命体によって形作られているということを忘れてしまったかのような、とても無機質な世の中である。

 この島にかつてあふれていた人々の笑顔は、今はもうない。

 その頃、お隣のポレポレ国はといえば・・・。
やっぱり、相変わらずのその日暮らしを謳歌していたのである。

センタク

 二つのとても似通った島国の、全く異なる運命についての物語は、一旦ここでおくとします。

 私はイソップでも市原悦子でもないので、ここで、アリとキリギリスのどちらが偉いかとか、ウサギとカメはどっちが得をしたかとか言うつもりはありません。便利さや効率性ばかりを追いすぎると大事なものを見失うとか、自然をないがしろにするとあとでしっぺ返しを喰らうとか、そういう類のことも今回伝えたいこととはちょっと違います。

 ただ、今回の作り話は、まんざら全くの空想物話でもないであろうということは言っておきたいと思います。むしろ、現実に目の前で展開されていることそのものだと言っても過言ではないのではないかと私は思うのです。

 モノとサービスの生産と消費を前提とする市場のグローバリゼーションは、その本源的性質として、より安価な労働市場を求めて、まるでそれ自身が意思を持っているかのように移動し続けます。最初は安い労働力や資源の提供地として、やがて生産力のもたらす経済力向上による消費地として、農業経済的な社会、半自給的な伝統的生活文化を維持している村落社会を、次々に市場経済に完全に組み込みながら、グローバル資本は拡大、増殖を続けていくのです。

 金融自由化により、もはやグローバルマネーは、国境など関係なく自由に飛び回り、企業、不動産、農産物、エネルギーなど、ありとあらゆるものに、目に見えぬ権利を設定し、目に見えぬところで、売ったり買ったりしながら、別のマネーを吸収していきます。また、我々人類の生命活動自体が、多大なエネルギーを使いながらグローバルに増殖していきます。

 現在の市場のグローバル化の流れ、金融資本の絶大なる支配などは、ひょっとしたら、人類の歴史における必然の流れなのかもしれません。しかし、この生産と消費の拡大を前提とするグローバルな成長は、やがて限界を迎えることになるはずです。

 安価な労働市場を提供してくれる新たな外部を失った時、新たな消費市場を失った時、つまり新たなフロンティアを失った時に、市場のグローバル化という開拓民は行き場を見失って徘徊するでしょう。フロンティア消失の衝撃は、新技術によるイノベーションや新たなライフスタイルの提案などで吸収できるものでありましょうか?

 また、巨大な金融資本は拡大すればするほど金融市場の支配力を強め、弱小資本を吸収し続けます。その終焉の姿として、ごく少数の、ブラックホールのごとき巨大資本による市場支配という構図が現れるでありましょう。

 現在のエネルギーが、化石燃料という有限の資源に依存している限り、必然的にその利用は限界を持っています。食糧も、水も、気候ですら、増え続ける人間の、等比級数的に拡大し続ける消費に耐え切れそうもありません。

 資源の枯渇した時、食糧や水や気候が人間の消費をまかなえなくなった時、我々はどのような選択をするのでしょうか? その未来の選択肢は、その選択の時期が到来するまで考えなくてよいのでありましょうか?

 その選択を真に迫られるのは、私たちよりもむしろ、私たちの子や孫の世代なのでしょう。そして、その選択肢のどれもが、おそらくは非常に困難な選択肢なのです。それを困難にしたのは、私たちでしょう。今私たちが選択をしないことによって、その困難はますます大きくなる一方です。

 私たちは、自分に火の粉がふりかからないからといって、将来世代に起こる困難を見過ごしてよいのでしょうか?しかも、その困難は自分たちの残した負の遺産なのです。

 いえ、そのように人道的な問題に仕立てて是非を問う前に、私たち人間とは、そもそも、そのようなことが出来る生き物なんでしょうか?

 幸いなことに、その答えを確かめる前に、実際に世界のほうから崩れ始めています。市場のグローバリゼーションは、まだ終末段階といえないかもしれませんが、少なくとも我々日本人は、多かれ少なかれその予感を肌で感じているのではないでしょうか?

 国境を越えて移動する資本は、コストの高い日本から、まず生産機能を海外へと移し、産業の空洞化を生みました。これが崩壊の序曲ではありましたが、しかし、日本人自身が資本の蓄積の当事者であったため、海外資産の運用や、グローバル企業による新たな生産・消費フロンティアの開拓のもたらす莫大な利益は、少なからず我々に還元されていたのです。

 しかしながら、バブル経済の崩壊を契機に、その状況は大きく変容し、資本のいびつな偏在化が進行します。ひょっとしたら、もともといびつだったのに、いびつに見えていなかっただけかもしれません。

 ともかくも、市場のグローバル化は、富の集積をも、かつての日本にそうしたように、新たな市場へと移し換えていくのです。これは、過去のヨーロッパの凋落を見るまでもなく、資本主義経済の宿命と言えます。

 いたって自然の流れなのですが、あたかも、グローバル競争の中で、日本の能力が劣ってしまったかのような誤解を持つ向きがあります。これは能力の問題ではなく、地域間の市場経済発展の時間差を利用したグローバル経済システムの構造上、必然的に先に発展した地域の生産条件が相対的に不利になっていくという成行きなのです。にもかかわらず、競争力を高めようとして、自由市場を強化しようとする。結果、一部の勝ち組企業を除いては、より体力を消耗していくのです。

 一億総中流と言われた日本の社会構造は、このようにして、格差ある社会へと変質していくのであります。格差を生じさせるな、とか、疲弊しきった多くの負け組企業を救済せよ、とか述べることはここではいたしません。ただ、少なくとも眼前において、そのような状況が、必然の現象として生まれつつあり、これは逃れられそうもない。そして、多くがその当事者となろうとしているのだ、ということです。そして、その当事者となってしまえば、将来へ先送りするという選択肢はもはやなく、一足お先に自分たちのためてきたツケを支払うことになるのです。

 市場システムだけではありません。資源、エネルギー、環境、食糧などが、巨大金融資本のマネーゲームによる相乗効果も手伝い、実際に生産活動や生活に支障をきたす問題にまで発展しています。遠い先のつもりが、今の問題になり始めたのです。

 改めて申し上げますが、これは「教訓」話ではなく、現実における「選択」の、しかも今まさに突き付けられんとしているところの「選択」のお話です。私たちは選択を迫られているのです。では、どのような選択肢があるのでしょうか?

 市場のグローバル化に限界があると述べると、単なる資本主義社会の否定と捉えられて、すぐに共産主義を思い浮かべるかもしれません。そして、そこから連想するのがソ連邦の崩壊による冷戦における東側諸国の資本主義経済に対する完全な屈伏でしょう。そこに流れるものは、過去の遺物と化した社会主義思想への侮蔑と嘲笑でありましょう。

 しかし、と私は思うのです。過去の遺物という世間の常識があるからといって、オルタナティブの選択肢から排除するべきではない。もし排除するのであれば、せめてその事由たる瑕疵を指摘せねばなるまい、というわけです。

共産主義はなぜ葬り去られたのか?

 共産主義社会が我々の意識の中から完全に死せるものとして置き捨てられたのは、ベルリンの壁の崩壊に続く、東欧社会主義国家ならびに本家・ソビエト社会主義共和国連邦の瓦解においてでありましょう。当時、私はベルリンの壁の上に人が登り、レーニン像が台座から無残に引きずり下される映像を見て、その背景にあるものを考えることもなく、ただ手放しに歓喜したものであります。「ああ、これで東西冷戦の陰鬱な時代は終わった。我々はやはり正しかったのだ。資本主義社会に勝る社会などありえないのだ」と。

 しかし、よくよく考えてみたら、私は(おそらく私を含む多くの人々が)、西側資本主義陣営に敗れ去った東側社会主義陣営の社会がどんなものであって、どういう理由で敗れ去ることになったのかなんて、まるで考えてもみなかったのです。いえ、考えたつもりではあったかもしれませんが、それらは実際には、はなから社会主義体制を悪と決め付けた刷り込みによる偏見であって、自分で客観的に分析したものではありませんでした。

 随分後になって、あれは何だったのだろうと振り返ってみましたら、自分がいかにメディアや政治や教育に踊らされていたかが見えてきました。

 つまり、我々が東側諸国の社会体制を悪そのもので早々に遺棄すべきものと考えた理由の数々、たとえば、その物質的な貧しさや技術の後進性、大衆文化の活気のなさ、デザインの野暮ったさ、あるいは、表現の自由の規制、抑圧された人々の表情、粛清、果てしない軍備拡張、などといったものの一つ一つを冷静に見てみると、共産主義、社会主義というイデオロギーとは、何ら直接の因果関係を持たないものなのです。

 しかも、それら悪の諸行としてあげられるもののほとんどが、実際にそれらの国々へ行って確かめたものではなく、メディアの報じる断片的で恣意的なイメージのつなぎ合わせとしてのものであり、さらには自分たちの住む消費社会を絶対視した上に成り立つ一方的な価値観のフィルターを通して見たもの見方でもあります。

 かといって私は共産主義、社会主義のイデオロギーを擁護しようというつもりでもなく、ましてやソ連邦を頂点とするロシア革命以降冷戦終結までの社会主義を標榜する国家群の社会システムを擁護する気などはさらさらありません。

 ただ、それらの国家群の崩壊した理由は、イデオロギー自体とは別の問題であるということであり、そこを見落とすならば、つまり、一つの社会実験の失敗を理由に、その社会実験のベースになった考えに関係するもの全てを完全に否定、排除、無視するような抑圧的な進み方をするならば、非常に危険であると思うわけです。

 実験が失敗したのであれば、実験のための仮説そのものをいきなり否定してしまうのではなくて、なぜ失敗にいたったのか、それは仮説自体が誤りだったのか、それとも実験のやり方がまずかったのか、ということを検証しておくことが必要だと思うのです。でなければ、我々は違う形で似たような質の失敗を繰り返してしまうことでしょう。

 そして、私は今、ソ連をはじめとした20世紀の社会主義国家群は、仮説そのものよりも(仮説自体も多少無理があったかもしれませんが)、実験のやり方がまずかったのではないかと考えるようになっています。もっと言えば、実験は、実際には仮説を実証するアプローチにすらなってなかったのでは、とさえ思うのです。つまり、20世紀の自称共産主義、自称社会主義国家の数々は、実は共産主義国家でも社会主義国家でも何でもなかったのではと考えさえするのです。

 その議論を展開するには、社会主義や共産主義の定義は、あまりにもバラバラで漠然としすぎているのですが、少なくとも、ここでは、それら社会主義を標榜した国家群の実態と、実験失敗の本当の理由を明らかにしておく必要があると思います。

三つの失敗

 20世紀の社会主義国家が犯した第一の失敗は、単純化の失敗であると私は考えます。これは、ソ連型社会主義国のみならず、前提とされるマルクス社会主義全般に通じても言えることかもしれませんが、資本主義の弊害を、資本家(もしくは資本)と労働者(プロレタリアート)の階級対立に単純化して集約しすぎたということです。

 グローバル化が最終段階に行きついて生産と消費の市場フロンティアを失い、巨大資本と無産者との二極分化が決定的になり、無産階級が非情な被搾取状態になったとしたら、そのような状況も想定できるかもしれませんが、現在をも含むグローバル市場経済の発展・拡張段階においては、一局面での被搾取者が、別の局面では搾取者に成り得るため、単純二項対立へ集約しづらく、またいくつかの対立の実現しているケースだけをとってみてもそのケースごとに事情が異なり、これらを結び合わせることは難しいのです。

 例えば、ある企業(ある特定の生産現場と言い換えてもいいかもしれません。)において、資本家と対立する関係にあるはずの労働者の利害が、(競争関係にあるなどの)別の企業の資本家と対立する労働者の利害とトレードオフの関係にある場合、両者を結ぶ連帯は考えられにくい。同様に、同じ企業内であっても、低賃金で労働力を提供し、労働の機会を奪う危険性のある移民労働者や海外拠点の労働者は、かつて日本移民が米国の労働者に排斥されたように、(連帯どころか)排斥される可能性すらあるのです。

 さらに、資本主義社会のもたらす搾取や対立は、必ずしも資本家と労働者の間におこるものとは限らず、性差、民族、地域、学歴など様々であるように見えます。

 このような状況においては、マルクスの目指した世界社会主義革命に向けた連帯はおろか、ソ連型の一国社会主義革命のための連帯すらも実現は難しいのではないでしょうか。現に、ロシア革命は、資本主義の浸透していない半農本社会ロシアで起こったのであり、労働者階級が資本に対抗したと言うよりも、圧政に対するクーデターの意味合いの方が強いのではないでしょうか?

 でも、それらのこととは別に、私はこの革命理論に違和感を禁じ得ません。つまり人間はひとりひとりが別の顔を持ち、それぞれが生きる道を追求しているのであって、すべて押し並べて型にはめることは出来ないにもかかわらず、そのように一律に捉えてしまっていることに対する違和感です。もっとも、それは社会主義経済理論だけに限らず、ケインジアンや新古典派など他の多くの経済学派のおいても、同様の違和感を抱いてしまうのではありますが・・。

 第二の失敗は、画一化の失敗です。第一の失敗に少し似ておりますが、前者が、現状の問題のとらえ方における単純化の失敗であるのに対し、こちらは、アプローチの単純化の失敗と言ってもよいでしょう。つまり、生産手段の共有と利益の分配という、社会における生産システム面だけを考慮した社会システムのあり方に問題があったのではないかということです。資本主義社会における生産システムを、そのままそこだけを取り出して、労働者の支配する社会の中に持ってきた。しかし、結局モノの生産ありきでは、その供給先を調達せざるを得ない。国内の、あるいは社会主義国圏内の地域間格差を利用し、結局内部の中に外部を作って搾取する構造が生まれてしまうのです。これでは、もはや共産主義でも社会主義でもなく、国家独占資本主義と呼ぶべきものではないでしょうか?

 しかも、そのように管理されて生産された生産物は、需要からだんだんと乖離していくものであり、人間本来の多様性を抑圧され、変化を許さない社会では、エネルギーは沈滞していかざるを得ません。さらに輪をかけて、労働力や知識・技能を強制調達するシステムでもあるわけで、自発性が抹殺されて、動機づけの低い、悶々とした社会にならざるを得ないのです。

 そして、三つ目は、大規模化の失敗です。生命活動の多様な要素を捨象して単純化してしまい、その単純構造の論理の上に、画一的な社会システムを構築し、それを大規模に運用・管理することで、無駄を省き、効率的な生産活動、行政運営を図ろうとしました。しかしながら、絵に描いたそのシステムを実際に構成するのは、機械ではありません。一人一人独立した意志も感情もある生身の人間なのであります。

 大規模な分業化システムの中では、資本主義社会におけるそれと同様に、個々のプレイヤーは全体の目的が見えづらく、その結果、個々の自発性や効率化努力が阻害されて、無駄や怠惰が生じ、マネジメント側には搾取しようとする誘因が働きます。しかも、資本主義社会と異なるのは、自由度、柔軟性を欠くため、自己浄化やリビルドが起こりにくいことです。ここに腐敗と権力化が生まれることになります。

 そもそも企画者である政府の見通しに誤りがあれば、無駄どころの騒ぎではありません。オプションを許さない大規模な計画経済に身を委ねてしまうことは、国民をもろとも破滅の淵へ突き進ませる危険性と、常に隣り合わせであることは自明の理でありましょう。

 以上のように、20世紀の社会主義国家は、前提となる理念それ自体に瑕疵があったというよりも、その分析と実践のアプローチに絶対的な欠陥があったのであり、その結果、本来、その理念が目指すべき公平、平等、協働、調和というような理想とはまるで逆の、搾取による権力構造と腐敗の状態化の社会が生まれたのであります。

顔の見える社会

 とすると、私たちには、一体どのような選択肢が残されているのでしょうか? 原始共同体のように、文明を排除し、完全な自給自足と血縁と地縁による家族社会を目指すのがよいのでしょうか? 我々の生活は、今や科学文明の影響を抜きにして成り立たず、全てを捨て去って原始社会へ回帰することなどは土台無理な話でありますし、そこまでする必要もまたないでしょう。

 しかし、何度も申し上げるとおり、現在の生活をそのまま続けることもまた無理な話でありまして、つまり、その中間点に落とし所を見つけるしかないと思われるわけです。

 科学文明の瑕疵を、またさらなる科学文明の発展により克服するということは、あるいは可能かもしれませんが、人間の精神性までは、科学文明が修復することはできないのではないでしょうか? そう考えますならば、生きることを基本において、人間と人間、人間と自然が有機的に結びついていた原始共同社会というものも、回帰する必要はなくとも、改めて学ぶ点は意外に多くあるような気がします。

 市場の媒介機能や、科学文明の補助機能を活かしながらも、原点は、「生きる」ということにあることを忘れない社会。これが私たちの取るべき選択肢なのではないでしょうか? 平等や公平とは、均質なものを生み出す顔のない社会ではなく、人として生きることの平等、公平でありましょう。つまり、お互いの違い、多様性を認めた上で、お互いを思いやり、譲り合い、協調することで生まれる平等であり、公平であります。

 そのためには、それぞれの生き方を理解し、それぞれの生き方や能力、持ち味を活かすことのできる社会づくりが可能であることが条件でしょう。 つまり、顔の見える社会でなくてはいけません。

 そう考えるならば、画一的で大規模な社会システムでは無理で、小規模な地域社会に依らざるを得ないのではないでしょうか? 自己の意思決定と社会の意思決定が非常に近い位置にある地域社会であれば、モラルや透明性、自浄作用が担保されやすいのです。

 また地域社会では、自然資本や社会資本、生産手段などを共有し、共同で働きかけ、利益を分配するという、かつて社会主義経済論者や革命家が謳い、実際には成し遂げられなかった一連の行為が、実現しやすく、また実現することの意味が明快かつ強いのです。戦後日本が進めてきた中央集権による行政意思決定の地域住民からの剥奪や、受益と負担の乖離が解消されるならば、地域社会ほどそれらの行為がムダなく有効に機能する形もないだろうと思われるし、実際に、多くの農村共同体においてかつてそのような営みがなされていたのであります。日本における結(ゆい)や道普請、入会地の管理といったものがその代表でありましょう。

 かつてのそれらの地域共同体機能は、工業生産と金融の支配する資本主義経済の浸透と外部への拡大の過程で、ほとんど消えてなくなってしまいました。それは、前述したとおり、人類の歴史の抗い得ぬ流れなのかもしれません。

 資本主義経済の膨張の過程においては、我々は、地域共同体の箍を外れ、自己の利益追求を主体とする個のプレイヤーとして自由に飛び回りました。社会は、そのようなバラバラの個の集合体へと変容したのです。バラバラの個を、企業を始めとする経済的利益の効率的吸収を目的とした利益共同体がところどころで束ねるということをする一見有機的な社会です。

 しかし、果てることのないと思われていた資本主義経済の外部拡大も限界に達しようとする今、企業など、市場拡大を前提とした経済利益追求の20世紀型共同体は崩壊を始めています。仮に全壊を免れようとも、これらの共同体は、利益追求という共同体存在目的をより鮮明に打ち出し、共同体の構成員は、自然その目的にいかに貢献できるかという機能性だけを強く求められるようになります。言い換えれば、これまでの生産効率の向上を前提とする生産競争の中にあっては、個々の構成員は、機械のパーツのような性格を一層強めていくものであろうし、それはいつでも新しいものに取り替えられる可能性をもっているのです。かといって、そのような企業行動を責められるかというと、そうでもないように思われます。先細りの資源と市場を食い合いプレイヤーだけがやたらに増えていく後ろ向きなサバイバルレースに勝ち残るためには、そうせざるを得ないのであり、むしろ同情に値するものです。これは、我々が神格化し、信奉し続けた自由主義市場経済の当然の帰結なのです。

 そのような人間の顔を無視せざるを得ない社会においては、自由だったはずの個々のプレイヤーたちは、顔を失い、居場所を失って、ただ彷徨してしまうことになるでしょう。自由主義のパラドックスともいえる現象がここに起こるのです。

 その皮肉で非人間的な世界を救うのが、地域共同体の再構築という選択肢なのではないでしょうか? ローカリゼーションを議論に持ち出すと、これだけグローバリゼーションの進行した中で、抗いようのない流れに抗おうとする空論であるという批判が必ず出てまいります。しかし、そのような二項対立的な批判ほど、本質を見ない空論はないでしょう。自由に、人、モノ、情報が行き交うボーダーレスな世界であればあるほど、そこに生きる人間は、自己のアイデンティティを大切にしようとする。自己を育むバックグラウンドとして地域との結びつきを求める意識はますます強まるのではないでしょうか。

 そして、そのようなアイデンティティを確立し、自立した地域コミュニティが、今度は、グローバリゼーションがもたらしたシームレス化を逆手にとって、グローバルに連携し、融通しあっていくことこそ、新たな時代のローカリゼーションの形ではないでしょうか?

 さらに生産技術や生活技術という切り口で、歴史を俯瞰しても面白いことが言えるかもしれません。すなわち、あらゆることを人間の手を通して、あるいは自然に働きかけることで、生産し、生活をつむぎ出してきた人間の営みの時代は、市場のグローバル化という大きな地殻変動の中で、大量生産、大量消費を背景とした急速な技術革新を生み出す時代へと変化した。やがて、大量生産、大量消費が終焉を迎えて、それらの生み出された技術が、今度は、地域の生活に密着し、生活の質を高めていくために還元されていくという流れが読み取れるのではないかということです。

 つまり、この先にある、人間の生きる基本に立ち返った社会づくりのために、これまでの市場のグローバル化や化学文明の発達の歴史が過渡的に存在したと言っても良いのではないかと私は思うのです。そう考えると、今、まさに目の前に選択を突き付けられたこの状況が、なんだかワクワクしたものに思えてくるのです。

 ところで、ハラカ国は、その後、どうなったのでしょうか?
少しだけ、その様子を覗いてこのお話を終わりにしたいと思います。

エピローグ ~二つの国

 経済も、環境も、共同体も、日々の生活の希望すら破壊されてしまったハラカ国には、もはや風前の灯火と呼ぶのもはばかれるほど、灯火らしき熱も光も見当たらない。

 町は荒れ果て、表には人通りもまばらで、わずかに見受けられる地元住民と思しき人影も、健康状態に何かしら支障をきたしているか、そうでなくとも、その表情には絶望の色を浮かべるのみである。

 船や飛行機の定期航路も廃止され、定期便以外の就航もほとんどない。<「この島にやって来る者などない。それを待つ人間もない。そうさな、やって来るといえば、あとは死がやって来るだけさ。」と、住民の間で、誰が誰に言うでもなく呟き合っていたそんな頃、一つの事件が起こる。

 その日は、珍しく少し肌寒さが感じられた。昼下がり、ひと気のなくなった貨物港に、スクラップの山をあさっていた少年の叫び声が響き渡った。
「船だー、船が来たぞー!」
「船!?」
船が行き交うことがなくなっていたこの島の沖合いに、船が現れた。しかも、一つや二つじゃあない。確かに大きさはといえば、ちょいと風が吹けば飛ばされてしまいそうな小船で、随分のんびりしたスピードではあるのだが、次から次へと雲霞のごとく沸いてきて、みるみるうちにハラカの島の東岸一帯を覆い尽くしてしまった。

 噂を聞きつけたハラカ国の住人達が、続々と東岸に集まってきた。つぎはぎだらけの帆に描かれた国章はどれも、紛れもないポレポレ国のものだった。ハラカ国の住人たちは固唾を飲んでその光景を見つめている。ポレポレの船から、長老らしき人間が、何人かの供を連れ、慇懃な姿勢でハラカの島へ上陸した。慌てて誰かが叫んだ。
「ポレポレ国の旦那方。わざわざ来てもらってなんだが、ここにゃあもう、盗る物も支配に値する土地も、何もありゃしませんぜ!」
長老と思しき人物は、笑ってこう答えた。
「何を言うとるんじゃ。ワシらは、あんたらに食いもんを届けに来たんじゃ。」
それを聞いたハラカの住人たちは、皆一様に驚いた。
「一体なんでだ?」
「ワシらの島にの、あんたらの島から逃げてきたちゅうやつらが、大勢おるんじゃよ。ここんとこ特に増えとる。増えとるちゅうても、ろくな舟ものうて、食うものも食わずに来るんじゃから、命からがらよのう。実際、途中で海に沈んでいく仲間も随分おるそうじゃて。そりゃ、気の毒なもんじゃったから、ワシらはそいつらを介抱してやって、元気になったら、ワシらの島に住むも良し、出て行くも良しと思うとった。じゃが、それにしても、次から次へとやって来る。皆、逃げてきたちゅうとるが、一体何から逃げてきたんじゃ?島に怪物でも現れたのか?それとも戦さか?では地震か?と聞いても違うと答える。じゃあ、何じゃ?と尋ねるんじゃが詳しくは分からん。詳しくは分からんが、じっくり聞くうちに、島にあった便利な鉄の車も、銭を生みだす工場も今は何の役にも立たず、とにかく皆、食うに困っとるっちゅうことは分かってきた。それならば、一刻の猶予もならんということで、皆総出で、野菜や果物や、木の実や穀物を収穫し、魚を獲って、島の舟という舟を集めてやって来たというわけじゃ。ほれ、見てみい。」

 ハラカの人たちが、その老人の指差す方を見ると、浜辺に寄せられたポレポレの船のそこここで、沢山の食糧が積み込まれていることをアピールするように、それぞれの手に持ちきれんばかりの魚やバナナの山を高々と掲げるポレポレの水夫達の活き活きとした笑顔が見えた。やがて、それらの物資が、ポレポレの男達の手で島に陸揚げされて行った。その日のうちにはほとんど飢餓状態にあったハラカの島の隅々に、当面の食糧が行き渡った。

 さらに、同行したポレポレの女達によって炊き出しが行われ、ハラカの人間とポレポレの人間が入り混じって、三日三晩陽気に歌い踊り明かした。ハラカの住人達がとうに忘れてしまった、そしてポレポレの人間たちが今も大事に守り続けている、ゆっくりだが豊かな空気がハラカの島に流れた。

 四日目の朝、ポレポレの人間は自らの島へ帰っていったが、その後もポレポレから食糧の支援は継続された。

 ただ一方的に支援し、支援されるという関係ではなかった。ポレポレの人間が、ハラカにやって来たり、ハラカからポレポレへ学びに行ったりする形で、ハラカの人間たちが忘れてしまった種々の作物栽培を土作りから始めたり、コンクリートをひっぺがえしてポレポレ人と一緒に育てた苗木を植えて森を再生していったりしながら、ハラカがもう一度自らの意思と力で自立するためのチャレンジが、始まったのだ。

 ポレポレの船がやって来て三年目の秋には、ハラカ人自身が育てた麦でパンが作られるようになった。やがて、再生した森から養分が海へと運ばれ、魚たちが戻って来、またハラカの海に漁をする男達の姿が見られるようになった。

 ハラカ国とポレポレ国との交流は、その後も続いた。ハラカ人は自活できるようになったお礼にと、収穫物だけでなく、外国人達が残していった機械を使って洋酒や洋菓子を作って届けた。ある時は、太陽や水や風からエネルギーを生みだす発電装置なども提供した。ポレポレ国の住人たちは、大変喜んだが、それらの便利な道具も決して必要以上には使おうとはしなかった。ポレポレ人は、何事においても、足るを知るということを重んじたのである。

 ハラカの人々も、農業や漁業において、必要以上に収穫しようとしないポレポレ人たちのやり方をきちんと守った。

 自活できるようになって何年目かの秋、ハラカ人とポレポレ人の共同収穫祭の折、あるハラカ人が、ポレポレ人の長老にこう尋ねた。
「なぜ、あの時、あんたらは俺たちを助けたのかね? わざわざ海を渡ってやって来て。」
「なぜも何もない。隣人が困っておったら、助けるのが当たり前じゃよ。」
「だって、俺たちを助けても、なんもアンタらの得にはならんじゃないか? むしろ、損ばっかりだ。」
「ワッハッハッ!お若いの、そう損得ばかりで物事を考えなさんな。人間は、損得勘定だけで動くとは限らんもんじゃよ。フフフ・・。それにな。いずれは返ってくるもんじゃて。目の前ばっかりで見とったら、こっちが損したじゃの、いやこっちの方がちょっと得じゃとなるが、長い目で見たら、どうしてこうして、ちゃんと帳尻が合うようになっとるのよ。ようできたもんじゃ。どっちにせよ、ワシやアンタの知恵も及ばん長い長い時間の中の話じゃがな、ガハハハハ!!」
「しかし・・・」
ハラカ人は言葉を詰まらせ、苦し紛れに継ぎ足した。
「アンタたちは・・、アンタたちはそれでいいかもしれないが、俺たちは助けられっぱなしってわけにはいかねえ。どうにかしてでも、この借りは返すぜ。」
「ほうほう、お若いの、威勢のいいのはいいことじゃが、まあ、落ち着きなされ。貸しも借りもありゃあせん。ワシらがアンタらで、アンタらがワシらじゃったとしても、同じことをしなさっておるわい。お互い様、じゃよ。ワッハッハ・・」
長老の高らかな笑い声が、祭りの賑わいの中へと溶けていった。空がどこまでも青い日であった。

2007年12月 執筆
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