Thesis
「フォロワー」とは「リーダーに従って動く者」であるが、単なる主従関係ではない。模範的フォロワーの真髄は「諫言」にあると言える。また、フォロワーの「諫言」は「日本の伝統精神」を体現する上においても重要である。「諫言」をもった「模範的フォロワー」が、明日の日本の繁栄と発展をつくる。
リーダー不在論が世界中で叫ばれ続けて久しい。日本国内でも、たとえば当松下政経塾において、各界のリーダーの開発と育成が建塾の理念に謳われたのが26年前である。特に近年では、経済復興、自然環境保護、家族や地域の絆再生など、様々な混迷から抜け出す為の変革が求められ、優れたリーダーシップがかつてないほどに待望されている。
ハーバード・ビジネススクールのジョン・コッター教授によれば、「マネジメント」が「組織を上手く機能させること」が目的であるのに対比して、「組織に変化をもたらすリーダーシップ」の必要性・重要性が強調されている。またP.F.ドラッカーは「急激な構造変化の時代にあっては、生き残れるのは、自ら変革の担い手、チェンジ・リーダーとなる者だけである」と指摘している。その他多くの提言や書籍において、リーダー不在を危惧し、リーダーの待望が提唱されている。
それほどまでにリーダーが重要視されているが、優れたリーダーの存在と同時に、組織を構成する「フォロワー」のあり方も、同じく重要であると言えるのではないだろうか。「フォロワーシップ」は、社会学や組織行動学において、ここ数年になって徐々に論じられるようになってきたが、リーダー論に比較すればまだまだマイナーな考え方である。あるいは語るまでもない事と認識されているのだろうか。例えば国立国会図書館のNDL-OPACで書籍検索をすると、「リーダーシップ」が698冊の結果に対し、「フォロワー」をタイトルに含む図書は6冊、「フォロワーシップ」はただの2冊のみであった。
このように「フォロワーシップ」は一般的にあまり着目されていない。しかし組織の構成員は、その数から言えばリーダーよりもフォロワーの方が圧倒的に多い。またその果たす機能、与える影響力は組織全体の70~90%にも及ぶという説もある。そしてリーダーと呼ばれる人のほとんど全ては、別の場面や別組織においてはフォロワーとなる機会も併せ持っている。
企業など明確な目的を共有している組織においては、トップダウン的組織運営が大きな力を発揮する場合もあるが、ときに社会全般を見ると、市民からの声による、いわゆるボトムアップ型の組織や運動こそが、大きな推進力と実行力をもつ事も、注目すべき事実と言えよう。
このように、社会の大多数は現実にフォロワーであり、場面によってフォロワーとなり、そしてフォロワーもリーダー同様社会に大きな影響力をもつ。本稿ではこの「フォロワーシップ」について考察する。
まず「フォロワー」という言葉の定義をする。
デイリーコンサイス英和辞典によると、「部下、家来、門下、模倣者」などとされている。
またマーケティング理論においては、フィリップ・コトラーによって、「フォロワー戦略」や「フォロワー企業」という名称で使われている。フォロワー戦略とは、リーダー企業やチャレンジャー企業の模倣をしながら経営資源の蓄積を図る戦略の事で、フォロワー企業とは、リーダー企業やチャレンジャー企業の後を追う事で利益を上げようとする企業の事、とされている。
つまりフォロワーとはリーダーに相対する立場で、従う者、模倣者、真似という意味を有する。本稿においては、社長に対する従業員、課長に対する課員、市長に対する市民など、「組織や社会において、リーダーに従って動く者」と位置づける。
リーダーとフォロワーは、役割を別にするものではあるが、敵対する存在ではなく、人々を明確に分類するものでもない。1人の中に並存する2つの能力であり、組織においては互いに協力し補足しあう存在であると考える。
では、フォロワーシップとはどのような機能であろうか。
リーダーに従い、補佐し、共通の目的に向かって力強く共に進むフォロワー、模範的なフォロワーとは、どうあるべきか。
一般的なフォロワーと、模範的フォロワーについて、まず機能に関する私の認識を示し、その比較から、私の考える模範的フォロワー固有の資質を抽出したい。
まず、フォロワーは一般的に、リーダーの指示に従って、現場において実践遂行する者のことである。その作業は一人でする場合もあれば、仲間と協調を保ちながら行う場合もある。その作業自体の評価に関する思考や判断は、個々のフォロワーが必ずしももたなくてよい場面が多い。
一方、模範的フォロワーとは、上記一般的フォロワーの機能に加え、次のような機能を想定する。
リーダーの指示に基づき、与えられた任務は当然の事ながら、求められる以上の仕事を自ら見出し率先して行い、その現場の先端で行う実務から問題点を抽出し、それらへの対処の迅速かつ的確な判断ができる。更にその根本的な解決に向けた、よりよい手法を考える。そしてその手法を組織に提案し、場合によってはリーダーへの諫言も行う。
このような機能から導き出される資質とはどのようなものであろうか。
上記の機能のうち「求められる以上の仕事」について、PHP研究所の江口克彦氏は、著書にて「上司から与えられた仕事であるが、プラスαを加える事で自分のものになる」と述べている。このような「自分の仕事」である、という使命感をもって日々仕事に向かっていれば、何年か継続するうちには、かくあるべきという「信念」が生まれてくるであろう。その「信念」に対して上司の求める指示が不満足であれば、「求められる以上の仕事」をするのは、いわば当然である。
この様に「自分の仕事」に関して「信念」をもち、そこにおける正しさを徹底して見つめる努力をすれば、その仕事の改善点、問題点も見えてくるというものだろう。しかし漠然と見ていては、見えるものも見えてこない。そこには「批判的視点」が必要である。また、仮に自分は満足したとしても、次工程の仲間や、客先などに、自身の仕事ぶりや製品について積極的に耳を傾ける。このような「聞き上手」である事で、所属する組織や、自身の仕事に関する隠れた問題点も見えてくるというものである。具体的な問題点を見出す事ができるのは、リーダーよりも、実際に現場であたっている担当者、フォロワーこそである。
このように、まず「聞き上手」である事、次に、「批判的視点」を持つこと、そして「信念」を持つ事、の3点が模範的フォロワーとして、重要な資質であると考えられる。
そして、「聞き上手」であり、「批判的視点」と「信念」を併せ持つからこそ、「解決手段の発見と提案」ができ、更には上司に対する「諫言」も厭わないのである。
模範的フォロワーの機能と資質について、上記の通り縷々述べてきたが、以上をまとめると、この「諫言」こそが、模範的フォロワーに特有の資質であり真髄であると、筆者は考える。「諫言」以外の資質は、一般的フォロワーやリーダーと明確に分けるものであるとは言い切れない。「聞き上手」は一般的フォロワーにもできるであろうし、「信念」は、リーダーにも同様に求められる。この「諫言」こそ、リーダーや組織が、模範的フォロワーに最も望むものではないだろうか。現実には、上司やリーダーに対して物申す人は少ない。その意味でリーダーは孤高である。孤高で聡明なリーダーこそ、助言ともなる「諫言」を求めていると言ってよいであろう。
幸之助塾主は、日本人の特質として「自他ともの繁栄に結びつく精神」とう要素が、日本人の伝統精神の中には多く含まれている、と述べている。共栄の精神という事であろう。また、日本人の優れた素質として、「大きな問題が起こる度に発展をとげてきた」とも述べている。問題が発生し、それを乗り越える度に、ともの発展を続けている、という事だ。
このような、問題を乗り越え「ともの繁栄をとげる日本人の特性」を支えてきたのが、フォロワーによる「諫言」である、という事ができるのではないだろうか。塾主は、織田信長の家臣である平手政秀の、切腹による諫言の例を挙げて、死をもってしてまでも主君の粗暴な振る舞いを諫めた事の重要さを述べ、「家臣の最高の道徳」であると評している。この場合は政秀自身が命を落としており、「ともの繁栄」とはいかないが、自分の利益よりも主君や世の繁栄の為に、体を張り「諫言」を遂げた事に塾主は注目して、再三この例を引いている。
この様に、幸之助塾主も、日本の繁栄にとって「諫言」が重要である事を指摘している。次項では、塾主の提唱する「日本の伝統精神」と、フォロワーによる「諫言」の関係に迫りたい。
幸之助塾主は、日本の伝統精神として、「和を尊ぶ」、「衆知を集める」、「主座を保つ」という三つの精神が代表的なものではないか、と主張している。それぞれにおける、フォロワーの「諫言」について論考する。
「和を尊ぶ」
「和を尊ぶ」、和を保つ為にも、上司やリーダーに対して言うべき事は言わなくてはならない。
幸之助塾主は十六歳の時に、奉公していた店で一人が盗みを働いた、というエピソードを紹介している。その時店の主人は、彼を諭して許そうとしたが、純真な幸之助少年は、それを許せなかった。「あの人を許すのであれば自分が辞める」と直訴した。それで店主も考えを変え、ついにその人は店を辞める事になった訳だが、それからその店はずっと発展した、と言う。しかもその人は別の店でも同様に盗みを働いた、とのちになって聞こえてきた。あとで主人には「お前のおかげや」と礼を言われたと述懐している。
店全体の秩序を乱す事に対しては、先輩だろうと主人だろうと言うべき事は言う。つまり、フォロワーの「諫言」があってこそ、かえって和が強まるのである。
「衆知を集める」
次に「衆知を集める」についてであるが、『新しい人間観』においても、『日本の伝統精神』においても重ねてその重要性を述べているほど、塾主は「衆知」を大事にしておられた。そして、耳に聞き易いよい意見のみでなく、自身に対する批判にも積極的に耳を傾けた。自身を批判する人をこそあえて招き、さらに自分に批判されるべきところがないかを尋ねた。「むしろそういう批判があるのなら、それを大切な意見としてさらに意欲的に行動していこうと積極的になる。そのとき、批判は助言に変わるのだ」という姿勢を持っていた。
「衆知を集める」という事は、「批判的視点」に基づく助言、つまり「諫言」をも重視している。
「主座を保つ」
塾主は、「いち社員であっても、主座を保ち、自分は社長だという気構えが必要だ」と述べている。等しく社長同士であるという意識をもつから、相手が上司であっても対等に物が言え、上司に諫言をする事も可能となる。塾主はまた「社長を使う社員にならなければいけない」とも述べている。模範的フォロワーは時には社長をも動かすのだ。社長を動かすという事は、自分自身が信念と主座を持たなければ、できるものではない。
そして塾主は、「主座を保ちつつ教えを受け入れ、これを生かして行くという事が、1つの日本人の国民性であり伝統精神である」と述べている。「諫言」を受け入れる姿勢が、日本人には備わっているのである。主座を保った部下の「諫言」を、同様に主座を持つ上司は尊重する事ができる。これがお互い主座を保った上司と部下の姿である。
以上見たように、塾主の唱える「日本の伝統精神」を体現するためにも、フォロワーによる「諫言」が重要であると言う事ができる。
前段で、模範的フォロワーの真髄とは「諫言」である事を述べ、そして塾主の提唱する「日本の伝統精神」を体現する上においても、フォロワーによる「諫言」が重要である事を述べた。また、実際に日本人の特性を支えてきたものが、フォロワーによる「諫言」であろうと述べた。そのひとつの根拠として、日本人はこれまで、大きな問題がある度にそれを乗り越えて発展してきた事と、そこには「ともの繁栄」という精神があり、それを支えているものが「諫言」であるという事を、塾主が用いた例を引用して確認した。
我々フォロワーが、この「諫言」を実践する為には、まず真実をみつめる事が重要であり、そしてそれをつらぬく信念が大切であると考える。そしてこれには「素直な心」が重要であると考える。塾主は「素直な心は、物事のありのままの姿、実相を見ることのできる心」であると述べ、そしてこの「物事の実相を見る」ということは「よいものはよいものと認識し、その価値を正しく認める」ことにつながる、と指摘している。自身の判断に価値を正しく認める事ができれば、誠意をもって忠告することに、何を恐れる事もなくなるであろう。
我々の生きる人間生活を、より向上せしめるためには何が正しいか。社会の要求を素直な心で聞き、批判的視点をもってみつめ、そしてそれが信念にまで高まった時には、躊躇することなくしっかりと「諫言」するべきである。「諫言」でなく「甘言」で接すれば、真実の事は伝わらない。「諫言」をもった模範的フォロワーが、明日の日本の繁栄と発展をつくる。
参考図書
松下幸之助『人間としての成功』PHP文庫、1989年
松下幸之助『社員稼業』PHP文庫、1974年
松下幸之助『素直な心になるために』PHP研究所、1976年
松下幸之助『人間を考える第二巻 日本の伝統精神』PHP研究所、1982年
松下幸之助『松下幸之助発言集』第21巻、41巻、43巻PHP研究所、1992年~1993年
江口克彦『成功の法則』PHP研究所、1996年
江口克彦『部下の哲学 成功するビジネスマン20の要諦』PHP研究所、1999年
ジョン・P.コッター『リーダーシップ論 いま何をすべきか』ダイヤモンド社、1999年
P・F.ドラッカー『チェンジ・リーダーの条件 みずから変化をつくりだせ!』ダイヤモンド社、2000年
多田正行『コトラーのマーケティング戦略』PHP研究所、2004年
浦壁伸周『否定学のすすめ』プレジデント社、2002年
Thesis
Kiyotaka Takahashi
第24期
たかはし・きよたか
Mission
スポーツを通じたコミュニティの形成と地域連携