論考

Thesis

「新しい人間観」を、早く「新しくない人間観」に変える一つの方法

幸之助塾主が呈した社会の問題提起と「新しい人間観」に描かれた理想の社会像は、数十年を経た今も色褪せることがない。その千里をも見通す眼に感嘆しつつも、そんなに長く新鮮さを感じさせてるこの社会って一・・!?理想を理想に終わらせぬため、現代の「教育」に筆者が噛みついた!

1.賞味期限の話

「わが国は戦後、経済を中心として、目をみはるほどの急速な復興発展をとげてきた。そして、今や一面に世界をリードする立場にまでなってきたのである。しかしながら、日本の現状は、まだまだ決して理想的な姿に近づきつつあるとは考えられない。経済面においては、円高をはじめ、食糧やエネルギーの長期安定確保の問題など国際的視野をもって解決すべき幾多の難問に直面し、また、社会生活面においては、青少年の非行の増加をはじめ、潤いのある人間関係や生きがいの喪失、思想や道義道徳の混迷など物的繁栄の裏側では、かえって国民の精神は混乱に陥りつつあるのではないかとの指摘もなされている。これらの原因は個々にはいろいろあるが、帰するところ、国家の未来を開く長期的展望にいささか欠けるものがあるのではなかろうか。」

 これは松下政経塾の設立趣意書の冒頭部分であり、起草者は塾主・松下幸之助である。書かれたのは昭和54年1月22日となっているが、この日付を、最近の流行に乗じて少々改ざんさせて頂く。やっぱり皆さんお怒りになるだろうか?

 いやほんの少々、たったの28年と10ヶ月ほど日付を延ばすだけである。
いかがだろうか? 世紀をまたいだ平成の今の世に日付を置き換えてみても、意外に賞味期限切れの印象を与えないのではないか?

 敢えて、ちょっと切れちゃってるかもしれないと思わせる部分をあげるならば、「世界をリードする立場に」のあたりであろうか?もっとも、そこはあまり切れてほしくない部分ではあるのだが、今や中国、インドなどの、これまで途上国であったはずの国々が、政治、経済、科学技術などの分野において発言力を高め、存在感を増し、それとは対照的に日本の影はここのところ薄れ気味だ。かといって欧州におけるEUのように、全身整形でおばちゃんが若返ったかのようなドラスティックな変貌ぶりも期待できないので、このまま地味な存在へと埋没していくのだという半ば諦めの声も、新橋あたりの立ち飲み屋ではちらほら聞こえたりする。

 とはいえ等比級数的に規模を拡大する大量生産、大量消費に地球環境が耐え切れなくなってきていることを考えると、地味な存在と言われようが、盛者必衰と揶揄されようが、「あの人は今?」みたいな感じで懐古されようが、思い切ってペースをスローダウンする選択をして、もっと違う豊かさを追求していくことができたならば、逆にそれこそ、これからの世界の中で求められるリーダーとしての役割ではないかとも思うのであるが、その議論はここでは置いておく。

 ともかくも、経済大国としてのリーダー的存在感が薄れたという点を除いては、ほぼ30年前に塾主が感じていたことと、状況は変わらないのである。あまりに変わらなさ過ぎて、日付の方が間違えてるんじゃないかと思うほどである。変わらないどころか、その情勢は30年かけて色を強めているといってよいのではないか。

 これが、ワインかなんかであれば、年数を経てますます味に深みが出てきてよかったね、となるところだが、残念ながら、ここでの「ますます」は、ちょっと旨くない。
"国際的視野をもって解決すべき幾多の難問に「ますます」直面し、また、社会生活面においては、潤いのある人間関係や生きがいの「ますます」の喪失、思想や道義道徳の「ますます」の混迷など物的繁栄の裏側では、かえって国民の精神は「ますます」混乱に陥りつつあるのではないか・・・"

 今、私の傍らには、パソコンの横から手を出して一心不乱にキーボードを叩き、私の仕事を一向に前へと進めさせてくれない我が一人息子の姿がある。その一歳にも満たぬ無邪気な笑顔を(半泣き状態で)見つめていると、「ああ、こいつが大きくなるころには、この国の精神の混迷状況は、多少は解消されているのであろうか? それとも、この賞味期限ラベルは、また先延ばしに張り替えられるのだろうか?」なんて、不安と申し訳なさの入り混じった感覚が、喉の奥で妙な酸味を伴って沸いてくるのである。

2.賞味期限の切れない理由

 30年前に、塾主は来る21世紀に良い社会を築かんとして、翻って目の前の状況に対する嘆き、悲しみを吐露したわけであるが、果たしてその21世紀を迎え数年を経た現在にいたっても、その嘆かわしく悲しむべき状況は変わっていなかったのである。塾主は天より覗き見て、さぞかし歯噛みする思いであろうが、なぜこうまでも状況は改善されなかったのであろうか?

 塾主がそこに述べた通り、原因は個々にはいろいろあるが、帰するところ、国家の未来を開く長期的展望にいささか欠けるものがある、ということなのかもしれない。つまり、30年間待ち続けたけれど、とうとう政治の舞台に長期的展望を引っさげたリーダーが登場しなかった、というわけだ。

 しかし、この混迷の中に身を晒しながら、ただ待つというのでは、あまりに努力不足、あまりに他力本願に過ぎる気もする。決して、全ての国民が「国家の未来を開く長期的展望」を描くべきだなどと言うつもりはないし、逆にそんな国民はちょっと暑苦しくて嫌だ。

 だが、少なくとも政治のリーダーを選ぶのは国民であり、その行為は、国民の重要かつ神聖なる責務だ。その結果としての「国家の未来を開く長期的展望」の欠如であるならば、国民の側にもそれを許す空気が少なからずあったと言えはしまいか?

 すなわち、「国家の未来を開く長期的展望」を持ち、これも設立趣意書に言葉を借りるならば、「国家国民の物心一如の真の繁栄」を共に目指していくという国家としての姿勢が必要だという意識が、国民の中に希薄であったのだろう。などと言うと、堅苦しく聞こえてしまうが、要するに、現在にまで続く「国民の精神の混乱」、例えば、学校でのいじめにせよ、自殺やひきこもりにせよ、その他連日三面記事を賑わす忌まわしい事件の数々にせよ、どうも人間の精神の状態として健全ではないな、と思える状況を社会が生み出している時に、それを異常と思う、あるいは正常に戻ろうとする意識が、当の国民にはまるで抜け落ちているように思うのである。

 これは、経済の指標や、外交問題としてみれば、国としての相対的地位の低下というような問題で済むかもしれないが、その社会に生きる当事者としては死活問題、いわば、人間社会の存続に関わる問題と言ってよいのではないだろうか?

 そして、その「国民の精神の混乱」を「混乱」と認識できず、人間社会の健全な状況がわからなくなってしまっている我が国民の集団中毒症状を生み出した一つの大きな要因が、教育にあるのではないかと私は思うのである。

3.新しい人間観と教育

 教育と言っても、単なる学校教育制度の問題だけを指すのではない。社会として次世代の幹の部分をしっかりと育てようとする意識の欠如や、その手法の誤りという問題である。もちろん、教育が全てではないし、教育を変えれば全てが変わるというものでもないが、人間の価値観、人格形成、生き方に多大な影響を及ぼすものである以上、瑕疵があれば看過するわけにはいかないし、逆に改善できれば良い結果を非常に効果的に生み出すことも出来る。

 塾主自身も、新しい日本の姿を考えるに当たって、政治や経済よりもさらに根本的問題として、人身の開発、教育の問題を取り上げている。「新しい日本の社会が繁栄するのもしないのも、その根本はこの教育のやり方いかんだといってもよいのではあるまいか。」(「PHP」昭和41年1月号)とまで述べているのである。

 幸之助塾主の願いと、我が愛息の将来に光を取り戻すために、今、この国の教育という問題に、正面からぶつかってみたい。ぶつかるに当たっては、塾主の描いた「新しい人間観」や教育観を一筋の灯明として携えようと考える。

 さて、塾主の著書「人間を考える」を再び紐解き、「新しい人間観」を諳んじてみる。そこには、宇宙万物の生成発展という自然の理法にもとづき、その万物のそれぞれの本質を活用して物心一如の繁栄を築くことこそ人間に与えられた天命であり、その天命を自覚し、素直な心で衆知を結集して天命を実践せねばならないという意味のことが書かれているのであるが、もう少し噛み砕くと、個々の人間を含む万物というのは、それぞれの異なる才能、性格つまり百人いれば百通りの天分を持って生れているのであるが、その天分を自己が認識するのみならず、互いに尊重し合い、引き出し合い、活かし合うことによって共存共栄がはかられるというものであろう。

 この考えは、塾主の教育観にも色濃く現れている。塾主の考えによると、「教育とは人間を磨き、つくること」であり、それは「すでに生れている人の人間としての性能を育成する」ことである。「人間としての性能」については、「人間というものは本来、この世に存在するあらゆる物を自らの幸せのために生かし活用し、よりよい共同生活を営むことが出来る存在」で、「つまりお互いに人間は顔形が違うように個性も違いますが、その異なる個性をそれぞれに認め合い調和し、共存共栄をはかることができるという、偉大な特質を持っている」と述べている。しかし、そのすぐれた特質も「生れたままで放っておかれたのでは、せっかくの真価は発揮でき」ず、「それ相応の教育、訓育がどうしても必要」となるのである。(以上『Voice』昭和59年7月号より)

4.塾主の教育論

 塾主は、前述のように教育を国づくり、社会づくりの根本と捉えていたこともあってだろうか、企業経営者のイメージをもって見れば意外と思えるほど、教育に関する自らの考え、提言を多く残している。

 それらの教育論を分類・整理すると、大きく分けて三つほどになるだろう。

 一つ目は、人間教育の重要性である。徳育、道徳教育などとも言い換えられ、繰り返し述べられている。

 人間として社会で生きていく上で、どうしても必要なこと、理屈ぬきに大事なことがある。それは例えば、父母や恩師を敬い慕い、老人や子供など立場の弱いものを労わり、他者を思いやり、礼節をわきまえる等といった社会に生きるための心構えといえるような事柄であり、これは幼いうちから躾として体にしみ込ませる必要がある。そのためには、家庭でも学校でもそれらの躾が重視されて、大人が実践でそれを示す必要があり、その意識づけが求められる。学校における躾の体系が道徳教育となるのであろうが、この道徳教育は、特に義務教育の過程において最も重要視されるべきで、学校教育の半分を道徳教育に割いても良いとさえ塾主は述べている。

 ところが実際には、戦後道徳教育はあまり重要視されず、幼年期から知識偏重の教育の実態がある。この状況は、やはり塾主が指摘した時代から数十年を経た今に到っても全く変わっていない。

 一つには、戦前の道徳教育が戦争を招いたとの意識が強く、その反動で道徳を重視することがタブー化されことがあろうが、塾主曰く戦前の道徳には、自らを絶対視し他者に対するいたわりがなかったという間違った意識があり、その間違いが戦争へと至らしめたのであり、道徳教育そのものが戦争を招いたのではない。これはたまたま悪い水を飲んだからといって、一切水を飲むことを拒むが如くである。人間は水なしでは生きていけないにも関わらずである。

 道徳が疎かにされた別の理由として、戦後輸入された民主主義、自由主義が偏って理解されてきたことを塾主は指摘する。自主性を尊重することが重要だと言われるあまり、子どもにとって必要不可欠なことさえ教えずに放任する傾向を生んだというのである。交通法規がなければ自由な交通移動が成り立たないのと同様に、民主主義は決して自由放任主義ではなく、民主主義的戒律ともいうべき、お互いの厳しい取り決めのもとに成り立つものであり、その戒律を守っていくには、一人ひとりの高い良識と、厳しい責任感がしっかり養わなければならない、と。

 今一度、人間教育の重要性を見直し、世界の中で信頼される人間を育てることこそ、人望・人徳ならぬ「国望・国徳」を高め、世界の繁栄に貢献しうるのだと、塾主は考えたようである。

 二つ目は、「万差億別」の教育である。

 「新しい人間観」の中でも触れるとおり、人間というものは一人一人皆違うように生まれついている。絵を描くのが得意な人間もいれば、歌を歌う才能に恵まれている者もいる。学問に興味をもつ者もいれば、何か技能を身につけた方が向いている人間もいる。それぞれがそれぞれに天分をもっているのである。社会が進歩し、知識も増え、人間の心も複雑になった現代においては、千差万別どころか、万差億別の実態が生れている。

 ところが、教育現場では、どんな人間も一律に教育しようとする傾向が強すぎる。そして、これもまた、塾主の指摘から数十年を経てもなお、ほとんど変化していない傾向の一つであろう。

 塾主は、日本における高校、大学の進学率の高さを疑問視する。自分の意思ではなく、社会的風潮として、誰もが高校、大学へ行くという姿があり、本人よりも周囲が進学に熱心であったりすることで、勉強が嫌いで学問に向かない人間も仕方なく進学するというケースが多く見られる。技能を修得するに長けた人間にとっては、それが技能習得に最も適して時期であったとしてもである。これは一人一人の個性を軽視した教育であり、このことが校内暴力や非行、犯罪を生みだす一つの大きな要因となっているのではないかと、問題提起するのである。

 ここで、今現在の青少年の成育環境と照らし合わせながら、この問題についてもう少し掘り下げてみたい。

 塾主が上の指摘をした当時、数十年前の日本社会は、高度成長期の後半から終焉後にかけての頃ではあったが、なお日本は高い経済成長を維持し、今に比べて、まだまだ元気であった頃だ。一流の大学を出て、一流企業に就職して、安定的な収入を得るというのが、全国共通の成功モデルであったし、その成功モデルは努力すればある程度手に入れられるものであったので、皆(主に、本人よりも親がであったと思われるが)懸命に受験勉強に取り組み、世の中は毎夜塾へ通う児童・生徒にあふれ、学校はあたかもその補助ツールであるかのようであった。

 その結果、過度の受験戦争を生み、知識偏重教育が推し進められ、一つ目の項目にあげた道徳教育、人間教育というものが軽んじられる傾向を増長させたと言えるであろうし、塾主の述べるように、その画一的な知識教育、進路選択に合わない子ども達は、脱落して落ちこぼれとなり、ある者は問題を起こす。

 しかし、それら規定路線不適格とみなされた子ども達であっても、広い世の中に飛び出せば規定路線とは異なる形で何かをなしとげられるような懐、元気、ゆとりが、この頃の社会にはまだあった。また、核家族化、都市生活化が進んでいたとはいえ、今よりはまだ人のつながりの強い時代であったので、問題をおこす子どもの気持ちを誰かしらが受け止め、子どもの側も人の温かみの中に体を預けることを知っていたと思える。

 ところが、今の時代はそうもいかない。今まで規定路線であったものが規定路線でなくなっている。グローバル市場競争の中で、日本経済は伸び悩み、安定的生活を保証する一流企業などはほとんど無くなって来ている。これまでの規定路線のやり方では、努力したところで報われる見込みが少なくなってきているのである。それでもなお、知識偏重、規定の進学傾向は続いている。

 そのような中にあっては、これまで優秀とされた子どもですら目標を見失ってしまう。ましてや画一的知識教育や進学に合わない子ども達は、いかに自己の存在意義を見つけていけばよいのだろうか?

 しかも、地域コミュニティなどの人のつながりは圧倒的に薄れ、プライバシーや個人の権利が強調されるあまり、むしろ問題を避けんとして他者と関わらないことを志向する世の中になってきている。子ども達が迷ったときに思い切りその悩みをぶつける相手もおらず、ぶつけ方すらわからなくなっているのだ。

 ここで思い出すのが、一年前に訪問したある少年院の院長の談話である。

 その少年院は、従前より全国でも問題性の高い少年が集まってくるのであるが、院長によれば、その少年達の性向や起こす事件の性質というものが、明らかに20年ほど前までとは変化してきているという。

 例えば、かつて少年院の中では、少年同士一つの部屋に集団で寝起きするのが基本であったものが、今の少年は集団生活に耐え切れず、ほぼ全て個室になってしまったというのである。明らかに社会性がなくなってきているという。逆に、昔の「ワル」は、暴走族で頭を張って100人の組織を一丁前に切り盛りする者など、むしろある意味では社会性の強すぎるくらいの人間が多かったそうである。また、少年が眠れない夜には「グラウンドを三周して来い。」と言えば済んでいたものが、今は睡眠薬や安定剤というものに頼る傾向が非常に強いという。確実に言えることは、少年達に活力がなくなっているということである。昔であれば、少年と一対一で対峙する時には隙を見せぬ覚悟が要ったものだが、今の少年達には、そういうギラギラした目の輝きや有り余るエネルギーが一切感じられないという。

 その少年達の起こす事件も、同様に変質している。かつては、少年の有り余るエネルギーが行き場を失って暴力事件などの問題を引き起こすというのが主なパターンであったが、今は、火をつける、ナイフで刺すなど、極力エネルギーを用いず、しかしその結果はより深刻な状況を招くという事件が多いということである。

 私はその少年院で生活する少年達の顔を間近で見ることは出来なかったが、頭に想像してみるその少年達の顔に、どうしても表情というものを付け加えることが出来ない。社会性もエネルギーを持たず、自らの起こす行動の結果について想像を働かせることも出来ない、魂の抜けたような少年たち。これで人間として生きているといえるのだろうか?

 少し余談が過ぎたようであるが、以上の少年達の傾向は、何も少年院という、世間一般とはかけ離れた特別な場所にのみ存在する話ではないのではないか?むしろ多感で影響を受けやすい少年達が象徴しているのは、我々大人を含む世の中全体の生き方、社会風潮なのではないだろうか?このままでは社会は生きた屍のようなものになってしまうという不安を抱くことは、少々過敏な反応なのであろうか?

 教育のみにそれらの原因を押しつけるつもりではないが、一人一人の顔の違いを無視した画一的な教育を続けてきたことは、この無気力で、無機質で、無表情な社会を生み出した要因の一つと言えはしまいか?

 塾主は述べる。「人はみな、共通の人間性の上に、それぞれに異なった素質や性格、天分というものが与えられていて、その素質や能力といったものを十二分に発揮できるとき、人としての喜びや生きがいが感じられるものではないでしょうか。そしてそういう喜びや生きがいを感じつつ、それぞれの人が自らのなすべきことに打ち込んでこそ、自分ばかりではなく周囲にも喜びを与え、社会全体の発展をももたらしうるのだと思うのです。」(『Voice』昭和59年7月号)と。

 天分を発見し、活かすための教育というのは、口で言うほど簡単ではあるまい。塾主も、その実現のための手段として、多様な学校設立のための規制の緩和や、働きながらでも高校、大学その他の卒業資格の取れる国家資格制度などいくつかの施策を提言しつつも、やはり、社会全般で万差億別の教育に取組む姿勢を作っていく必要のあることに言及している。

 三つ目は、日本の歴史、伝統を教えるということである。

 塾主の考察に従えば、人間としての教育には、世界人類的、普遍的な人間としての立場、次に国家、民族しての立場、そして個人としての立場がある。

 戦後日本においては、個人としての立場については、個人の権利の尊重とか個性を重んじるなどというようにかなり強調されてきた。また世界平和を祈念するというような世界人類手観点での教育もある程度なされてきた。しかし、国家、民族としてのあり方については少々疎かにされてきた。その背景には、前述の道徳教育同様、戦争の反動によりタブー化した側面があることを、塾主は指摘している。自国の歴史、伝統、文化に傾倒することはファシズムを連想させるということであろう。

 しかし、と塾主は言う。自国を愛するように、他国の良いところをも認め愛していくと言うような道徳教育がしっかりとなされていれば、第二次世界大戦のような戦争はおこらなかったのではないか、と。

 それぞれの国家国民が独自の歴史、伝統、国民性を持っていることは明白な事実であり、それを軽視して、世界人類的な立場、個人という立場だけで教育をするのでは、その国の発展もなく、他国に対しても良い結果をもたらさないというのである。

 「新しい人間観」に基づけば、万物に、人間一人一人にも天分があるように、日本という国の伝統、文化、風土には、その天分というものがあって、それを理解せずには、その天分を活かして自国の繁栄を築くことも出来ず、ましてや他者の天分をも見出し、それぞれを活かすことによって世界の調和、共存共栄を築くことなど及びもしない、ということになるだろうか。

 自国の天分を知ることは、自分の天分のバックグラウンドを知ることであり、ひいては自己の天分そのものを知り、活かすことにつながるのである。

 さて、以上に見てきた塾主の教育観、教育論というもの(多少、筆者のフィルターによって濾された部分はあるかもしれないが)は、塾主の人間観(=「新しい人間観」)をとてもよく反映したものである。いや、むしろ「新しい人間観」の最も濃密に体現された分野であるようにも思える。そして、筆者個人として、塾主の意見にもっとも同調し、感銘を受けるのも、実のところこの教育論においてである。

 だが残念なことに、塾主の問題視した教育のあり方は、その後数十年を経ても改善されず、それどころかますます大きく、ますます広範囲に、問題の深刻さを顕在化させている。

5.スパイラル脱出に向けて

 塾主が国づくりの根本と考えた教育のあり方に、きちんとメスを入れることができなかったことが、冒頭に述べた延々、治癒することの無い病理を招いてしまった大きな要因と私は考えている。

 ゆとり教育にせよ、その反動の昨今の教育改革論議にしろ、何やら形式だけを上滑りに舐めただけで、実質は何も変わっていない。むしろ混乱を来たすだけのように思える。結局は、学力テストの世界順位などという表層的な数字にとらわれ、未来の私たちの国土に生きゆく人間の人格形成が教育によってどう影響されるかなどということを考える者はいない。そしてまた何もなかったように、画一的で人間の顔を無視した知識偏重教育と進路指導がまた続けられていくのである。なぜこの流れを断ち切ることが出来ないのか?

 塾主の指摘にあるとおり、国家運営において、あるいは教育行政だけをとってみても、長期のビジョン、目指すべき方向性が示されてこなかったということもあるだろう。また、市場がグローバルに拡大を続け、その中で資本主義先進国たる日本が恩恵を受けていたうちは、経済的安定路線というものが存在し、それが市場社会に生きる者にとって大きな魅力であったことも、画一的成功パターンへの教育の組み込みを許す一因であったろう。

 しかし、その成功モデルも今は破綻しつつあり、世の中全体が行き場を見失って彷徨する様相を呈している。今まさに舵を切らねば、日本丸は船体もろとも海の底へと沈んでしまうであろう。いかにすれば、静かに氷山に向かって進むこの状況を認識し、進路を変更して船の上の乗員乗客を救い出すことが出来るのか?

 塾主の提案するとおり、教育権というものを行政一般から独立させて「教育府」を創設し、政局に左右されることの無い安定した教育運営を行うことも一つの方法かもしれない。

 しかしながら、そこに至るまでには、政治の世界によほどの天変地異が起こらない限り、膨大な労力と時間を要するであろう。事態は刻一刻と悪化している。こうしている間にも、悪性の腫瘍が日本社会を蝕んでいく。しかもその腫瘍がどこにあるかまでは分かっているのだ。ただ切り取り方が分からなくて、悪くなるのに任せているのである。今すぐ打てる手は無いものだろうか?

 幸か不幸か、画一的な教育路線の先にあった安定モデルは、前述の通りもはや過去のものとなりつつある。全面的にではないにせよ、少なからぬ人が教育のあり方に疑問を持ち始めている。この活力を失った一見闇にしか見えぬ世の中の状況も、何かしら変化を試みるには良い潮目とも捉えられなくもない。疑問を持った人間がアクションを起こすことによって、変化の潮流を作り出すことができるかもしれないと思うのである。

6.原点に帰れ!

 では、いかなるアクションを起こすべきか?
いかにも難題であろう。しかし、難題であればこそ、超えたときの収穫は大きいはずである。

 難題を解く鍵というものは、得てして足元に転がっていたりする。「壁にぶつかった時は、スタート地点に戻れ!」と、『プロフェッショナル~仕事の流儀』(著作権:日本放送協会)でも誰かが言っていた、ような気がする・・。そう。原点へ立ち戻ってみる。再度、塾主の「新しい人間観」を反芻してみた。

 思わず「この流儀、イケる。」と、叫びたくなった。
万物がそうである通り、一人一人の人間もまたそれぞれに異なる天分を持っている。それぞれに異なる顔を持ち、性格を持ち、能力を持っているのである。その天分を認識し、引き出し、活用しうるのは誰か?

 それは、身近にいて、普段からその人間の顔、性格、能力を見ている者ではなかろうか。すなわち、それは、家族であり、ご近所さんであり、友達である。先生一人では、多くの生徒の天分を認識し、育て、活用することはできなくとも、それぞれお互いの事を知るより多くの人間が関わり合って、それらの人間同士が、互いの天分を高め、引き出すことなら実現できるのではないか。そのような近接したより多くのプレイヤーによるシナジー効果こそ、社会の繁栄・幸福をもたらす教育の幹になりうるものではないだろうか。

 もちろん、それには家庭での教育、躾や知恵、文化の継承というものも必要になってくるだろう。しかし、それだけでは十分ではない。互いの天分を引き出しあうためには、大人も子どもも一緒になって、互いの天分に触れる位置に立ち、いつでも引き出しうる関係になる必要がある。

 かつては、農作業を一緒に手伝ったり、大人の仕事場が子どもの遊び場と隣り合わせだったりして、家庭や地域にそういう場があったのだが、もう一度、そのようなふれ合い、協働の場を作っていく必要があろう。そのためには、子どもの教育という意識を超えて、人間の生きる基本というものを大人も共に考える作業が必要であろう。

 地域の大人たちが一緒に地域の学校のあり方を考え、学校のカリキュラムを作っていくことも有効だろう。授業で地域のお年寄りが、地域の伝統、文化、知恵を語るのもよい。地域に出て、地域社会がどのように成り立ち、人と人がいかに支えあって生きているかを知る体験も重要であろう。それらを、大人たちと子どもたちがと一緒に学べる場があってもいいかもしれない。あるいは、子供同士、年長の子供から年少への子供へと教えをつないでいくのもよいのではないか。

 家庭、地域という人間の成育する社会環境、人間関係をもう一度、密に紡ぎ合わせていくことによって、自己と自己のバックグラウンドを知り、自己と自己のバックグラウンドを愛するがごとくに他者を尊重し、互いの力を活かし、高め合いながら、社会全体の繁栄を築いていく礎が出来るであろう。その時、「新しい人間観」が、「今、我々の人間観」へと昇華する。

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兼頭一司の論考

Thesis

Kazushi Kaneto

兼頭一司

第26期

兼頭 一司

かねとう・かずし

株式会社空と海 代表取締役/海賊の学校 キャプテン

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