論考

Thesis

「人間とは何か」~人間の可能性を無限に広げる『真の政治』~

歴史的な政権交代から2年。しかし「自壊社会」、「希望無き社会」…。我が国を取り巻く環境は混迷を増す一方だ。今こそ「人間とは何か」―という命題に立ち返り、「真の政治」の本質を捉え、21世紀の日本に「いのち、絆、共生」の基本理念を確立し、「衆知の集め、調和した『中庸』の成熟型議会」の必要性を提起する。

1、新しい「国家経営」の始動から2年 ~今こそ基本理念に立ち返る時~

 「政権交代」―。
 灼熱の太陽が降り注ぐ2009年夏に行われた衆議院解散総選挙。民主党候補者はひたすら「政権交代」を有権者に訴えた。日本政治の歴史に新たな1ページを刻み込むことを信じて…。そして有権者もこれに呼応し、「政権交代」という政党政治における最も強力な手段の引き金を引き、2009年8月30日、民主党は「308議席」を獲得し圧勝。一挙に「政権交代」を果たした。政権を目指し、首相候補、政権公約(=マニフェスト)を掲げた二大陣営が対峙し、明確な議席の変動により政権政党が交代した点は、日本の政党政治史上初の本格的政権交代をもたらした。日本政治が我が国における民主主義の深化と成熟化に大きな一歩を踏み出したといえる。「政権交代を手段とする新たな政治イノベーションの段階」への突入は、国民は新時代の到来を願い、信じ、この国の未来を拓くスイッチを押し、日本の民主主義に魂が吹き込まれた瞬間でもあった。この記憶は多くの日本人の心に刻まれた。こうした国民の願いを背負い、2009年9月16日民主党代表(当時)である鳩山由紀夫氏は、衆参両院において首班指名を受け、同日、鳩山政権発足。長きに渡る自民党を基盤とした内閣から、新しい政治勢力を基盤とした『国家経営』が始動した。

 熱狂的な「政権交代」から2年。衆議院任期満了まで2年も残しながらも、気が付けば内閣総理大臣は二人目に。そして国民は民主党政権に対し、強い批判と非難、憤りと怒りの矛を向けた。まさに政権交代以降の政権運営と政党の統治経営の姿は、日本国総理大臣の地位と「政治主導」、「マニフェスト」の信用は失墜した。そして、2010年7月11日に実施された参議院選挙では、政権与党である民主党は、参議院で有していた過半数の議席を喪失し、衆参両院における政治勢力の多数派が異なる「ねじれ国会」が再度到来した。また、2011年3月11日に発生した東日本大震災への震災復興対応、福島原子力発電所の事態収拾も叶わず、国難の波が押し寄せた日本の政治が「何も決められない政治」、「動かざる国会」「統治能力無き政権」の汚名を着せられ漂流を続ける姿に、国民に絶望と深い悲しみを与えた。益々、政治不信という闇が覆い被さり、この国の政治は混迷は急激に増す一方だ。

 こうした政治の融解現象に対し、主権者たる国民は何を考え、行動すべきなのか。そして現下の政治に何が欠如しているのか―。「批判」と「諦め」、「失望」が渦巻く中で、我々は政治に対し、盲目的でなく、ましてや「お任せ」ではない、新たなる政治との関係を突き付けられている分水嶺に立ち至っている。他方、我が国は代議制民主主義を採用し、国民が選定した代表者が国会に集い、国家の運営にあたる政治構造である以上、統治者に委任し承認する制度的事実もある。では、我々が果たす役割とは何か。隔靴掻痒にも似た想いと閉塞感漂う政治構造と政権運営に対し、批判を繰り返すことなのか。しかしこれは極めて容易な思考である。ただ、批判や非難、失望と脱力感からは、無から有への未来志向の道は拓かれない。むしろ「思考停止」を生み出す危険性さえある。

 今こそ、日本政治が抱える本質論を議論し、大空から世界を見渡す鳥の眼と、地面を見つめる虫の眼を兼ね備える視野と深い思考で、これまでの政権運営の失敗の原因を摘出し、反省から教訓を引き出し、教訓を未来の統治へとビルトインするため、徹底的に総括し、そこから打開策を講ずることで、民主主義の深化と豊富化、政治権力と統治の実質的回復への道を拓かねばならない。今、時代の要請は、強固なる「市民社会」と「真の政治」を推し進める代表の選定による「新たな政治創造」を我々の手で確かなるものを獲得することなのだ。

 政治の混迷深める根源論に対し、松下幸之助塾主(以下、松下塾主)は「政治が人間の本質を掴んで、その本質に基づいた政治を一日も早く実現することが大切。そういう政治こそ、真に人間の幸せをもたらす」と指摘する。その為には「万物いっさいをあるがままに認め、其々の特質に相応しい処置処術を行いつつ、全てを生かしていく」ことを追求することが必要と述べる。まさに、「真の政治」とは、人間が知識や学問、主義や思想に支配されることなく、むしろそれらを十二分に活用し、あるいは支配することで、主義主張、思想、イデオロギーを乗り越え、一人ひとりの人間の幸福と繁栄を向上させる「人間の本質に立った政治」なのである。

 「真の政治」を生み出すには、「人間とは何か、人間の本質とは何か」という命題に解を求め、強靭なる根を埋め込む作業と思考から全ては始まる。そこで本論は、融解する政治に歯止めをかけ、「絶望」から「希望」の道へと転換するために、政治の根源たる「人間とは何か」という基本命題の希求から「人間の本質に立った『真の政治』」の姿を描く。

2、人間とは何か

(1)「自壊社会」から「人間本然主義」の人間社会へ

 「人間とは何か」―。
 この壮大なテーマを追い求める上で、参照すべき指摘がある。

 東京大学名誉教授の神野直彦氏(財政学)は編著「自壊社会からの脱却」の巻末言で次のように指摘する。

「1991年、ヨハネ・パウロⅡ世は、凡そ100年振りに『レームル・ノヴァルム』と題し回勅を発せられた。そこでは、二つの環境破壊を指摘している。一つは『自然環境の破壊』、もう一つは『人的環境の破壊』である。とりわけ、ヨハネ・パウロⅡ世は『人的環境の破壊』を、『真の『ヒューマン・エコロジー』のための道徳的条件を保護する努力は、あまりに少なすぎる』と慨嘆されている。これらの指摘は、まさに『人間は財の使用に際して、自分が正当に所有している物件を自分のものとしてばかりでなく共同のものとしても考えなければならない』というトマス・アクィナスの言葉を噛み締める必要がある。つまり、『大地の産物の普遍的用途の基礎』である『生を共にする』ことを忘れ始めたことが人間社会を自壊させているのだ。」

 まさに、人間の本源的欲求である「自然との共生」、さらには、他者との「分かち合い」、「共同生活」への価値を忘却し、物的欲求の高まりによる自己中心的思考を望む行動に移した瞬間に、人間は「自壊」の道を辿り、地球資源と自らの人生と時間を歪んだ形で過剰なまでに消費し、「自然環境の破壊」と「人的環境の破壊」、すなわち「自壊社会」へと突き進む。今まさに人間の本源的欲求から大きく歪曲化した人間の姿が、地球規模で蔓延しているとの指摘といえよう。

 翻って我が国を見渡した時、一層深刻な光景が私達の目の前に広がる。通り魔の続発、少年犯罪の増加、近親殺人といった独り善がりの狂気に満ちた凶悪犯罪、また、耐震偽装や食品の産地偽装、振り込め詐欺等の「金のためなら人を騙して何が悪い」といった犯罪の続発…。こうした社会現象と犯罪が後を絶たない日本。当然の事ながら、人間が引き起こし、この凶器が向けられる矛先も人間なのだ。まさに人間の欲求・欲望が心に蔓延し、病理化し、まるで邪悪な悪魔に憑りつかれた様に人間社会を跳梁跋扈する。そして、凶器を向けられた人間は、絶望の淵へと追い込まれ、社会全体に「自壊社会」の闇が覆い尽くす。

 これらの問題は、人間と人間の「つながり」を喪失させ、誰もが自分だけの世界に逃げ込んだ末、社会に生じた綻びと亀裂が巻き起こしているといっても過言ではない。まさに、人間の本質から大きく逸脱した結果ともいえよう。他方で、日本社会は社会的亀裂と綻びが生み出した「自壊社会」を隠そうと、この10年もの間、市場原理主義と規制緩和、つまり金融を中心としたバブル経済と輸出を頼りに経済成長を続けることで国民の目を逸らせてきた。しかし、急激なる市場への依存が臨界点を超え、米国におけるリーマンショックを代表例とする世界金融と実体経済の崩壊は、一挙に社会的亀裂を噴出させ、「リスク社会」化し、より一層人間社会の「自壊化」へと導く恐怖の姿が我々の目の前に立ち塞がった。さらに、グローバリゼーションとIT革命の急激なる拡大という世界的潮流は、国家も、企業活動も、そして我々一人ひとりの個人も、如何にして他者とつながり、どうやって生き抜くのかという指針を見失っている。まさに、今、戦後一貫して政治から提供された「経済成長(=物質的豊かさ)」に代替する価値観を求め彷徨う時代の渦中にある。だからこそ、本来的に有する人間の本質に立ち返り、人間の特質を普遍的価値として承認し、「人間本然主義」を基盤とした海図を描き、果敢に船出することを厭わない勇気を持つ方向へと舵を切ることが求められているのだ。

(2)人間の本性とは ~より良き「共同生活」を営むために「調和ある生成発展」へ~

 では、「人間本然主義」とは何か。より深く人間の本性について考察したい。松下塾主は人間の本性について次のように指摘する。

「人間の過去の歴史を見渡した時、小は家庭から、大きくは国家に至るまで、人間は様々な形において相寄って、集団生活、共同生活を成している。全く一人だけで他の人間と直接間接に何らかかわりを持たずに生きているというような人間は、恐らく絶無といってもいい。すなわち、相集まって共同生活を営むことが人間の本性である」

 つまり、人間は発生当初から「共同生活を営む本性」を与えられ、絶えず衆知を集め、創意を凝らし、恒常的に共同生活の生成発展を目指し歩み続けた。その結果、今、目を見張るほどの科学技術の進歩、教育の普及、政治の手法・技法の向上をもたらし、人間の本性たる共同生活は豊富化した。しかし、より良き共同生活を生み出す人間の弛まぬ努力の歩みは、一方で歪みを生み出した。科学の進歩や文明の発達は、核兵器の製造と悲惨な戦争の姿、また原子力発電所に代表される大きなリスクを背負ったエネルギー政策、地球規模の環境破壊…。人間は利便性と効率性を求めた結果、「リスク社会」が到来し、未来への宿題を積み上げた。

 松下塾主はこうした姿に対し、「科学の進捗があり、文明の発展があったとしても、それが『正しく調和ある姿』において生かされていない」と指摘する。まさに、人間の本性たる共同生活は、「調和ある生成発展の進歩」への不断の努力が欠かせないのである。これを踏まえた上で、人間は宇宙の法則や自然の理法を逐次認識し、その理法や法則を共同生活に生かし活用することで、物心一如の調和ある繁栄を招来することができるのだ。

(3)「人間の本質」 ~「いのち、絆、共生」に価値置く基本理念~

 では、これまでの世界・日本を取り巻く社会構造の課題と人間との関係、松下塾主の人間観を踏まえた上で、改めて「人間の本質」について考えてみたい。

 神野直彦氏は、「人間の欲求には『存在欲求』と『所有欲求』がある。『存在欲求』とは、自己の存在を他者の存在と調和させたい、人間の存在を自然の存在と調和させたいという欲求である。それは、『生を共にする』ことによって充足される欲求だといってよい。これに対し、所有欲求とは『外物』を『所有する』ことによって充足される欲求である」と指摘する。

 つまり、人間にとって「所有欲求」は経済的豊かさの獲得(=所得、物的所有)であり、「存在欲求」とは、「心の充足感の獲得」、つまり幸福を得ることを意味する。振り返ると、我々の身近な存在である両親や家族との触れ合い、地域社会におけるコミュニティ内の「絆」、「つながり」の中で存在欲求や心の充足感を得るのだ。これを具体化した事例がある。四国徳島県上勝町に息づいている。人口2000人弱の過疎の町であるが、住民たちが付近の山で葉っぱを採取し、東京、大阪、京都等の料亭に「つまもの」として販売し、年商2億6000万円を上げている高齢者によるコミュニティビジネス「いろどり」だ。町内の農家の約半数が事業主として参加し、高齢化率50%であるが、寝たきり高齢者は極端に少なく、一人当たりの老人医療費は徳島県内24市町村中最低だ。株式会社いろどり代表取締役社長である横石知二氏は、「高齢者一人ひとりに『居場所』と『出番』を提供することで、生きがいを持ってイキイキと働く。そして高齢者のイキイキとした姿をみて、子供や孫は町に戻り、あるいは若年層のIターン、Uターンも増加し、上勝町は蘇った」と述べる。まさに、高齢者が「いろどり事業」という労働を通じて、誰かのために役立っているという感情が、秘めたるパワーを開花させ、世代を超えて繋がることで、イキイキと「いのち」を輝かせる人間の姿を生み出した。今、上勝町は「いのち」のつながりが紡ぎ出されている。

 神野氏は「『自壊社会』回避は、『生ける自然と生命体としての人間との生きていくことの調和』を実現することである。それは「生きることを共にする社会」を実現することだといってもよい」と指摘する。まさに、山という「自然」の恵みを賜物とし、自然との「共生」することで成立した「いろどり事業」。「存在欲求」を満たす全ての人間に「居場所」と「出番」があり、「生きること」を共にする社会こそ、人間にとって極めて快適な環境なのではないだろうか。「経済的リターン」より「社会的リターン」を獲得する瞬間こそ人間の心に幸福が宿るのだ。すなわち、人間は「生きることを共にする」価値=「共生」に価値置く存在なのだ。「共生」の本質は、相手の存在を認め、共感を共有しながら、共に存続・成長・繁栄する姿にある。そこから、「支えあい・分かち合い・共感」(=「絆」)を織り成し、「いのち」を輝かせ未来を紡ぐことによって力強く歩み続けるのが人間の本質だと考える。一方では「所有欲求」(=経済的繁栄)の全てを否定するものではない。市場経済主義と貨幣による物的所有を基本とする現代社会において経済的価値や成長は不可欠な要素だ。しかし行き過ぎたマネーゲームともいえる悪魔との契約を交わし、効率主義、合理主義、市場主義に走りすぎた人間の行き着いた場所は空虚感と深い悲しみしか生じなかった。つまり、人間の本質に基づく経済活動を希求することで「物心一如の繁栄」を遂げられる。

 「いのち、絆、共生」に価値置く人間の姿こそ、人間に宿る本質であり根源なのだ。これらのキーワードこそ、私の人間観であり基本理念である。また、今、金融資本主義の激流でズタズタになった人間の心に灯を燈す意味においても、「いのち、絆、共生」の価値は、21世紀の世界、日本の基本理念となるものと考える。

3、「真の政治」 ~「衆知の集め、調和した『中庸』の成熟化議会」~

 ここからは「人間の本質に立った『真の政治』」と向き合ってみたい。まず、そもそも政治という概念を整理する。そもそも政治とは何か。

 学習院大学教授の佐々木毅氏は「多様な集団(典型的には国家)の目的と利益に向け自己決定し、それを実行していくことを巡る諸活動であり、与えられた条件の下での運命を甘受するだけでなく、より良い可能性を求めて個々の人間の幸福追求に向け『選択』する責任を有する」と定義する。つまり、政治は集団組織全体の在り方に関わる決定と実行を巡る活動であり、集団組織を構成する一人ひとりの人間が、幸福追求を決定することを可能とする制度設計を始めたとした環境整備と方向性の決定こそ政治の使命なのだ。

 また、松下塾主は、「政治は『国家国民全体を対象とした経営活動』すなわち『国家経営』であり、真の政治は『真の国家経営』でなければならない。『真の国家経営』とはお互い国民の諸活動の調和調整を適切に図って万人の働きを生かし、共同生活の向上を効率よく実現していくことである」と指摘する。まさに、多方面に渡る他業種業態や分野を調和させる世話役であり、人間の本性である共同生活の基本である秩序を維持推進し、力強く人間の幸福を追求するための不断の努力を重ねるところにあるといえる。

 つまり、政治とは、丸山真男は「政治は『可能性の技術』」と定義するように、現実を可能性の束と捉え、未来への可能性を広げ、人間の幸福を獲得する使命を有する。この使命を全うするため、政治行動と政治的統合の担い手は、自らの決定が正当なものとしてメンバー(=国民、集団)に受け入れられることを前提とした「地位」と「権力」が付与され、これに伴う政治権力の行使によって実現する。こうした政治術は、プラトンの言を借りれば「諸々の物的資源や人的資源を指導し、導く『王者の技術』」なのだ。

 しかし、これらの政治の基本意義は、人類の歴史を紐解く中で、政治権力が時として人間を絶望の淵に立たせる過去を持つ。たった一人の権力と政治術の行使を独占する政治的統合の担い手の暴走と、これに伴う権力腐敗の連鎖は、多くの血を流し、時として人間を虐げ抑圧し、生活困窮と飢餓をもたらし、苦痛と悲鳴を耐え忍びながらも、人類は、未来を信じて知恵と工夫を凝らし権力暴走を厭わない独裁的政治という悪魔と戦い、権力の暴走を抑制し制度化する戦いの果てに、自由と人権を獲得し、議会制民主主義、民主制を獲得した。

 だが、人類が紡ぎ出した民主制も全て人類の祈りや願いを叶える完璧な制度ではない。チャーチルは「民主制は最も最悪な制度だが、これまでの政治統治形態よりは最もマシであり、これ以上のものはない」と指摘する。つまり、民主制すら完成形態ではないのである。だからこそ、過去の人類の蓄積の上に、我々は不断の努力と工夫で、より人類の幸福追求を可能とする政治を生み出す挑戦は続く。まさに、政治と統治構造の在り方は、絶えず生成発展し、日々新たなる道を歩むことを課せられている。

 他方、翻って現下の日本政治を鳥瞰した時、衆参両院の多数を形成する政治勢力が異なる「ねじれ国会」の前に「動かない政治」として佇み、新たな合意形成の仕組みを導くべく暗中模索の最中にいる。だが、これは日本に限った事態ではない。人類は21世紀に突入し、人間一人ひとりの価値観が多元化・多様化し、これらの表現化によって議会内の上下両院における政治勢力の多数派が異なる事態(議院内閣制)、あるいは直接選挙で選定される大統領、つまり執行権力と議会権力の多数派における政治的基盤が異なる事例(大統領制)が先進国、中心国問わず発生し、こうした「ねじれ」の中で、「政権交代」を核としながら、「公開と説明」を使命とする議会、すなわち「民主主義の民主化」、「民主主義の豊富化」を各国は追求している。まさに、世界各国が新たな成熟化社会に相応しい議会制民主主義の姿を希求する時代にある中、いよいよ日本政治も「公開と説明」を原則として「熟議」を行い、懐深く、忍耐強く、国家ビジョンや政策議論を国民に透明度の高い議論を展開し、止揚された結論や妥協点を探るという新たな合意形成の仕組みを構築することが肝要となる。そのためにも、例えば、「両院協議会」の実質化を図り、新たな合意を生み出す場にすることや、衆参の権限配分の在り方、そして内閣諸制度、行政権、地方政府の在り方も含めた「国のかたち」たる統治機構の骨格を、21世紀の新時代に相応しい姿へと描き直さねばならない。

 その為には、政治を司る為政者は、自らの「言葉の力」を信じ、議論を通じて、様々な意見も、主張も、思想も異なる対立を調和し「衆知の集め、調和した『中庸』の成熟型議会」=「熟議の民主主義」を実態化あらしめることが求められる。

 これらを実体化するためにも、実質的には「官僚内閣制」的な日本の内閣制を、「真の政党経営」の実質化によって、政党が主体となって政権を運営し、議会を舞台として成される本来の意味での政党政治と「公開と説明」を基本とする議会政治を紡ぐことで、「正しい国家経営」がなされるのではなかろうか。

 これらの「衆知の集め、調和した『中庸』の成熟型議会」=「熟議の民主主義」の実態化は「未来を拓く」ことを意味する。

 まさに、人類が織り成した政治史は人間の本来の姿と本質を取り戻すために繰り広げられた戦いのドラマといっても過言ではない。そして、これから開演するドラマは、「いのち、絆、共生」の価値こそ人間の根っこを支える本質と捉え、人間の分裂を繋ぎとめ、社会のバランスを取り戻すことこそ政治の役割であり、これらを獲得する挑戦の道を拓くことなのだ。つまり、政治的統合の担い手は、国民が人と人のつながりを回復し、統合された「人間」としての立場を取り戻すべく、社会全体の発展と子孫の繁栄のために国民一人ひとりが何を望むかを率直に問う勇気と英知を持ち、調和した政治的統合と社会的統合を一体として取り組まねばならない。

4、さいごに ~人間の可能性を無限に広げる「真の政治」で「自壊社会」との決別を~

 長きに渡る人類が織りなした歴史は、権力という悪魔と社会の不条理と構造的矛盾に果敢に戦いに臨み、豊かさと幸福を享受しうる環境を生み出すため歩み続けたドラマである。まさに人間は、人間の本質と使命を自覚する「強い存在」として戦い続けた一面を持つ。これに呼応し、現代に生きる私達は、先人の勇気ある行動と姿に胸躍らせ、弛まない不断の努力を繰り広げる。しかし、一方で人間は決して強い存在でない一面も有する。人間は様々な複合的、重層的な社会構造的矛盾と不条理、そして運命の左右が、個の人間に覆い被さる瞬間に、人間は脆くも崩れ去る。かつて見たことのない地獄絵図が目の前に広がり、生きる希望を失い、深い悲しみが襲う。こうした絶望を受容した時、人間は「死」へと歩を進める。前述のとおり、丸山真男は「政治は『可能性の技術』」であると説いた。丸山真男の言を借りれば、現実は、「可能性の束」であり、その束は未来に向け伸びていくものかもしれない。これに対し、別の可能性は益々無くなる可能性であるかもしれない。その為に、様々な可能性の方向性を認識し、そしてこれらを選択することこそ、政治の希求命題である。

 他方、「リスク社会」と称される現代において、今人間が「生きる希望の無い社会」、「自壊社会」という可能性の束にある一筋の線上を歩んでいるとするならば、これとは決別し断ち切る覚悟を持たなければならない。そして、全ての人が互いに価値を認め合い、人間の本質である「いのち、絆、共生」に価値を置き、「希望を作る社会」を生み出す可能性の線の創造に向け、全ての人類はここにエネルギーを注力し、未来を拓く挑戦と不断の努力への道程において私達は歩を止めてはならない。政治は全ての人間を慈愛し、一人一人の国民と運命を共にする気概を持ち、人間の可能性を無限に広げる営みを成すことこそ最大の使命なのだ。

 そして、政治的統合を担う為政者は、過度な偏狭と情報の扇動による熱狂的な「英雄待望論」、「カリスマ的支配」を熱望する雰囲気に飲み込まれることなく、基本理念に立ち返り「ちょっと待てよ…」と立ち止まる勇気と気概を持ち、「中庸」と「穏当」の精神で、深い思考と判断力を有し、新たな変化に対する鋭敏なる感覚を研ぎ澄まし、情熱、責任感を持って、人類の繁栄幸福平和に立ち向かうことこそ「真の政治」なのである。

 我々の目前に広がる光景は人類が未だかつて経験したことのない時代に直面している。この時代に生を受け、志を立て松下政経塾の門を叩いた私に対し、時代が自らを求める時、「真の政治」を成すことを自戒を込めて、この理念を胸に刻みたい。

【参考文献】

・佐々木毅『政治の精神』(岩波新書、2009)
・神野直彦『「分かち合い」の経済学』(岩波新書、2010)
・神野直彦、宮本太郎編『自壊社会からの脱却―もう一つの日本への構想』(岩波書店、2011)
・松下幸之助『政治を見直そう』(PHP研究所、1977)
・松下幸之助『人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて』(PHP研究所、1995)

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丹下大輔の論考

Thesis

Daisuke Tange

丹下大輔

第30期

丹下 大輔

たんげ・だいすけ

愛媛県今治市議/無所属

Mission

「熟議の議会改革と地方政府の確立」

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