Thesis
私は「教育」と「スポーツ」を二本柱に政経塾に入塾し、これまで三年弱の研修を積ませて頂いた。その間、多くの方と出会い、様々な事を考え、確かなものを学ばせて頂いた。今回、個別活動テーマの最終稿として、この三年間の振り返りを行いたい。
1)政経塾に求めたもの
私にとって松下政経塾におけるこの三年間は、「自身の使命とは何か」を探求する為の時間であった。
入塾前、サラリーマン生活を送っていた私には、七年間の社会人としての業務や、ラグビーのクラブチーム代表者としての四年間の経験などを通じて、社会に対する感謝とともに、頂いた恩を返したい、広く社会に貢献したいという強い思いがあり、その柱として、「教育」と「スポーツ」を持っていた。私なりの言葉で表現するなら「人づくりから国づくり」と「スポーツマンシップの共有」である。しかし当時、一サラリーマンであった私は、この二つを実現して、具体的に社会に貢献できる手段をまだ持っていなかった。
それをいかに見出しいかに具現化するか、という事が、政経塾の活動における私の探求命題であった。つまり政経塾は私にとって「使命確立」の場であり、この三年間は「使命探求の旅」であった。
本論では、三年間の政経塾での経験と、学ばせて頂いた事を振り返り、その中から得た自身の使命というものについて、今後の活動も含め自身でよく見つめたい。つまり本論は政経塾における自身の活動の総括を主目的とする。
三年間の活動の中で、様々な分野でご活躍の多くの方々と出会い交流をさせて頂いた。中でも特に強く共鳴した、教育に携わる三人の方について、彼らの姿勢や思いとの触れ合いを最初に振り返りたい。つまり大人として教育者としての視点である。続いて、人が成長する段階において重要だと感じられた事について、中高生達若者との体当たりの経験を振り返りたい。
1)教育者の視点
私は二年次の夏、白根開善学校で二週間の実習を積ませて頂いた。その学校は群馬県の山あい、標高1,160mの白樺林の大自然の中で、生活と学習を統合した中高一貫の全寮制教育を行っている。
私が三年間で出会った中で、最も強い「使命感」を持っておられ、私自身強く感銘を受けた方のひとりが、この学校の創設者であり現校長の本吉修二氏だ。本吉氏の信念は「人はみな善くなろうとしている」であり、その信念の結晶が、26年前のこの学校の創設であったと、本吉氏は言う。
多くの困難を乗り越えてまでの創設の背景には、「子どもの居場所を奪う社会に日本が変ろうとしている」という危機感が、本吉氏にあった。落ちこぼれ、校内暴力、家庭内暴力、不登校と、子ども達を取り巻く環境の荒廃が始まっていた。そんな中、偏差値や既成概念にはめ込む教育ではなく、「一人ひとりを人間として教育していく」という強い思いを柱に、「子どもの幸せ」という一点から本吉氏は教育を徹底して見つめたのである。そして「開善=人はみな善くなろうとしている」という考えに行き着いたのだった。
本吉氏は基礎学力の重要性を認めている。その上で、知識のみに偏る事なく「心身ともに健康で、思いやりのある本当のエリート教育が、ここでならできる」と彼は言う。表現だけなら誰にでもできるであろうが、本吉氏は一日の二十四時間と彼の生涯をかけて、その実践に取り組んでいる。その姿勢に彼の覚悟を感じた。
その様な本吉氏であるが、未だやり残した事があると言う。現在彼は、子ども達の卒業後の将来に憂いを抱く。開善学校には、地元高校を一度中退した生徒も多いが、彼らが開善学校の中では社会性を身につける事ができたとしても、守られた学校社会の中での事だ。実社会の強風にさらされた時に彼らが精神的経済的に自立していけるかどうか。「何かしてやりたい。しかし今の開善学校には卒業後のことまでは助けてやる事ができない。そういう意味ではこの学校はまだ、半分しかやっていない」と語気を強めた。涙を浮かべた瞳には、「子どもはあらゆる可能性をもった存在である」という信念と使命感が垣間見えた。
彼を貫くものは「可能性を引き出す」この一点である。
原田氏には、「教師塾」で受講生の一人として、またその後の個別ディスカッションを通じて、足掛け一年にわたりお世話になった。原田氏は、「どんな子どもでも心の深いところで自信と誇りを求めている」と述べる。また「人間は自然に自分を高めようと努力するものだ。植物が光に向かって成長するような強さを、人間は本来持っている」と語り、そこに人間の本質があると述べる。その点で本吉氏と非常に共通する思いを感じる。
「どんな人間でも変われる」との信念に基づき、彼は今、次代を担う若手教師達を育てる事に力を注いでいる。彼を貫く使命感は「ひとりでも多く、本気の教師を育てる」という事である。「子ども達を『自立型人間』に育てること」、そしてそのために「教師の質を上げなければならない」という事、「教師が変れば日本が変る」という事が信念である。
彼が口癖の様に訴えるのが「主体変容」という姿勢だ。子どもを変える前に親や教師である我々大人が変らなければならない、という事を徹底して実践している。伏見工業高校ラグビー部の名監督山口良治氏の言葉を借りれば、「ベクトルを自分に向ける」という事であろう。その様な姿勢から、教育者の「本気」が伝わったとき、信頼が生まれるのである。
原田氏の教育理念は「本気の教育が人を変える」である。
原田氏は「陸上と思うな、人生と思え」というメッセージを伝えていたが、同様に水野氏は「アメフトを通じて人間を育てている」と明言した。そしてその教育哲学は「徹底した自己否定」だという。「自己否定から自己認識が生まれる」と述べる水野氏は、学生のキャプテンが、試合に向けた戦術や練習メニュー案も持って来ると、徹底して問い返す。「ホンマにそれで勝てるんか?ホンマか?ホンマやな?」と三回は繰り返す。はじめは圧倒され黙り込んでしまう学生も、数ヶ月もすると自身の考えが腹に落ちてくるのか、「これで勝てます」と断言する。
水野氏は言う。「答えがない時に思い切りぶつかって行ける人間、無謀とも思える事でも最後まで立ち向かえる人間、そんな強い心をもった人間を育てる。」彼の使命はここにある。
水野氏の持つ教育理念は、「徹底した自己否定から新しい自分が生まれる」である。
以上三人の重要人物それぞれから感じた、人を育む事に関する彼らの使命や思いを振り返った。それぞれ、「教育とは人の持つ無限の可能性を引き出す事」、「本気の教育が信頼を生み人を変える」、「徹底した自己否定から新しい自分自身を見つける」という事であった。
つまり、現状に甘んじる事なく、また自分に枠をはめる事なく、そして本気で自分や他人と向き合い育み合えば、人は大きな力を発揮する可能性を持っている、という事ができるのである。この事が、上記のお三方をはじめ多くの教育者たちの信念や使命感に触れつつ、実際に子ども達と接してきて学び得た、私の教育に関する姿勢である。
以上本項では大人の視点に立ったが、続いて次項では若者達との実際の触れ合いの中から、人が成長する過程において重要だと思われる要素について、私なりの考えをまとめたい。その為に、先にも触れた白根開善学校での体験を、代表して振り返る。開善学校では、教室での授業に加えて、集団生活と大自然と、そして体当たりによる触れ合いと切磋琢磨があった。つまり社会の縮図とも言える場である。
2)若者達との触れ合い~白根開善学校での体験~
開善学校においては常に全てが全力である。教室での生活もさることながら、放課後の部活動や寮での補講、大自然の中での共同生活など、一日を通じた生活の全てに、彼らの学びの場があった。そして私にとっては、ここでの体当たりでの体験は使命確立への重要な階段があった。
生徒の一人に、長野から来たボクサーがいた。彼はあまり社交的とは言えず、更に腕っぷしの強さが災いしてだろうか、友人と一緒にいる事も少なくたいがいの時間をひとりで過ごしていた。大人との関係も、本吉校長は別として教師に対して心を開いているとは言えなかった。私が挨拶をかけても彼は素通りだ。そんな彼の存在が私はとても気になった。なぜなら本来この学校では、多くの若者達が集団生活を通じて、仲間や大人達、つまり社会と心を通わせるようになるはずだからだ。この学校でならきっと、彼とも心を通じる事ができると思い、私は彼との接点を探した。
着任四日目、私は彼にグラブとヘッドギアを借り、思い切ってスパーリングをもちかけた。経験の無い私が敵う相手ではなく、私はサンドバックと化した。しかし彼も手は抜かず、私の唇は腫れ上がった。三ラウンドを終えた後に、お互いに重ねたグラブの掌を通じて、少し心が通じた様な気がした。
週末になり今度は彼をグランドに誘った。400mの広大なトラック10周競走をもちかけた。私は長年ラグビーで鍛えたとはいえ、しばらくグランドからは遠ざかっていた。彼は現役のボクサーである。しかし負けられなかった。全力で勝負し、ゴールでは私が彼を迎えた。グランドの草むらにある錆びた蛇口をひねり、水質が心配だと言いながらも、ともに飲んだ。
翌月曜日の校舎で、「おはようございます」と、初めて彼から声をかけてくれた。
私と彼とは、ただ殴りあったわけではなく、ただ走力を競いあったわけではない。一対一としてお互いを認め合い、そして体と体をぶつけ合う事で、存在とその力を感じあったのだ。もちろん実社会の場面で、直接的な肉体的衝突を必ずしも要するわけではないが、姿勢として、全身全霊でぶつかり合い受け止める事からこそ、信頼関係が育まれる。それは両者の立場や能力を超えて結ばれる絆である。集団社会の中でも、一人と一人がその様な信頼関係を結び、それが広がって行く事ができれば、社会全体が心を通わせ、強く優しい絆で結ばれることだろう。
開善学校には「労作」という授業がある。薪を割り冬への準備を一年間かけて行うのだ。春、森から木を切り出すところから生徒自身が行う。私がいた七月にはナタでひたすらに割っていた。そんな作業の中、ひとりが仲間に向けて問いを発する。「俺達って将来どうなるんかなあ」期待と不安だ。「ダメじゃん、ダメダメ」自嘲気味だ。別のひとりが返す。「でもさあ、日本全国でも俺達だけだろな、薪割ってる高校生って。」質問への答えにはなっていない。しかしその場の全員が、そのひと言に満足した。
開善での「労作」は、労働、作業という事であるが、この「労働」について、サミュエル・スマイルズは『自助論』で「人間は読書ではなく労働によって自己を完結させる」と述べている。読書の否定は極端だが、彼らは冬支度に向けた労働によって、集団社会に貢献している事を感じ、その貢献を通じて自分が唯一貴重な存在である事を認識している様に、私には感じられた。
「自己完結」への手段や踏むべきプロセスは多岐にわたるだろうし正解はないのであろうが、「労働」が重要な階段の一つである事は、少なからず的を得た事実であろう事を、私は開善学校で確信した。
開善学校では、様々な境遇の生徒たちが24時間生活をともにしている。さながら一つの社会だ。不登校児、障害児、そして暴力など問題を抱えた生徒。いじめっ子もいじめられっ子も同居だ。問題はしばしば起こる。
ある日、ある生徒が障害をもった同級生をいじめた。するとその夜、生徒会長でもあり番長格としても目されるIが、そのいじめた側の生徒を呼び出して殴った事が発覚した。理由は推察できるが、許される事ではない。彼は七日間の停学処分となった。しかし、Iが山を下りてから五日目、早くも彼の鋭くも温かみのある眼光が、山の上の校舎に戻ってきた。「早かったな」私は声をかける。「がんばっちった」短い返事である。彼は反省文と与えられた課題を睡眠時間を削って早々に仕上げ、それを持って予定よりも三日早く山奥の学校に復帰した。
池田潔は『自由と規律』で「大学以前の青少年に対する道義心の涵養と道徳的勇気の鍛錬」が「付け焼刃でない民主主義の確立」をもたらすと述べた。また小室直樹は吉田松陰の教育を評して「何が正しくて何が正しくないかを教える教育」と述べた。これらの主張を是とするならば、「道義心」と「道徳的勇気」をもち、「何が正しく何が誤っているか」という事を身につけた青少年達が、山奥の、密度の濃い人間関係に基づく集団生活において育まれているという事実は、高い評価に値すると言える。
Iは集団社会で守るべき規範の存在を示し、そしてそれを暴力によって行ったという彼のその行為自体がまた、集団生活のルールによって裁かれると、その裁定を従容として受けいれた。与えられた罰から逃げるのではなく全てをやり切る事で集団社会に戻って来る。それがリーダーとしての彼なりの責任の果たし方であり、学校や大人たちもそんな彼の意気を酌み復学を認める。仲間社会における安心と安全はリーダーである自分が守るという使命を、歪んだ形ではあるが彼の行動から感じさせてもらった。そして、そんな彼を受け入れる学校側の教育者としての姿勢に、学ぶ事が多くあった。
以上開善学校での体験から学び得た事を振り返った。人が成長する或いは人を育む過程での重要な要素について、一つに「全身全霊でぶつかり合い受け止める事が信頼関係をつくる」という事。二つ目に「自己を確立する為に労働が重要である」という事。そして三つ目に各自「自分がリーダーとして社会を守る使命感が重要である」という事を、私自身がまさに体当たりで感じ、学ばせて頂いた。
ここでは自己の確立とともに、リーダーシップの涵養という事について、学びえた事をまとめた。次項では、松下政経塾の使命がまさに「リーダーの育成」である事の確認を踏まえ、私なりのリーダーのあり方やリーダーシップという資質について論考する。
1)松下幸之助が求めた「リーダー」
幸之助塾主が松下政経塾にかけた思いとは「リーダーの育成」であった。設立趣意書には「将来の指導者たりうる逸材の開発と育成こそ、多くの難題を有するわが国にとって、緊急にしてかつ重要な課題である」と謳っている。また塾主は、5年間の研修(当時)を終えて卒塾すれば、例えば「文部大臣(当時)をやれと言われても、それをやれるというぐらいの見識を養わなくてはいけない」と述べている。卒塾後すぐに大臣という事はやや現実離れしているにせよ、それほどに社会のリーダーとなる事が求められており、諸先輩方は実際に各界のリーダーとして活躍されている。
そして初期の塾長講話録には、一番最初に塾生に訴えるものとして、「人間把握」を挙げている。続けて「知識の主人にならなくてはいけない」と述べ、知識という道具に振り回されてはいけないと指摘する。そして第三に「悟る事」が大事だと述べている。
この様な事を通じて、自らのリーダーシップを高めていく事が、塾主が塾生にかけた思いであると認識できる。
私達塾生は三年間、このような塾主の期待を背負いながら研修をさせて頂いた。そこで私なりに得たリーダー像を以下に述べたい。
2)リーダーの機能
リーダーとは、目標地=ゴールに向けて、組織を引っ張り到達させることを使命とした、社会や組織の指導者、牽引者と言える。その求められる機能として四つのステップがあると私は考える。第一に、新しい価値を創出しそれを明示する事、つまり価値あるゴールを設定することである。次にそのゴールと現在地の隔たりを示す事。三段階目に、その差を埋める為の越えるべきハードルを明らかにする事である。そして最後に、そのハードルの跳び方を示し、実際に跳べる様フォロワー達の力を引き出す事であると考える。
そしてリーダーの能力としては、ゴールへの道程の、あらゆる段階における「決断」が重要な能力であり、更にその判断基準となる「情報」の収集能力が必須であろうと考える。
著名者の論では、例えば堀紘一氏の定義に従えば1.ビジョン 2.戦略 3.組織 4.人事 5.カルチャー とされる 。また安岡正篤氏は、1.常に五年先十年先を考える 2.多元的にみる 3.枝葉ではなく根本で見る をリーダー必須の三原則として挙げている 。その他リーダーの能力について言及する多くの諸説があるが、私は、上記の通り「決断」と「情報力」が重要であると考える。
リーダーの「タイプ」についてもやはり諸説が論じられている。農耕民族型か狩猟民族型か、などいくつかの分類がされ、それぞれの優位性が論じられている。例えばクラウゼビッツの『戦争論』では「一頭のライオンが指揮する百頭の羊は、一頭の羊が指揮する百頭のライオンに勝つ」と述べられている。また小渕恵三元首相について佐々淳行氏は、人の意見をよく聞く姿勢を、カーネギーの墓碑銘に書かれた「己の周囲に己より賢き人を集める全てを知りたる者」という例を引用して評価している。
以上、私なりのリーダー像を述べ、また、世に論じられている諸説について触れたが、リーダーとして求められる機能や能力は、佐々氏の著書『平時の指揮官 有事の指揮官』という題名にまさに表れている通り、場面や状況によってそれぞれ異なってくる。その為、いくら論じても論じきれるものではない。ここではリーダーの「使命感」という幸之助塾主の言葉を引用するにとどめて、次項に進みたい。
塾主は「指導者というものは、つねに事にあたって、何のためにこれをなすのかという使命感を持たなくてはいけない。それを自ら持つとともに、人々にそれを訴え、言わば植えつけていく事が極めて大事である」と述べている。
前述の通り、リーダー像は細かくは多様に表現が分かれるであろうがいずれにおいても、目指すべきゴールの価値を示し、それを何としてでも達成するという「使命感」が重要である。次項では「リーダーシップ」や「使命感」が、リーダーのみならず全ての人にとって重要であるという事を述べたい。
3)全ての人に重要なリーダーシップ
ここでは、目標や手段が比較的明確となりやすいスポーツのリーダーを例にとり、以下に論考する。
スポーツのチームにおけるリーダーは、監督でありキャプテンであるが、ここでキャプテンの有するリーダーシップ「キャプテンシー」という資質について論考したい。
キャプテンは、チームのリーダーとして前述の様な機能を発揮する事が求められる。つまりチームにとっての新しい価値を提示して、そしてその目標を達成させることである。共通のゴールがいかに価値ある素晴らしいものであるかを、より具体的にイメージをさせて、プレーヤー達をモチベートし原動力を引き出す。
卑近な例で恐縮だが、例えば私のラグビーチームの目指すゴールは「日本選手権一勝」であり、「早大ラグビー部に勝利する事」である。この事は単に、ある目標とするライバルに勝ちたいという事のみではない。「クラブチームが学生チームに勝つ」という事は、これまでの一般常識を打ち破る大事である。その価値を明示して、それを達成した時の喜びや社会に与える影響力を常にイメージさせる。その事で大きな原動力を挙げ、なんとしてでもその価値あるゴールに到達するのである。
この能力をキャプテンシーと言い、それがどれほど高いかがそのリーダーとしての格を決めるのだが、この資質は、ひとりキャプテンのみが有すればよいものではなく、プレーヤー全員が個々の中に持つべきものであると、私は考えている。ラグビーというスポーツは十五人の集団球技だが、局面を見れば一対一の勝負であり、一人の責任が非常に重い。一人一人が自分の役割と責任を全うし、更にその事で自分がチームを引っ張るという使命感が重要である。
一人一人が、自分の目指すゴールを明確なイメージにして常に持ち続け、自らの行動力を自らの意志で引き出し、目標達成への手段を自らで探求して実践する。その様なキャプテンシーを個々のプレーヤー全員が持つ事が、チームの目標達成と個々の夢の実現に大きな力を与えるのである。その中で最も高いキャプテンシーを有し、且つ個々のキャプテンシーをうまく調和させる事のできるプレーヤーが、実際のキャプテンとなる。
この事は社会においても同様であると考えていて、一人の力強いリーダーの存在の重要性は繰り返して述べるまでもないが、それと同時に、個々の社会構成員である国民一人一人が、リーダーシップを持ち、自分自身に対する責任と、社会に対する役割や使命を、積極的に求めそれを果たしていく事が、混迷を極める現代社会の中で、集団を力強く前進させると私は考える。例えば松下幸之助塾主は、「塾生一人一人が塾長である」と述べ、「社員一人一人が社長だという自覚が重要である」と言った。この点については、私の別稿にて「フォロワーシップ」という資質について論じたので、ご一読頂ければ幸いである。
上記の「各個人の中にリーダーシップを」という事を端的に表現する言葉に、「One For All, All For One」という、ラグビー精神を表す有名な言葉がある。
私自身もラグビープレーヤーだが、実は私はかつてこの言葉に違和感を抱いていた。と言うのは、当時私はこの言葉を「一人(みんな)がみんな(一人)に何かをしてあげる」と理解していて、他を頼る姿勢を感じていたからだ。しかしある時から一変して、実はもっと深い意味を有していると今では感じている。それは「勇気を与える」という意味であろうと私は考える。一人の体を張ったプレーとその基にある責任感が、仲間の十四人に勇気を与え、そしてその相乗効果で十五人全員のパフォーマンスが高まるのである。一たす一が三にも四にもなる。逆もまた然りで、十四人の仲間のプレーが一人のプレーヤーを鼓舞する。つまり自分が努力すれば、力や励ましは回りまわって自分に返ってくるのである。
『自助論』の言葉を借りれば「天は自ら助くる者を助く」という事である。
4)自らをリードする「リーダー」
本項においてリーダーについて様々述べた。まず前提として政経塾がリーダーを育成する場である事を確認した。その上で、リーダーの機能に関する私見を述べ、「目指すべきゴールの価値を示し、それを達成する使命感が重要である」事を述べた。そしてその様な「リーダーシップ」や「使命感」は全ての人にとって必要な要素である事を述べた。
これらの事をまとめると、多くの人が「リーダーシップ」と「使命感」を持ち、「達成する喜び」に満たされた集団があれば、その集団は自身の目標を果たし得るのみならず、他の集団をも鼓舞し、社会全体を鼓舞するであろう。
松下政経塾は「社会のリーダー」を養う場であったが、社会全体をより俯瞰的に見れば、今「自らをリードするリーダー」が求められていると言う事ができる。ある恩師の言葉を借りれば「半歩ひとより先を歩ける人間」という表現になる。『自助論』に通ずる哲学であり、「One For All」に通ずる姿勢だ。強い牽引力を持ったリーダー育成とともに、多くの人々に「半歩先を歩けるリーダーシップ」の涵養が重要であると、私はこの三年間の研修を通じて考えるに至った。
1)自身の使命
さて、3年間の活動を様々に振り返って来たが、私にとって松下政経塾での研修は、言わば「使命探求の旅」であったとまず最初に述べた。そして現在、その明確な出口をつかむ事ができ、その事業でこそ、私が三年間模索してきた、自身の「使命」を果たす事ができるであろう事を述べた。では私の「使命」とは何であろうか。それは「多くの若者たちに、リーダーシップを育み、存在意義と使命感を感じてもらえる社会を創る事」だと考えるに至った。そしてその事が実現できた先には「挑戦する人が幸せになれる社会」があると信じる。
これが私が政経塾入塾にあたり求め、そして三年間の試行錯誤を重ねてきた結果得たものである。
2)3年間で得た教育理念
政経塾は社会のリーダーを育む場である事を、先に確認した。また「人間把握」が塾生の第一に求められた事だと確認し、合わせて「知識という道具を上手く活用する事」と「悟る事」が重要だという塾主の指導を確認した。
その様な前提で三年間の研修活動を重ねてきた結果、「多くの若者に半歩先を歩けるリーダーシップの涵養」が重要である、との考えに至った。人間を把握し社会を認識し、知識や知恵を活用して、物事の本質を見極め悟る、その事で社会を牽引する。その為には各人の中にリーダーシップが必須だと考える。
そしてその様に人を育む上で重要な理念として「可能性を引き出す」、「本気の情熱が信頼をつくり人を変える」、「自己否定からこそ新しい自己認識」という事を振り返った。
また人が成長して行く過程における大切な要素として「全身全霊のぶつかり合いによる信頼関係」、「自己確立における労働の重要性」、「リーダーとしての責任感」を挙げた。
これらの事は、自身の人間観の確立と教育理念の確立において、重要な学びを与えてくれた。
3)今後の事業
私は今、教育事業の立ち上げに参画させて頂いている。この事業は簡単に表現すれば「社会への明確な出口をもった教育機関」と言え、「地場産業活性化人材の育成」であり「リーダーシップの涵養」であると言える。私はここで、リーダーシップや対人関係に関する教育プログラムの開発と、実際の講師を務める。そして学んだ人たちが社会で実践できる行動力を育む。その為にも現場での実践教育に重きを置く。働きつつ学ぶ場だ。
この働きつつ学ぶという事は、実は同様の事を幸之助塾主も考えていた。『私の行き方 考え方』の中で「私は近い将来、事業を経営しつつ人物を養成し、人物を養成しつつ事業を行うような、物の生産と教育とが同時に行えるような工場経営というか、学校経営というか二つを一つの事業として、これを実現してみたい」と述べている。
私達の事業における教育について、もう少しご紹介させて頂く。主な想定対象者に高卒生やフリーターの青年を置いており、経営学の座学とともに現場実践における自らの気付きの仕組みを豊富に用意する。これまで仕事につく機会や、労働の喜びを感じる機会に恵まれなかった青年たちに、労働の喜びと、労働を通じての社会貢献による自己の発見と確立を促したい。そして働く事を実感として感じる事で、学びへのモチベーションが湧き、知識を知恵に昇華する工夫を凝らす事が促される。
その様な教育プログラムを、「可能性を引き出す」、「本気の情熱が信頼をつくり人を変える」、「自己否定からこそ新しい自己認識」、或いは「全身全霊のぶつかり合いによる信頼関係」、「自己確立における労働の重要性」、「リーダーとしての責任感」といった、この三年間で学ばせてもらった事を基礎に置きつつ開発していく。この様な事業を通じて、「半歩先を歩くリーダーシップ」と、社会における「使命感」を多くの若者達が持てる社会を築いて行きたい。
私の三年間は「探求の旅」であったがゆえに、迷走し続けた三年間であった。その途中段階においては多くの方に大変にお世話になり、またご迷惑をおかけする事もあった。それら全ての方々と機会に感謝したい。
本稿において中心的にご紹介した白根開善学校では、本吉校長をはじめ事務局長の佐々木氏、麻野先生など全ての先生方と、共同生活の中から多くの体験と学びを与えてくれた生徒達に、まず深く感謝している。そして続いて紹介した原田隆史氏には深夜にまで及ぶ「教師塾」で大変にお世話になり、これまで自身が体験したり考えたりしてきた事を、心理学なども交えた論理的な分析によって明解に教授頂く事で改めて認識を深める事ができた。水野氏は京都での面会希望を快く受け入れて下さり、数時間に及ぶインタビューをさせて頂き、彼の教育理念を惜しげもなく披露して頂いた。
また政経塾のスタッフの皆さんにも大変にお世話になった。私は特に悩み事相談事が多く、古山塾頭や金子アドバイザーをはじめ、内外の関係者に大変多くお世話になった。そして誰よりも、次の二人の方に深く感謝をしている。
お一人は、「雅望塾」を二年間一緒に運営させて頂いた、茅ヶ崎の角田明先生である。上甲元塾頭からのご紹介でご縁を頂いたが、師弟関係を二年間結ばせて頂き、非常に多くを学ばせて頂いた。
もうお一人の、東京海洋大学中村宏助教授には感謝してもし尽くせない。私が三年次の約8ヶ月間、受託研究員として受け入れて下さった。助教授には研究に取り組む姿勢や、自身の考えをまとめる手法を学ばせて頂き、且つチームでプロジェクトを推進する事の難しさと重要さを学ばせてもらった。
その他、本当に多くの方々に出会い、言葉では感謝を言い表せないほどのお世話とご尽力を頂いた。幸せな事であると実感している。松下政経塾に、松下幸之助塾主に、そして社会の全てに感謝する限りである。これらの全てに感謝をして卒塾をする今、今後私自身が社会に十分に貢献できるだけの人材になる事を誓いたい。
【参考文献】
松下幸之助『人間としての成功』PHP研究所、1994年
松下幸之助『指導者の条件』PHP研究所、1989年
松下幸之助『私の行き方考え方』PHP研究所、1986年
松下政経塾『松下政経塾塾長講和録』PHP研究所、1981年
池田潔『自由と規律』岩波書店、1949年
福沢諭吉『学問のすすめ』岩波書店、1942年
サミュエル・スマイルズ『自助論』三笠書房、2002年
小室直樹『人をつくる教育 国をつくる教育』日新報道、2002年
ジョン・P・コッター『リーダーシップ論』ダイヤモンド社、1999年
堀紘一『リーダーシップの本質-真のリーダーシップとは何か』ダイヤモンド社、2003年
寺島実郎ほか『日本人にとってのリーダーシップとは何か』日本実業出版社、2001年
佐々淳行『平時の指揮官 有事の指揮官』文集文庫、1999年
クラウゼヴィッツ『戦争論(上)』岩波書店、1968年
原田隆史『本気の教育でなければ子どもは変わらない』旺文社 2003年
本吉修二『子どもたちと生きる』上毛新聞社、2004年
Thesis
Kiyotaka Takahashi
第24期
たかはし・きよたか
Mission
スポーツを通じたコミュニティの形成と地域連携