論考

Thesis

防衛庁の省昇格論議を振り返る その2

昭和36年4月12日、西村直己防衛庁長官は、ミサイル導入計画、師団改編や統合幕僚会議の強化案を池田勇人首相に説明した後、更に自衛隊が間接侵略に対処する必要性や基地行政を充実させるため、この際、調達庁を吸収して防衛庁の省昇格案を検討すべきだ、と進言した。この調達庁の吸収を論拠にした昇格論議はしばらく続くこととなった。

 防衛庁および自民党の政調国防部会などの一部には「調達庁の吸収のための関連法案を通常国会に提出するので、この際、省昇格も同時に行った方が良い」との意見が出ていた。防衛庁を省に昇格する考えには、藤枝泉介防衛庁長官も就任早々の昭和36年8月に昇格法案の国会提出の意向を表明しており※1、防衛庁も「防衛庁の昇格議論を振り返る その1」で既述したようにかねてから何度と無く検討を重ねており、庁内に異論は無かった。

 しかしながら、予算編成に絡み、昭和37年度には、省の増・新設は認められない方針が閣議で了承され※2、又も昇格は見送られることになった。

 昭和37年9月24日、自民党国防部会後の記者会見において志賀健次郎防衛庁長官が、「防衛庁の省昇格は、次の通常国会で内閣委員会に、ほかに重大な問題も無い模様であるから、省昇格を計るに良い機会だと考える。政治情勢を検討、池田首相の真意も質して早急に最終的な態度を決めたい。」と語った※3。

 この発言は、同年4月から始まった第一臨調が、現行の国家行政制度全般について検討を加えており、その中でも最も重要な調査事項である「行政の総合調整」を睨んだものと思われる。そして、翌年の第一臨調の中間報告で昇格を肯定する報告がなされたことによって、昭和38~9年において昇格論議は勢いを増すこととなった。

 昭和38年3月1日、第一臨調の中間報告がなされた。その中の“各省庁等基幹行政機構のあり方”、という章の中で防衛庁の省昇格を答申案として提出した。昇格の理由として、第一に、任務の重要性、第二に、世界の主要国では、中央行政機構内の重要な地位を占めている、第三に、現在の防衛庁は、各省と比べて規模が大きい、などの三点をあげた。

 更に、昇格の利点として、第一に、主務大臣が所管事務を直接処理できる、第二に、総理府での処理という事務手続き上の一段階が省略できる、第三に、職員に安定感を与え、自衛隊員のモラル向上をはかれる、などとした※4。

 18日には、自民党安全保障調査会の船田中氏らが、池田首相に同調査会での防衛庁の省昇格の決議を報告し、昇格の早期実現を要請するに至った※5。

 防衛庁でも、同時に昇格に向けて動いてはいたが、しかし、同庁が準備を進めていた昇格法案において防衛庁が、省に昇格した場合の防衛大臣の権限をめぐり、内閣法制局と対立したのである。

 防衛庁案では、内閣総理大臣の権限は、防衛出動に関する命令権のような重要な権限を除いては、防衛大臣の権限とし、内閣総理大臣に留保された権限の行使については、防衛大臣が援助(助言)するものとする、とした。しかしながら、これに対して内閣法制局は、防衛出動に関する権限のような重要なものについても、現行では防衛庁が機構上、総理府の外局であるので、内閣総理大臣の権限としているものの、省昇格の場合は内閣総理大臣の権限として残さずに防衛大臣に全て移管するべきだと主張した※6。この権限の問題は、昇格論議において終始一貫した懸案事項でもある。

 自民党政調審議会は、6月25日、防衛庁を国防省に昇格させるための「防衛庁設置法および自衛隊法改正案」の要綱を決定した。そして、次の通常国会の冒頭に政府提案で提出するとの方針を確認し、同日、総務会の了承も得たのである。また、問題となっていた総理大臣と国防大臣の権限については以下のように決めた。

 総理大臣の権限。(1)内閣を代表し自衛隊の最高の指揮権を有する。(2)防衛出動など、自衛隊の武力行使を必要とする非常の事態に際して従来通り防衛出動、治安出動を命ずる。(3)出動に際しての特別部隊の編成のうち、特に重要なものを行う。(4)国防大臣が防衛出動あるいは治安出動の待機命令を発したり、会場での警備行動を行うことについて承認を与える。(5)自衛隊の隊旗などの交付や部隊、隊員などに対する最高の表彰を行う。(6)防衛出動時の物資の収用などについての地域指定を告示する。

 国防大臣の権限。(1)総理大臣の命を受け自衛隊を指揮するほか、自衛隊の隊務を統括する。(2)総理大臣の権限の行使を補佐する。(3)総理大臣の承認を得て防衛出動、治安出動の待機命令を発し、海上の警備行動を命ずる。(4)災害派遣、領空侵犯処置、土木工事などの引き受け、危険物の取り除きなどを行う。(5)防衛出動にあたって予備自衛官の防衛召集命令を発することが出来る。(6)漁船の操業制限、特別損失補償などについてこれまで総理大臣が持っていた権限を有する※7。

 また、志賀長官も次のように述べている、「防衛庁を国防省に昇格する法案は、次の通常国会に是非とも出したい。防衛庁が総理府のもとにあるのは政府が世論に気兼ねしているためで、同じ総理府にある科学技術庁、経済企画庁などとは性格が違う※8。」このような昇格に肯定的な発言は、政治家だけに留まらず、遂には制服組みのトップである統合幕僚会議議長林敬三(内務省出身)陸将も「防衛庁を国防省に昇格する必要性を感じている※9。」と語った。理由として、現在の自衛隊の業務内容や任務を考えれば、国防省に昇格させ、恒久的な施設を作ることが必要である、ということであった。

 しかし、政府は閣議において、防衛庁設置法改正案の取扱について協議したが、国防省昇格を改正案に含めるかどうかについては、自民党側と調整をはかるという曖昧な姿勢を示した※10。また、黒金官房長官も「防衛庁の昇格問題は、(昭和39年3月)17日から関係省庁の打ち合わせをはじめて要綱をまとめるが、関係法案提出の時期は決まっていない※11。」と語り、更に昇格論議は混迷の度合いを深めるように思われたが、翌17日の関係次官会議においてあっさりと防衛庁の昇格で一致したのである。

 政府は、事務次官会議を開催し、昇格法案についての事務段階における最終的な検討を行った。その結果、提出の法案の基本として、第一に、防衛庁を総理府外局からはずして省に昇格する。第二に、最高の指揮権は総理大臣が持ち、防衛関係事務は、防衛大臣が持つ。第三に、省の名称については更に検討する※12、などの意見で一致したのである。

 この関係次官会議の後に、黒金官房長長官が3月28日に次のように語っている「防衛庁の昇格問題については、自民党側から矢の催促なので、政府としては来週中には法案の要綱をまとめたい※13。」。そして、その2日後の30日にも「4月1日に防衛庁が改正案の要綱をまとめるので、直ちに関係次官会議にはかる予定である※14。」と語り、いよいよ防衛庁の省への昇格が現実味を帯びてきていた。

 来月のレポートでは、第一臨調の結末と池田内閣が防衛庁を省に昇格させると閣議決定を行なった過程を振り返る。

※ 1『朝日新聞』昭和36年11月27日
※ 2『朝日新聞』昭和36年12月5日
※ 3『朝日新聞』昭和37年9月25日
※ 4『朝日新聞』昭和38年3月1日
※ 5『朝日新聞』昭和38年3月19日
※ 6『朝日新聞』昭和38年4月29日
※ 7『朝日新聞』昭和38年6月25日
※ 8『朝日新聞』昭和38年7月11日
※ 9『朝日新聞』昭和38年11月8日
※ 10『朝日新聞』昭和39年2月25日
※ 11『朝日新聞』昭和39年3月16日
※ 12『朝日新聞』昭和39年3月18日
※ 13『朝日新聞』昭和39年3月29日
※ 14『朝日新聞』昭和39年3月30日

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山本朋広の論考

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Tomohiro Yamamoto

山本朋広

第21期

山本 朋広

やまもと・ともひろ

衆議院議員/南関東ブロック比例(神奈川4区)/自民党

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