論考

Thesis

『「禁煙」を「新しい人間観」と「武士道」で紐解く。 その二 』

人間はなぜ「葛藤」し、「葛藤」にどう向き合うべきか。そのヒントを「新しい人間観」と「武士道」に求めたシリーズ第二作。

 同題の前稿を書いてから、随分時間が経ってしまった。

 少し裏話をすると、レポートは外部の先生方にチェック、アドバイスして頂くのだが、前稿をとある先生(私の敬愛する某出版社S役員)に見ていただいた際に、温かくも厳しいご指摘をいただいた。有難くも、お時間を割いて仔細に及んでチェック頂いた(先生、本当に有難うございます。)のだが、どの点もわかりやすく納得のいく内容だった。ご指摘は、表現や表記の問題から論旨に踏み込んだものまで多岐に及んだが、中でも最も重要なポイントが、「生成発展」のための「葛藤」の題材として、禁煙は伝わりづらいのではないか、という点にあったかと思う。

 「いたたたた」私は胃のあたりを撫ぜ回した。何せ、着想の始点に戻る話である。ちょっとやそっとの修正の話ではないのだ。しかし、なるほど、ご指摘の通りなのである。なるほど、でも、いたたたた、なのである。

 しかし、立ち直りの早いことが数少ない取柄の一つである私は、「何、お時間を頂いて、ゆっくり組み立て直せばよいのだ。」と気をとり直して、とりあえず幸之助塾主の『人間を考える』も、新渡戸さんの『武士道』も本棚の奥のほうに(※筆者注:安全を確保する目的で)、そっとしまっておいたのだが、そんなある日、友人から、突如、衝撃の告白を受けた。

「『禁煙』読んだよ。」

 底知れぬ不安がむくむくと沸き起こってくるのを感じながらも、気丈を装い、その悪魔の使者のような友人に尋ね返してみた。

「何のこと?」

 不安は的中した。私の「ゆっくり組み立て直し中(厳密には、ゆっくり組み立て直し準備中)」のレポートは、S先生の骨折りをも私の磐石なはずの計画をも嘲笑うかのように、知らぬ間にWorld Wide Webの網の上を漂っていたのである。

 S先生に対する非礼に胸を痛めながら(先生、本当に申し訳ございません。)、しばらく空(くう)を見つめていた私は、それでもなんとか気を取り直し(なにぶん立ち直りの早いことが数少ない取柄でして)、「ま、なんとかなるだろう。」と、幸之助塾主の『人間を考える』も、新渡戸さんの『武士道』も、しばらくは本棚の奥のほうに(※筆者注:安全を確保する目的で)、そっとしまったままにしておくことにした。(ま、早い話が開き直りです、はい。)

 しかし、時間は無常に流れる。「生成発展」を繰り返しながら、とめどなく流れ行くものであることは、前稿を読まれた読者諸賢であれば大方お分かりのことと思われる。そして、そのことが何を意味するかも読者諸賢はお察しのことであろう。そう、人間観レポートの第二稿の提出期日がやって来たのである。

 そこで、私は初めて自らの犯した失敗の愚かしさに気づくことになる。「禁煙レポート」は、次稿に続くという予告の形で締めくくられているのである。つまり、その自らが課した足かせに従えば、「禁煙」という妥当でない題材を、そうと知りながら、二回連続で書かなければならないことになる。

 立ち直りの早さにかけてはちょっとうるさい私も、さすがに、このときばかりは弱り果てた。弱って、弱って、弱った末に、あることに気づいた。心の中の幸之助塾主が囁きかけたといっても過言ではない。

「あのな、君な。これも一つの『葛藤』やで。つまりな、『生成発展』のための大事な一過程や。」

 そうか! 私は、目から鱗の落ちる思いで、犬井ヒロシ(サバンナ高橋)のブルースの旋律にのせて口ずさんだ。

「前回の予告のこと忘れたふりして全く違うこと書いてしまうのか、それとも、S先生の指摘のこと忘れたふりして禁煙のこと書いてしまうのかは・・・葛藤だああ!!」

 私は、三たび立ちあがったのだ。「心の中の塾主、有難うございます。」

 私は、心の中の塾主によって新たに課せられた「葛藤」を楽しむことにした。もちろん苦しむのでなければ「葛藤」ではないのだが、その苦しみをも、楽しんでしまうのだ。カズラや藤の絡まった茎を解きほぐすことを喜びとするのだ。なぜなら、それは生成発展の重要なプロセスだからだ。

 と、ここまで考えて、あることを思った。

「克己に秀でた武士たちの感覚も、この『苦しみを楽しむ』という境地に似たものではなかったのか?」

 私は本棚の奥から、安全を期して厳重な保管状態にあった二冊の本を取り出した。少し埃を被ってはいたが、企図どおり安全に私の手元に戻ってきた。

 さて、『武士道』である。
 新渡戸稲造の手による『武士道』(原題 ”Bushido: The Soul of Japan” )は、言わずと知れた世界の名著であり、昨今、内外でその再評価が高まりつつあるので、くどくどしい説明は必要ないのであるが、この名作の書かれた背景は興味深く、現代日本の閉塞感を打ち砕く一つのヒントとなるような気がするので、あえてなぞってみたい。

 新渡戸の『武士道』は、明治32年(1899年)に、アメリカにおいて刊行された。当然ながら英文である。(私が後生大事に保管してあったものは、当然ながら英文、ではない。)
 なぜ英文で、外国において、書かれたのか?

 新渡戸の手による序文によると、日本人は宗教教育なしにどのようにして道徳教育をなしうるのかという外国人からの質問がきっかけで、日本人の道徳規範について考えるようになり、外国人の妻からの再三にわたる同様の質問が、新渡戸を執筆にまで駆り立てることとなったという。

 明治の開国により、日本人のおっかなびっくりの国際化、近代文明化が始まり、いかに外国と対等に渡り合って、外交と通商によって富国強兵を図ろうとも、長い間、世界の果てのまたその果てにすっこんでいた日本と日本人を、外国はなかなか信用してくれない、あるいは一人前として扱ってくれはしなかった。新渡戸が『武士道』を書いた維新後30年を経た当時にあっても、状況は劇的には変わっていなかったと思われる。ただ、誰もがいまだ眠れる獅子と恐れをもって見ていた清の軍隊を、猿に毛が生えたくらいに(猿はもともと毛が生えているので更にとなると相当剛毛になってしまうが)しかとらえてなかった日本が打ち破ったという驚きは、大半の西洋人において、決して小さいものではなかったはずであり、その奇跡の理由がどこにあるのかという問題は、彼らの興味の範疇に多少なりとも入っていたに相違ない。

 新渡戸は、そのような状況を、外国にあって身をもって体感する中で、外国人の言葉の端々に仄かに漂う侮蔑の匂いと、日本人に対する誤解や訝りをもった目に、もどかしさや煩わしさを感じていたのではないであろうか。西洋人の疑問に答えるばかりではなく、鼻を明かしてやりたいと思う気持ちがあったように思えるのは、下衆の勘繰りであろうか。

 新渡戸が意図したか否かに関わらず、結果は鼻を明かすものになったといってよい。新渡戸の書は一躍ベストセラーとなって、アメリカのみならず、イギリス、ドイツ、ポーランド、ノルウェー、フランス、中国など世界各国で版を重ねたのである。

 のみならず、いたるところで大きな評価を得て、重要な局面で日本を助けるツールとなった。日露戦争の調停におけるセオドア・ルーズベルト米大統領の例が顕著に表しているだろう。矢内原忠雄は、「その功績、三軍の将に匹敵する」と讃えたが、まんざら間違いでもあるまい。

 新渡戸の著作の成功という事実に、私は大いなる関心を抱く。
すなわち、新渡戸による序文にもあるように、西洋の道徳律は、キリスト教に負うものである。そのキリスト教の道徳世界に生きる西洋人が、前述のごとく、珍奇な日本人の活躍に対する興味を抱いていたにせよ、なぜ、現代にまで「Bushido」という名をとどめておくほどに読まれたのか。考えてみれば、著者の新渡戸自身も札幌農学校でクラーク博士の(間接の)薫陶を受けた紛れもないプロテスタントである。(もちろん、武士道の道徳律の中で幼少期を過ごしてきたとはいえ。)

 プロテスタントの精神には、武士道との共通点が多いという。
 質素倹約を旨とし、自立・自助・勤勉・正直を重んじる自己確立を養成するものであるというのだ。

 ここで思うのは、自己を確立し、人の倫にもとらぬ生き方を目指すという点においては、道徳というのは、世界共通に受け入れられる性格のものでありそうだ、ということである。

 そう考えると、神の名や多少の習慣の違いなどというものは、本来乗り越えられるはずのものであり、宗教が異なれば価値観の衝突が起こり争いを生じしめるという現代における常識は、単なる思い込みに近いのではないかとさえ思えてくる。

 であるならば、現代世界の「文明の衝突」といわれる宗教を盾とする争い、いわば全人類レベルにおける「葛藤」や相克も、共通の道徳観念をもって克服しうる、あるいは、衝突しあう二つの価値を共に覆いつくす大価値というものを提示しうるのではないか、と希望を持ってしまう。

 そんな世界レベルの「生成発展」に思いをはせつつ、再び『武士道』の背景へと話を戻す。

 新渡戸の『武士道』は、日本においても、明治33年に英文版、明治41年には日本語訳版も刊行され、多くの目に触れることになる。いわば逆輸入だ。日本の文化を外国人が先に評価し、それによって日本人が目を向けるという現象は、今も昔も変わらずあるらしい。

 当時の日本は、前述の通り、西洋列強に伍さんとし、必死に近代文明を取り入れ、富国強兵、殖産興業をスローガンに西洋化を推し進めていった。武士階級が忽然と消えてから、三十年ほどが経過しようとしている。

 日本人は、西洋の文物、近代文明と共に、そのベースである近代合理主義をも吸収していく、そんな時代である。

 新渡戸は、社会の道徳規範たる武士階級の不文律を失った日本人が、西洋の近代合理主義を、西洋の倫理基盤であるキリスト教なしに受け入れるとどうなるのか、ということを非常に危惧していたと思われる。単なる功利主義、拝金主義が横行して人心が頽廃していくことを恐れていたのではあるまいか。

 そう思わせるフシが、『武士道』の最終章となる「武士道が日本人に遺したもの」という稿に散見される。

 たとえば、「武士道の終焉」として、廃刀令を引き合いに出しながら、武士階級を「労働することなく人生を送る恩恵、安上がりな国防、男らしい感性と英雄的な行動の保護者」と茶化しながら、激流のように日本人を呑み込んでいく近代合理主義化の流れを「『理屈ばかりの詭弁家、金儲け主義、計算高い連中』の新時代を鳴り物入りで迎えて」いると痛烈なばかりに揶揄している。

 西洋人と同じ宗教観を抱き、西洋人の妻を持ち、西洋に暮らした新渡戸が、西洋人に向けて西洋の言葉で書かれた著書の中において、なぜ西洋諸国に栄華をもたらした近代合理主義を批判するような言葉を執拗といえるほどまでに並べる必要があったのか。

 私は、新渡戸が、確かに外国人の日本人に対する理解や信用を生むという効果も考えたかもしれないが、本当に望んでいたのは、日本人自身に己の生きる姿をふり返り、人の生きる道を照らし出すきっかけを掴ませることではなかったかと思い始めた。武士道という日本人自身が築いてきた大いなる財産に気づき、自らの意思で人の倫に踏みとどまり、またそのことを、日本人としての誇りと感じさせたかったのではないか。

 であるならば、最初から日本語にて書けばよさそうなものであるが、それは新渡戸一流の鋭利な感覚で、先に西洋において評価されることによって日本人が気づくという逆輸入の法則を見抜いていたからではないのか。自らもプロテスタントである彼は、武士道が西洋人にも充分通用する道徳規範であることを知っており、わざわざ遠まわしにも見える芸当で、己が同胞の行く末に警鐘を鳴らしたのではないかと思えて仕方がないのである。

 それらは、新渡戸氏のいない今となっては確かめようのないことであり、また、私の憶測が万が一にも当たっていたとして、その「日本人自身への警鐘」という狙いが、実際に功を奏したのかどうかは測りようがない。

 ただ、一つ感じることがある。
この合理主義に基づき、利益や効率ばかりを追い求め、挙句の果てに、自分自身の生き方を、自らの心のよりどころを、社会の基礎たる人の倫を見失っているという、新渡戸の危惧した混迷の状況は、どこか既視感を伴いはしないだろうか。

 そう、まさにこの現代日本がそうであると思うのであり、新渡戸の『武士道』の提示は、数十年前に幸之助塾主が日本の将来を憂えて「新しい人間観」を提唱したことに、驚くほど符合している。いわば、新渡戸の『武士道』は、明治における『人間を考える』であり、『人間を考える』は、現代の『武士道』と言い換えても良いだろう。

 もし、新渡戸の整理した江戸封建時代の不文律である武士道が、現代をも貫く普遍的な人の倫であったとしたら、近代合理主義で塗り固められた効率人間の現代人にとっては新しく感じる「新しい人間観」も、実はかつて先人たちがこつこつ築き上げてきたものに相通ずるものなのではないだろうか。

 新渡戸著『武士道』は、武士道という言葉の定義たる第一章に始まる。武士道は、武士の守るべき掟、ノーブレス・オブリージュであり、教育された道徳的原理であるという。行動様式についての共通の規範であり、また自分が不始末を犯した場合の最終審判の基準であるといい、勇猛果敢なフェアプレーの精神がその根本にあるのだという。

 武士道の源流を説明する第二章では、仏教の与えた影響から展開している。江戸の武士階級の倫理規範の基礎を築いたとされる山鹿素行ら朱子学ではなく、仏教から論が展開されていることに私は少し驚いた。新渡戸によれば、「仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心をあたえた」という。具体的には「危難や惨禍に際して、常に心を平静に保つことであり、生に執着せず、親しむこと」であるらしい。禅の影響についても言及し、禅の目的が「あらゆる現象の根底にある原理について、究極においては『絶対』そのものを悟り、その『絶対』と自分を調和させることである」と述べ、禅の教えが一宗派の協議を越え、この「絶対」を認識しえた者は誰でも、世俗的なことを超越して「新しき天地」を自覚することができるのだと新渡戸は言うのである。

 どこか塾主・松下幸之助の唱えた「新しい人間観」を連想させはしないだろうか。
新渡戸の言う「絶対」とは、「新しい人間観」における万物の生成発展を司る「自然の理法」であり、それと調和することによって、世俗的なこと、つまりは塾主の言うところの「個々の利害得失、智恵才覚へのとらわれ」を超越できるのである。しかもそれは「『新しき』天地」の認識だというのだ。

 もしそうだとしたら、つまり江戸期のサムライみんなが、そんな「新しき天地」なんてものを認識していたとしたら、彼らはハナから「新しい人間観」を備えた人種だし、そもそも禁煙ごときで葛藤に悩むような奴らじゃないなという思いが芽生えつつ、先を追った。

 仏教で与えられなかったものを「神道」が補ったという。「主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝心など」であり、それによって、もとは「傲慢だった」サムライに「忍耐心や謙譲心」を植えつけたというのだ。また神道は、キリスト教と異なり、「原罪」という教義がなく、人間の魂の生来の善良さ純粋さを信じ、神社に鏡が置かれていることに象徴されるがごとく「人間の心」に神性を見出すのだという。それは人間に対し、心を平静に澄んだ状態に保ち、自分自身を内省することを教えている。さらに神道の自然崇拝は、先祖の霊の神聖な住処として国土を慕わせ、日本民族の愛国心と忠誠心に大きな影響を与えているとも述べている。武士道に、教義としてよりも情念として大きく作用しているとする。

 であれば、仏教はその教義と情念の両方を包み込む宇宙観として作用しているのだろう。だからこそ、新渡戸は最初に仏教を引き合いに出したのだ。

 もう一方の「教義」の方は、「儒教」が担っている。このことは新渡戸の言及によらずとも多くの日本人の知るところである。

 しかし、ただ教義を知識として知っているだけでは駄目で、それが行動に表れる「知行合一」こそ、武士道のめざすものである、と新渡戸はこの章を締めくくっている。

 そして、新渡戸が武士道の中でも最も重要な根幹をなす、いわば骨格に当たる徳目と位置づける「義」について述べた第三章を皮切りに、「勇」「仁」「礼」という孔孟の教えを源泉とする教義について、例をあげながら具体的に述べていくのである。

 ほうほう、そうでなくては、この先まだ当分の間葛藤と闘わねばならない我々現代人の道標にはならないではないか、と思いつつ、ページをめくるのだが、最も大切だとする「義」ですら、意外なほど簡潔にのべられている。

 細かくは引用しないが、義は「人の道」であり、「正義の道理」である。簡潔すぎて逆に理解に苦しむところがあるのだが、これこそまさに合理主義的思考による理解を超越した絶対的価値といったもの、理屈ぬきの正しさ、というものではあるまいかとも思う。

 「勇」は勇気と忍耐、「仁」は慈悲の心、「礼」は仁・義を形にあらわすこととなる。
これらの説明を述べたのち、第七~九章において、武士の大切にするものとして、「誠」、「名誉」、「忠義」をあげ、武士に二言の無いこと、名誉を命以上に重んじること、個人よりも公を重んじること、しかしながら忠義とは決して良心を奴隷化することではないということなどについて言及している。

 さらに第十章においては、武士の教育のあり方に話が及んで、「知性」よりも「品格」を重んじ、「頭脳」よりも「魂」を育てることに重点が置かれたことを述べている。特に金銭への執着はそれらを妨げるものして蔑み、経済的理由からではなく、節制の訓練として、堕落を導く贅沢の廃絶を画して倹約を奨励したのだという。

 だから武士は「逆境にも屈することのない、高邁な精神の厳粛なる化身」であり、「鍛錬につぐ鍛錬によって完成された、克己に生きる模範」であったわけである。

 克己については、続く第十一章において更に掘り下げている。「不平不満を言わない忍耐と不屈の精神を養い」、「他者の楽しみや平穏を損なわないために、自分の苦しみや悲しみを外面に表さない」ために常に心の平静を保つ訓練がなされるのだ。

 その克己の象徴的なトピックとして、第十二章では「切腹」を取り上げているが、ここで面白いのは、死を軽んじることは死を恐れることと同様に不名誉なことであり、むしろ「あらゆる艱難辛苦に、忍耐と正しき心を持って立ち向かい、耐え」ることこそ、武士道の教えであったということだ。「真の名誉とは、天の命じることをやり遂げるところにあ」るのである。

 さすがに生死の問題に真で話が及んでくると、文章にも、読む者を圧倒するような迫力が備わってくる。

 その死生観と同様の精神が、刀について述べた次章にも見られる。刀は、武士道にとって、「魂と武勇の象徴」であるが、危険な武器をもつことによって、逆に、それを自制することの出来る「自尊心と責任感」を養うものであり、刀をむやみに振り回すことは、卑怯で臆病な行為とされたのである。その奥に「武士道の究極の理想は平和である」という精神が隠れているのである。

 以下、新渡戸の記述は、武家の女性の役割、民衆への伝播(武士道が大和魂The Soul of Japanとなる過程)、維新後30数年を経た当時にその武士道がなお息づいているのかについて、そして、これからの日本人に対する警鐘とも言うべき、既述の最終章へと連なっていくのだが・・・。

 すべてを通読した時、私は新渡戸の悲痛な叫びが耳にこだましていくような感覚に襲われた。

「新渡戸さんは、俺たちに向かって訴えている。」

 武士道に表されている武士の生き方は、資本主義社会に生きる現代の我々にとっては、まるで御伽噺で、現代社会の水にはとうてい抵抗力を持ち得ないと思えるものであろう。

 しかし、と私は思うのだ。
今こそ、この純粋すぎるくらいに純度を高めたこの武士の生き方、理屈を、利害を超越した正しい心への忠誠が、武士道精神が必要とされているのではないのだろうか。

 人類に課せられた宿命である「葛藤」とうまく付き合っていくためのヒントを探して、今回の探求は始まった。

 「葛藤」による苦しさをも楽しむ軽妙な武士の姿を『武士道』の中に見つけようとしたが、そこから浮き上がってきた武士の表情は、そのような生易しい物ではなかった。そこに見たのは、すべての「葛藤」をも呑み込んで、常に心の状態を一定に保ち、澄みわたらせておくことのできる、マイナスイオン制御付き空気清浄機のような姿だった。

 しかし、同時に、この途方もなく純度の高い生き方が、現代に生きる我々にも、その気になれば出来るのでは、という気もするのである。
根拠はない。だが、数代前の日本人に出来ていたことなのである。
「自然の理法」にかなうことであるならば、出来ることなのであろう。

 新渡戸の記した『武士道』には、禁煙のあり方に関する具体的な示唆はなかったが、その代わり、禁煙と格闘する者も、禁煙などハナからする気のないヘビースモーカーも、タバコなんぞ見たくもないと思う人も、みんなひっくるめて全てのさまよえる現代人の生き方に対する処方箋があった。

 ご先祖様が遺してくれた「新しい人間観」の実践方法である。

Back

兼頭一司の論考

Thesis

Kazushi Kaneto

兼頭一司

第26期

兼頭 一司

かねとう・かずし

株式会社空と海 代表取締役/海賊の学校 キャプテン

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門