論考

Thesis

人間とは-私の人間観-

「人間には他の万物にはない知恵がある」「人は生きているのではない。宇宙によって生かされているのである。」この宇宙における種としての人間の存在意義と、個々の人がなぜ生きるのかについて考察したレポートである。

1.はじめに

「人間は崇高にして偉大な存在である」

 塾主・松下幸之助の「新しい人間観」はこの一言に尽きるようである。生前の塾主に関すさまざまなエピソードを知れば知るほど、塾主が人間観を重要視していたことがよくわかる。

 考えてみれば、人間観というのは非常に壮大なテーマである。「人間はどうして生まれたのか」「人間が生きている意義は何なのだろうか」、そのようなことを考えなくても、人は生きていくことが可能である。現に昨今の日本において、このようなことを考える人間は少ないであろう。私自身も松下政経塾に入塾しなければ、人間観についてまったく考えなかったかもしれない。

 では、なぜ塾主は敢えて、著書『人間を考える』を以て、その壮大なテーマに挑戦しようとしたのか。塾主は、第1期生に対する講話の中で、「政経塾ではまず人間を把握してください」ということを述べている。「人間を知る」ということがまず我々、松下政経塾生の使命なのである。そしておそらく、塾主は自らの人生の中で、人間を考えることに、人間としての使命があると考えたのではないだろうか。

 本レポートでは私自身が塾生生活を通じて考えた「人間とは何か?」という問いに対する答えを述べる。

2.私の宇宙観と人間観

 人間観の言及の前に、まず私の宇宙観を述べようと思う。『人間を考える』によれば、塾主の宇宙観は「宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、たえず発展する」である。私もかなり近い宇宙観を持っているのであるが、私の宇宙観は次の2つである。

  • 宇宙に存在するすべてのものには意味がある
  • 宇宙全体はつねに成長し、たえず発展している

 1つ目の宇宙観を言い換えると、「この宇宙には無駄なものは一つもない」ということである。無駄かどうかはとらえ方の問題であって、使い方次第で無駄になることはないと考えている。2つ目の宇宙観は、宇宙全体を有機体のようにとらえた考え方である。宇宙が発生以来、常に膨張し続けていることはよく知られているが、物理的に膨張しているだけではなく、宇宙に存在する万物の物質的・精神的な面を含めて、刻一刻と成長・発展を遂げていると考えている。

 これらの宇宙観の下で、私は人間を宇宙の一部であるととらえている。つまり宇宙に存在するあらゆるものには、それぞれに存在意義があり、人間が存在することにも何らかの意味がある。常に成長・発展を遂げる宇宙の中で、人間という種の存在意義もあるし、個々の人間の存在意義もある。私の人間観をこれらの2つの側面から詳しく説明する。つまり私の人間観を、1つは「人間という種(以下では人間とする)の存在意義は何か」という側面と、もう1つは「個々の人間(以下では人とする)はなぜ生きるのか」という側面から述べることにする。

3.人間の存在意義は何か

 私は長らく「人間は、あくまで天地自然の一部であり、他の動植物と同じだ」と考えていた。しかしながら、生物学などの自然科学や宗教・哲学を学べば学ぶほど、人間は他の万物とは違うことがわかった。人間に存在意義があるのであれば、それは人間の人間たる所以、すなわち他の万物との違いにあるのではないだろうか。

 人間の特性について考えてみたい。最も顕著に私が違いを感じるのは、人間が知恵を持っているということである。この知恵を上手く使うことで、他の万物を活用することが可能になる。

 例を挙げると、私たち政経塾生は毎朝、早朝研修と称して、塾内と周辺を清掃する。塾にはたくさんの木が生い茂っており、その落ち葉を箒で掃き取ることが主な作業である。この早朝研修は雨の日にも実施される。雨の日は、水の表面張力によって落ち葉が地面にはりつくために、掃き取るのが非常に困難になる。長時間続けていると、水という存在が憎らしく思えてくるほどである。しかしながら、物は使いようで、水溜りにある水を掃いて、落ち葉を洗い流せば簡単に掃き取れてしまうのである。一見使いようのない水でも、使い方次第で清掃をやりやすくしてくれる。これが人間の知恵というものである。

 塾主は「新しい人間観の提唱」の中で、「人間には万物を支配する力が本性として与えられている。人間はたえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである」と言っているが、知恵の働きによって万物を動かす自然の理法を認識することができると考えていたようなので、まったく同じことであると言ってよいだろう。

 また、江戸末期に数々の村を復興させた偉人・二宮金次郎は、自分の生家周辺の田んぼに放置されている捨て苗を集めてきて、荒れ地にそれを植えたところ、1俵相当の米を収穫できた。放っておけば何の役にも立たない、捨て苗と荒れ地を活用することで、人間生活を向上させることができたので、二宮金次郎は「万物には徳が宿っており、人間は万物の徳を明らかにして、人間生活を向上させることに活用するのが使命なのではないか」と悟ったという。二宮金次郎は、すべてのものの徳性を認め活かすことを報徳といったが、この報徳、すなわち知恵を使って万物を活用することが人間の使命といったところであろうか。

 この万物を活かす知恵は人間だけが持っているものであり、そこが他の万物とは違うところである。

 なぜ人間だけがこのような力を持っているのだろうか。私には明確な理由はよくわからない。宇宙の意思かもしれないし、ひょっとすると理由はないのかもしれない。しかし理由があろうとなかろうと、人間が上述の能力を持っていることには違いはないのだから、前向きにとらえて、その能力を遺憾なく使うことがよいであろう。

4.万物を活用するために

 では、万物を活用するためにはどうすればよいか。塾主の人間観では、万物を支配する力が発揮されるためには、衆知を集めることや素直な心で物事を見ることが挙げられている。人間観としては塾主と同じ意見であるが、それを発揮するための手法として、私なりの意見を述べてみたい。

1)万物の特性を知る

 万物を活用するためには、活用する対象物の特性を知らなければならない。それにはまず、その物を実際に使用することがよい。使ってみて特性を見極めることが肝要である。試行錯誤をくり返せば、新たな特性を知ることができることもある。また、先哲が使った方法を学ぶことも大切である。人間の歴史は偉大なもので、過去に生きた人が様々な挑戦をし、それが記録として残されている。読書を通じて、これまで生きた先人の知恵を拝借することが万物の活用につながるであろう。

2)何が正しいかを常に考える

 単に知恵を使って物を活用することだけが、人間の特性ではない。そこに道徳があることで、より一層力強いものになる。塾主は『人間を考える』の中で、「青酸カリは大変な毒薬で、使い方によっては人を殺すこともできるし、工業用に生かしてその特質を有用に発揮させることもできる」と述べている。包丁も食材を切って効率よく調理を行うために活用すればよいが、人を傷つけるために使ってしまっては元も子もない。知恵に加えて道徳があれば、人間生活の向上のために万物を活かすことができる。真に万物を活用するためには、何が正しいかを常に考え、自らが道徳を身に付けることが重要である。

3)あらゆる角度から考えてみる

 宇宙観のところでも述べたが、無駄かどうかはとらえ方の問題であり、逆にいえば、無駄にならないとらえ方が存在するはずである。あらゆる角度から使い方を考えて、可能であれば、新たな活用方法を見出すことが望ましい。常に成長・発展している宇宙において、万物も同様に成長・発展しているのである。

5.人はなぜ生きるのか

 次に、「人はなぜ生きるのか」という問いに対する私の見解も述べる。この問いに対する回答は死生観とも通じている。「生きる」とはどういうことか、「死ぬ」とはどういうことかについて述べなければならない。

 世界中に様々な宗教があり、死生観はそれぞれによって異なる。人が死ぬとどうなるか、仏教でいえば、輪廻転生するという考えであるし、キリスト教でいえば、最後の審判が下るのを待つという考えである。私はこれらの死生観を否定するつもりはまったくないが、私自身は、「人が死ぬ」ことを、生まれてくる前の状態に戻ることであると考えている。ただしこの宇宙に一定期間生きたことは確かであるので、その人の遺した物や、考えというか精神は、その人が生きていたことを知っている人の中に残留する。

 では、生まれる前の状態に戻るのであれば、人はなぜ生きるのであろうか。前述の通り、私は「宇宙全体がつねに成長し、たえず発展している」という、宇宙有機体説のような考えを持っている。繰り返しになるが、人も発展している宇宙の一部である。「なぜ人が生きるのか」という問いに対する私の回答は、人間が生まれて死ぬまで、すなわち生きている間に、宇宙全体の発展に何らかの役割を負っているからであると思う。

 例えば、木と葉の関係を考えてみよう。個々の葉は、四季を通じて生い茂り、最終的には落葉する。その間、光合成を行って木に養分を与えたり、木の水分を蒸散させたりする。つまり落葉してしまえば、その葉が木に存在する前の状態に戻るが、その木に存在していた間、木の発展に貢献する。葉が落ちるということは、木の上では死を意味する。さらにいえば、中には落葉した後に腐敗して土の養分となり、元あった木の成長・発展に貢献する葉もある。これと同じことが、人と宇宙にもいえるのではないか。人は生まれて死ぬまでの間、場合によっては死んだ後にも、宇宙の発展に貢献するのだ。しかしながら、どういう形で発展に寄与するのかは、人によって異なる。要するに、1人ひとりには宇宙から与えられた役割-私は天命と呼んでいるが-が、それぞれある。

6.天命に従って生きるために

「天の命ずるを是れ性という。性に率うを是れ道という」

 中国の古典『中庸』の冒頭にある言葉である。道というのは、人が行うべき生き方である。つまり天命に従って生きるということが、人が行うべき生き方なのであろう。

 では、天命に従って生きるためにはどうすればよいのか。国民教育の父と呼ばれた森信三は、「人が自分の使命を知るためには、偉人の伝記を読むのが最もよいでしょう」と言っている。言い換えれば「歴史に名を残すような偉人は、天命に従って生きたので、その生き方を参考にして自らの天命を知ればよい」ということであろう。これも天命に従って生きる1つのよい方法であると思う。次に私なりに考えた天命に従って生きる方法を挙げてみたい。

1)生かされていることに感謝する

 私たち人はみな、他の何物でもなく人間として、この宇宙に生を受けた。ある意味では、この宇宙の意思で、人間として生かされ、各々の役割を授かっているという見方ができるのではないか。天命に従って生きるためには、まずこのことを容認し、人間として生かされていることに感謝することが大切である。すなわち自分の命は自分のものではなく、宇宙から与えられたものだと認識することである。そうすれば、自分の命を上手く使おうという意識、いわゆる使命感が生まれる。使命感を持つことが天命に従って生きる第一条件であろう。

2)死を意識する

 人には必ず死が訪れる。人生は死があるからこそ尊いのであろう。本川達雄氏の『ゾウの時間ネズミの時間』によれば、哺乳類は心臓の鼓動を20億回打つと死ぬそうである。寿命を全うしなくても、病気に罹って亡くなることもあるし、不慮の事故で亡くなることもある。先ほど、落ちた後に木の成長に貢献する葉の例を述べたが、死後、宇宙の発展に貢献する場合にも、必ず訪れる死を常に意識して、自分が死ぬまでに成し遂げたいこと、いわゆる志というものを抱き続けることが大事なのではないだろうか。そうすれば、たとえ志半ばで逝ったとしても、必ずその志を引き継いでくれるものが現れる。幕末の志士である吉田松陰は、倒幕や開国を志して途中で死罪になったが、高杉晋作をはじめとした門弟たちが立派にその志を遂げたことを考えればわかりやすいであろう。いつ訪れるかわからない死を乗り越えて志を遂げるためには、死を意識して志を抱き続けることが肝要である。

3)目の前のことに没頭する

 前述の死を意識することとは矛盾したように思えるかもしれないが、天命に従って生きていくためには、目の前のことに没頭することも大切である。囲碁の世界に「着眼大局、着手小局」という言葉があるが、死を意識して大きな志を抱きつつも、実行できることは目の前のことに過ぎないのである。自分では天命だと思っていないことでも、没頭しきることで、意外と天命だったりすることもある。

 昭和11年のこと、松下電器の分社の1つである松下乾電池で新入社員が集められ、塾主を囲む懇談会が行われた。その席で、ある新入社員が自分の無線ライセンスを活かして無線の仕事に就きたいと思っていたところ、乾電池にまわされてしまったので、やめたいという気持ちを表明した。そこで塾主が「松下電器はええ会社やから、10年間辛抱してみい。10年辛抱して同じ気持ちやったら、わしを殴ってやめりゃいいやないか。わしは殴られんやろうという自信を持っておるんや」と答えたところ、その新入社員は辞職を思いとどまり、20年後には乾電池工場の工場長になったそうである。この例のように、自分の意に反することでも没頭すれば、それが天命であることも往々にしてあるだろう。

4)自らを活かしきる

 自らの天命が何であるかということは、宇宙の意思によって決められているため、誰にもわからない。しかしながら天命に従って生きれば、宇宙の発展に自らを最も活かすことになると思う。つまり、自らを最も活かすことが、天命に従って生きることになるのではないだろうか。人それぞれには、本人が気付いていない特性も含めて、素晴らしい特性が与えられている。自分を鑑みて「自分には素晴らしい特性など何もない」という人は、本人が気付いていないだけなのだ。人の性格・スキル・経歴などをあらゆる角度から眺めてみれば、必ずその人独自の素晴らしい特性が見つかる。その特性を活かしきることが天命に従って生きることに他ならない。

7.終わりに

 塾主は若い頃、肺尖カタルを患い、医者から半年ほど静養することを勧められたそうだ。しかし休めば食うに困るような状況であったので、塾主は「死なば死ね」という思いで、生活を送っていたところ、不思議と病気は悪くなることなく、死ななかった。それから塾主は死というものに苦を持たなくなったようである。

 実は私も大学の頃、自分が嫌で嫌で仕方のない時期があった。一時は死をも考えたが、恩師から「死ねる勇気があるなら、何でもできる」という言葉を頂き、思いとどまった。私の命は、そのときになくなっていてもおかしくはなかったのである。しかし今も生きている。宇宙の意思として、私は生かされているのである。いわば死を恐れる必要はまったくないのである。さらに幸いなことに、こうして松下政経塾と縁を持つことができた。これも宇宙の意思ではないだろうか。塾主は「この国の政治をよくしたい」という志を抱いて松下政経塾を創ったのだが、その志も半ばで亡くなられてしまった。その志を引き継ぎ、松下政経塾で学んだことを活かしきって、この国の政治をよくすることこそが、宇宙が私に課した天命なのかもしれない。私が死を迎えるまで、あとどれくらい時間が残されているかはわからないが、毎日毎日全力で生きて、自らの天命に従って、宇宙の発展に貢献していくつもりである。

参考文献

松下幸之助『人間を考える』PHP研究所
長澤源太『二宮尊徳のすべて』人物往来社
井沢元彦『仏教・神道・儒教集中講座』徳間書店
金谷治訳注『大学・中庸』岩波文庫
森信三『修身教授録』致知出版社
本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間』中公新書
一坂太郎『松陰と晋作の志』ベスト新書
PHP総合研究所編『人を見る眼・仕事を見る眼』PHP文庫
松下幸之助『人生談義』PHP文庫

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杉本哲也の論考

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