論考

Thesis

幕末・明治史と留学経験から考える日本のシステム変革

私の留学経験と日本史の教訓をリンクさせて、これから日本の発展のための後押しとなる論点を見つけようと試みた。過去の歴史に学び、日本の今日を顧みるならば、地域主権の地方分権国家の構築は夢物語ではない。

1.はじめに

 私が歴史を勉強することの大切さを痛感したのは、アメリカへ留学した時のことであった。アメリカの大学院で、研究者は批判的精神を教えられた。批判的精神とは、単に評論家的に人や事柄をあげつらうことではない。それは、物事を一度自分自身のフィルターを通して取り入れて、他の意見も聴き、自分の考えとして再構築していく作業に必要となる気構えなのである。そして、私が批判的精神をもつため必要としたのは、日本人としてどう物事をとらえるかということであった。アメリカに住んでみて、私が日本人であるかぎり、私の原点は日本にあると深く感じた。自分の国を背景にして話をしなければ、世界に対して何かを訴えていく場合の説得力に欠けるということに気付いた。

 松下幸之助塾主は日本の歴史を学ぶことの大切さを説き、自らの人生経験と合せて多くの教訓をそこに見出している。著書「日本と日本人について」の中で、3つの日本の特徴を抽出している。衆知を集めること、主座を保つこと、和を尊ぶことである。松下幸之助塾主は、これら日本と日本人の特徴を基にして、様々に思考し、発言し、行動している。

 そこで、このレポートでは、私が少なからず学んだ日本史の一部と、アメリカ留学の得た経験を踏まえて、これからの日本と日本人に何が必要であるかを考えたい。現在、国と地方が財政破綻の危機にある中、私たちは道州制などの地域主権時代への転換を模索している。そして、その転換は混乱なくスムーズに行われるよう努めなくてはならないであろう。従って、特に近代日本へ見事な転換を果たした幕末の江戸と明治維新に焦点を当ててみたい。

2.アメリカで学び、そして日本史を学んで考えたこと

2.1 社会システムの多様性について

 私はアメリカのメリーランド大学大学院で海洋環境学を専攻した。特にシステムエコロジーを専門とした。システムエコロジーは生態系(エコシステム)内の食物連鎖によるエネルギーや物質の流れを分析し、理論を作り上げる学問である。

 その学問において、生物の多様性や食物連鎖の複雑性を評価するのことも、その研究の一つである。複雑性が高い生態系では、多様な生物が棲み、捕食関係が複雑で、食物連鎖は網のように入り込んでいる。このような生態系は自然状態の変化に対して強く、適応性が高い。なぜなら、なんらかの原因で、システム内のある生物がいなくなっても、ある生物間の物質移動の鎖が切れても、それを補う生物や連鎖があるので、システムが突然壊滅してしまうことはない。反対に、複雑性が低い生態系では、生物が自然淘汰され、効率のよい食物連鎖の結びつきだけが残り、食物連鎖が単純になる。すなわち食物連鎖が“網”型より“鎖”型になる。このような生態系は、物質の循環効率という点で優れ、システム内をエネルギーや物質が大量に流れる。自然状況が安定していて、変化がない時は、生存競争に打ち勝った生物を中心に効率の良いシステムをつくりだす。しかし、その効率の良いシステムの中心をなしていた生物が何らかの要因でいなくなると、連鎖の鎖が切れ、それを補完する生物が存在しないので、システムの全てが機能しなくなる危険が生じる。

 このようなシステムエコロジーの理論は、人間の社会システムにおいても同様なことが言えるのではなかろうか。そこで、社会システムの多様性があった江戸時代の幕藩体制を挙げて、これからのあるべき日本のかたちを考察してみる。

 江戸時代の日本は、大小300もの藩に分かれ、そのそれぞれに独自の教育制度、階級意識、道徳観が存在するという多様性のある時代であった。たとえば、幕末に活躍した藩を挙げると、薩摩藩は島津斉彬の指導下、他藩に先駆けて産業や軍備を近代化し、維新の政治的、軍事的主役となった。長州藩は他藩に比べて階級意識薄く、高杉晋作は士農工商のすべての階級から兵を募った奇兵隊を編成し、四民平等の概念の基礎をつくった。土佐藩は士族内の上下関係が厳しく、下級士族から多くの脱藩者を出し、そこから坂本竜馬や中岡慎太郎が誕生し、彼らが各藩を自由に往来し、繋ぎの役割を果たした結果、倒幕に不可欠であった薩長同盟を完成させた。これらの藩は、次時代に引き継げる人材や価値観や制度をつくり、江戸時代から明治時代に移行する日本の転換期を支えた。

 1853年のペルー来航以来つづく列強諸国の圧力によって、日本の状況は一変した。社会状況が大きく変化する混乱の中で、江戸の幕藩システムの多様性の中から長州藩と薩摩藩が生き残り、近代日本を創り出した。そして、混乱を生き抜いた薩摩藩と長州藩が中心となり、列強諸国に対抗すべく、効率のよい強力な中央集権国家体制を創りあげた。すなわち日本全国を覆うトップダウン方式による、単純だが効率のよいシステムを構築したのである。国家主導で産業、軍事、社会インフラを急速に整備した。その結果、植民地化されていたアジア諸国の中で、日本だけは独立した近代国家として生き残ることができた。その明治中央集権国家は大東亜戦争により一度は滅んだが、戦後の日本も中央集権体制を引き継ぎ、東京一極集中の下、戦後経済を効率よく引き上げることに成功し、日本を経済大国に導いた。冷戦構造という比較的安定した国際状況の下で経済成長をすることができた。これも、この単純で効率性の高いシステムの成果である。

 しかし、日本経済の右肩あがりの時代は終わり低成長の時代が訪れた。冷戦による安定した構造が崩れ、未来予測が比較的容易な時代は終わった。そして、今日の私たちは、不安定で、予測不可能な時代を生きていかなくてはならなくなっている。このような時代においては、非効率ではあっても多様性をもった、変化に強いシステムがよい。日本社会を再び幕末期のような多様な社会システムに転換するべきではないだろうか。江戸日本がそれぞれの藩独自の社会システムをもっていたように、地域主権による地方分権国家とし、効率よりも変化に強い体制をつくるべきではなかろうか。それぞれの自治体が、社会状況にあった社会システムを独自に作り上げ、他の自治体と切磋琢磨していく。それぞれの自治体のシステムが時代のテストを受ける。そして、時代の変化に生き残ったシステム下、いつか再び日本全体の共通のシステムとしてとり入れる。東京一極集中の単一システムでは効率はよいが、東京が潰れれば、みんなが潰れてしまう。システムエコロジーのリスク管理から考えれば、多様性のある変化につよい地方分権体制に向けた制度づくりを進めていかなくてはならない、と私は考える。

2.2 個人の能力の多様化による社会的混乱の回避

 明治維新は革命を起こした武士が、自らを失業させてしまう事態を招いた。当時の武士階級はその家族を含めると、日本の全人口の7%を占めていたといわれる。それが、わずかな失業手当みたいな秩禄をもらって、新政府により一方的に武士業から解雇されてしまった。明治になって、階級制度がなくなり士族階級が消滅し、徴兵制の導入によって一般の農民でさえも兵役が義務付けられると、武の専門家だった武士は社会的価値を失った。

 江戸時代は、世界史の中でもまれにみる平和で安定した社会であり、260年も続いた。しかし、列強諸国による帝国主義の時代に直面するに及んで、江戸封建社会システムのリストラクチャーが必要になった。そして、江戸社会の頂点に属していた士族自らが、士族を消滅させるという驚くべき自己改革を行ったのである。

 現在の日本は低成長時代や少子高齢化という社会状況の変化に対し、社会システムのリストラクチャーが必要であると考える。しかし、明治維新から廃藩置県までの改革は、佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、西南戦争まで続く一部の士族による反乱を招いた。周到な準備をすることなしに急激なシステムの変革を行うと、社会の混乱を招いていまうのである。では今日の私たちが不平武士の反乱のような社会的混乱を起こさず、社会のリストラクチャーを行うにはどうすればよいのであろうか。まずは新しいシステムに備えた教育を充実していくことが大切である。具体例を挙げると、大学教育において、再教育制度の充実を図ることと、複数の専門科目の取得を可能にすることである。これらの制度を充実させることで、個人の能力を多様にし、一人一人が変化に対応できるようになる。これらの点については、私が学んだアメリカの大学の制度が、日本よりはるかに進んでいる。

 なぜ日本の大学は、少子化による高校生の減少に伴う学生不足の問題に対して、もっと社会人を積極的に入学させようとしないのだろうか。アメリカの大学では30歳や40歳の同級生がいた。彼らは現在と違う職業や新たに生きる場を求めて大学に再入学してきたのである。高校を卒業した後いったんは職に就き、勉強がしたくなって大学に来た人もいた。これら社会人がそれぞれの必要に応じて教育を受け、さらに知識を身につけることができれば、社会の変化に対してより柔軟に対応できるようになるのではないだろうか。日本はもっと大学を再教育の場として活用するべきである。再教育制度を充実させて、社会の変化に対応できる人をつくるべきである。

 また大学において複数の専門科目の取得を可能にするということも日本ではどうしてできないのであろうか。アメリカにはMajor(専門科目)に対してMinor(準専門科目)というものがある。Majorほど単位数を必要としていないが、ある程度の単位を取得し、その学問についての一定の知識水準は満たしているということで、Minorはその人の専門として認められる。さらにもっと頑張って単位を取るとDouble Major(専門学科を2つ持つこと)として認められることもある。私の友人に考古学者を志している学生がいた。考古学をMajorにする一方でコンピュータサイエンスをMinorにしていた彼は、考古学にコンピュータの知識を生かして活躍することができた。彼は幸い、考古学に関連する職に就くことができたが、それが叶わなくても、コンピュータ関連の会社に行くこともできたと言っていた。また、私の学んでいた海洋環境学のプログラムに入学してきた学生の中に、学部時代のMajorは経営学であったが、Minorとして環境化学を取得したという者がいた。彼は会社で多くお金を稼ぐより、自然環境を守ることに貢献したいという望みを持ち、彼の取得したMinor(環境化学)を生かして大学院に進んだのである。

 たとえば、このように大学教育を変革することで、再教育の場が提供され、またいろいろな分野にまたがって活躍できる人材を育成することができれば、社会構造の変化によって、時代の必要とする産業が変わっても、社会のリストラクチャーが大きな混乱を経ず、実現できるのできる可能性が高まるのではなかろうか。

 明治政府は、廃藩置県により武士階級を一挙に解消するという、次代の日本のための非情なリストラを断行した。その自己改革の勇気は賞嘆に値する。そして、私達がその経験から学び、昔の人よりほんの少しだけ賢くなるならば、士族の反乱のような社会的混乱を招くことなく、リストラに耐えうるための教育制度を充実させ、社会の変革を進めるように準備することができるのである。江戸時代の社会制度は260年続いた。それと比べれば、今の社会制度は戦後まだ、60年足らずである。よく準備をして、それに耐えうる仕組みをつくることができさえすれば、変革が不可能であるはずはない。

3.おわりに

 過去の歴史に学び、日本の今日を顧みるならば、地域主権の地方分権国家の構築は夢物語ではない。今の私たちは東京一極集中というの国のかたちに慣れてしまい、あたかもそれが普遍的なものと感じている。しかし、かつての幕末の時代においては、300もの個性ある地域(藩)が育っていたではないか。アメリカではご存知のように、経済の中心はニューヨーク、政治の中心はワシントンDCと分散している。シカゴ、ロサンジェルス、サンフランシスコ、アトランタ、マイアミなどの中核都市もそれぞれ立派に個性を発揮している。日本にもかつては、江戸に幕府、京都に天皇、大阪は商いといった、各地方が独自の個性をもって活躍していた時代があった。今は東京に政治も経済も集中し、天皇陛下も旧江戸城に住んでいる。超一極集中である。私は、天皇が京都御所に戻り、中央官庁を万博跡地の小牧長久手辺りに移築したらどうなるかと、想像したりする。いかに日本全体を地域地域で面白く活性化できるか考えていくべきではないか。

 地方分権改革のような社会変化は混乱を人々に与える可能性がある。政治は混乱が起きないよう変化の速度を調節しなければならないが、それと同時に変化に絶えうる強い個人を作るような教育制度をつくる必要があるだろう。そして、武士が自らを改革したように、政治家や官僚も自ら改革をしてもらわないといけない。小さい政府を標榜するならば、財政や政策面の議論のみならず、議員や官僚の数を減らし政治や行政の効率化を図らない限り、国民に対して痛みを求めることはできない。

 本レポートでは、私の留学経験と日本史の教訓をリンクさせて、これから日本の発展のための後押しとなる論点を見つけようと試みた。今回は幕末江戸期と明治維新後の武士の反乱という限られた歴史的事実に着目したに過ぎないが、これからも、かつて先人たちが海外から多くを学び、それを自分たちの歴史と伝統に合せて、上手に日本のものにしていったように、私も外国生活からの経験と日本の歴史的な視点をうまく融合させて自分の政策の理念づくり生かしていこうと思っている。

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黄川田仁志の論考

Thesis

Hitoshi Kikawada

黄川田仁志

第27期

黄川田 仁志

きかわだ・ひとし

衆議院議員/埼玉3区/自民党

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