論考

Thesis

観光戦略で今治・愛媛の『未来を拓く』!~「今治社中」をエンジンに「市民の発意」溢れる地方政府へ~

日本の未来ある繁栄を生むためには、日本全国各地の地方の衰退を食い止め、新たなる成長と繁栄は焦眉の課題だ。私の故郷、四国愛媛の今治の地から、「観光」を基軸とした21世紀的成長戦略ビジョンを描き、地域経営戦略ビジョンを打ち出す。

1.志の原点と基本理念

1-1.志の原点と松下政経塾入塾の動機

 私が松下政経塾の門を叩くに至った「志」。

 それは「迫りくる故郷、今治・愛媛の危機を打開する長期繁栄ビジョンを描き、物心一如の繁栄の姿を生み出す」ことであった。

 今から26年前(1985年)、私は愛媛県今治市波止浜地区に生まれた。雄大な瀬戸内海の自然に育まれ、幼少期の頃の記憶を呼び起こせば、船の汽笛が鳴り、日中は船を製造する機械の音が鳴り響き、また、そこら中からミシンで縫う機械の独特な音が、今でも私の耳に木霊している。まさに日本一の生産量を誇る繊維産業、日本一の造船生産出荷量を誇る造船産業、海運産業を肌身に感じながら育った。

 しかし、時は経ち高校時代―。気が付けば今治の「まちなか」はシャッター通りと化していた。空虚感と闇のカーテンで覆い尽くされたような閉塞感と絶望感が漂い、若年層の働く場所も無く、私も故郷を離れた一人であった。

 他方、時あたかも政治の舞台において「地方分権一括法の施行」、さらには小泉政権下における「三位一体改革」を中心とする議論が俎上に上り、地方分権改革の進展を巡る議論が高まっていった。
「これからは地方の時代だ―」
「地方の自立なくして、地域の発展はない―」

 分権改革や道州制に対し肯定論が占め、「地方分権論=正義」の風と空気はこの国を覆い尽した。しかし、その空気を一変させた衝撃的事態が発生する。

 2006年6月10日。北海道新聞は、夕張市の巨額な負債額を報じた。
「一時借入金300億円、負債総額500億円」―。いわゆる「夕張ショック」、北海道夕張市の財政破綻であった。

 これまでの右肩上がりの成長時代を背景とした「放漫財政」のツケが、住民すべての故郷を、夢を、そして希望を奪い、塗炭の苦しみを味わう姿へと変貌し、未来を閉ざしてしまう―。

 大学三年生(20歳)の私の心にも衝撃を与えた。同時に、生まれ育った故郷、今治に思いを馳せた。「故郷今治も、このままでは10年後、20年後、30年後の故郷は夕張市と同様、身も凍る姿へと変貌し、私たちの身にすべてを奪い去ってしまう時代が来るのではないか―。」

 では、私に何ができるのだろうか―。立ち止まって思考すると、これまで地方分権論を是とする論調が増幅する中、冷静に考えれば、地方分権とは「中央政府は莫大な借金を抱え、『補助金』という名の地方への仕送りができなくなったから、あとは皆さん勝手にやって下さい」ということの表現ではないだろうか。中央政府における補助金行政を続け、地方においては「中央依存症候群」という名のモラルハザードを生み出した結果、中央も地方の莫大な累積債務を生み出した。事ここに至っての「地方分権」は諸刃の刃ともなる。財政的に自立できていない自治体は、次々と夕張化が進展し、地方は壊滅的状況に陥るという負のスパイラルへと誘う可能性さえある。

 しかし、グローバリゼーションの到来と国家の財政赤字、さらには肥大化した中央集権構造の解体は、時代の要請であろう。ここで分権改革を止めてはならない。分権改革から真の地域主権国家への転換を果たすと同時に、一方で、地方は「自治・自立」の気概を持って「地方政府化」する―。すなわち「分権の受け皿たりうる地方政府の確立」こそ、「分権改革」に魂を吹き込むことへとつながるのだ。

 今こそ、我々の手で「分権革命」を―。そして、地方は「自らの手で『分権革命』を掴み取り、真の『自治』を生み出す」―。このことが夕張ショックを食い止め、地方の発展・繁栄を力強く推し進めるものだと確信した。

 この想いに至った瞬間、私の心に一つの粗削りの志が生まれた。
「分権の受け皿たる地方政府を、故郷、今治の地から生み出していきたい―」。
そして、評論家でなく実践者として、私に定められた命の全ての時間を注ぎたい―。

 この想いが私の背中を押し、松下政経塾の門を叩くことを決意した。粗削りな感情を志に昇華させ、志と人間を磨き、基本理念を固め、故郷の発展に貢献したい―。
そのために、故郷の長期的・大局的な視点に基づくビジョンを描き、「希望の物語」を共有し、今治・愛媛・日本の「未来を拓く」挑戦を成し遂げることこそ、己の使命であり、真正面から向き合うことが必要だと。

 怒涛のような松下政経塾の研修の日々が幕を開けた。

1-2.基本理念

 松下政経塾の三年間は各現地現場での研修を通じて「人間とは何か」、「国家とは何か」、「歴史とは何か」…。物事の本質を捉え、真理を追究し、自分自身の揺るぎない基本理念を固め確立することが大きな命題であった。

 一年目の研修では、自らの手で一つひとつの苗を丹念に田んぼに植える農業実習。船酔いをしながらも大海に出て定置網を力いっぱい引っ張り上げた漁業研修。山にこもり、緑豊かな森林を守り育てる林業研修。次々とパネルにねじを打ち込み、無心で機械と向かい合った製造実習。パナソニックの販売店に入り、初めての営業を経験した販売実習。そのほかにも、同期と歩き切った100キロ行軍。日本の伝統精神を学ぶ剣道、茶道、書道。古今東西の賢人に学ぶ古典…。「見ること聞くこと全てを学びとする」数多くの現地現場研修は、己の成長を実感する日々の連続であった。

 二年目前半の研修では、2030年の日本を構想し、同期5人と日夜徹底した議論で導き出した「支えあいの国ニッポン」のビジョンを描いた共同研究に取り組んだ。そして、「人間とは何か―」、「国家とは何か―」、「歴史とは何か―」、これらの真理を探究し、揺るぎない「理念」を探究し確立する途方も無い道を歩み続けた。

 そして、二年目後半の研修。いよいよ故郷、今治に戻った私は、「今治とは何か」、「今、故郷は何が課題なのか」、「如何なる希望の物語を描くべきか―」。こうしたテーマを掲げ、今治・愛媛・四国・日本中を駆け回った。とりわけ、様々な故郷での研修は、未知の世界との出会いでもあり、故郷の希望の種を拾い、掴み取る作業でもあった。

 このように様々な現場に足を運ぶ中で、私の中に確立した理念がある。
それは、「一人ひとりの人間の可能性を高め、多様性を認め、互いに支えあう社会」。全ての人に可能性という種をまき、「居場所」と「出番」があり、天分を発揮することで、希望の大輪を咲かせ、心の底から「生きがい」を生み出す。モノではなくヒトに全ての価値を置く「人間本然主義」である。

 そこから導き出した私の基本理念。
一つは「いのち」。天与の尊い一つ一つ「いのち」の息吹を感じ、守り育て未来につなぐ姿。
二つ目は、「絆」。互いに支えあい、分かち合い、強固な「絆」を育む姿。
三つ目は「共生」。相手の存在を認め、共感を共有しながら、共に存続・成長・繁栄する姿。

 「いのち」の息吹、強固な揺るぎない「絆」、互いに発展繁栄する「共生」に価値を置く「人間本然主義」こそ、私の基本理念であり、これを己の魂の基軸と捉え、今治・日本の将来ビジョンを描く研修に身を投じた。

2、今治に押し寄せる変革と危機の波

2―1.今治を取り巻く世界・国内環境の変化

 今治は、長久なる歴史を紐解いた時、国府が設置されていた「都」であった。また、江戸時代では瀬戸内海を通じて、椀船で日本初の月賦販売を開発したり、戦国の乱世では「村上水軍」が躍動したりと、瀬戸内海をアイデンティティとしながら繁栄を成す歴史を有する。さらには、日本有数の気候に恵まれた地域でもある。波止浜地区では塩田で栄えると同時に、国家の近代化、工業化への進展により、造船や繊維産業が育まれ、今や日本一の産業基盤を誇っている。現在、「タオルの街」、「造船の街」といえば『今治!』という全国的な認知を得て、「ものづくり都市」の地位を獲得した。

 しかし、21世紀の突入し、今治を取り巻く環境は激的に変動している。
1)グローバリゼーションとIT革命による世界経済構造の変動
2)先進国に先駆けて「人口減少」×「超高齢社会」×「少子化」=「成熟化社会ニッポン」の到来
3)産業構造の大転換(工業化社会からサービス経済化の流れ)

 これらパラダイムシフトの転換というべき潮流は、先進国も、日本も、そして今治も、時代の分水嶺に佇んでいるといっても過言ではない。

 他方、今治に目を転じた時、現在進行形で3つの危機の波が押し寄せている。
1)「高齢化による活力の低下」
2)「グローバリゼーションによる工業化成長モデルの限界と経済力低下」
3)「人口減少構造」

 グローバリゼーションの進展は一国単位での打つ手は限定的と化す。ましてや地方都市として太刀打ちできる程の小さな波ではない。迫りくる波は激流である。如何にしてこれらの危機の波を乗り越えるべきか。解決策はあるのか―。しかし、見方を変えれば、グローバリゼーションの到来は忌避すべきものではなく、むしろ我々の生活や生き方そのものが大きく変わることを前提条件として捉え、これに対応した「生きる道」を生み出す好機を意味するのだ。ただ、そのためにもこれらの危機を克服し、これからの日本の未来に相応しい産業構造と就労構造、そして成熟都市へと転換しなければ、「今治」は危機と絶望を背負い、我々の未来は閉ざされてしまうことも意味することも忘れてはならない。

 では、我々の未来どのように変わるのか。

 「日本」という単位で鳥瞰した時、先進国共通の「人口減少時代」に伴う「成熟化社会」の突入は、ものづくり企業を中心とした海外への企業移転は激化する。背景にはアジアを中心とした後進国の発展があり、次々と「工業化」する構造がある。これに伴い、これまで工業化社会を中心とした経済産業構造を守り続ける日本の成長は「限界」を迎えることとなる。これからの我々の生活の充実、経済成長・発展のカギは、まさに「産業構造の転換」が急務となるのだ。「産業構造の転換」とは、換言すれば、「製品、商品」をただ作り続けるだけではなく、生活そのものを「ソフト化」する、つまり、「高付加価値化」して魅力ある姿へと変えることなのだ。

 たとえば、イタリアのファション商品は製品、商品としての力に加え、日々の生活を背景にしたスタイルが付加価値となって高い商品価値を支えている。衣料品が市場に溢れる現代においても、イタリアのファッション産業は独自の確固たるポジションを築いている。この背景には、産業の知識経済化があるのである。さらに、日々の生活に魅力がある場所、高付加価値化、知識経済化へと転換した国家や地域には、「観光地」としても魅力があり、絶えず人々の心を魅了している。

 ポスト工業化を掴み取った魅力ある経済産業構造の姿は、魅力あるソフトが最重要要素という見地からも「観光」と密接に結合する。

 日本もこうした姿へと転換する時代に来たのではないだろうか。そして、日本を構成する今治をはじめとした地域社会も、魅力溢れる高付加価値化した地域が全国至る所に咲き誇る姿を生み出し、その集合体として日本を彩り、かたち創る時が来たのだ。これは、ポスト工業化の道を歩む時代の要請と捉えた方がよいのかもしれない。

2―2.今治の課題

 今治を取り巻く環境が激的に変動する中で、いち早く理想の姿を描くために、そして長期的に今治が繁栄をするためには何が課題なのか、問題の所在は何かを突き止める為、私は故郷を駆け回り、現場で従事されているお一人おひとりと対話し、課題の抽出を実施した。

 研修を通じて今治の課題が見えてきた。その課題は大きく4つと捉えることができる。

(1)地政学的条件と観光の可能性

 今治は松山市、尾道市、西条市、新居浜市と隣接しているが、松山、尾道、西条、新居浜ともに観光力で押され、今や今治は、通過地点・ストロー現象に佇んでいること。つまり、松山と今治は都市としての集積規模が異なるとしても、外部的視点で分析した時、残念ながら今治に足を運ぶ理由が見当たらない。しかしながら、観光資源という面でいえば、エコツーリズム、スポーツツーリズム、ラーニングツーリズムという面における良質な素材は揃っている。とりわけ、横に広がる雄大な「瀬戸内海」の大動脈に面し、本州とつながり、瀬戸内海の多島美を空中散歩できる「しまなみ海道」(自然の海道×人工的海道=『天与のクロス(海路と橋の十字構造)』)は、他地域との比較優位性を有している。まさに、今治には他の街に勝る要素がありながらも、その資源を活かしあう料理(=プロデュース)に欠けている状態だといえる。

(2)成熟化社会に相応しい「新しい」経済成長モデル

 今治市単体で概観した時、今治といえば「タオルと造船の街」である。「ものづくり」産業の発展と繁栄が富をもたらし、我々の生活の豊富化へと導いてきたことは事実である。しかし、地球規模でみたとき、世界は「ものあまり」の時代に直面している。日本は成熟化社会を迎え、これまでの高度成長期のような活況を呈することはありえないことを前提にして、21世紀の私達の生きる道を模索しなければならない。

 「もの余りの時代」から「ものの使い方」の時代へ―。つまり、タオルと造船という「もの」を、如何にして今治に好意を寄せ、興味を引き、訪問する動機につなげていくか。また、食資源にしても、今治には誇るべき資源を如何にしてパッケージングして、人々を魅了し、今治に来訪してもらい、今治の地で心躍る時を過ごしてもらうか―。「もの余り」の市場環境で、高付加価値を生み出すのは「ものの使い方」であり、新たな時代に相応しい「経済成長モデル」を独自に開発するかが問われている。そして、人口減少と超高齢社会を迎える今治は、今こそ「定住人口増」から「交流人口増」の政策的・思考的転換をはかり、外需を取り込み、内需を拡大させることが求められているのである。

(3)人材養成と労働市場政策

 「ものの使い方」という目線で見た時、今治の現状が一層クリアになる。タオルや造船という優れたプロダクトを作り、新鮮な魚介が採れても、これに対する付加価値を生み出す場所は、現状では今治市外に存在するが、これは人材面において顕著に表れている。都市部と比較し、働く場の選択肢は限定的にならざるを得ない。他方、見方を変えれば、他地域から今治へ人材が流入する動機も、より限られている。今治市は子育てや育児に対する政策は手厚く実施されているが、今治で生まれ育った人材が高等教育を得る場所、大学、大学院は、今治の外(東京、大阪、広島、松山)に行かねばならない。手塩にかけて育てた人材を県外、市外に流出する姿は、人材力の欠如につながり、衰退傾向に拍車をかけることを意味する。

 今こそ、今治に高付加価値を開発し、高度な頭脳を結集する場が必要であり、幅広い労働・雇用環境と「今治ならでは」の人材養成機関、人材の受け皿が必要である。これからの時代は、モノに価値を置く時代から、「ヒト」に価値を置き、そこに重点的に投資する時代なのだ。

(4)ローカル・アイデンティティの確立

 今治市は、2005年に1市11町村の大規模合併が実現した。これは全国的にも稀有な大規模合併であり、これにより、島嶼部、陸地部がより集合体としての力を発揮する環境が備わったと確信するものである。ただ、大きな課題を残したままであることも指摘できるのではないだろうか。

 それは、「今治とは何か」、「今治は合併後どのように生き抜くか」という大テーマを基軸にした合併後の統一的なアイデンティティの確立が取り残されてしまった点である。それは、すなわちアイデンティティが拡散し、目指す方向性も拡散してしまうことを意味する。

 現在の今治に必要なのは、『大局的なアイデンティティの確立』なのである。これを確立しなければ、いつまでも目に見えない壁と、統合的・統一的戦略が打ち出せない姿が、今治の繁栄と発展に足を引っ張ることになりかねない。

 今こそ、構造的セクショナリズムとは決別せねばならない。

 「大局的なアイデンティティ」は、決して「内向き」でなく、社会情勢や周辺隣接地域など、今治の外部要素を客観的かつ冷静に分析した上で確立せねばならない。これを放置したままにしておくと、「今治は一体どこに向かうのだろうか…」という不安が漂い、舵取りと大戦略を描けないまま漂流することになりかねないのではないだろうか。

 このように大きく4つの課題を抽出した。しかし、細部に目を向けると、まだまだ課題は山積しており、これらは特に際立ったものである。しかし、この氷山の一角を一つひとつ解決への糸口を手繰り寄せることで、新たな繁栄の扉を力強く押し開けることができると確認するものである。

 では、どのような解決策があるのか。そして、グローバリゼーションと産業構造の転換に対応し、21世紀の今治の生きる道をどのように拓いていくか―。これに対する解を求める為に、世界・国内の事例を追う中で、今治の可能性を探ってみたい。

3.世界・国内事例から学ぶ教訓と共通項

3―1.世界各国事例

 工業化社会を前提とした繁栄都市が成熟化社会を迎え、世界環境の変化によって衰退することは決して稀有なことではない。

 世界に目を向けると、スペインのビルバオ、イギリスのマンチェスター、フランスのナント、アメリカのピッツバーグという街は、いずれも「工業」、「ものづくり」で繁栄を誇った地域である。これらの地域は、今治と同様に、全て海や河川に面する典型的な工業都市であった。

 しかし、先進諸外国に位置するこれらの地域は、まさに今、日本が直面する産業構造の転換と成熟化社会の突入と同様、「工業都市」のみの産業基盤だけでは経済的繁栄が止まり、衰退の一途を辿り、衰退どころか荒廃する姿へと化したのである。この街に共通することは、従来通りの産業振興政策では高付加価値を生み出すことが不可能となり、「経済力低下→人口流出→街の衰退」するという悪のスパイラルに陥っていく。

 しかし、市民や行政、企業は立ち上がった。工業化・ものづくり中心の街から「観光・文化都市」へと大きく舵を切ることで、都市再生に成功し、新たな繁栄を享受する姿への扉を押し開けたのである。

 これらの解決策には共通項があった。それは、「都市再生会社」というべき中間組織が活躍していることである。

 これは、行政でもなく、(営利を主目的とする)民間企業とも異なる。「都市再生会社」は、客観的に街の可能性を分析し、街のアイデンティティを再定義(大局的なアイデンティティを開発)し、市民やコミュニティに働きかけ、新しい街の方向性に向けた合意形成と大戦略を打ち出し、司令塔の役割を担っているのだ。

 その結果、例えばスペインのビルバオでは、アメリカからグッゲンハイム美術館を誘致して、そのための予算も用意するというリスクも負いながら観光都市として変貌し、今では毎年100万人以上の人々を世界中から呼び込み外需獲得と内需拡大に成功している。

 まさに、工業都市は、蓄積されたものづくりの力を駆使すれば、「観光都市」、「文化都市」として生まれ変わることができるのである。

3―2.国内事例

 日本国内に目を向けると、迫りくる危機を脱した街には、大きく二種類の動きがある。

(1)小規模な街の行政がユニークなアイデンティティを打ち出し、それに基づく自治体経営を行う

 高知県梼原町、宮崎県綾町が代表的なものとして挙げられる。高知県梼原町は、“雲の上の町”というコンセプトを打ち出し、自然エネルギー100%の街となることを目指している。また、坂本龍一などによる森林保全運動とも連携し、自然エネルギーと森の街として、宿泊施設も整備し、ヨーロッパからの旅行者も訪れるようになっている。

 宮崎県綾町は、“有機農業の町”、“照葉樹林都市”というコンセプトで、人口73000人の約1割が町外からの移住者となっており、この30年間人口は一定であり、減少の要因は存在しない。

(2)住民が主体となって、街に変革を起こす

 高知県四万十市、北海道釧路市阿寒町が代表として挙げられる。高知県四万十市では、経営悪化を起点としてJAの売店(出張所)が閉鎖されることに住民が危機感を持ち、全ての人々が解決への道を歩むことを決意した。集落の8割にあたる108世帯が其々6万円を出しあい「大宮産業株式会社」に投資し、住民が株主として責任を持って経営にあたっている。そして、新たに住民のための売店をつくり、それがきっかけとなって「大宮米」という地元米を新たに売り出すことに成功している。

 マリモと温泉で有名な北海道釧路市阿寒町では、地元のホテルの社長が発起人となって、外部の有識者を集め、阿寒湖温泉活性化検討委員会を発足。街全体をおもてなしの空間にすべく、行政とも連携しながら改善を続けている。

 これらの国内外事例の教訓は、「地域の変革は既存の組織の発意ではなく、市民一人ひとりが知恵を持ち寄り、その集合体で変化をもたらしている点で、また危機に対する発意こそが原動力」という点である。もう一つ重要なポイントは、客観的かつ冷静なる分析と大戦略を構築し、市民間の合意形成(コンセンサス)をつくる「都市再生会社」のような機能を「組織」または「協議会」が役割を担うことで、繁栄を具現化する変化を「かたち」にしているのだ。

4.先進事例の教訓から今治の問題の本質を導き出す

 これらの先進事例と今治を比較してみた。

 これだけ見ると先進事例の教訓とモデルを今治にソックリそのまま導入すればいいのではと考えてしまうが、一概にそうともいえない。人口規模も違う。地理的条件も違う。ましてや地域の個性や文化・歴史も異なる。しかし、問題の本質への収斂と、課題解決のヒントを掴み取ることはできる。

 先進事例の教訓も踏まえると、今治の問題の本質は大きく2つに収斂することができる。
(1)大局的なビジョン(未来への方向性・戦略)、今治の力を結集すべき『核』が欠如
(2)人口規模と地政学的条件から、客観的、戦略的な合意形成と意思決定に時間がかかる

 (1)は、アイデンティティが拡散し、統一的なアイデンティティとこれに基づくビジョンの無いまま未来を歩むことは、目的なき航海に出向することを意味し、(2)は、檮原町、綾町、阿寒はいずれも数千人規模の人口であるゆえに意思決定がしやすい環境であるが、一方で今治は、その人口規模と地理的条件が多様であるために、合意形成に時間がかかり、意思決定と実行に相当なる年月がかかることを意味する。この問題の本質に全ての力を結集させ、解決策を生み出すことこそ、「内向き」ではなく「世界」へ飛躍し、今治の未来を拓くカギにつながると考える。

5.新・観光戦略で今治の「未来を拓く」!

5―1.『Sight(独自の場所や体験)をMake(今治市民と旅行者が共に創る)』型観光の提言

 2つの問題の本質を改めて、ここで確認したい。
(1)大局的なビジョン(未来への方向性・戦略)、今治の力を結集すべき『核』が欠如していること
(2)人口規模と地政学的条件から、客観的、戦略的な合意形成と意思決定に時間がかかる

 まず、(1)に対する方策として、今治が「観光都市」へと転換し、新たな産業の基軸を創造することを提唱する。観光を今治の力を結集する『核』とする理由は次の通りである。
1)財政赤字の中、公的資金を相当投資することなく、創意工夫とアイデアで今治の魅力ある資源を結合させ、市民(全ての世代)、企業(他業種他業態の連携)、行政の連動をもたらし、真の「市民協働」を生み出すことを可能とする。
2)外需を取り込み内需拡大によって新たな産業構造の基盤創造によって、観光産業における新たな雇用確保
3)経済効果だけでなく、人材養成、教育、就業率上昇など複合的な効果を生み出す。
4)日本全国、世界各地から今治に関心も持ち、来訪へのスイッチを押し、交流人口増(Iターン、Uターン増)
5)外部との交流から価値を生み出してきた海の民たる今治人のアイデンティへの原点回帰

 加えて、グローバリゼーションが進展する世界潮流の中で「観光」産業は大きな成長産業分野である。2007年における国際観光収入の世界総額は(8,550億米ドル)であり、99年(5550億米ドル)と比較すると、1.5倍以上に拡大している。また、2020年にかけて世界の観光GDPは2倍に膨らむと予想されている。この規模を他の産業と比較すると、衣類・繊維の世界総額は2007年(5830億米ドル)であり観光は、現在の世界において最大のサービス産業なのだ。

 他方、国内に目を転じたとき、日本は加工貿易立国である。この20年間輸出額は右肩上がりで、対中国貿易は黒字であり、日独は2300億円、日英は1兆円も日本は黒字で推移している。

 しかし日本は、フランスやイタリア、スイスなどに対して貿易赤字となっている。これは何故か。

 それは3か国を中心として、観光客を集め、高級ブランド品や郷土の食材を売る国家の方が、ハイテク製品生産国よりも外貨を獲得している。そしてこれらの国家は、いち早く「観光立国」へと舵をきり、その下支えを「観光都市」の地域が力強く担っているのだ。これは日本、あるいは今治の方向性にとっても示唆的だと考えられる。容易なコピーのハイテク製品産業よりも、人の要素が魅力となる産業(ブランド品や郷土の食材、そしてその総体としての観光)の方が付加価値を生み出しているのである。

 これからの成長産業である「観光」を軸に、世界の経済成長を牽引する「成長センターたるアジア」を見据えながら、今治の価値を作り出してゆくことは、今治が地域内そして世界で唯一無二の存在となるカギといえる。さらに、今治の周辺地域では、観光に重点的に力を入れている地域に囲まれている点からも、他地域との観光を通じた相乗効果を見込むこともできるのだ。

 まさに、21世紀の今治が採用すべき「サービス産業・外貨獲得・付加価値創造」戦略である。

 但し、ここでの「観光」という言葉は、名所を観て回るのみに限定した「Sight-seeing」ではない。今治には冒頭で述べた通り、名所という意味での観光資源の力は脆弱であり、通過地点になっているというのが実情である。しかし、消費活動が成熟化する中で、また、団体旅行から個人旅行へと、旅の形態が変化してきたように、ただ名所を見るだけの観光旅行は需要が飽和化しつつあり、旅行者にとっての「体験」や「学習」、そして自然との調和による「感動」に重視した観光パッケージが支持を集めている。こうした市場環境を踏まえると、今治が目指す「観光」は、名所旧跡を観るだけの「Sight-seeing」ではなく、『Sight(独自の場所や体験)をMake(今治市民と旅行者が共に創る)』という、『Sight-making』型観光を目指すことを提唱する。

 観光地を市民と旅行者が共に創りあげていく『Sight-making』型観光の実現は、リゾート施設を次々と増設することでもない。ちょっとしたアイデアと創意工夫で、また自然との調和、そして人々の心が観光地に真心の魂を吹き込むことで、優位な観光地として成立するのである。私はそのポテンシャルは今治に十二分に備わっていると考える。まさに「しまなみ海道」と「瀬戸内海」の「天与のクロス」を有する今治の最大の強みによって、新たな評価軸を生み出し、「弱みを強み」とは言わないまでも「特徴」へと転換できる。

 まさに、全国各地の自治体間の観光地を巡る「競争」が激化する中、「競争」ではなく「共創」の理念のもと、観光客と市民が共に新たな観光の姿を生み出し、多くのリピーター客を国内外から取り込むことが今治発展繁栄への道なのではないだろうか。

5―2.「今治社中」設置の提言

 『Sight-making型観光』の姿を今治から打ち出すことは、今治の観光資源の力を倍増することができる。さらには交流人口増加が期待できる。まさに「交流人口倍増計画」―。

 市民と旅行者の協業を重視した観光商品の開発は、これまで観光資源に乏しい地域が一方的なる観光パッケージを作成するのではなく、旅行者も市民と共に声を出して観光地として共に創り、観光地の豊富化を創造することで、これまでの観光地、観光商品とは異なる評価軸に基づき独自の魅力開発を行う考え方である。そして、これらを「プロデュース」することが、未来に向けた今治の底力を結集する『核』となりうるのだ。このプロデュースには、「郷土力」ともいうべき地元に根ざした企画、調査分析機能が必要であるが、従来は旅行代理店が観光資源の開発とパッケージングを担ってきた。しかし、旅行代理店は名所となる観光資源に乏しい地域にまで対象を広げて、丹念にプロデュースすることが採算面からも困難な状況といえる。

 では「誰が担うのか」と問われた時、担い手のいない空白地帯なのが現状なのである。そこで、提言する。「地域社中」、すなわち「今治社中」という組織を生み出し、ここがエンジンとなって観光都市として発展繁栄の道を歩み、希望の物語を描き、大戦略を打ち出し、合意形成を図る場を創造するのだ。まさに、欧米の「都市再生会社」をモデルにしながらも今治独自の観光組織と司令塔を生み出すのである。

 ただ、ここでいう「今治社中」の機能は、従来型のシンクタンクとは大きく異なるものだ。従来のシンクタンクは、一つのテーマに対し一過性で終わるという大きな課題を抱えている。しかし、「今治社中」では、より継続的・永続的に開発していく。

 「今治社中」が担う機能は、一言でいえば「独自の場所や体験を今治市民と旅行者が共創し、観光都市に向けた合意形成と戦略を打ち出し、頭脳の結集を図る」ものである。市民、企業、行政の協力を仰ぎ、結合させ、全ての今治人の英知を結集し、一人ひとりの想い、願い、祈りを実現する場とする。そして、他地域に向けて、雑誌やテレビ、新聞、ネットメディアに向けた情報発信や、旅行に関する展示会への出展などを行う。さらに、顧客データベースを管理し、改善点を把握するということも行うが、これだけにはとどまらない。

 次のような機能も持ちあわせている。
(1)客観的データの集積地(観光に関わるデータを集約し、分析し、観光戦略の基盤を作る)
(2)シンクタンク的役割(=地方政府の強靭な頭脳)
(3)オンラインを通じた観光客のニーズを集約・把握し、各業種業態へと提供する(ニーズ把握)
(4)一人一人の思いを対話によって合意形成を図る「熟議会」の設置
(5)観光産業における今治独自の人材養成(雇用確保、海外に向けた言語習得)
(6)そして、(1)~(5)の機能に基づく観光戦略を打ち出し、ビジョンを描く

 これまでのセクショナリズムを打破し、司令塔を一つにして観光戦略を描く「今治社中」。この名は、幕末期に坂本龍馬が立ち上げた日本発の商社『亀山社中』を用いた。「社中」とは仲間・同門という意味でもある。

 成熟化する日本、今治において個人、個人の価値観が多様化する中、これまでのピラミッド型の組織体のように、上から号令をかけて動かす時代から、緩やかなる連携を図り、其々の役割、天分を活かしあうフラットな組織形態が適応するのではないだろうか。

 この『今治社中』がエンジンとなり、今治に点在する観光資源をつなぎ、結合させ、ひとつの観光商品とすることで、周辺の街にはない独自性を打ち出しながら、日本各地、世界各地から新たに人々を呼び込むことができると考えている。

5―3.「今治社中」設置後の今治の観光戦略

 では『今治社中』が設置されたらどのような姿へと変わるのか。ここからは、次の旅程イメージプランを用いて、もう少し具体的な姿を述べたい。

『今治ラーニングトラベル-“日本の潜在力を学ぶ2泊3日”』(案)

【一日目】
 お昼頃、今治駅到着後すぐに、自転車(トライアスロンタイプ、クロスバイクなど高級感のあるものから選べる)で移動。晴れていれば今治城の屋外、雨天時は今治商店街(銀座)の空き店舗ギャラリーに向かいます。(荷物は駅で預かり宿へ)
 そこで今治の歴史などについてレクチャーを受け、波止浜湾(通称名/造船長屋)から芸予要塞跡に向かいながら、途中、海上から造船所を間近に見ることができます。要塞跡のある小島から眺める来島海峡(航路、潮流)と海峡大橋は絶景です。
 見学終了後、ホテルに戻り、今治の歴史や産業観光を思い起こしながら、先人の壮大なビジョンを胸に夕食を取り、明日に向けて早めに就寝。

【二日目】
 早朝、今治港から漁に出ます。(水揚げした魚は昼食と夕食になります。)
 比岐島に上陸し、朝食。比岐島から港に戻り、そこから野間馬(荷物を持つ)でホテルに戻ります。(志島ヶ原「国指定名勝」で朝食という代替プランも考えられます。) ホテルで小休止の後、自転車で妙見山古墳を見学後、タオル工場を見学し、実際にタオル柄をつくる体験をします。(つくったタオル柄は後日、実際に製造してご自宅に送付します。)
 見学終了後、ホテルに戻り、夕食は今治名物の焼鳥居酒屋で、鳥料理とともに早朝水揚げした魚介料理を楽しみます。

【3日目】
 朝食後、ホテルから自転車で大三島へ。天候によっては来島海峡で世界唯一の「潮流の向きで航路が反転する航法」を観ることできます。
 由緒ある大山祇神社(本社)で参拝の後、農家で季節に応じて、みかん狩りや、レモンジャムづくりなどを体験し、手作りのパンなどの昼食とオリジナルジェラートなどスイーツを好きなだけ楽しんだあと、そのまま大三島で宿泊。

【4日目】
 朝食後、伯方の塩の流下式塩田を見学し、鯛の塩釜焼きの昼食のあと、大島石の採掘体験に参加して、今治駅に戻り、今治での旅行の姿を思い起こしながら「また行ってみよう!」と決意し、旅路を後にする。

 この旅行プランの中には、絶景、美味しい食事、産業観光、グリーンツーリズムが含まれており、尚且つ、体を動かすという健康要素が加わる。季節によって、1年に2回(春・秋)だけ催される神事“一人角力”(豊作を祈る/目に見えない精霊の勝負。必ず2勝1敗で精霊の勝ち)の見学や、潮流体験、瀬戸内の軍艦島と呼ばれる四阪島工場を海上から眺めるといったプランを盛り込むことも可能となる。

 これらの『旅行プラン』は、体験型の旅行商品として今治にしかできないものである。しかし、一例を挙げれば、野間馬は市の所有物であり、実現には、行政、民間企業、市民の横断的かつ継続的な協力を必要とする。旅行代理店にとっては手間がかかる割に、すぐに大きな利益を見込むことは難しく、実現可能性は高いものとはいえない。

 しかし『今治社中』が観光の中継役となることで、今治の魅力を引き出す観光企画が実現する。観光企画が実現することで、造船所、タオル工場、漁業・農業などに関わる全ての人々が、旅行参加者との交流から仕事を客観的に捉え、新たな需要を獲得することができる。まさに、観光は『地域最大の輸出産業』といえるのではないだろうか。

 また、『今治社中』では、旅への参加が決定した時点で、旅行者にメール等で「(オリジナルタオルをつくるには)タオルの柄を考えておくといいですよ」といったアドバイスを旅行参加者に送信するほか、事前に身長や体重を確認し今治で乗る自転車を調整するということも行い、さらには旅程終了時には、お礼状と共に満足度調査といったアンケートを実施することで改善点の把握を実施する。旅のプランを常に企画し、バリエーションを増やし、新たな魅力を絶えず提案するために、ICTを駆使したメールまたはサイトを通じて継続的な繋がりを構築、維持することこそ今治へのリピーター客が倍増していくと考える。

 さらには、旅行参加者からの評価から、ホテルをはじめ、今治全体を俯瞰しながら、観光地に相応しい「おもてなし」の品質向上を可能とし、道中の案内やレクチャーを行うスタッフは、今治の底力を再認識すると同時に、これらスタッフの雇用を通じて、若年層の新たな雇用創出定着の効果もあるのだ。

 つまり、県内外、国外から今治への来訪者が急激に増加し、来訪者と市民との交流化が、今治の街並みそのものが新たな姿へと変わることを意味するのである。これが、『Sight-making』型観光であり、その推進と運営を行うのが「今治社中」なのである。

 同時に、『今治社中』は、今治の全ての人々の協力を仰ぐために、「合意形成」をオンラインで実施する。携帯電話やスマートフォン、パソコンから、ID登録をし、設問に回答することで、今治市の現状と観光の可能性について理解を深めながら、年代や居住地域ごとで、市民がどのように現状や観光の可能性について捉えているかを市民同士が知ることができる。

 今治社中は、オンラインだけではなく、顔と顔を合わせる出前講座(=『熟議会』)も行いながら、今治市各地の魅力を収集し、諸事情を踏まえながら設問を開発する。そして、市民が主体的に今治の在り方を考え、選択肢が増え、結果的に今治市の行政がより戦略的な選択を行えるようになるのである。

 たとえば、『今治市の観光政策について』という設問テーマで、周辺の観光地との競合比較や、市内の観光資源を客観的評価のもとに紹介し、どのような集中と選択をおこなうべきかを問うことで、市民も合意と納得しながら戦略的な投資を行うことができるようになる。今治市予算全体で1285億円であり、この使い方を戦略的に選択することは、今治市民の生活を豊富化することにつながるのではないだろうか。(予算全体のうち特会などを除いた歳出は718億1,000万円で、任意的経費は51.4%の369億円 平成23年度予算より)

 こうして、今治が『タオルと造船の街』にとどまらず、『日本一、海と陸の自然と産業を楽しめる街』となり、新たな未来を拓く観光戦略を今治の地に生み出すことができるのだ。

6.遠望する眼差しで今治・愛媛・日本の姿を描く

 日本は、この20年間、株価の変化、債務の増加、貯蓄の低下という、まさに「失われた20年」と称される現状に佇んでいる。今、まさに高度経済成長から経済的に繁栄した過去の蓄積と資産で運営されているといっても過言ではない。

 これまでの旧来型の成長モデルと仕組みでは、未来が閉ざされてしまう―。
しかし、この国は可能性を秘め、その可能性を引き出すスイッチを全ての人が押すことで「未来を拓く」ことはできると私は信じている。

 そのスイッチこそが「観光」なのだ。
今治の新たな経済成長戦略の柱に「観光」と定め、これに基づく「今治社中」をエンジンとして動かすべきだと提言した。「観光」は、捉え方によっては「迷惑産業」になりかねない。また、今治が抱えている課題がすべて観光によって薔薇色の社会に転換すると、胸を張って言うこともできない。

 しかし、これまでの旧来型の発想を転換し、今治に住む一人ひとりの人々が能動的考え、未来につなぐ勇気ある行動こそ、新たな故郷の姿を創造することができると確信している。

 松下政経塾の創立者である「松下幸之助」は、日本で初めて「観光立国」を提唱した。それは、この雄大な自然を有する資源は世界に冠たる宝であり、これを活かした国家ビジョンを推し進めることこそ、この国の繁栄を力強く推し進めることができると―。

 私の国家観は「地域社会が紡ぐ人と文化が咲き誇る国」―。まさに日本の姿を彩っているのが「地域」なのだ。

 四海に囲まれながらも、全国各地至る所で「心を癒す」、そして「心躍る」資源を持つ日本。こうした資源を活かしあい、21世紀の新たな繁栄を日本にもたらすためにも、今治が、そして日本各地域が誇りと自信を持って観光戦略を描き、未来を拓くことこそ、今を生きる私達の使命だと強く考えている。

 その為に必要なこと。それは、これまでの中央集権的構造からの脱却と、地方の自治・自立が焦眉の急だ。

 一人ひとりの市民が豊かな社会を築くために立ち上がり、適切なる未来への投資を、知恵を結集して実行していく。ひいては、「自治・自立」に基づいた地方政府を確立し、真に人と文化が咲き誇り、『共創』と『共生』に基づく地域主権国家の実現が「観光立国」実現への最大の環境整備なのである。

 私の故郷であり、最も愛する今治。この今治の地は、割賦販売、蟹工船などビジネスイノベーションを古来より産み出してきた土地であり、時代の変化、社会の変化を常に遠望する眼差しで繁栄を掴み取ったローカル・アイデンティティを有している。そして、瀬戸内海の恵み、海の恵みを全身に受け発展した、まさに「今治人=海の民」なのだ。

 もう一度、私達は瀬戸内海に目を向け、その先には世界を見据え、歩まねばならない。

 理想をいえば「今治社中」を瀬戸内海沿岸地域に展開し、各市で「地域社中―尾道」、「地域社中―新居浜」、「地域社中―小豆島」、「地域社中―高松」、「地域社中―松山」等を各エリアに創設・ネットワーク化することで、瀬戸内海を私達の手でもう一度、編集し未来につなぐ「瀬戸内海州」構想も夢ではない。瀬戸内海州を起点に、新たな日本の観光地を生み出すことも可能となるのだ。

 今、日本全国各地を見渡すと、今治と同様に人口5万人以上20万人未満(過疎でもなく、中核市でもない)の自治体は、1800市町村の中で「421市」存在する。まさに、大規模都市や小規模な町とは異なる課題を共通項として抱えており、その課題こそ「魅力ある豊富な地域社会の創造」なのである。

 今治から発する「今治社中」、「今治市民と旅行者の共創による『sight‐making型観光』」で生み出した新たな観光戦略の姿は、これらの中規模都市にとっても未来を拓く解決策となり、日本が「観光立国」への扉を大きく押し上げる力にもつながるのだ。

 人々の情熱、知恵、そして何よりも、故郷を守り、育て、未来につなぐ使命を全うしようとする姿が今治、愛媛、日本に溢れ、皆が希望の種をまき、希望の大輪を咲かせる日を信じて、故郷今治の地から愛媛・日本に真の『物心一如の繁栄』をもたらす挑戦の道への扉は開かれた―。

 未来への挑戦は始まった―。

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丹下大輔の論考

Thesis

Daisuke Tange

丹下大輔

第30期

丹下 大輔

たんげ・だいすけ

愛媛県今治市議/無所属

Mission

「熟議の議会改革と地方政府の確立」

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