松下政経塾 The Matsushita Institute of
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2002年5月

塾生レポート

「国語」の中でのコミュニケーション教育
山本満理子/卒塾生

 
 5月の「ときめきタイム」は3年生と6年生のカリキュラムに取り組んだ。

主目標=話す〔スピーチ〕
 * 人はどんな話題を聞きたいと思っているのか
 * 話の筋の組み立て方、話の進め方の工夫
 * 声の出し方の工夫、表情・身振りで話の効果をあげる
 * わかりやすく、おもしろく、快く、力強く

3年「知ってもらおう、自分のこと」

 人間はみんな自分のことを知ってほしいと願う自然な欲求「自己表現の欲求」を持っている。人と関わって生きていく以上、自分を相手に伝えるための自己表現を存分にして、それを相手に認めてもらうことが人間として不可欠である。3年生には短い自己紹介でも、自然体で、元気に、楽しく人前で話せることを目指す。

6年「しょうかいしよう、心をひかれた人物」

 紹介する人物:町長、校長先生、英語の先生(オーストラリア出身)、担任の先生、イチロー選手、栄養士の先生
  • インタビューという手法を通して、目上の人ときっちり向き合い(敬語の学習)、目的を持って話を聞き出す。そのための事前準備と話し合い。
  • 聞きながらメモをとることで、聞くことの大切さと集中力を養う。
  • メモをもとに人物の生き方や興味がわいた部分をクローズアップし、人物紹介のための構成をグループごとにディスカッション。5分という時間制限の中で何をどう発表するか、役割分担を含めて考える。
  • 進行表(原稿)作り
  • 発表のためのスピーチトレーニング
<感想>

「ときめきタイム」が始まって2ヶ月――。子どもたちの授業に臨むときの目の輝き方が違ってきた。特に、最初は「こんなことして何の意味があんの?」と斜に構えていた6年生の女の子たちも、「先生、私のこと忘れないでね!」と言って手紙とプリクラをくれるぐらい、楽しみにしてくれるようになった。

 ちょうど5月の初めに医者をしている中学以来の親友に会った。今私が取り組んでいる、この「ときめきタイム」の話をしていると、彼女は「医者は決して理系ではない。一番必要なのはコミュニケーション能力。患者さんからいかにたくさん話を聞きだして、適切な物語を構築して、それを患者さんに返すか、という作業が一番大切な作業なんだ。」と言うとともに、「私たちはそういうコミュニケーション教育を受けてきてないから」とうらやましがっていた。どんな職業でも人と関わる以上、コミュニケーション能力は必ず必要になってくる。そういう意味では、今回新指導要領となり「伝え合う力」を国語教育の柱としたのは評価すべきことだと思う。しかし、以下のような問題点が浮かんできた。

【今後国語教育の中で「話す」ことを真剣に取り組もうとする場合の問題点】
  • 発音・発声は、国語の授業の前の習慣として取り入れれば必ず効果が出てくる
  • 「話す」指導においては、教師の側が通常の授業形態と「話す」授業の違いを認識するかが大きく左右する。
  • 教科書の指導どおりに進めると書くことに重点を置きすぎることとなる。
  • 「話す」指導には少人数での個人指導か、もう少し時間をかけないと効果が期待できない(人間が一度に話の内容を把握できる人数は7人プラスマイナス1と言われている)が、そのような環境は整っていない。特に教科書の内容は詰め込まれすぎていて、目的が明確でない。そういう意味ではまだまだゆとり教育とはいえないように思う。
  • 人の話す言葉は必ず過去や家庭を背負っている。暗い過去を背負っている子どもたちの言葉に介入しようとすると、指導者側が子どもたちの言葉環境や、話せない子どもの心を読み取る感受性が要求される。
 それにしても、子どもとはどんなに素晴らしいか――。3年生が体いっぱい使って自己紹介する姿を見ていて、私は感動のあまり、思わず涙が出た。と同時に、先生の関わり方によって、子どもたちがいかに変わってくるかということも痛感した。3年生の一つのクラスでは、担任の先生が1分という発表時間の長さを一番の評価基準になさった。結果、子どもたちは1分で発表することにばかり気をとられ、少し萎縮してしまっていたようだ。終わった子どもたちの顔は「終わった」という安堵感一色だった。もう一方のクラスでは、時間は気にせず自分らしい発表をするように先生ともども工夫なさった。すると子どもたちは原稿を覚えただけでなく、身振り、手振りを使って、ある生徒はクイズまで出して本当にのびのびと自己表現をしていた。終わった子どもたちはうれしそうな、幸せそうな顔をしていた。本当に素晴らしい表情だった。いかに周りの環境によって、言葉や自己表現が変わってくるか――。このような取り組みをする恐ろしさと責任の大きさを痛感した5月であった。

2002年5月 執筆
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