Thesis
日本の食料自給率の低さは周知のとおりである。米を除けば、その多くを輸入に頼っている。ハイテク時代の農産物である「遺伝子組み換え作物」においても、今や世界最大の輸入国となっている。「食」の安全を確保するためにどうすればよいのか。
1.遺伝子組み換え作物に対する不安と期待
地球温暖化、オゾン層の破壊、化学物質の氾濫など、われわれを取り巻く地球環境の悪化が言われるようになって久しい。加えて近年は、高度なバイオ技術を使った農産物、いわゆる遺伝子組み換え作物が大量に作られる(注1)ようになり、人々の不安を増幅させている。特に、遺伝子組み換え作物は「食」「いのち」に直接かかわるものだけに、そこでできた新しいタンパク質がアレルギーの原因にならないかなど、身近な不安として捉える人が少なくない。実際、消費者の意識調査をみると59.5%が遺伝子組み換え食品に対し悪いイメージを持っている(注2)。
しかし、食料自給率がカロリーベースで40%(1998年)、穀物自給率(重量ベース)で27%(同)と極めて低い(注3)日本は、その食料の多くを輸入に頼っており、いくら嫌悪感があるからといって遺伝子組み換え作物と無縁ではいられない。現に、大豆、トウモロコシ、ナタネ、ジャガイモなど食料自給率の低い6作物35品種の遺伝子組み換え食品が認可され、流通している(注4)。そのうち、大豆の総輸入額の40%、トウモロコシの20%、ナタネの40%が遺伝子組み換え作物で、日本は遺伝子組み換え作物の世界最大の輸入国だという(注5)。われわれは、遺伝子組み換え作物がすでに日本人の食と深い関係にあることを認めた上で、今後この技術とどのように付き合っていくのか、食料安全保障上の観点も含め、長期的展望に立って考える必要がある。
また、この技術は、今世紀半ばにも100億人に達するといわれる世界人口を支える有効な一手段になると目されている。人口増加の一方で、砂漠化や農地の荒廃によって深刻な食糧不足が訪れると予測され、遺伝子組み換え作物は、病気や害虫、除草剤に対して抵抗性をもたせることができ、寒冷地や砂漠など耕作に向かない土地でも育てることができると考えられるからである。
2.欧州とアメリカの対立
このように、遺伝子組み換え作物は人類の今後に欠かせない存在となってきているが、WTO(世界貿易機関)の舞台では、遺伝子組み換え作物の取り扱いをめぐり、その主要生産国であるアメリカと、EUの対立が激化し、新たな火種を生み出している。アメリカでは、政府・民間企業が積極的に遺伝子組み換え食品の導入に取り組んでおり、消費者からも反対の声はほとんど聞こえない。
一方、EU諸国は、遺伝子組み換え食品の導入に慎重な立場をとっている。その理由の1つに、イギリスで発生した狂牛病騒ぎがある。これはイギリス政府が、狂牛病はヒトへは絶対に感染しないと宣言していたにもかかわらず、プリオンという病原体により脳が麻痺し、痴呆、けいれんなどを伴った感染例や相次ぐ死者が報告され、社会的にパニックを引き起こした事件である。この事件以降、イギリスの消費者は食品の安全性に敏感になり、主要スーパーの大半が1999年以降、遺伝子組み換え食品の販売をやめている(注6)。
米欧のこのような事情を受け、安全性確保に関する国際指針づくりの場である食品規格委員会(コーデックス委員会:国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機構(WHO)が合同で設立)では、EUが健康被害の発生した場合に備え、組み換え食品が消費者の口に入るまでの流通、加工、栽培のプロセスをすべて把握できるようにする「追跡監視システム」を指針に盛り込み、安全性確保のハードルを高くするよう主張しているのに対し、「輸出大国」アメリカはあまり厳しく手を縛られたくないと難色を示し、両者の駆け引きが続いている(注7)。
しかし、米欧が対立する背景には別な要因もある。EUは安全性を前面に押し出して慎重論をとっているが、その背後には次世代の産業として期待されるバイオ技術の特許をアメリカに独占されたくないという思惑がある。この技術の発展に基づく遺伝子ビジネスは、「バイオ・グローバリゼーション」とも言うべき、特許による新しいタイプの支配構造を生みつつあり、世界中で巨額な研究開発費が投入されている。財団法人岩手生物工学研究センターの江井仁所長によれば、「欧州での遺伝子組み換え作物反対の動きも、米国の多国籍企業がもつ基本特許がフリーになる2004年以降は緩和されて行くのではないか。現に、遺伝子組み換え作物反対の立場を取りながら、技術開発を欧州企業は実に積極的に行っている」ということである。実際、EUは今年7月、それまで認可を凍結していた組み換え作物の生産、販売の認可を、ラベル表示を義務付けるなど厳格な制度を導入して、解禁することを決めている(注8)。
作物(品種数) | 性質 | 開発企業所在 |
ジャガイモ(2) | 害虫抵抗性 | 米国 |
害虫抵抗性 | 米国 | |
大豆(2) | 除草剤耐性 | 米国 |
高オレイン酸形質 | 米国 | |
てんさい(1) | 除草剤耐性 | ドイツ |
トウモロコシ(10) | 害虫抵抗性・除草剤耐性 | スイス |
害虫抵抗性 | スイス | |
害虫抵抗性 | 米国 | |
除草剤耐性 | ドイツ | |
除草剤耐性 | 米国 | |
害虫抵抗性・除草剤耐性 | 米国 | |
除草剤耐性 | 米国 | |
除草剤耐性 | 米国 | |
除草剤耐性 | ドイツ | |
除草剤耐性 | スイス | |
ナタネ(14) | 除草剤耐性 | 米国 |
除草剤耐性 | カナダ | |
除草剤耐性 | ベルギー | |
除草剤耐性 | ベルギー | |
除草剤耐性 | ベルギー | |
除草剤耐性 | ベルギー | |
除草剤耐性 | ベルギー | |
除草剤耐性 | ドイツ | |
除草剤耐性 | ベルギー | |
除草剤耐性 | ドイツ | |
除草剤耐性 | ベルギー | |
除草剤耐性 | ベルギー | |
除草剤耐性 | カナダ | |
除草剤耐性 | ベルギー | |
わた(6) | 除草剤耐性 | 米国 |
除草剤耐性 | 米国 | |
除草剤耐性 | 米国 | |
除草剤耐性 | 米国 | |
除草剤耐性 | 米国 | |
除草剤耐性 | 米国 |
▲雄性不稔遺伝子は、雄しべができないようにする遺伝子です。
この遺伝子を組み込んだ植物は、花粉ができないため他の花の花粉によって受精を行います。
この受精による雑種の種子は、生命力が強く収穫量が上がるといった性質を有するようになります。
▲稔性回復遺伝子は、雄性不稔遺伝子を不活化する遺伝子です。
雄性不稔の植物と稔性回復の植物を交配してできた植物は、再び自己の花粉によって受粉ができるようになります。
3.生態系への影響
遺伝子組み換え作物の環境への影響はどうなのか。ワシントンDCにある環境問題・生態系に関する世界屈指のシンクタンク・世界資源研究所のジョナサン・ラッシュ所長に話を聞いた。彼は、「認可された遺伝子組み換え作物の人体への安全性はほぼ確認されている。しかし、生態系への長期的な影響については、さらなるリサーチが必要だ」と警鐘を鳴らす。
例えば、遺伝子組み換え作物に導入した遺伝子が雑草にも取り込まれて、除草剤の効かない雑草が出てきたり、遺伝子組み換え作物の花粉が風に運ばれ付近の生態系に入り込み、雑草化して在来種を絶滅させたりするのではないか、との懸念がある。一度、自然界に危険因子を解き放てば、遺伝子汚染など取り返しのつかない災害(バイオ・ハザード)を引き起こすことも考えられる。
1.国際ルールづくりに日本が積極的にかかわる
昨年10月来、国内で流通しているスナック菓子などの中に未認可の遺伝子組み換え原料が混入されていたことが、市民団体によって次々と明らかにされた。こうした事態を招いた背景には、農産物の供給国と消費国との間で、組み換え作物をめぐる認可のあり方がバラバラで、国際的な統一ルールがないことがある。
1996年から国連の食品規格委員会(コーデックス委員会)が「遺伝子組み換え食品の表示に関する国際統一基準づくり」について話し合っているが、先述したような状況で未だ表示基準の国際統一がなされていない。消費者に安心できる食料を提供するためにも、国際的な統一ルールをつくることが急務だ。日本は、世界最大の遺伝子組み換え作物輸入国として、率先して世界共通の安全性基準作りに取り組むべきである。
2.消費者に正確な情報を提供し、適切な判断・選択ができる環境を整える
今年4月からの日本農林規格(JAS)法で、遺伝子組み換え作物を原料に使用した食品はパッケージへの表示義務が生じている。しかし、実際には流通する量の1割しか表示されていない。それは、表示義務が豆腐、納豆など豆製品やポップコーンなど、一部の物にしか課されないからである。こうした現状を、いわて生活共同組合本部・組織企画部、吉田敏恵さんは「実態はザル法」と指摘する。消費者に判断・選択を委ねるためには、まず広範かつ適正な表示が前提となる。
一方で、安全性が確認されている遺伝子組み換え食品であっても、一般消費者の間に「遺伝子組み換えであれば何でもすべて危険」といったイメージや誤解が広がっている。遺伝子組み換え食品を実際に購入して食べるかどうかは消費者一人ひとりの判断に委ねられるべきであり、そのためには正確な知識を消費者へ伝えることが欠かせない。
3.日本独自の戦略的な特許開発をする
アグリバイオを巡る特許囲い込みの潮流に対し、日本は、食料の安全保障及び産業育成の観点から、まずイネなど日本の主要穀物・農産物の遺伝子資源の特許開発に積極的に取り組むべきである。そうしなければ、将来、多国籍企業の「遺伝子・種子の支配」に組み込まれ、主要農産物の商品化・生産に高い特許料を払う羽目に陥らないとも限らない。加えて、同じアグリバイオの特許開発でも、環境破壊の進行する現状を重視し、環境に役立つ技術開発・ビジネスに焦点を絞る。例えば、汚染された土壌や地下水を、ある植物から取出したダイオキシンを分解する遺伝子を組み入れた微生物を使って浄化するバイオレメディエーションなどである。次世代産業の目玉に「バイオ・環境産業」を据える。
天然資源に恵まれず、国土の狭い日本は、「技術」「頭脳」だけが唯一の資源である。バイオ技術の面では欧米に大きく水をあけられているが、唯一の資源を駆使して、「ヒト」と「環境」へやさしい科学技術力を磨き、世界へ貢献すべきである。
(注1)全世界の遺伝子組み換え作物の栽培面積は、大々的な商業栽培が始まった1996年には170万エーカーだったものが、2000年には4420万エーカーと、実に25倍になっている(International Service for the Acquisition of Agro-biotech Applications(ISAAA) URL: http://www.isaaa.org/publications/briefs/Brief_2.htm)。
(注2)農林統計協会『図説 食料・農業・農村白書(平成12年度版)』2001年 21頁
(注3)農林統計協会 前掲書 36頁
(注4)厚生労働省(URL: http://www.mhlw.go.jp/topics/idenshi/list.html)。遺伝子組み換え添加物については7品目が許可されている。
(注5)天笠啓祐『遺伝子組み換えとクローン技術 100の疑問』東洋経済新報社 2000年64‐65頁
(注6)大石正道『遺伝子組み換えとクローン』ナツメ社 2001年 110‐111頁
(注7)2001年7月17日付け『日本経済新聞』夕刊
(注8)2001年7月26日付け『日本経済新聞』朝刊
Thesis
Kazuaki Shimotomai
第21期
しもとまい・かずあき
PwCコンサルティング合同会社 ディレクター