論考

Thesis

中央集権国家から地域主権の自治国家に向けて

国、神奈川県で働き、働きながら夜間の大学院に通う中で地方自治に対する期待と失望の想いがごちゃ交ぜになりながら、私の心に深々と降り積もっていった。中央と地方で働いた私の体験や近年話題の道州制をベースに中央-地方の関係から国家を再考する。

はじめに

 私にとって冬のスポーツと言えばラグビーである。お正月は、大学選手権や高校選手権(いわゆる花園)といったラグビーの華といえる試合が目白押しである。3Kスポーツの典型、力技と思われがちなラグビーであるが、各自の判断や自主性を極めて尊重する知的・紳士的スポーツである。試合中はプレイヤーそれぞれが状況に応じて主体的に判断しつつ、一体感のある攻撃・防御を目指す。試合中に監督はゲーム進行には口を出さない。プレイヤーの判断を重んじ自治を尊重するのがラグビーの精神だからだ。一時期は司令塔のもとで各自が決まり切った動きをする戦術を繰り返すチームが強い時期もあった。やっていても、観ていても面白くないスタイルはプレイヤーにも観客にも支持されないし、伸び伸びとプレーする創造的なチームに敗れていった。翻って日本の中央-地方関係を見た場合には、地方・地域は主体的に判断し行動できているだろうか。中央と地方で働いてきた私の体験や、近年話題の道州制を参考に中央-地方の関係を再考し、国と地方自治体は今後どうあるべきなのか検討していきたい。

1 地方自治との馴れ初め

 私は大学生時代から卒業後まであるベンチャー企業の起業を手伝い、その後総務省に国家Ⅱ種の立場で働いた。一度民間に勤めたのは、先々公の立場で社会に関わるにしても、民と官と両方を体験しておきたいと考えていたからだ。また、両親、兄が公務員、であるという家庭環境にある私にとって、民間企業に勤めることはそんな家庭へのプチ反抗であったのかもしれない。そして多くの官庁の中でも総務省を選んだのは「地方自治の発展によって国家を繁栄させる」という理念に共感したからである。高校時代にラグビー精神を体感し、少人数のベンチャー企業で働いた私にとって、各々が自主的に判断できることと、小回りの効く組織であることが創造的な仕事ややる気を生み出すと信じていたためだ。中央官庁の中でも最小規模といわれた旧自治省(自治に関わる三つの局と一つの庁で数百人の規模)の関係の部局で4年間働き、神奈川県庁という地方でも2年間働いた私にとって、中央と地方との関係から国家のあり方を考えることは日常そのものであった。

 当時規制改革真っ盛りで、特区を初めとして様々なアイデアが沸き起こる時代でもあった。その中には、中央から地方への権限委譲や民間のアイデアを生かしたいという要望も多くあった。例えば、神奈川県藤沢市では税金を支払うのにクレジットカードを使いたいとの要望があった。これに対して、中央は当初難色を示した。藤沢市は各方面に説明を重ね、実現の運びとなり、今では望ましい民間活用の事例として中央も全国に通知で紹介している。中央は現場から遠い。確かに海外のアイデアを輸入したり、ある地方のアイデアを全国に広げたりするということには長けている。しかし斬新なアイデアは、前線で住民と関わり、自分ごととして悩んでいる地方からしか生まれてこないのではないか。これまで中央ではそのような現場感覚を補うために、中央-地方間での人事交流や各種審議会・研究会における地方代表の登用、膨大な量の調査照会などを行ってきた。しかしこれだけ多様な社会で全国すべての物事を理解し、指針を示していくことは限界があり、中央の役割は、情報化社会の到来によって相対的に小さくなっている。むしろ、全国一律といった足かせをはめるのではなく、地方が自由にのびのびと活動する下地づくりに徹するべきではないかとの疑問が沸く。

 私が2年間出向した神奈川県は、力強い自治体であった。例えば、私が勤めた税務では、税法の解釈を中央に聞くことを恥とし、自主財源について水源環境税といった独自のアイデアを創出するなど「中央何するものぞ!」という気迫を感じた。県内の市町村も、市町村でできることは市町村でやっていくという姿勢であった。例えば、全国的に見ると非木造の固定資産の評価を都道府県に依存する市町村が多い中で、神奈川県内の市町村の多くは、非木造の固定資産を自ら評価していた。この背景は、松沢成文知事、岡崎洋前知事、そして各市町村にも分権や自治に理解ある政治的リーダーがいたことが大きい。

 また財源といった背景も忘れてはいけない。少々技術的な話になるが、地方自治体の歳入に占める地方税の割合の平均は約40%である。これに対して神奈川県は歳入の約75%は地方税であり、地方交付税や補助金への依存度は極めて低い(いずれも2006年度決算ベース)。また県内市町村は33市町村のうち23市町村が地方交付税無しで経営できる不交付団体である(2008年度ベース)。1990年代後半に地方分権を進めた地方分権推進委員会は、機関委任事務と地方事務官制などを廃した地方分権一括法ができた時に「未完の地方自治」という言葉を残している。未完とは財源の分権のことを指す。財源の裏付け無しでは、力強い自治は生まれてこない。また神奈川県庁時代に夜間の大学院に通う中で、多くの自治体職員、自治体議員と切磋琢磨し、仕事を終えてから22時、23時まで行政改革、税財政、防災、条例づくり、地域おこしなどについて、現在進行形の議論・勉学に懸命に励む姿を見て、地方が新しい時代を創っていく息吹を感じた。

 このような地方自治という風に大いに触れた私は、地方自治の理念に、より一層の自信を持って中央に帰った。しかし、愕然となる事実を次々と突き付けられていく。その当時、地方税に関する部署に配属された私が担当したのは、自治体、住民からの法解釈などの相談や苦情を聞くことであった。逐条解説といういわゆる基本書を読まずに相談してくる自治体職員、地方の事務処理に不満を持ち、中央が地方に命令してくれと叫ぶ住民、自治体はレベルが低いから、優秀な中央が指導してくれと言う地方議員、強権を背景とする税という特殊性もあったのか、中央支配的な考え方を是とするような中央の職員もいた。私が考えていた以上に、この国の中央集権は中央にも地方にもそして何よりも住民に浸透していた。地方自治の大切さを訴え、その地に合った地域づくりをしていかなければいけないと確信したのである。

2 松下幸之助が考える道州制とは何か。

 次に、松下幸之助が考えた道州制を取り上げる。松下幸之助は1960年代に廃県置州、置州簡県を提言している。その究極の目的を一言でいえば、地方自治体の自主責任経営の確立による地域の発展、日本の繁栄であったと考える。(もちろん、この時代には機関委任事務といわれる中央の下請け的な事務仕事が存在するなど、現在よりも中央集権がさらに強かったという時代背景も忘れてはいけない。)それでは、松下幸之助の道州制の要点を私なりに整理していきたい。

【現状認識】

  • 明治22年(1889年)の都道府県成立時に比べて、科学技術の進展に伴い、日本は「狭く」なっているし、国民の活動範囲は広がっており、現在の都道府県制度は実情に合わなくなっている。

【内容】

  • 単に府県を合併するのではなく、中央政府を分割して州をつくる。つまり国内政治の主体を州に置き、あたかも独立国のような性格を与える。アメリカ合衆国がひとつの例である。
  • 中央政府は義務教育、国防、治安、外交方針の決定、最高裁の運営、表彰、国土計画の基本的な考え方を担当する。
  • 府県は簡素化して存続する。
  • 州長は民選で国務大臣を兼務する。
  • 徴税は州が行い、徴税額の何%かを中央政府に渡す。

【効果】

  • 人口を分散し過疎過密というアンバランスは解消の方向に向かう。
  • 各州の間に切磋琢磨、創意工夫が現れ、政治の生産性が高まり国民生活の向上、繁栄につながる。

【実行】

  • 道州制を政府自体が問題とすることはないので、まず財界が推進し、次に国民運動的な傾向が生まれることが必要である。
  • 強い意志を持って今こそ実現するべきである。

 以上のように、松下幸之助の道州制とは、日本の繁栄のために制度疲労した中央集権制、都道府県制を転換し、州を設けて国内政治の主体とするといったものである。中でも道州に大幅な権限を持たせる、特に道州が徴税権を有し、国に必要額を配分するというように財政的な自治を保障しようというところが目をひく。

 ちなみに松下幸之助は、市町村の役割については触れていない。これについては、松下幸之助が生きた時代における市町村の役割が小さかったことを考慮する必要がある。地方分権一括法で市町村の役割が増し、ヨーロッパ地方自治憲章における補完性の原理が日本で広まったのも20世紀に入ってからである。市町村の役割は大きくなったのである。もし今、松下幸之助が存命であれば、現地現場を大切にし、自主責任経営を理念とする経営観からすれば、必ずや道州とともに市町村重視の提言をなすことであろう。そういった意味では道州制は地方自治、地域主権の第一歩に過ぎないともいえる。

3 中央集権と地方自治の歴史

 松下幸之助以外にも様々な方面から道州制の提案がある。道州制を考えるにあたって、現状の都道府県の成り立ちや、中央集権の背景を知るために明治から現代に至る地方自治を歴史的に確認していきたい。

 欧米列強のアジア進出の脅威にさらされる中で、急速な近代化を図るため中央集権国家を目指した明治政府は、版籍奉還から廃藩置県と矢継ぎ早に改革を行った。廃藩置県の「県」という名前は、大和朝廷の直轄地である県(あがた)から取ったとも言われている。明治政府は王政復古を理念として、律令制の時代を再現することをひとつの理想としていたことが伺える。廃藩置県時には309あった府県は、幾度にもわたる府県改編を経て、明治21年に46府県となり、基本的には現在と同じ姿が現れた。(第二次世界大戦中に東京市と東京府の合併により東京都が誕生する。)戦前の都道府県は、国の事務を処理する国の出先機関としての性質が極めて強く、その象徴が官選知事であった。戦前の知事の任命権は内務大臣が持っていた。

 市町村については、1890年の府県制の公布に先立つこと約2年前の1888年に、市制町村制が定められた。内閣の法制顧問であるドイツ人のモッセは、立憲政治の発展にはまず自治の経験が必要であり、地方自治の経験者が国会議員になるのが良いという考えであった。これに対して、中央集権の権化ともされる山県有朋は、自治や分権の名を借りて、国家の支配機構として市町村を位置付けたとされている。山県は町村自治体では名望家を取り込み、中央の支持母体として確保した。また、都市は不特定多数の人間が集まり、反中央的なものになるとして、自治の一部を制限した。そのような面もあったが、市町村は首長の公選制が確保され、都道府県よりも民主主義的なものであったことに注目したい。

 第二次大戦後にGHQは日本内政を調査する中で、日本人における地方自治への関心の低さに驚かされたという。新憲法に地方自治が明記されるとともに、内務省は解体された。シャウプ勧告によって、自主財源である地方税を重視する税制のあり方が示され、地方自治が財政面からも裏付けられた。このように戦後は、中央と地方は理論的には対等協力な関係へと移っていった。しかし、機関委任事務などで実質的には自治を制限してきたといえる。機関委任事務も地方分権一括法の中で解消され、少しずつではあるが、着々と地方自治が進展していることがわかる。ちなみに、日本の地方自治体が持つ権限の幅は広い。イギリスの自治体は法定された事項に限られるが、日本は特別に禁止されているもの以外は何でもできるという包括性を有している。

 現在、都道府県数は47であり、明治以来の姿とほぼ変わりないが、市町村数は1888年に71,314町村であったが、明治、昭和、平成の大合併を経て、1,781市町村(2008年1月末現在)となっている。道州制、地方自治のアイデアは古くからあり、明治時代には府県合併についての議論や、教育・厚生・福祉といった住民の身の回りのことは地方政府へとする福沢諭吉による地方分権論が唱えられている。戦後は、石橋内閣、岸内閣が都道府県改革に積極的で、総理大臣の諮問機関である第4次地方制度調査会が1957年に地方制度の改革に対する答申をまとめ、国と市町村の間に国の機関と地方自治体の性格の両方を併せ持つ地方という団体を7~9つ置くという提言を行った。また1966年から1969年には、都道府県の合併を促すために「都道府県合併特例法案」が参議院に3回提出されたが、いずれも廃案となった。その後、日本経済が成長していく中で、都道府県改革の機運が失われていく。

4 最近の道州制論議について

 その後、市町村合併の進展、行財政改革の要望、景気の後退もあって、再び道州制が脚光を浴びる。2003年に北海道を道州制特区とし、2006年に第28地方制度調査会が、道州制の導入が適当であるとする答申をまとめた。現在、政府関係機関のみならず、経済界からも道州制について様々な論議がなされ、百家争鳴の様子を呈している。そのような中で私が道州制についていくつか危惧していることを指摘したい。

 第一は、「道州制は霞が関からの解放というような主張」である。実態としてそのような結果になるとしても、このフレーズは国民の大きな関心を呼ぶ魅力が無い。国民から見れば、国と地方が権限の分捕り合戦をしているようにしか見えない恐れがある。三位一体改革で国と地方が交付税などの財源の綱引きをした際に、地方は国民からの支持を得られなかった。これは国と地方が権力闘争を行っているに過ぎず、国民・住民の生活には関係ないと思われたためである。道州制は市町村、そして地域主権への一里塚であり、国民・市民生活の増進のために必要であるという論陣を張るべきである。

 第二に「区割りで右往左往するようなかたち」は避けたい。報道では、どこで道州の線を引くかということに焦点があてられがちであるが、区割りは最終的には政治的判断の話であり、いわば「キメ」の話であって議論する余地は少ない。区割りといった形に捉われるのではなく、道州にどのような仕事を任せるのかといった点を整理することが先決である。その際には、国と道州は行える事務について制限列挙方式を取り、市町村、地域との重複を避けることも検討されていい。

 第三に「東京が日本の冨を収奪しているので道州制を通して分配しようという考え方」も疑問である。都市への人口などの資源の集中は世界的な流れであるし、東京の発展が世界に対抗する競争力を生み出し、日本を牽引してきたのも事実ではないだろうか。富や人材を収奪している東京から、頑張っているが報われない地方へ分配するという見方には違和感がある。階級闘争のような、古い昔のイデオロギーさながらの偏狭な思考課程に思えてならない。都市と地方は対立するのではなく、共存共栄の関係であるべきだ。もちろん財源の水平調整は必要であろう。

 第四に道州制というかたちを作ったとしても、「市町村といった単位での地域が強くなるかたち」でなければ、絵に描いた餅である。北海道における道州制特区が振るわないのは、中央が消極的であることなどもあるだろう。しかしそれ以上に、様々な提言をあげるはずである市町村と民間企業に元気が無いように見える。北海道はそもそも官がリードして切り開いてきた歴史があるとともに、北海道と各市町村(札幌市を除く)、地域の間に圧倒的な力の差がある。神奈川県のように対等協力の関係にある市町村、地域をベースとしてこそ、道州制というものも生きてくる。市町村、地域から自主的な発案、取組みが出てこないのでは、道州というミニ中央をいくつも作っただけになってしまう。

 最後に「道州制を単なる財政再建、行政改革とする考え方」である。国、地方を通じて約1,000兆円とも言われる借金を抱える中で、財政再建は確かに急務である。しかし、財政再建のために道州制を為すというのは本末転倒ではないか。まず目指すべきゴール、ビジョンがあり、それに向けて持続可能な財政の仕組みが講じられるべきである。単に財政再建を目指すだけであれば、道州制などは迂遠な手法であり、極端な話でいえば、それはもっと簡単な方法で実現される。つまり、公共における不採算部門をすべて無くせば良いのだ。不採算部門とは、自前で運転資金を調達できないものであることから、義務教育や社会保障はもとより、安全保障、治安、防災といった分野もいわゆる「赤字分野」として整理されるべきということになる。そして残った採算部門については、民間競業禁止の原則や官民役割分担の考え方から、儲かるなら民間に譲渡・売却することが適当ということになる。つまり、財政再建のみを目的とするのであれば、公共部門を全て無くすことが最終ゴールとなる。しかし、財政を良くするのはゴールではないはずだ。一将功なりて万骨枯れるではないが、財政良くなりて国民窮迫するような事態は本末転倒である。道州制が結果として財政再建に寄与するとしても、それが一義的な目標ではないはずだ。

5 道州制によって何が変わるのか。

 私は何でも分権、地域へという意見には与しない。外交・防衛・治安など日本や日本人の存続に関わる対外政策は、統一性と一定程度の機密性が必要不可欠であり、国家が中心となって行うべきである。これに対して国内政策、いわゆる内政については地方へ委ねるべきである。そして内政はその事務・事業の性質によって異なるが、基本的には現場に近い市町村を中心とした地方自治体が行うべきである。

 それによって何が起きるのか、4つの方向性について考えてみたい。

 第一に「分断から統合へ」という流れができる。中央では各省庁が乱立し、縦割りの弊害が生じている。縦割りというのは専門化の裏返しであり、多様で複雑な現代社会の中では一定程度やむを得ない面もあるが、現状は目に余る状況である。歳出ベースで見れば、中央・地方の事務の6割は地方が行っており、各省庁の縦割りは地方という現場で統合されているのである。中央では各省庁に大臣というリーダーがいて、船頭が多い状況にある。地方自治体では知事は一人、市町村長も一人であり、首長の責任や権限が明確であり、総合的で力強いリーダーシップが発揮できる。したがって地方に権限移譲を進めていくことは縦割りの解消にもつながる。

 第二に「机上から現場へ」という流れができる。最先端の事例やアイデアは常に現場にある。中央が机上で考える精緻な理論に基づく計画や判断は、非合理的な要素を多く含む現場の実態に合わないことも多い。そして何よりも現場から離れたところでの判断は、本来大切にするべき理念(行政であれば住民志向)とは異なる要素が加わっていく。少々古いドラマになるが、「踊る大捜査線」の主人公青島刑事が「事件は現場で起きている」という言葉が流行ったのも、現場感覚とかけ離れた判断が世の中に横行していることが共感を呼んだのではないか。蛇足になるが、現場感覚とかけ離れるのは行政分野だけの特権ではない。豊田章男トヨタ自動車新社長は就任の記者会見で「現場に一番近い社長でありたい。」と述べた。それは現場感覚から離れてしまうことは、大組織に共通の課題であるということだ。行政だけでなく、民間企業にも官僚制の弊害が発生すると指摘したマックス・ウェーバーの言葉を思い出したい。

 第三に「一般化から個別化へ」という流れができる。中央では全体調整を優先せざるを得ないため、個別の事象を重んじることは困難である。全体調整を優先すれば既存の一般化した手法や概念にとらわれがちである。地方では一定の地域の利益を考え、個別の事象を重んじて判断することが可能である。教育特区や経済特区などが象徴的であろう。善政競争というように、各地方が独自の判断で地方を盛り上げていくべきである。一定の全体調整が必要であることは否定しないが、現在の過度の一般化は見直されるべきだ。

 第四に「中央による指導から地方主権・住民主権へ」という流れができる。中央においては地方に任せることに対する不安や不信があり、中央が導かなければならないという驕りがあるように思える。確かに戦後復興期などでは、中央が導くことが日本の繁栄、国民の幸せにつながる時もあったのであろう。また自治体職員などが中央の職員の前で謙虚を通り越して過度に遠慮することから、そういった驕りが生じている面もあるだろう。しかし、私が自治体職員と肌と肌が触れ合うような関係を作っていく中で、意外にも多くの知見を持っていることに気付かされる。中央の職員の多くは、残念ながら数年おきのローテーションが繰り返される、したがって、赴任の挨拶はこれから何をしたいというよりも「これから勉強します。」である。地方自治体の職員の専門性を高め、プロフェッショナルに委ねるべきだ。

 そして何よりも住民が当事者意識を持って政治・行政に携わっていく契機となる。中央集権のもとでは、住民は遠いどこかで起きていることだと思うことから参加意識が希薄となり、行政サービスには対価である税や保険料といった負担があることを忘れてしまう。「住民ひとりひとりが目の届く範囲=地方」で物事を決めることによって、住民の政治・行政への参加意識が高まり、自らのことは自らで決め、自ら地域、日本を支えていく住民、国民であるといった意識や地域や日本への感謝の気持ち、つまり「自治の心」が育まれるのではないか。

6 おわりに

 先日、道州制の関係の会議に出たある先輩からこんな話を聞いた。道州制の議論はやるかどうかではなく、道州制になったときにどうするのかといったところまで議論が進んでいるとのことだった。国民的にも概ねコンセンサスが取れてきているのではないか。道州制になるということは自由度が増す反面、地方や住民にとって大変なことでもある。今まで地方は「中央の規制でできない。」「国が言っているのでこの通りにしてくれ。」など、住民・議会に説明する際に、したたかに中央を利用してきた面もある。住民・議会も「国が言うならしょうがないか。」とそれとなく納得していた。しかしこれからは、そのような逃げ口上は通用しない。地域づくりの権限が移譲されれば、その結果は当然に住民、自治体政治家、職員自らの責任となっていくのである。

 また、どうやって「自治の心」が生み出し、育てていくのかというのは、自分にとっても、まちづくりを行う人にとっても永遠の課題である。道州制や分権何々委員会という仕組みも大切であるが、「自治の心」を生み育てるのは、何よりも個々人がそのまちに関心を持つことからしか始まらない。そのまちの歴史や特徴を知ることが、隣人や地域への親愛の情を生み、郷土愛につながる。仕事や家庭や学業を持ちながらも、可能な範囲で地域を盛り上げていこうという当事者意識も生まれてくるだろう。それは誰かにお任せするというものではない、真の市民の誕生でもある。

参考文献

田村秀「道州制・連邦制 これまでの議論・これからの展望」平成16年 ぎょうせい
田村明「自治体学入門」2000年 岩波書店
一新塾「道州制で日はまた昇るか」2007年 現代人文社
江口克彦「国民を元気にする国のかたち」2009年 PHP研究所
大島太郎「官僚国家と地方自治」 1981年 未来社
辻清明「日本の地方自治」1976年 岩波新書
「松下幸之助塾主政治理念研究会」資料 財団法人松下政経塾

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津曲俊明の論考

Thesis

Toshiaki Tsumagari

津曲俊明

第29期

津曲 俊明

つまがり・としあき

千葉県船橋市議/立憲民主党

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地域主導による活力ある社会の実現

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