Thesis
激動する21世紀の日本における国家経営ビジョン―。そのカギは松下幸之助が提唱した「観光立国論」にある。「国のかたち」を彩る地域が多様な光を発し日本に輝きを取り戻す。そのためには、地域の総合力を生み出す地方政府の確立と地域主権国家への転換は焦眉の課題だ。「観光立国」と「地域主権」で未来を拓く構想を語る。
幾多の困難を乗り越えた「日本丸」は全速力で前進した。
他国の船が追い付けないほどの勢いで、力強く前進し続ける「日本丸」―。
その姿を見たものは「奇跡の船」と呼んだ。
日本は戦後の荒廃から奇跡的な経済成長を遂げた。
「戦後復興」、「経済大国」という国家的大目標に向かい、総力を挙げて世界第二位の経済大国の地位を掴み取ったことは記憶に新しい。
日本と日本人は大いなる自信に満ち溢れていた。
しかし、「奇跡の日本丸」も暗礁に乗り上げる―。
1990年代に突入すると、経済バブルは崩壊。
その後、現在に至るこの20年間、人口減少社会、少子化、超高齢社会の進展。膨大な累積債務。工業化社会からポスト工業化=知識経済化の転換による産業構造の変容。右肩上がりの経済成長の終焉と成熟化社会の突入。さらには、企業の国際競争が激化し、雇用や仕事の流動化、不安定化。都市化、核家族化、晩婚化、未婚化、単身世帯の急増による家族や地域のセーフティネット機能の衰退に伴う現役世代の失業、不安定就業、貧困格差の連鎖の深刻化と家族や子育て環境の形成基盤の弱体化。社会保障基盤の崩壊―。山積する課題を背負い込み、「失われた20年」と称される現状に佇んでいる。加えて、世界的な「グローバリゼーション」と、これを倍加させる「IT革命時代」へと転換。米国一極支配の世界秩序から「多極化」の時代へ。また、アジアを中心としたダイナミックな成長…。世界は我々の予想をはるかに上回る勢いで激動化は増す一方だ。
まさに「21世紀の日本の生き抜く道」、また「何でメシを食っていくか」という課題に直面し、時代の分水嶺に立たされている。
今、日本丸は、高度経済成長から経済的繁栄した過去の蓄積と資産を食い潰し、悶え苦しみながら暗中模索の中での「国家経営」の過程にあるといっても過言ではない。
「『坂の上の雲』を見上げ、晴天の美しい雲を目指そう!」
全ての日本と日本人を鼓舞した姿が脆くも崩れ去り、「坂の上の雲」を夢見て山を登り、その頂きに立った途端、この国は目標を見失った。私達が山の頂きに足を踏み入れた瞬間、「今まで何だったのか…」。そのような溜息と徒労感さえ滲み出す日本人の姿は、未だかつて直面したことのない喪失感だったに違いない。
もう私達日本人が歩む道には、これまでのような「坂の上の雲」はもう…無い。
むしろ、日本人が新たな目標を掲げて歩む覚悟と勇気を持ち、これまでの航海を総括し、あるいは刷新した先に、新たな航海への旅が始まる。
日本と日本人の覚悟と勇気を持った未来への挑戦の扉は開かれている。
今こそ、長期的展望と大局観に基づく「希望の物語」と構想を描き、未来への一歩を踏み出す時が来たのである。
古代中国に伝わる四書五経の一つに「易経」がある。
易経とは卜筮の書である。
ここに、これからの日本の未来を拓くキーワードが隠されていた。
「觀國之光」-。
これは「時の賢者は、国の光を観ること、そして魅せることは国家の繁栄に通ずる」という意味であり、現在の「観光」の語源である。
古来より人類は、国の利になり、また国家繁栄にも通ずるものこそ、「観光」と説いているのだ。
翻って、易経に「觀國之光」と刻まれてから時を経て今、日本で初めて「観光立国」を提唱した人物がいる。
松下政経塾の創立者である「松下幸之助」だ。
著書「遺論 繁栄の哲学」では「観光」について次のように語っている。
「我が国は今、観光に基礎を置くべき絶好の時期に来ています。今まで我が国が、自然の美景を十分に活用しなかったのは惜しまれますが、今日は何もかも条件が揃っているのです。ましてやこの不滅の資源は、日本人だけで独占してよい性質のものではありません。これはやはり相互扶助の理念に立って、広く世界の人々に解放されるべきでしょう。着実な観光開拓の具体策が建てられたならば、我が国の再建ももっと早く進んでゆくと思うのです。」
松下幸之助は、雄大な自然を有する日本の資源こそ世界に冠たるパワーであり、これを活かした国家ビジョンを力強く推し進めることこそ、この国の繁栄を享受することができると―。そして、21世紀の日本が生き抜く上で「『観光立国』こそ、我が国の重要施策として力を入れるべきと力説する。また、観光産業は、積極的に内需を拡大し、また外貨も獲得することができる。他産業への波及効果も期待され、そこで得た利益を他の産業に投資すれば、日本全体の産業活動が活性化する循環を生み出すことが可能となる。さらに、「集中と過疎」により「人口減少」が顕著に表れている地方都市を中心とした過度な「定住人口増加」政策ではなく、「交流人口増加」政策に舵を切ることで、莫大な税を投ずる公共事業に歯止めをかけ、天与の尊い自然的・人的資源を活かしあうことで、創意工夫による魅力ある国づくりが可能となるのだ。加えて、観光は経済的成長産業以上の効果を生み出す。それは、最も大きな平和方策となり得るということである。松下幸之助は、「持てる者を持たざる者に与える博愛精神に基づくもの」と指摘し、国土が美化され、文化施設が完備されれば、日本は文化性のみならず、中立性をも向上することを可能とし、世界「平和」への貢献となるのだ。まさに、「観光立国」こそ、人々の心を潤い、心躍らせる、崇高な国家理念と国家目標へと昇華することの可能性を指摘している。
「観光立国」こそ、21世紀の日本の生きる道として提起する松下幸之助。
松下幸之助は「観光立国」を推進する具体的な方策までも構想していた。
(1) 「観光省」の設置
観光政策を推進する司令塔を国家に定め、観光担当の大臣を設置。そのもとで観光立国の基盤を整備する。また、松下幸之助は、観光大臣こそ、内閣総理大臣、副総理の次にカギを握る重要ポストとして任命すべきと説く。また、観光省の人材を世界各国に「観光大使」を派遣し、諸外国に日本の魅力を次々と発信する機能と役割の必要性を説いている。
(2) 観光大学の設置
日本文化を継承し世界に発信できうる人材を養成するための観光学やサービス学に特化した人材養成機関の設置。
(3) 200億の観光予算
観光予算に200億投じて、国土の形成や人材育成を成すと同時に、他産業への波及効果をもたらし、日本経済活性化策としての確たる予算措置を講ずるべきだ。
「私が観光立国を声を大にして叫ぶ」―。
松下幸之助は、観光立国論に対し、このように表現している。
まさに、未来を拓く成長産業と国家の繁栄を見据えた「国家ビジョン=観光立国」こそ、「物心一如の繁栄」をもたらすダイナミックな力を生み出すことを構想していたのであろう。
では、「観光立国」は果たして実現可能な構想なのであろうか。
今、世界の観光旅行GDPは461兆8050万円(2010年)に上り、全世界GDPの9.4%に相当する。実は、1999年と2010年の全世界の観光旅行GDPを比較すると「1.5倍」拡大している。さらに、2020年には947兆8330万円になるとの見通しがあり、観光産業における市場が拡大化する傾向にある。また、これら観光産業規模は、他の自動車産業や衣類産業と匹敵することとなる。
この要因は、先進国を中心としていち早く成熟化社会に突入した西欧各国とりわけフランス、スイス、イタリアを中心として、これまでの工業化社会を中心とする、ただ「モノを作る」、あるいは「大量生産・大量消費」の産業構造を「知識経済化・サービス経済化」へと舵をきり、観光客を集め、高級ブランド品や郷土の食材を売る「付加価値の創造」、また付加価値産業やサービス産業に対応した「人材養成」に国家戦略として重点的に投資をし、容易なコピーのハイテク製品産業よりも、人の要素が魅力となる産業=「観光・文化」に主軸を置いた経済構造に転換した結果である。これらの方策によって、内需拡大、外貨獲得に成功し、持続可能な経済戦略を展開している。
次に、我が国における観光産業の現状を概観すると、「国際観光支出」では世界各国の中で「8位」にランクインする。一方、「国際観光収入」は、「28位」に下落し、国際旅行収支は「1兆4450億円」の赤字に転じているのが現状だ。つまり、日本人は海外旅行による支出額は多いものの、我が国への観光収入は少ない結果となり、この結果から見ても、観光産業における世界的市場規模は長期的に拡大する一方だが、我が国は依然として「観光」産業への基盤整備や商品開発、観光パッケージ化等の政策、さらには官民連携・民民連携が遅々として進展していないことは明白である。
我が国の観光産業育成が遅々として進展しない理由。
その大きな要因は、一部の観光業界しか資金循環しないという発想が根強く残る。また、「観光=単なる娯楽的」要素が強く、政府や公的セクターの力点が傾注されなかった点も指摘できる。
しかし、観光産業は、観光業者つまり宿泊業や交通業者、旅行代理店のみが潤うわけではない。むしろ、食品業者や農林水産業者、工業、様々な業種業態に波及効果をもたらす。現在、2010年度の直接効果たる旅行消費額は23.6兆円だが、生産波及効果、すなわち間接効果が51.4兆円に上る。また雇用誘発効果も期待され430万人、対全国就業者数の6.7%となる。まさに、観光は、「外」からヒトを呼び込み「内」の資産を回転させることで付加価値を生むのだ。
日本は、世界的なグローバリゼーションと情報化社会の到来(=経済のグローバル化)、国内的な人口減少社会と超高齢社会の到来によって、日本の成熟化への移行と国内経済の縮小を意味し、これまでの工業化を中心とした産業構造を、知識経済化、サービス経済化へと展開しなければならない。さらには、今後の成長センターたるアジア、または世界に市場を求め、経済発展を取り込む国家戦略を描くことは時代の要請なのだ。その意味において、「観光開国」を成し、世界的なる重層的マーケットとつながり、これを掴み取る方策を考えることこそ我が国の繁栄を掴み取ることへと通じる。まさに、21世紀の日本が採用すべき「サービス産業・外貨獲得・付加価値創造戦略」=「観光立国」だといえよう。
「豊富な地域社会が紡ぐ人と文化が咲き誇る国 ニッポン」―。
「国のかたち」を彩る各地域の力・個性・魅力を最大化し、地域が発する結集体として日本に輝きを取り戻す。そして、日本が発する輝きが世界に光を照らし続けることこそ、「圀の『光を観る』」(=観光)の本質に則った構想こそ「観光立国」なのだ。
観光は、「地域の総合力」、また「地域最大の輸出産業」」と称される。
まさに、地域全ての人的・物的・心的リソースを活かしあい、「総合力」で勝負することを可能とする環境を整備しなければならない。これは、従来型の中央集権的統治構造の解体と、自治体の「自治・自立」を促進させ、「真の地域主権国家」への大転換が求められる。換言すれば、明治維新以降の統治構造を21世紀的成熟化社会に相応しい姿へと大転換させることは時代の要請でもあり、「観光立国」実現への最大の環境整備となるのだ。
「観光立国」実現に向け、次の「三本柱」の方策実現がカギとなる。
(1) 「地域の自立」と「強靭な市民社会」の構築(:地域経営自立戦略)
多様な文化や生活が色濃く残る地方都市、地域社会の「創造力」と「文化力」に基づく観光戦略が切り札となる。そのためにも、市民の「発意」の下で強靭な市民社会の構築と、地域の自立的経営戦略を其々が打ち出し、地方政府の確立の日本全国各地から千差万別の光を発していく姿を生み出す。
(2) 「自然との共生」、「他民族との共生」、「人間の共生」(:共生社会戦略)
自然という天与の恵みを守り、育て、未来につなぐ環境整備を進めると同時に、多様な価値観や多様な人種を互いに認め合う社会価値創造を生み出すことが必要。「共生」の価値に基づく社会経営を力強く推し進めなければならない。
(3) 「知識経済化」への産業構造の転換と労働市場政策(人財立国戦略)
工業化社会における労働力の価値と、「知識経済化」における労働力の価値は全く異なる。一つの製品をただひたすらにマニュアルに従って生み出す姿から、「人間」の可能性を信じて、「人間」の頭脳とネットワークを駆使し、一つの製品に「高付加価値」を生み出すことが求められる。この「高付価値」を生み出す人財を養成し、産業構造も転換させることが急務であり、この環境を整備しなければならない。また、労働市場に「女性の力」をより活かせる環境を生み出すと同時に、高齢者雇用を促進する。まさに、「人づくり」に価値を置く「人財立国 ニッポン」を我々の手でもう一度掴み取らねばならない。
こうした「観光立国」実現への道に即した三本柱を通じて、様々な問題解決を成し遂げられる「問題解決先進国 ニッポン」、これを実現する「強靭で、尚且つ日本の魅力と可能性を広げ続けられる国家経営」、そしてこれらを力強く支える基盤たる「強靭な市民社会」推し進めることが、私の理想とする日本と日本人の姿である。
「観光立国」実現に向けては、「国家戦略」と「地域の総合力」を車の両輪で力強く回転させていくことが要諦であり、基本理念だといってよい。
一方で、「中央集権的統治構造」は20世紀のレガシーともいうべき存在なのかもしれない。
このレガシーの壁の先にあるもの。
それこそ、「地域主権国家」なのである。
これまで日本は2つの道を歩んできた。一つは「ガバメント・ソリューション」。次に「マーケットソリューション」。つまり、政府主導の政策展開による問題解決を図ってきたが、今や累積債務残高の膨張と肥大化の構造では問題解決が困難となった。まさに「大きな政府」である。しかし、「大きな政府」路線に耐えかねた矛先は「市場」に向けられた。そこから徹底した規制緩和を成し、市場は狂乱し、資本主義の秩序は崩壊し、その結果、人間の価値を踏みにじるような「格差」が生まれ、「希望格差社会」ともいわれる構造を生み出した。まさに「小さな政府」、「新自由主義路線」も結果として大きな壁にぶちあたり、市場での問題解決の道は終焉した。
では、次に如何なる道があるのか。
私は、今こそ地域の力を信じて、市民の「発意」を呼び起こし「強靭な市民社会」を生み出し、このもとで問題解決を図る「コミュニティ・ソリューション」というべき「第三の道」を歩む時が来たのだと考える。この「コミュニティ・ソリューション」に基づき、地域の問題解決を成し、そこから真の市民の発意と情熱で、新たな地域づくりを生み出す姿こそ、個人単位で幸福と繁栄を追求する時代(=成熟化社会)に相応しい解決の道ではないだろうか。
だからこそ、中央集権構造の解体と、地方公共団体に権限・財源を徹底的に委譲し、さらには「授権」し、「自治・自立」に基づく「地方政府」を確立しなければならない。「強靭な市民社会」×「地方政府」が、この「国のかたち」を彩る国の姿こそ「地域主権国家」なのである。
そこで、この実現に向けた「地域主権国家ビジョン」を描いた。
(1) 地域主権五箇条
一、「補完性の原理」
二、「地方政府と中央政府の対等原則」
三、「条例制定権」
※地方政府が定める条例=実質的な意味の法律であり、法規範としての優劣がないこと
四、「課税自主権・財政自主権」
※地方政府自らの財源で自らの公共サービスを提供すること
五、国法と条例が矛盾したり衝突した時の「調整規定」
※本来なら憲法裁判所があれば、そこで調整し決定。
憲法裁判所の設置がされるまでの間は高等裁判所に憲法部を置いて決定する規定
この「地域主権五箇条」は、立憲主義、法の支配に基づけば「憲法論」との整合性を考えなければならない。しかし、現在の憲法上、地方自治を謳う条項は憲法92条~95条に定められているが、本格的に「地域主権」を実現するためには、これら憲法も実体化することは当然である。しかしながら、現在の憲法92条では「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」とあり、憲法92条の規定は、「法律によってこれを定める」と認めた瞬間に、それは「国会で決定する」ことを意味する。「地方政府」にするとすれば、地方政府の権力はその基盤を住民に置き、なおかつその構成については憲法で授権されているということにしなければ、中央政府(国会をも含む)のご威光と決定によって地方政府のかたちや、税財政の仕組みが決まることを基本的に承認することになってしまうのではないだろうか。
「地方政府」を構想するなら、同時並行的に、憲法上に表され、憲法から地方政府の権力は「授権」されていることを明記しない限り、地方政府と中央政府との対等・相対関係であるとの関係にはならない。ここが最大のポイントである。財政自主権や課税自主権を憲法上に明記するのと、国会で策定される法律に明記されることは決定的に違うのである。
まさに、「国のかたち」たる憲法に、「地域主権国家=統治機構の転換」の魂を吹き込むことは必要不可欠な条件なのだ。
(2) 地方議会・首長のガバナンスの多様化を承認した「地方政府」の確立
市民と地方政府との関係や行政府の構成を、各地方政府で条例によって定め、シティマネージャー制度、直接選挙で大統領型首長を選定する制度、議院内閣制的行政権の制度にすることを各地方政府で決定する、各地域事情や特徴を活かしきった多様なかたちのガバナンスを保障する。
(3) 地方政府版シンクタンクの創設
従来とは異なる自立した地方政府が明確な地域経営戦略を打ち立て、実行実現するためにも、これまでの「総合計画」の策定プロセスを大胆に転換することが求められる。そこで、客観的データの集積し、尚且つ「シンクタンク的役割」(=地方政府の強靭な頭脳)を果たすために、これまでの既存の組織を解体・再編し、例えば「地域戦略会議」を創設し、ここが司令塔となって総合計画を策定する。構成人員は、地域内の多種多様、千差万別の立ち位置の人材を集結させ、まさに、セクショナリズムを打破すると同時に、市民一人ひとりの想いを盛り込むシステムとなる。そこには、全市民が各地域で参画し、対話とICTを駆使した合意形成を図る「熟議会」の設置も検討されても良い。
(4) 多様な広域連携と道州制の形成
道州制導入の要諦は「廃県置州」だが、各基礎自治体の強化と「地方政府」の確立、そして強靭なる市民社会が深化していなければならない。その上で、各地方政府が協議し、中央政府が定める「道州制」の枠組みにとらわれることなく、各地域の文化圏、あるいは地政学的な戦略的観点に基づく広域連携を果たした上で、「道州」の設置を認可すべきである。例えば、「四国州」という枠組みも考案されているが、四国内においても多様な文化が色濃く残る。とりわけ瀬戸内海沿岸地域には、共通の日本唯一の資源である「瀬戸内海」を有する。これを共通価値として「瀬戸内海州」の設置も可能とし、そこに州政府を設置し、地域の文化と地政学的戦略に基づく瀬戸内海州経営を成すことで、新たな力を生み出すことを可能とする。まさに、柔軟で強靭なる道州制導入を検討すべきである。
これらの「地域主権五箇条」、「多様なガバナンスを承認する強靭な地方政府」、「地方政府版シンクタンク創設」、「柔軟なる道州制」をセットで展開することで、「真の地域主権国家」を実現し、「観光立国」実現への最大の環境整備が果たされるのだ。
成熟化社会に突入し、知識経済化する日本において「観光立国」は最大の切り札であり、未来ある繁栄をもたらす力となる。また、世界的な安全保障環境が激的に変動し、世界秩序が大きく変わりゆく中で、観光は「平和産業」ともなるのだ。
こうした理想を実現する上で、政府や政治に問われるもの。
それは、力強く推進する「ビジョン」と同時に、「環境整備」である。
「観光立国」に基づく日本の統治、あるいはシステムを大胆に変更すると同時に、観光立国の受け皿たる「地方政府」の確立と、強靭なる市民社会の育成、そしてその先にある「真の地域主権国家」への大転換は必須条件となる。
そこには、これまでの「中央依存症候群」、「指示待ち症候群」といわれる慣性・惰性の世界を打破し、一人ひとりの日本人が「自立」し、自らの発意と行動、そして、「自分さえよければいい」という発想を転換し、「共に生き、共に創る」という「共生」と「共創」の理念に立脚し、未来を切り拓くことこそ私達の生きる道なのではないだろうか。
一人ひとりの人間に「居場所」と「出番」があり、絶えず「希望を作る」日本の実現を。
そして、世界に先駆けて課題を乗り越える日本と日本人の姿を。
坂の上の雲を追いかける姿から、自ら坂の上の雲を生み出す創富力溢れる日本へ。
国の「光」を「観」せる不断の努力を織り成し、我々日本人が「人類のビジョン=希望の物語」を作る気概を持ち、希望を作り、未来を紡ぐ姿こそ、真の「繁栄・幸福・平和」を掴み取ることができると信じている。
100年後の日本と日本人を見据えた「真の国家経営」の挑戦は我々の『未来を拓く』闘いでもある。
『未来を拓く』挑戦の道への扉は開かれた―。
参考文献
地域主権研究会『日本を元気にする地域主権』 PHP研究所 2008年
松下幸之助『遺論 繁栄の哲学』 PHP研究所 1999年
観光庁ホームページ「統計情報」
http://www.mlit.go.jp/kankocho/siryou/toukei/index.html
日経ビジネス2010年9月6日号『観光開国 訪日3000万人に託す再成長』
Thesis
Daisuke Tange
第30期
たんげ・だいすけ
愛媛県今治市議/無所属
Mission
「熟議の議会改革と地方政府の確立」