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2001年10月

塾報

「和」の文化を子どもたちに
山本満理子/卒塾生

 昨今の「和」のブームが伝えようとしているものは何なのか。それはスピード競争時代に疲れた人々が、失われつつある「和」の文化に心の拠り所を希求する姿ではないだろうか。

 

「和」がブームになっている

 数年前より「和」がブームになっている。若者の間で卓袱台やお香が流行ったり、従来にない着方の浴衣や甚平が人気になったり、またそのまま「和」という言葉を名前に用いた「WA風が来た!」といったテレビ番組が始まったり、「和楽」という雑誌が創刊されたりしている。空前の「和」ブームである。この「和」とはなんだろうか。
 少し前の話だが、日本が国際連合に加入した40周年にあたる1996年に、財団法人日本漢字検定協会で、日本人として国連に寄せる思いを託す漢字一字を募集したところ、応募数第一位は「和」だった。字訓は「なごむ、やわらぐ、やわらげる」で、おとなしくする、従う、静まる、おだやか、争わない、あわせる、仲良く助けあう、などの意味がある。「和」のブームはアロマテラピー等に端を発した、癒しブームの延長線上にあると考えられるが、漢字の意味を見ればそれも納得できる。
 一方、この「和」という漢字、「和風」という言葉のように「日本的なもの」をさす場合にも用いられる。
 さて、この「和」のブーム、私にはこれは単なる癒しではなく、歴史や伝統とのつながりを失ってしまった現代の日本人が、拠り所を求め、心の底から日本の文化伝統を希求しているもののように思えてならない。

狭い日本そんなに急いでどこに行く

 「ドッグイヤー」という言葉をよく耳にする。人の1年は犬の7年にあたるらしいが、今の世の中は、かつて人が1年でやったことの7倍速で進歩・発展しているというのだ。そしてそのスピードは日々さらに速まり、人間の1年が20日間にあたるというネズミになぞらえ、「マウス・イヤー」という言葉さえ囁かれ始めている。身の回りを見渡せば、インターネットに携帯電話、Eメールなど、数年前には見たこともなかったものがあふれ、私たちの生活は大変便利になった。しかしその一方で、これらの機器を使いこなすことに追いたてられているのも事実である。そんなスピード競争社会の中にあって人々は、本来踏むべき手順を如何に省略し、短縮して生きるかに汲汲としている。学校教育においても如何に早く答えを見つけるか、そのためにどのように過程を省略すればよいか、その方法を必死になって教えている。そのため、今の子どもたちは少し自分の思うようにことが進まないとすぐにキレたり途中で投げ出したりと、何かをやり遂げるまで辛抱強く取り組むということができなくなっている。しかし、人生とはそんなに簡単なものではない。一つ一つの手順をきちんと踏んでいかなければ次の段階には進めないし、そのためには多少の時間がかかる。時には遠回りもしなければならない。総務省が行った国民生活に関するアンケート調査でも、子どもに身につけさせたいものの第1位に忍耐力があげられている。結果を得るためには一つ一つの過程を大切にし、辛抱強く乗り越えていく必要のあることを、子どもたちにしっかりと伝えるべきである。それではそれをどのように子どもたちに教えたらいいのか。私はその可能性を伝統文化教育の中に見出している。

学校教育に伝統文化を取り入れる

 今、教育改革があちこちで論議されている。中でも盛んなのが、学校教育に伝統文化を取り入れるべきだというものである。これも「和」のブームの一環と言えるであろう。21世紀の国際社会で活躍する真の国際人の育成には、自国の文化をきちんと理解させることが絶対条件だというのである。そういった声を反映して、一つには音楽の授業で琴が取り上げられることになった。音楽といえば西洋音楽、といった教育を受けてきた私からするとうらやましい気すらする。しかし、専門的に琴の教育を受けたわけではない音楽教師が教えることの危険性は非常に大きいように思う。
 これは琴だけに限ったことではない。狂言師の茂山千三郎氏は「学校の教科書に狂言を載せないでほしい。教科書を用いて狂言を教えることは、狂言嫌いを増やすことにしかならない」と述べている。私も中学時代に国語の授業で『附子』という狂言を勉強したが、印象に残っているのは太郎冠者と次郎冠者という人物が出てきたということくらいである。そのため、大学生になって友達に狂言に誘われた時も、積極的に見たいとは思わなかった。しかし本物の舞台は素晴らしかった。たった1回で私は狂言のとりこになり、今では時間の許す限り、公演に足を運んでいる。同じことが茶道や書道、華道といった芸道と呼ばれる日本の伝統的な芸術文化すべてに関して言えると考える。
 ここで、芸道の特徴をまとめてみよう。兵庫教育大学で、芸道の師匠や武道の師範など伝統的教師の資質・能力の分析、稽古の構造、日本の伝統教育・芸道教育を研究している安部たかよし崇慶教授は、その著書の中で芸道の特徴として次の三点をあげている。(1)体を使う、使わないに関わらず、無形文化に分類されるものであり、カンとかコツといった個人の完成の練磨によって獲得するものである。(2)教科書やカリキュラムといったものはなく、技芸の習得は師匠の技芸や芸風を模倣・遵守するところから出発する。(3)その境地は禅の悟りにも似た、きわめて茫漠としたものであり、また技芸は人間の内的生命ともいうべき心と不即不離の関係において認識されている(『芸道の教育』ナカニシヤ出版 1997年)。
 このような特徴から、芸道は一人の先生が30人も40人もいる生徒に向かって一度に教えられるものではないことがわかる。また学校のカリキュラムの一環として数時間習ったところで、わけのわからない、堅苦しいものという印象しか残らないだろう。自国の文化理解のために芸道を、というのであれば、教師が一般の科目のように教えるのではなく、プロの公演をきちんとした解説付で繰り返し鑑賞させるなり、またプロによるワークショップに参加させるべきであろう。そういった仕組みを学校と地域の教育委員会等が連携して築き上げるべきである。

まずは生活文化から始めよう

 それでは学校のカリキュラムとして伝統文化を取り入れるにはどうすればよいか。繰り返しになるが、私は伝統文化教育を単に自国の文化理解というだけでなく、手順を踏むことの大切さを教える手段としても捉えている。そこで芸道といった芸術文化の前に、衣食住に代表される生活文化から取り入れることを提案したい。生活文化は先に述べたような芸道の特徴を持ち合わせてはいない。そのため、教材を用いて教えることも可能であるし、一通り学んだ人であれば、プロでなくとも教えることはできる。また手順の大切さを、芸道のように堅苦しくなく、自然に教えられる。そのことについて日本の伝統的な「衣」である着物を例にとって考えてみよう。着物は直線裁ちの布の集合体を、凹凸のある筒型の人間の身体に巻きつけながら紐を使って身に添わせ、衣服として形作っていく。そのためどんなに早い人でも着るのに10分はかかる。一方洋服は、人間の身体に合うように裁断され、縫い上げられているので、ボタンやホック、ファスナーなどであいた部分を塞ぐだけですむ。物によっては1分もあれば十分である。1分1秒を争う現代社会に生きる人々にとっては、文句なしに洋服に軍配が上がるだろう。しかし、手順を大事にし、それをきちんとクリアしなければきれいに着ることはできない着物はまさに日常生活、そして人生と同じといえるのではなかろうか。
 先日、京都で着付けボランティアをしている木村良子さんに数枚の写真を見せてもらった。修学旅行で京都を訪れ、着付け体験をした女子中学生が、学校に戻ってその成果をみんなの前で発表しているものである。得意げにマネキンに浴衣を着付けている。これは立派な学びである。
 もちろん着付けだけでなく、着物はどういう素材で、どのくらいの時間をかけ、どういう工程を経て出来上がるのか、歴史的に見たらどのような変遷をたどっているのか、当然のことながらそういった側面も取り上げるべきである。「食」や「住」についても同じことが言える。日本の温暖で湿潤な気候にはどういった住居が適しているのか。どういった農作物の栽培が適していて、どんな魚が獲れたのか。それらをどう調理して食べてきたのか。こういったことはすでに社会科などの授業の中で知識として教えられているものであるが、決して社会科という一つの教科の枠におさまりきれるものではない。総合学習の時間などにじっくりと時間をかけて取り組むべきだろう。どんな知識も自分の生活と密接な関係があると思えて初めて、意味のある情報となる。

▲ 山口県周東中学校では修学旅行で京都を訪れ、希望する生徒に浴衣の着付けを体験させている。旅行後、その成果を全校生徒の前で披露する


「和」のブームが意味するもの

 いまさら古臭い伝統文化を教えて何の意味があるのかと思う人もいるだろう。確かに、犬やねずみのようなスピード感覚で日々の生活を送ることを強いられている現代人にあっては、伝統文化の復活など何の得にもならないかもしれない。しかし、街行く人々の疲れきった顔を見ると、もはや日本は人間の住む社会ではなくなってしまったのではないかと感じることがある。物と心、革新と伝統、すべては対極のように見えて実は表裏一体である。どちらが欠けても、人も社会もバランスを失ってしまう。今からでも決して遅くない。日本人は今一度、文化や心や伝統を見つめ直し、その上に新しい社会を築いていくことを考えるべきである。「和」のブームが意味するものは、バランスを失いつつある日本人のDNAが、その必要性を切に訴えている姿だと、私の目には映る。

2001年10月 執筆
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