Thesis
塾主の国家観に関する発言を編纂した『政治を見直そう』や塾主の発言集を基に、塾主の目指した国家像をまとめる。また昨年ベストセラーとなった藤原正彦氏の著書『国家の品格』で掲げられている品格ある国家と塾主の目指した国家についての比較をし、これから日本がどのような方向を目指していくべきかを提示する。
昨年、藤原正彦氏の著書『国家の品格』が約200万部も売れ、ベストセラーとなった。このことは、この本の内容に対して共感を覚える人が今の日本に非常にたくさんいるということを表していると考えられる。つまり現在の我が国民は、国是として「品格のある国家」を目指すべきだと考えているのではないだろうか。
今から40年以上前、実は塾主・松下幸之助はその発言の中で、国の目指すべき方向をいくつか示しているのであるが、これが『国家の品格』の中で定められている「品格ある国家」に限りなく近い。
本レポートではまず、塾主の国家観に関する発言を編纂した『政治を見直そう』や塾主の発言集を基に、塾主の目指した国家像について考察を深める。そして、塾主の目指した国家と『国家の品格』の中に定められている「品格ある国家」を比較し、これから我が国がどういう方向を目指していくべきかを提示する。
塾主は「政治を見直そう」や発言集の中で、「国の目指す方向、すなわち国是を定めよう」ということを頻りに言っている。塾主の発言によると、明治時代の日本は"文明開化""富国強兵""殖産興業"など国の進むべき方向、道が定められて、それが国民の間に浸透していたことによって、国家国民の力強い諸活動が生み出されていたようである。すなわち国是というものは、国家の発展を推し進めていく上で、是非必要なものであり、これは時代、国にかかわらない一般的な哲理である。
このことについては私も同意である。私は、国が運営され発展を続けていくことは、目的地を持って船旅に出るようなものであると考える。目的もなく船旅に出れば、自分の船がどの方向に進んでいるかも分からず、いたずらに時間が過ぎていくだけであり、食糧や労力の無駄に終ってしまう。目的地を見据えて、自分のいる位置と自分の進むべき方向を常に確認しながら船旅を行ってこそ、充実した船旅になり、刻一刻と目的地に近づいていくのである。これと同様に、国是があってこそ、国家の発展というものが生まれ、繁栄に結びつくと言える。
翻って現在の我が国のことを考えると、現在の我が国には国是というものが存在しない。先の大戦後、我が国は世界的にも驚異的な経済発展を遂げ、世界第二位の経済大国になったことは周知の通りであるが、経済大国を目指した末に待っていたのはバブルの崩壊による喪失感である。失われた十余年の後に徐々に景気回復をしてはいるが、この喪失感は未だに拭い切れないのが現状である。今こそ我が国は国是を定めて、国家国民が団結し、国是に向かって力強く歩んでいかねばならないと思う。
では我が国はどのような方向を目指せばよいであろうか。塾主は発言集の中でいくつかの目指すべき方向を掲げている。我が国の現状と併せて、一つ一つ考察してみたい。
塾主が掲げている国是の第一は、自主独立の精神を高めることである。塾主は前述の『政治を見直そう』の中で、「独立自主の精神ということは、要するに、他の国々の援助、助力、好意などをあてにすることなく、みずからの知恵と力でみずからの国家国民の繁栄と調和向上をはかっていこう、といった心がまえなり、考え方だと思います」と発言している。
現在の日本を考えてみると、軍事的な安全保障という観点からは、完全とは言えないまでもある程度アメリカの軍事力に依存している部分がある。まずは自国による自衛ということをしっかりと確立して、その後に他の国々と連携して世界の平和に貢献していくべきである。
また食糧自給率に関しても、農林水産省発表のデータによると、平成17年度の我が国の供給熱量ベースの総合食糧自給率は40%となっており、主要先進国の中で50%を下回っているのは我が国だけである。外国産の食糧が安価であるからと言って、人間の命の源泉である食糧を他国に依存していては自主独立とは言えない。これから中国、インドなど人口の多い国が経済発展を遂げて、輸入大国になったときに備えて、我が国は自国の食糧は自国で賄えるようにすべきである。
続いてエネルギー自給率を考えると、OECDのデータによると、2004年度の原子力を除いた日本のエネルギー自給率はわずか4%であり、原子力によるエネルギーを加えても、せいぜい18%にしかならず、使用エネルギーの大部分を輸入に頼っている。全てのエネルギーを自国で賄うことが厳しいにしても、エネルギー自給率が20%にも満たない状況というのは危機的であると考えられる。最近、ブラジルではさとうきびを、アメリカではとうもろこしをエネルギーに転換することが盛んに行われてきているが、我が国も自国に合った独自の方法でエネルギー開発を進めるべきであろう。我が国は国土の約67%が森林である。国民一人当たりの森林面積で考えると少ないものの、国土として森林が多いことは我が国の大きな特徴であるので、これを生かさない手はない。木を生かしたエネルギー開発をもっと力を入れるべきであると思う。さらには二酸化炭素の排出のことも考慮に入れて、森林大国としての道も同時に考えねばならないであろう。また我が国は世界有数の地震国であり、その原因の一つに火山が多いことが挙げられる。我が国はこれを生かして地熱をエネルギーに利用することもできるのではないかと思う。さらに我が国はやはり日の本の国ということで、太陽エネルギーを有効に活用することも進めればよいのではないかと思う。
最後に、これから自主独立を考える上で外してはならないのは、水であろう。世界の人口が増え続けたときに懸念されるのが水の問題であるが、我が国では年々飲料水の輸入量が増大している。また日本人一人が一日に消費する生活用水は320リットルとなっており、日本はアメリカに次いで世界第2位の水消費国なのである。マレーシアはシンガポールに対して水を供給しているが、度々外交の切り札に使っており、水というのは今後の時代において、安全保障の重要な項目となるであろう。日本は森林整備を早急に行って、豊富な水源の確保をするとともに、世界に先駆けて国家として節水に取り組むべきであると思う。
塾主が掲げている国是の第二は、国の総合力を高めるということである。もちろん自主独立を進めていくことは当然のことなのであるが、それとともに国の総合力を高めて諸外国との友好関係を深めて国家国民活動を営んでいくことが大事であることを言及している。塾主は発言集の中で、我が国が総合力を高める上で、重要な産業が二つあると言っている。一つは精密工業であり、もう一つは観光業である。
前述で我が国のエネルギー自給率が低いことを述べたが、我が国は天然資源というものが少ない。『国家の品格』の中でも同様のことが述べられているが、どんな国でも経済的にある程度発展する場合、工業の発展がベースとなる。とくに我が国は天然資源が少ないために、経済発展を工業の発展に依存する割合が他国に比べて高い。したがって我が国は工業を中心として総合力を高めていかなければならない。そして、日本人の特性を考えると、他国の人々に比べて、手先が器用であるので、精密工業のようなきめ細かな作業を要する産業を柱にするのは妥当であると言えよう。また精密工業だけに限らず、これからの時代を見越して、IT産業なども考慮に入れた工業立国を目指していくのが肝要である。
我が国には四季があり、豊かな自然がある。春には桜の花が満開になり、秋には色とりどりの紅葉が訪れる。冬には富士山が雪化粧をし、夏先には新緑が広がる。また我が国には神社、寺といった日本の伝統文化の象徴である建物がたくさんある。これらの特長を生かして我が国が観光立国を目指すことは当然であろう。空港や道路の整備、景観の維持、適切な観光案内人の配置など、課題は多いであろうが、観光立国を目指して観光業の興隆を図ることは我が国にとって極めて重要である。
塾主が第三に掲げている国是は、"精神大国"または"徳行大国"を目指すということである。塾主の発言によれば、「国民お互いが心豊かな姿を現して、明るくいきいきと日々の仕事に励みつつ、物心ともに豊かな生活を作り上げ、併せて、海外の人々、ひいては人類相互の幸せのために、力強く奉仕、貢献ができるような、そういう国家国民全体の姿を築き上げていくこと」こそが精神大国を目指すということである。また精神大国というのは、単に精神的に豊かな国のことではなく、精神的にも経済的にも豊かで、精神的な豊かさと経済的な豊かさのバランスが取れた国のことを指す。さらには我が国が精神大国への道を先駆けて切り開き、世界の国々にその範を示していくことが重要であると言及している。
第2章でも述べたように、我が国が経済大国を目指した結果、待っていたのは喪失感である。とは言うものの、戦後食べることすらままならない状況から経済大国を目指し、ある程度の経済的な豊かさを確保できたことは戦後世代の苦労と努力の賜物であり、それに対して敬意を表したい。したがってこの経済的な豊かさを生かしつつ、拭い切れない喪失感を完全にかき消し、真の幸福を感じるためには、この精神大国を目指すことがよいのではないだろうか。これから我が国は、国是として精神大国を目指し、国家国民の道義道徳心の涵養を図っていくことを提言したい。
以上、塾主が掲げた国是について議論をしてきたが、ここで『国家の品格』で述べられている「品格ある国家」について考えてみたいと思う。藤原正彦氏は『国家の品格』の中で、以下のような品格ある国家の指標を掲げている。
塾主の「自主独立の精神を高める」と同様に、第一の条件に国家の独立を挙げている。藤原氏は軍事や食糧の安全保障の話だけでなく、祖国への誇りと自信など精神的な自主独立についても言及をしている。さらに「防衛力というものは、使い方を間違えれば他国への侵略にも繋がりかねないので、美しい情緒と形を持って自衛すべきである」と締めくくっている。
二番目には、高い道徳を挙げている。藤原正彦氏は大森貝塚を発見したモースが、明治の日本人の優雅と温厚に感銘を受けたことを述べているが、ラフカディオ・ハーンの著書『心』や渡辺京二氏の著書『逝きし世の面影』にも、かつての日本人が高い道徳を有していたことが描かれている。塾主の国是の中の精神大国というのは、もちろん高い道徳を有した国であり、塾主が「日本が精神大国になって世界にその範を示そう」という発言しているのと同様に、「日本人が、この特性により世界に範を垂れることは、人類への貢献なのです」と述べている。
第三の条件は美しい田園である。藤原正彦氏は「美しい田園が保たれているということは、金銭至上主義に冒されていない、美しい情緒がその国に存在する証拠です」と述べているが、田園に限らず美しい景観が保たれていることは、塾主の目指す観光立国の必要条件なのではないであろうか。また藤原正彦氏は「美しい田園が保たれていることは、経済的にしわ寄せを受けやすい農民が泣いていないということでもある」ということを言っているが、塾主の唱える精神大国はある程度の経済的繁栄が確保された国を指しており、美しい景観が保たれているということは経済的にもある程度安定しているということを表しているのである。
塾主・松下幸之助の国是には藤原正彦氏の言及する天才の輩出は含まれていない。しかしながら、代わりに松下政経塾というものを築き、21世紀のリーダーとして国家を担う人材の育成を試みたのである。藤原正彦氏は『国家の品格』の中で、「国家には真のエリートが必要であり、そのリーダーには教養をたっぷりと身につけていて、それを背景として様々な判断ができることと、いざとなれば国家国民のために命を捨てる気概があることの2つの条件が必要である」と説いている。私が考えるに、塾主は藤原正彦氏と同じようなことを考えていたのではないかと思う。すなわち政経塾を設立したのは、藤原正彦氏の言う「真のエリート」を養成するためであったと考える。したがって様々な教養を背景とした判断力を養うことと、国家国民のために自分を捧げる気概を身に付けることが、私たち塾生の使命であろう。
以上のように考察を行ってきたが、藤原正彦氏が述べている「品格ある国家」と塾主の目指した国家像というのは全く同じものと考えてよいであろう。昨年、『国家の品格』が200万部も売れたということは、現在の日本人がこの「品格ある国家」を目指すことに賛同しているものと考えられる。すなわちそれは塾主・松下幸之助が40年以上前に考えていた国家像であり、当時はさほど同意が得られなかったようであるが、私は今こそ塾主の目指した国家像を実現する大きなチャンスであると考える。我が国が塾主や藤原正彦氏が提唱するような国是を定めて、それに向かって国家国民が力強く活動していくことを夙に願う次第である。
(参考文献)
松下幸之助『政治を見直そう』財団法人松下政経塾
藤原正彦『国家の品格』新潮新書
松下幸之助『PHPのことば』PHP研究所
『松下幸之助発言集 第四十巻』PHP研究所
『松下幸之助発言集 第四十一巻』PHP研究所
『平成17年度食糧自給率』農林水産省ホームページ
『主要先進国の食料自給率』農林水産省ホームページ
OECD/IEA "Energy Balances of OECD Countries 2003-2004"資源庁ホームページ
『平成17年度 林業白書』農林水産省ホームページ
橋本淳司『水問題の重要性に気づいていない日本人』PHP研究所
ラフカディオ・ハーン『心』岩波文庫
渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社ライブラリー
Thesis
Tetsuya Sugimoto
第27期
すぎもと・てつや
自民党 高槻市・島本町 府政対策委員
Mission
誇りを持てる国へ