松下政経塾 The Matsushita Institute of
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2002年6月

塾生レポート

人間とは・・・
山本満理子/卒塾生

 
 人間とは一体どういう存在なのだろうか。現代社会において、経済活動を中心に行っている人間の姿は本来の人間のあるべき姿なのだろうか――。

 話は少しそれるが、先日、テレビを見ていて「アピーラー」なる言葉があるということを知った。自分のことを様々な形でアピールする人たちのことだそうだ。今流行りのストリートミュージシャンやストリートダンス、大道芸、アーティストetc.・・・インターネット上には、たくさんのアピーラーが歌を歌ったり、ダンスを踊ったりして、自分をアピールしている映像ばかりを集めたサイトがあり、1日に3000件もアクセスがあるとのこと。自分の作ったものを売りたい人たちの作品ばかりを集めたお店もあり、現在ブースが空くのを待っている人が400人もいるらしい。唖然とすると同時に、人々がこんなにも自分をアピールしたいのだということを知った。そして、こういう形でしかアピールできないでいるということも――。日常生活の中で、普通の人間関係の中で、人と話をする中で、いかに自分を押し殺しているかということである。そのような人々の姿が異常にしかうつらなかった私のほうが異常なのだろうか。現代社会が生んだ人間の1つの姿である。このような姿、生き方を見るにつけ、今、私たちが小学校で取り組んでいるプログラムがいかに大切なものなのか、という思いを改めて強くした。

 その一方で、最近、言葉の問題に取り組むことの難しさも感じている。聖書には「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉が神であった。」と書かれている。この言葉の深意はまだ私もつかめてはいないが、言葉に取り組む際、そのくらいの覚悟を持って臨まなければならないと、最近の私はつくづく思う。日本語にも「言霊」という言葉がある。言葉にした途端にその言葉にも命、魂が宿り、それが本当になってしまう・・・そのくらい日本人にとって言葉というのは神聖なものであり、大切なものであった。だからこそ「言挙げしない国」だったのだろう。それが時代を経て、日本人は言葉にして表現するのが下手だということになった。でも私は決してそうではないと思う。言葉にしなくても伝え合う、「以心伝心」というものが本当にあったのだろう。人間にはそのくらいの能力はあってもおかしくない、と子どもたちを見ながらつくづく思う。教育という名の剥奪によって、その能力と共に、言葉の神聖さと、人々の言葉に対する愛情も失われていった。そして今のような、言葉を単なる道具とみなす時代がやってきたのだ。

 私たち政経塾生の人間観の根底には塾主・松下幸之助翁の「新しい人間観」という哲学がある。一部抜粋すると「・・・人間は、たえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである。・・・」といった内容である(詳しくは塾主の著書等を参照されたい)。つまりこの地球という星の上、さらに宇宙の中に輝くすべてのいきとしいけるものを、あるべき姿、あるべき場所で生かし、それによって大きく宇宙の発展に貢献しなければならない、それだけの力を与えられている、ということである。
しかし、日本舞踊をしていてつくづく思う、私たちは自分の体すら本当の意味ではわかっていない。普段の生活の中では自分の体すら、そのすべて使っていないのである。いわんや人間の能力をや、いわんや万物をや、である。

 私たちは祖先のおかげでこれだけの経済発展を遂げ、物質的な豊かさを享受するに至った。しかしそのような経済活動中心の生活の中で、人間の能力は非常に偏ったものになってしまった。教育もその偏った部分だけを伸ばそうとしてきたのである。言葉もしかり、である。暗闇から抜け出せずにいるこの現代・日本、ここから抜け出すために皆が必死でシステムを変えようとしているが、この暗闇はもはやシステムを変えたところで抜け出せるような浅いものではない。この国の文化、この国の歴史、この国のかたち、ここで語られている言葉、そして人間というもの、そのすべてをもう一度捉えなおし、私たち人間が奢りではなく「万物の王者」としてどう生きるべきかを一人一人がしっかりと持たなければ、もう何も変わらない。
2002年6月 執筆
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