論考

Thesis

未来を紡ぎだす「共生社会」 ~「泥の文明」から読み解く日本のアイデンティティ~

「グローバリゼーションの到来=第三の開国」。新しい価値観の転換点に位置する現代日本。今こそ、「日本と日本人とは何か」という歴史的命題に対し、「共生」「内に蓄積する力」による「泥の文明」という視点から日本のアイデンティティを見つめ直し、21世紀の日本のビジョンを描く。

1、変革期に問われるもの

 今、四国が熱い。

 愛媛県松山市を舞台に、近代国家への一歩を力強く踏み出した秋山兄弟と正岡子規の生涯を描いた「坂の上の雲」。そして、混迷を深める幕末期、「自由」と「民主主義」のもと、誰もが夢や希望を抱くことのできる日本を創造するため、新時代の扉を押し開けた坂本龍馬の生涯を描いた「龍馬伝」。この二つのストーリーを描いたテレビ放送により、日本全国の注目を集めている。

 時代は「開国」というパラダイムの大転換期。幕末・維新期から近代国家へと道なき道を果敢に歩み続けた先人達の勇気と英知ある行動と決断する姿、そして情熱溢れる想いと志を抱いて、困難に立ち向かう姿に感動を覚える人も多いだろう。既成概念や固定観念を捨て去り、自らの殻を破り、自らを成長させ、さらには人を動かし、時代をも動かした先人達の勇気ある行動に共鳴し、先人達に想いを馳せるのは、変革期が到来し、我々を取り巻く様々な価値観が大転換する中で、現代社会に生きる日本人が意識的に何かを感じ取ろうとしているからではないかと思えてならない。

 「グローバリゼーションの到来とこれに伴う適応・順応=第三の開国」といわれる現在の日本。まさに、我々に課せられた歴史的使命とは、先人達の汗と涙、そして努力の集積の上に成り立つ日本を繁栄させ、全ての人々が真の幸福を実感しうる社会を創造することだ。しかしながら、今、日本は誤った道を突き進もうとしている。日本は漂流し、次々と社会に亀裂が生じている。「振り込め詐欺」「耐震偽装」「食品の産地偽装」に代表される「金の為なら人を騙して何が悪い」という犯罪が後を絶たない。その「自分さえよければ…」というモラルハザードの蔓延が人間に向かう時、通り魔、少年犯罪、近親殺人など身も凍る凶悪犯罪が頻発する現実。そして、凶器の矛先は弱者に向かう。これらの問題全てが、人と人との「つながり」「絆」の喪失により、誰もが自分だけの世界に逃げ込んだ結果、日本社会に生じた「ほころび」なのだ。日本は、今や自国のアイデンティティ、さらに、他者とつながる力を急速に失いつつある。これまで急激に拡大させたグローバリズムに対し、個人も、企業も「どうやって生きていくのか」「いかにして他者とつながっていくのか」という観点を見失っている。日本人は今、新たな価値観、自らの生き方、アイデンティティを求め彷徨っているのではないだろうか。

 歴史家の松本健一氏は、幕末・維新期について次のように述べている。

「開国とは、単に欧米列強と外交関係を持ち、自由貿易体制へと日本を開いていった歴史を指すのではない。それは、みずからと原理を異にする『文明』に目覚め、その文明のうえに形作られた『国際社会』のルールを知るというかたちで、日本が世界史の中に引き出されていった未曾有の経験を意味する。…(中略)…変革はあくまでも日本のやり方(民族の歴史と伝統)にのっとったものでないと、その変革自体が何のために行われるのかが分からなくなってしまうだろう。幕末というのは、民族が生き残るために、日本の開国がどのようになされるべきかを民族に問い続けた時期であったのだろう」

 我々は従来の価値観(経済的)から、真の幸福を感じ取れる価値観へと思考転換の時期を迎え、これに伴い、社会の様々なシステムの破壊と創造期に位置している。だからこそ、松本氏の指摘にある通り、幕末期に見られた「日本のやり方(民族の歴史と伝統)にのっとった変革」に向かわなければならない。そして、「幕末というのは、民族が生き残るために、日本の開国がどのようになされるべきかを民族に問い続けた時期であったのだろう」という指摘の通り、第三の開国期に位置する現代日本に必要なのは、明確な理念を持つことだ。その理念の下に、新たな「国のかたち」を創造しなければならない。そのためには、長きにわたる歴史で醸成された日本と日本人のアイデンティティを再確認し、もう一度、祖先達の努力の集積である歴史に問いかける勇気と英知を持たない限り、未来の創造は不可能である。

 漂流する日本。生きる希望のない社会との決別を果たすため、今こそ、日本の伝統・文化・歴史、そして日本人のアイデンティティを率直に問い直すことで、今後の日本の方向性を考察したい。

2、世界に誇るべき「日本の伝統精神」 ~塾主の視点~

 松下幸之助塾主は、著書『人間を考える 第二巻 日本の伝統精神 日本と日本人について』の中で、日本の伝統・文化・歴史を総括し、次のように述べている。

「日本人は二千年もの間、一方では国内において色々な形で衆知を集め生かしつつ、また一方で広く海外の衆知を吸収し、それによって日本を今日の姿にまで発展させてきたわけです。…(中略)…日本の伝統性、国民性に即してこれを吸収し生かしてきたわけで、日本人としての主座というものを保ちつつ、広く海外に衆知を集めてきたわけです」

 塾主は、「衆知を集める」「主座を保つ」、そして「和を貴ぶ」、この三つこそ、有史以来我が国が培った「日本の伝統精神」である、と主張している。つまり、日本人は、諸外国における先進的文化並びに宗教、あるいは技術革新に対し、柔軟かつ積極的に「衆知」を集め、次々と取り入れた。しかし、これはただ闇雲に国内に輸入したわけではない。一方で、日本人の主体性を崩さず、異文明、異文化を受容するという「主座」を保ち、日本風味に味付けを変えることで、世界の発展的な思想や技術、文化を日本文化へと進化させたのである。すなわち、日本人は、様々な世界的教訓に対して「衆知」を集め、「主座」を保ち、「和」を貴んだ。この「和を貴ぶ」という発想は、そもそも他者、あるいは他国との争いを徹底して嫌い、絶えず平和を愛好する精神を持つ日本人の気質によるものだ。聖徳太子の十七条憲法第一条「和をもって貴しとなす」の言葉に象徴される日本人の平和への愛好精神こそ、日本独自の「和を貴ぶ」という伝統をつくり上げたのである。換言すれば、平和精神に溢れる祖先が、和魂洋才的に日本独自の文化を創造し、国家の繁栄をもたらすという生き方を選択したからこそ、世界に誇るべき日本の伝統精神が形成されたのではないだろうか。これらの日本の伝統精神は、戦後期まで脈々と受け継がれたが、塾主は、戦後日本において、日本が持つ伝統精神が失われつつあることに警鐘を鳴らしている。だが、いずれにしても「衆知を集める」「主座を保つ」「和を貴ぶ」という日本の伝統精神を導き出した塾主の視点は、今、我々が失いつつある「日本とは何か」「日本が世界に誇れるものとは何か」という希望の道を拓いたといえよう。日本と日本人の根底に流れる伝統精神という塾主の歴史観を踏まえ、次に日本人のアイデンティティについて、より深く掘り下げ考察したい。

3、「泥の文明」 ~日本のアイデンティティとは何か~

 日本と日本人にとって最も重きを置いた価値とは何であったのか。
松本健一氏は、日本と日本人についての次のように述べている。

「棚田・里山に象徴される、豊かな土壌である『泥』と暮らすことを選択した我が国の祖先が、その生活の中から生み出した『共生』の価値観、自然の中で、人と人とのつながりの中で生かされ、その風土や人間関係を愛しみ、その切れ端すら『もったいない』と尊ぶという価値観こそ、私たち日本人が拠って来た」

 「泥の文明」によって生み出された日本人の「共生」という価値観は、利害や利益追求のみの関係による人と人とのつながりではなく、むしろ、同じ土地、同じ地域に住む人間を懐深く受容するのみならず、自然やあらゆる生命と共に生きる価値観に依拠していたのである。その結果、相互扶助=相互規制的なムラ=共同体というコミュニティをつくった。そして、「共生」に価値を持つ日本は、独自の様々な伝統文化を醸成した。これらについて、松本氏は次のように述べる。

「泥は多くの生命、生物を生み出す。人々は、そこに田を作り、毎年同じように食物を提供してくれる自然の中に定住し、自然から恵みを受け、それを有効利用してきた。収穫量を上げて豊かになるために、水田の品質管理や、天候、病害虫に堪えるための品種改良といった工夫へと努力がなされ、その間に水田の泥は蓄積し、その泥がいっそう豊かな食物を人々に与える。こうして泥の文明では、農耕を維持する相互扶助のシステムの中から、共同体に富を蓄積するために、『一所懸命』にあらゆる努力が払われるようになっていく。『一粒の米の中に、一つの水田の中に、一つの家の中に、一つの村の中に、そして、一つの国の中に、文化のノウハウを蓄積させていく力』、すなわち、『内に蓄積する力』が生みだされたのである」

 つまり、「島国」の中に「定住」し、泥の中で「米づくり」をしてきた我々の祖先は、「一所懸命」を美徳とし、「ものづくり」の文化を形成した。もっとも、「米づくり」を民族の文化の基盤としてきた日本人は、土地に一番の価値を置いている。そのため、一つの土地を命懸けで守るという「一所懸命」のエートスが生まれるのである。そこから、日本人はただひたすら米をつくるのみならず、泥土を「米づくり」の水田に改良する一方で、米を保存し、食器とするために泥土を乾燥させて焼き、土器を開発した。そして、土器から陶磁器へとつくり変える技術を開発したのである。もちろん、陶磁器は、中国が本家本元であり、「日本が中国の真似をしたにすぎない」という批判はあるであろう。しかしながら、日本の「ものづくり」は決して物真似では終わらなかったところに日本人の特徴を象徴しているのだ。

 日本人における「ものづくり」は、日本民族の「生きるかたち」だったといえよう。つまり、島国に閉じこもり、国内を平和で、豊かで、安定した状態に導くため、諸外国にすぐれた文明、進歩した技術、美しい文化があれば、それを輸入し、日本の主体的な過去の蓄積のもと、「和魂洋才」し、換骨奪胎的に日本風に、あるいは地域特性と兼ね合いながらつくり上げていく。そのようにして日本民族は、長きにわたる歴史を生き抜いてきたのではないだろうか。幕末における佐久間象山の「夷の術をもって夷を制す」という戦略が、高度経済成長期までの日本の「ものづくり」の基本的思想となっていたのは有名な話である。

 「泥の文明」により発展した日本の「ものづくり」精神は、今も様々な部分で垣間見ることができる。たとえば自動車分野における欧米と日本の比較をしてみよう。欧米は階級社会という歴史的経緯があったため、自動車分野はベンツやダイムラーなど殆ど大型であり、貴族、富裕層に対して、いかに満足度の高いものを開発するかという発想から生産されていた。ところが、日本の自動車は違う。初めから庶民が乗りまわす自転車にもう一つ車輪をつけて三輪車をつくり、そして、四輪車にして「自動車」になった。これは、日本人の持つ高い感性を物語る事例であろう。戦国武将の毛利元就は「終生本業を忘れる事なかれ」という有名な言葉を残している。まさに、日本の「ものづくり」を守るため、「泥の文明」による「内に蓄積した力」を何が何でも守り抜く職人気質が日本人にはあったといえよう。日本人の「ものづくり」の思想的根源はそもそも庶民目線であり、民族が生き残るためにいかに身近な人に幸福提供できるかという、まさに、最大限生き抜く知恵を振り絞った結果、「ものづくり」中心に国家繁栄へ導かれたといっても過言ではない。

 まさに、「泥の文明」で培った「ものづくり文化」は日本人の知恵であり、究極の日本文化といえる。今、我々日本人は「泥の文明」の持つ文明史的な意義を、再考しなければならない。そして、そこから生み出された「共生」の価値観、そして「内に蓄積する力」という強みが、日本の根底に流れる価値潮流であり、これこそ我が国のアイデンティティなのではないだろうか。

4、「共生」「つながり」「いのち」に価値の主軸を置く日本人を

 我が国は、「グローバリゼーションの到来=第三の開国」期を迎え、パラダイムシフトが時代の要請となる中、日本民族の歴史と伝統に基づいた変革が求められている。先に述べた塾主の「日本の伝統精神」、そして「泥の文明」から熟成された日本のアイデンティティという視点を用いて、21世紀の日本のビジョンと今後の方向性を再考したい。

 「泥」や「自然」の恵みを賜物とし、「共生」することで日本を発展に導いた祖先達。「いのち」を輝かせ、人と人との強固な「つながり」によって形成されたコミュニティ。そして、「いのち」のつながりの積み重ねによって、現在の我々に向けて紡ぎだされてきた尊い「いのち」。まさに、ここでいう「共生」「つながり」とは、相手の存在を認め、共感の共有化を図り、共に存続・成長・繁栄することである。「自助・共助」という言葉があるが、まさに、「いのち」は、個で存在するものではなく、環境によって生かされ、他の「いのち」とのつながりによって生かされる存在なのだ。この信念は、「泥の文明」の中で、自然の恵みに感謝し、絶えず手入れを必要とする田畑での互いの共同作業を通じて紡がれてきた。そして、生きていく上で、人と人との「つながり」の重要性を皮膚感覚で実感する繰り返しによって生まれ、育まれてきたものである。

 しかし今、日本はこれらの「共生」「つながり」「いのち」という価値観が欠乏し、感情を剥き出しにして、凶器を弱者、あるいは身近な人々へも向ける社会へと変節した。他方、日本には高度経済成長期以前まで田園風景が広がっていた。「泥」に直接触れ、身近に自然との対話ができる環境があった。そして、何よりも人と人との「つながり」を感じる地域コミュニティがあった。しかし、そのような姿を残している地域は、もはや失われたといっても過言ではない。急速な都市化による人口の集中と過疎を生んだ日本社会は、地方の衰退を引き起こし、山村漁村といった過疎地域を中心に人がいなくなった分「住みたくても住めない」という危機的状況に陥り、人間の「つながり」を持つに至らない程の分断化が急速に進んでいる。地域コミュニティという空間の中で、日本のアイデンティティや伝統文化が形成された歴史を振り返ると、地域の疲弊と空洞化、そして人の逃散減少は何が何でも食い止めなければならない。そうしない限り、各地域で醸成された日本のアイデンティティは雲散霧消化する恐れさえある。今、我々が、新しい価値を見出そうとしている時だからこそ、地域コミュニティの再生は喫緊の課題であり、地域が希望を見出さない限り、日本人自体も前途に希望を見出すことは不可能なのではないだろうか。すなわち、日本全国の地域がそれぞれ持つ伝統・文化・歴史に価値を見出し、地域独自のローカルアイデンティティを国家レベルに積み上げ、日本人のアイデンティティを再確認、再構築することこそ再生の一歩へと繋がるのではなかろうか。そして、「共生」「つながり」「いのち」に価値の主軸を置くという意識を日本人が共有することで、「グローバリゼーションへの適応・順応=第三の開国」という世界的な荒波を乗り切る力強い民族へと変わることができるものと確信している。

5、おわりに ~『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』~

 歴史とは、何百億人の経験と、人間のあらゆる失敗と成功の集積である。歴史を読み解き、時には主観的に、時には俯瞰することで、自らの知見と思慮を深め、ひいては将来も見通すこともできる。そして、いざ大決断を求められる時、歴史を一つひとつ紐解くことで、誤った判断を下すことが避けられる。そして、自ら『歴史』の1ページを作っていく。長きにわたる歴史の中で、賢者、英雄、指導者達は、これらの繰り返しによって今日を作った。

 我が国は成熟化社会に突入した。成熟した社会において、一人の賢人が登場し、すべてパーフェクトに統治する時代は終焉した。まさに、それぞれの分野で卓越した能力を持つ人々の勇気と英知を結集し、国難に臨むことこそ、新しい時代を切り拓く原動力になるのだ。だからこそ、日本と日本人が歴史的に培ってきたアイデンティティと、世界に誇れる「日本人らしさ」を基本とした「国のかたち」を創造しなければならない。

 21世紀に入り10年の時を経た今、価値観の転換、変革期に差し掛かっている。そんな今だからこそ、私は、鉄血宰相といわれたビスマルクの言葉を噛みしめたい。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

【参考文献】

松下幸之助『人間を考える 第二巻 日本の伝統精神 日本と日本人について』(PHP研究所、1982)
松本健一『砂の文明・石の文明・泥の文明』(PHP研究所、2003)
松本健一『泥の文明』(新潮社、2006)
松本健一『開国のかたち』(岩波書店、2008)
藤井裕久・仙谷由人監修『歴史をつくるもの 上・下』(中央公論新社、2006)

Back

丹下大輔の論考

Thesis

Daisuke Tange

丹下大輔

第30期

丹下 大輔

たんげ・だいすけ

愛媛県今治市議/無所属

Mission

「熟議の議会改革と地方政府の確立」

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門