Thesis
今、地域社会が疲弊している。疲弊の原因は何か。それは、「希望」を喪失しているところにある。「地域社会の希望とは何か」という切り口から、「国のかたち」を考察する。
「希望」とは何か。
誰もが将来に向かって、力強く大きな一歩を踏み出す「勇気」と「活力」を与え、皆が一つの目標に向かって固く手を取り合い、共に助け合い、共に生きる。これらは、まさに、将来に向かっての「希望」があってこそ生み出されるのだ。
「希望」―。この言葉にふさわしい町が、四国徳島県の県庁所在地である徳島市から車で40分程移動したところにある。「希望のまち」、その町の名は「上勝町」。人口約1989人(2010年1月1日現在)、高齢化率48%、町の周辺は見渡す限り山々が連なる、いわば典型的な過疎地である。
今、我が国の地域、とりわけ過疎地は危機に佇んでいる。高度経済成長期以降、急速なる都市化と人口移動により、「集中と過疎」を生み、地方の衰退のみならず、山村・漁村地域を中心に「人」が散逃し、今や、「住みたくても住めない」現状に追い込まれている。
一方で、人口の半分が65歳以上の高齢者で占める上勝町には、全国の過疎地とは全く正反対の光景が広がっている。70代、80代の高齢者一人ひとりが、一所懸命、「葉っぱ」を取り、その葉っぱを発泡スチロールに詰め込み、目を輝かしてパソコンの前に座っている。まさに、生き甲斐を持って日々の生活を送る姿があった。
なぜ、この町は元気なのだろうか?
一人ひとりが元気で、生きがいを持って生きていける秘訣が上勝町にあった。その元気の秘訣こそ、「彩事業」。
山の木の葉や花を日本料理の「つまもの」として収集、販売する事業である。生産者は70~80歳代の女性がほとんどであり、インターネットやFAX、携帯電話を通じて受発注を行い、平均で700万円を超える年収を得ている。また、お正月を控えた年末の繁忙期には、ひと月に100万円も稼ぐ人も出るほどだ。まさに、自然が豊富にあり、山々に囲まれた上勝町の地域資源である「葉っぱ」を商品化し、自立的に販売先を見つけ出し、そこで継続的な供給システムを構築し、これらをITで結ぶ構造を作ったのである。換言すれば、「第一次+第二次+第三次産業」の要素をすべて含んだ「第六次産業の創出」といっても過言ではない。
また、これらの取り組みは産業面からの高齢者への生きがいの提供だけにとどまらない。上勝町における一人当たり医療費(高齢者医療費)は、徳島県24市町村の中で最下位。つまり、一番安い医療費で一人当たり約62万円となっている。逆に一番多いのは東美代市長で約93万円だ。実に、一人当たり30万円の差があるのだ。さらに、上勝町での「寝たきり」の高齢者は、たった数人しかいないというデータもあり、医療・福祉の観点からも絶大な効果をもたらしている。
今や「葉っぱビジネス」として全国的にも有名となり、徳島県を代表する産業へと成長した「彩事業」の出発点は、「町の危機」から始まった。人口は戦後の約30年で半減し、主要産業であったミカンと林業も20年前の寒波によって壊滅に近い状態となった。しかしながら、当時、営農指導員であった横石知二氏によって、上勝町において数多の如く存在する「葉っぱ」に価値を見出し、山にある葉っぱや小枝を料亭などの料理の季節感を演出する「つまもの」として売り出し、大ヒットさせたのである。さらには、横石氏による奮闘努力によって、高齢者を中心とする住民を巻き込み、売り上げは、1986年度116万円、88年度2160万円、94年には1億円を突破し、現在では年商2億5000万円に上っている。
「彩事業」は、決して公的部門の支援の下に推し進められたものではない。上勝町が有する「葉っぱ」という地域資源に、上勝町の一人ひとりの「夢」と「希望」を詰め込み、力強く歩む姿があったからこそ、地域の「再生」、そして「自立」へと結実したのだ。まさに、上勝町にみる「希望」ある地域社会の姿は、真に幸福を実感できる社会創造に向けた第一歩といえよう。
これらの取り組みは上勝町だけではない。日本全国を見渡すと様々な地域において、不断の努力と、そこに住む地域住民の汗と涙の結晶により、「希望のまち」へと進化した地域が存在する。例えば、アジア各国で使用済み携帯電話を回収し、鉱石の精錬技術を活かしてそこから貴金属を精錬し、その技術を用いて関東圏の廃棄物最終処分、バイオマスへの展開なども行う秋田県小坂町の小坂精錬所。家庭から出る生ごみを分別収集し、市内にある堆肥化センターで堆肥化させ、できた堆肥を市内の農家に使ってもらって農産物をつくり、さらに、その堆肥ででき上がった農産物を「レインボープラン農産物」として認定し、市内各所で販売する山形県長井市の「レインボープラン」。「奇蹟を起こした村」として有名な新潟県胎内市…。
まさに、各地域における独自性と個性(=ローカル・アイデンティティ)を基盤とし、地域の潜在力を開花させるため、住民が集い、喧々諤々の議論を展開し、それぞれの役割(天分)を発揮することで、「希望のまち」を創造している。このように、日本全国の地域に目を転じた瞬間に、様々な地域から「希望の萌芽」がみられるのだ。
今、我が国には、1,760の市町村がある。だが、このような「希望のまち」へと大きく一歩を踏み出している町は、数少ない稀有な事例だ。むしろ、全国の大半の地域では、累積債務残高の右肩上がりに伴う財政赤字、主要産業の空洞化と雇用の喪失、閑散とする中心市街地、医療崩壊、地域コミュニティの崩壊…、といった様々な課題を抱え、将来への「希望」を見失っている地域が多く存在するのも事実である。これは、その地域に住む一人ひとりの市民が「自分の住む地域へのアイデンティティとは何か」、あるいは、「地域が有する潜在力とは何か」についての価値意識が低下していることに他ならない。
人間は、決して自分ひとりの力で育たない。様々な隣人を核とした地域コミュニティによって温かく見守られながら育まれ、心の豊かさを得ることで大人へと成長する。まさに、これらの「人財」が、やがて地域社会、あるいは国家の支える担い手となるのだ。しかしながら、「人財」を育む場である地域社会が崩壊に瀕することは、国家総体として危機的状況に陥るのではないだろうか。
地域社会の崩壊、希望の喪失―。上勝町のような「希望のまち」を作り、そのもとで、市民が幸福を実感できる環境を整備することにより、我が国の繁栄と幸福がもたらされるのではないかと考える。
崩壊寸前、崖っぷちの地域社会―。「希望」を見失った地域社会との決別を果たすため、今こそ、地域社会の崩壊の元凶となっている絡み合った糸を一つ一つ丹念に解き解し、「希望を作る」意義を率直に問い直すことで、今一度、「地域」の視点から、これからあるべき「国のかたち」を考えてみたい。
松下幸之助塾主は、著書『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』の中で、21世紀の我が国における理想的な地域の在り方として、次のように述べている。
「(中略)郷土の自然や先祖から続いてきた伝統の文化といったものにも愛着を感じ、それらを大切にし、生かしつつ、その地方の特色に応じた産業、文化の興隆、近代化をはかっていく姿になったのです。」
塾主は、21世紀の理想的な「国のかたち」として、積極的に地方分権を進め、各地域の伝統・文化・歴史を基盤とし、その地域の特色に応じた産業力や文化力を向上させ、ローカルカラーを鮮明化することへの重要性を主張している。
我が国が、第一産業から第二次産業への転換と高度経済成長、さらには、中央集権体制による急速な都市化を進めた結果、有効可住国土が3割に満たない日本において、過疎過密問題を引き起こし、人間の心的面や産業面においても様々な問題を起因させた。したがって、中央集権から分権化へと大きく舵を切ることで、人的、産業的(雇用)を地方へ分散させ、過疎過密を解消し、それぞれの特色や文化がある各地方で活動展開することで、各地方も繁栄し、日本総体としても物心一如の繁栄をもたらすのだ。
また塾主は、地方分権を進展させたその先にある将来ビジョン「廃県置州」を唱えている。「廃県置州」について『PHP 松下幸之助発言集第四十巻』で次のように述べている。
「今日の我が国はいわゆる『廃県置州』というものを断行すべきときに来ているのではないかと考える。(中略)現在の我が国の、実質的に中央集権的な色彩が強い政治制度を根本的に改めて、各州に独立国的な性格を与えるということであるが、もしこのような地方の自主性を大幅に認めた廃県置州というものを実施するならば、私はそこに従来にはなかった様々の効果を期待することができるように思う。」
ここに着目すべき塾主の主張がある。それは、「実質的に中央集権的な色彩が強い政治制度を根本的に改める」、「地方の自主性を大幅に認めた廃県置州というものを実施すべき」という点だ。つまり、明治維新以来、近代国家と富国強兵の名のもとに中央集権体制を整備・維持したが、この中央集権構造がもたらす全国画一的な政策展開が、地方の独自性や個性を喪失させ、さらには自主性すらも失わせたのである。塾主は、「国のかたち」を中央集権から地方分権へ、そして現在の「道州制」にもつながる「廃県置州」という国家ビジョンを描いたのである。
また、「廃県置州」について、続いて以下のように述べている。
「各州がそれぞれに自主性を持って、自らの責任において州の政治にあたるということになれば、それぞれの州がそれぞれに持っている特色を生かして、何とかより大きな発展をしよう、住みよい環境を作ろうと懸命になり、互いに競い合う姿というものが生まれてくるにちがいない。そういう競争が盛んになれば、各州間にいわゆる切磋琢磨の姿が現われ、そこにさまざまの創意工夫が生まれてきて、この面からも政治の生産性というものが非常に高まってくるし、いきおいその州に住むお互いの生活も、いろいろの面でより向上するといえるであろう。」
地方分権を深化させ、「廃県置州」とすることで、各地方間の切磋琢磨の姿が現われ、それがひいては、政治の生産性につながり、住民に対する公共サービスの提供システムの効率化が図られ、生産性の高い自治体経営が実現できる、と塾主は主張している。
地方の特色や独自性を基盤とした「分権論」、「廃県置州」という塾主の国家ビジョンは決して欠かしてはならない主張なのではないだろうか。なぜならば、地域の在り方とレーゾンデートルを明確化させ、そこに「国のかたち」という統治構造としてシステムを導入してこそ、地域に希望と繁栄、ひいては国家の繁栄につながるのである。
塾主の地域・国家の繁栄ビジョン―。
この視座を核として、地域が主体的な「国のかたち」という観点から、論を進めていく。
「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」
日本国憲法92条にある地方自治を定めた条文だ。
地域の主体性、あるいは地方分権論―。これに、憲法の眼鏡をかけて、法律論という視点から考察する。
そもそも、憲法とは何か。
こう問われると、誰もが「法体系上の最高法規」、「法典」、「不磨の大典」というイメージが先行している。これは決して異なる意味ではない。しかしながら、憲法にはもう一つの意味がある。それは、「骨格」、「エキス」、そして「国のかたち」という意味である。明治維新以降、政府は近代国家という姿を諸外国に示すため、大日本帝国憲法を制定するが、制定するにあたりドイツのワイマール憲法を参考したというのは有名な話だ。その際、「constitutional law」を「憲法典」と訳した。しかし、「constitution」には、「骨格」、「エキス」、そして「かたち」という意味があり、それを日本語として訳さなかったのである。このように考えれば、憲法とは「国のかたち」であり、換言すれば、「国のかたち」を法形式化したのが憲法なのだ。
ところが、戦後我が国が憲法論議を展開すれば、必ず九条論争を中心とした、自衛隊論争、安全保障論争に焦点が当たり、憲法論議=九条改正論議に終始され、憲法改正というイメージの過程化に囚われてきた。しかし、時代が変化し、「国のかたち」の変容に対し、本格的な議論をしなければならなかったにも拘らず、ここを避けてきたところに我が国の不幸があるのではないだろうか。
では、「憲法」=「国のかたち」として捉え、改めて、地方自治規定をみる。そうすると極めて奇妙な文言が目にとまる。それは、「地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」と規定だ。即ち、「法律によってこれを定める」と認めた瞬間に、地方自治の本旨及びそれに基づいた枠組みは、国会(=中央政府)が決定することを意味しており、中央政府のご威光と決定によって、地方政府の形や、税財政の仕組みが決まることを基本的に承認することになるのだ。まさに、中央政府と地方の主従関係を彷彿させるような規定ではないだろうか。
今まさに、地方分権議論が進展している。今こそ、中央政府と地方が対等平等の関係を憲法に書き込むと同時に、中央政府が握りしめてきた権限を地方に「授権」し、実質的な「地方政府」を作らなければならない。だからこそ、地方政府の権力はその基盤を住民に置き、なおかつその構成については憲法で授権されているということにしなければ、真の分権革命ではないのである。さらに、財政自主権や課税自主権、補完性の原則を憲法上も認める必要性が出てくる。結局、国のかたちとは統治機構の問題であり、憲法という最高の上位規範に書き込まれることによって、はじめて中央政府から自立した地方政府のかたちが定められる。ここまで、踏み込まなければ、いつまでたっても中央政府と地方の関係を主従関係であり、地域の自立の時代は到来しないのではないだろうか。
では、憲法上、「地方政府」と位置付けた瞬間に、次に問題となるのが「地方自治の本旨」という文言の「本旨とは何か」という問題だ。ここで、「地方自治の本旨」について考えてみたい。
一つは、補完性の原理が謳われなければならない。二つ目として、地方政府と中央政府の対等原則の明記化。三つ目は、条例は「実質的な意味での法律」であり法規範としての優劣がないことを確認し、条例制定権を認める。四つ目は課税自主権・財政自主権で、自らの財源で自らの行政サービスを提供すること。五つ目は、国法と条例が矛盾したり衝突した時の調整規定。この五項目を憲法上、地方に授権すれば、「地方政府」は確立できる。そして、地方政府の下で、地域の繁栄を成す仕組みは整備されると考える。
地方分権一括法ができて、機関委任事務が法定受託事務と自治事務に変わった。ところが、補助金問題を精査していく中でわかったことは、自治事務でも補助事業であるというものが相当残っている。自治事務と言いながら、各省庁には事業の実施要綱や補助要綱など昔の通達に基いて、陳情して事業を認可してもらい、かつ補助金をもらって事業を行うという形式が温存されている。そもそも霞ヶ関が自らの自己否定というか、事業を手放すことはない。この最たる事例が補助金申請の方式である。例えば、霞ヶ関の事業官庁がやっていることは、自治体に対して事業を許可し、補助金の交付を決定し、補助金と権限を二本だてで行使しているが、事業計画の作成事前協議からはじまって、事業計画承認申請、計画承認および内示、補助金の交付申請、補助金の交付決定、事業実施状況報告・概算払い手続き、補助金の実績報告、補助金の額の確定、事業完了報告・計画達成状況報告に至るまで、各省庁と、省庁の出先、県庁、地元の市町村と書類が何往復も行き来する。この作業には、人件費や事務費等を費やすと共に、人間も徹夜してとりくむことも行われているという実態がある。ここに分権問題の本質が現れているのではないかと考えると同時に、生産性という観点からも、全くナンセンスなことが行われている。
やはり、中央政府と地方政府の対等平等の原理原則を互いの共通認識、あるいは共有物として確認し、憲法という「国のかたち」で法規範として表現しない限り、真の分権革命が完結しえないのである。
中央集権構造から地方分権への潮流へ―。
これを考える上で、憲法論から「国のかたち」を描き、地方自治の本旨について述べてきた。しかし一方で、中央政府が地方へ権限を授権することで何が起こるのか。それは地方の側が、自ら考え、自ら行動し、自ら治める「自治・自立」の理念を持ち、自治体運営を成さなければならない。
しかしながら、そもそも、地方の政治指導者や住民が「自治・自立」を認識し、自己責任を持つことができるのか少々疑問であるという議論が必ず湧き出てくる。しかし、「できるところはすでにある、ということはどこでもできる」という決断をしない限り「自己統治」としての「自治」百年は河清を待つがごとしということになる。
「支配者と被支配者」、「統治者と被統治者」という区分けをし、かつそれを固定的であると思い込む思考形態から抜けられなくなっているが、「自治」を「自己統治」であると思い定める、あるいは考える癖があまりにも少なかった。自己統治をイメージできれば、それは住民なり市民がまずあって、「修身斉家 治国平天下」という中国の古語のように自分たちが政府をつくっていくという観念から出発する。しかし、戦後60数年にわたって「地方自治」と言いながら、地域住民が自己統治をする、そのための統治機構を自ら考え、自らつくり、自ら担っていくという気概はむしろ希薄化しているのではないか。
ヨーロッパやアメリカは、もともと社会を下から積み上げてきた。まず教会があって、学校ができて、警察官を雇って、それがコミュニティになり、話し合い・調整の機関として議会ができた。ところが日本の場合には、明治維新以降の中央集権・統一国家が絶対的であるという幻想が意識のうえで「実体化」しており、天皇制国家であったことも手伝って、中央集権的な国家が当たり前で地方は下請け機関だという発想からなかなか抜け出せないでいる。
そこから抜け出ていくためには、やはり「国のかたち」を変えることとして考えなければならない。憲法体系上、地方の自己統治はこのように考えなければならず、地域住民の人力や知力や体力が地方政府に提供されないとそれはできない、という当たり前のことを共有化する議論に収斂してこないことが問題を深刻化しているのである。
他方、補助金行政が続き、中央依存のモラルハザードを自治体に生み出し、中央も地方も莫大な財政赤字となっている。今、グローバライゼーション下で国家がどこまで国民の権利義務を守り、サービスを提供できるか。徴税とこれに基づく国民へのサービス換言のリスクを中央政府が取れるかということが大問題となっている。極論すれば、「国家はここまでしかできないから、あとは自分たちで勝手にやってください」ということの表現が地方分権ではないだろうか。
まさに今、歴史的地点に立ち至っているからこそ、地方側の、この間の「中央政府過剰依存症候群」から脱却を果たさねばならない。分権の受け皿たる機能を発揮するために、地方は今一度、「自治・自立」の理念に立ち返る必要がある。そこから、真の「希望」ある地域社会の実現と繁栄への道が切り拓かれるのだ。
制度面、法律面から、「自治・自立」した地方政府の構築―。果たして、これのみでいいのであろうか。最も忘れてはいけないのが、塾主も指摘する各地域に根付く伝統・文化・歴史に立脚した自治体経営である。すなわち、分権革命の根底潮流にあるローカル・アイデンティティを再構築し、そのもとで、そこに住む市民が納得・合意した上で、地域づくりに参画する姿を整備しなければならない。先にも触れたが、各地域には固有の文化、風土、気質があり、また誇るべきものは様々に存在する。その多様性を最大限活かすことこそ、分権革命の要諦といえよう。
「各地域に存在する地域固有のアイデンティティ」―。
これはまさに、地域コミュニティという空間の中で、醸成されたといっても過言ではない。日本全国の地域それぞれが持つ伝統・文化・歴史に価値を見出し、地域独自のローカル・アイデンティティを国家レベルに積み上げていく。
制度面からの「地方政府」の確立と、意識面からの「ローカル・アイデンティティ」の集積化。この双方の車の両輪が噛み合ってこそ、未来を切り拓く新しい「国のかたち」が形成され、真の「地域主権国家」へと大きく一歩踏み出すのだ。そして、地域の個性と特色を最大限活かした国家を創造することで、物心一如の繁栄への道が開かれると確信するものである。
徳島県上勝町で「いろどり」に携わる一人のおばあちゃんは、木の苗を植えながらこう言った。
「私は夢を植えとるんでよ。私が植えたもみじの葉っぱをきっと息子や孫が摘んでくれると信じとるんでわ。」
この町には「希望」がある。「夢」がある。この言葉を日本全国の全ての人々が発するためにも、「地域に希望を作る」ために惜しみない不断の努力と、真の地域主権国家の創造という理念とビジョンを必ずや実現したい。
【参考文献】
松下幸之助 『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』(PHP文庫、1994)
財団法人松下政経塾 『松下幸之助塾主政治理念研究会 資料』
江口克彦・前原誠司(編)地域主権研究会(著) 『日本を元気にする地域主権』(PHP研究所、2008)
Thesis
Daisuke Tange
第30期
たんげ・だいすけ
愛媛県今治市議/無所属
Mission
「熟議の議会改革と地方政府の確立」