論考

Thesis

もうハコモノ行政とは言わせない ~まちづくりのためのコミュニティ施設経営~

はじめに ―私からわたしたちへ―

 一本の矢は細くて折れやすい。誰も予想のつかないwithコロナの時代だからこそ、一本の矢を強くすると同時に、一本一本を結び合わせて丈夫にすることが求められる。2本、3本でも折れるのであれば、100本、1,000本、10,000本にすればいい。
他人事から自分事に。起点を「私」にし、個の集合体である「わたしたち」という言葉にこそ力強さが生まれてくる。一人ひとりの力を合わせた「わたしたち」の世界が必要なのではないか。

 2030年までに達成する目標として国連はSDGs(持続可能な開発目標)を宣言した。193の加盟国が全会一致で可決できたことは、国連設立以来初めてである。昨今、SDGs未来都市や、各企業がSDGs宣言を公表するなど、日本でも官民問わず取り組みが盛んになっている。一方で、その多くがSDGsのバッジをつけることを目的にしていないかと疑問を抱く。SDGsの本来の目的は、国連採択を受けた前文に「人間、地球及び繁栄のため」と書かれている。いわば、人類の生存戦略である。そのために17の目標を掲げ、広く社会を見渡しながら、自分の存在意義を再認識する重要性を説いている。人にはそれぞれに役割がある。自分ができないことを誰かがやり、誰かにできないことを自分が行っている。だからこそ、個人と社会の双方を理解したうえで、一人ひとりが何のために行動するのか目的やビジョンを明確に持ち、実践することが求められる。SDGsは私自身を強く持ち、わたしたちの世界へとつなげることを教えてくれる。

 主語をI(私)からWe(わたしたち)へ、We(わたしたち)からI(私)へと変化させることで、より本質的な行動へとつなげていく。これこそが、今求められている世界である。そして、その実現は、一人ひとりにとって身近なところから始めなくてはならない。人が暮らす地域という単位の改革が、肝要になると私は考える。


(図)わたしたち事 筆者作成


(図)世界を変えるための17の目標

第1部「再考」コミュニティ施設とは

1、民主主義は終わらないテーマ

 民主主義の実践は、人類の永遠のテーマである。

 「democracy(デモクラシー)」とも呼ばれる西欧的政治概念の起源は、古代ギリシャにまで遡り、「demos」(人民・民衆)と「kratia」(支配・権力)が名前の由来である。つまり、君主や貴族ではなく、人民が権力を持つこと(国民主権の政治制度や思想)である。そのため人民には「徳」といわれる「公共精神」(自由の気風・ポリスへの義務・自己犠牲の精神・遵法精神)が要求されていた。アテネの最盛期を築き上げた政治家の一人ペリクレスは、以下の様に述べている。

 “我々アテネ人は、どの国の政体をも羨望する必要のない政体を持っている。他国のものを真似して作った政体ではない。他国の方が手本にしたいと思う政治体制である。少数のものによって支配されるのではなく、市民の多数が参加する我らの国の政体は、民主制と呼ばれる。この政体下では、すべての市民は平等な権利を持つ。公的な生活に奉仕することによって与えられる名誉も、その人の努力と業績に応じて与えられるのであり、生まれや育ちによって与えられるのではない。貧しくとも、国家に利する行為をしたものは、その貧しさによって名誉から外されることはない。我々は、公的な生活に限らず私的な日常生活でも、完璧な自由を享受して生きている。アテネ市民の享受する自由は、疑いや嫉妬が渦巻くことさえ自由というほど、その完成度は高い。”[1]

 しかし、アテネの民主制は、すべての人が取り組むことを対象にしていたことにより崩壊した。決して適任ではない人たちが政治に参加し、全く機能しなくなったのである。そこで、人類は長い間、全部または大半の権力を、特定の少数の人々が握ることとした。ところが、17-18世紀になり、行き過ぎた権力の支配への市民の怒りが爆発し、市民革命となって「国民主権」「基本的人権の尊重」「法の支配」「民主的政治制度」の原型を整えていく。

 誰が権力を持つのか、人類は終わることのないテーマを抱えており、それは今も同じである。

2、民主主義は疲れる

 民主主義は疲れる。

 日本国憲法には「国民主権」が明記されている。国民が主権を持つということは、古代ギリシャのアテネも同様であったように、24時間365日ずっと国民が一つひとつの物事の決定や調整を行う責任が問われることになる。しかし、これは大変である。
自分は忙しくて取り組めない。誰かがやってくれるだろう。

 このような意識が働けば代表者に委任する間接民主制、議会制民主主義となり、代表は決めても白紙委任したわけではないとなれば、直接民主主義となる。つまり、物事の調整責任と決定権限は同様であるということである。自分たちで決めたいのであれば、面倒でも自分たちで調整責任を負う。人に委ねたのであれば、それに従わなければならない。しかし、今の社会はどうであろう。

 調整はできない。自分たちの要求はする。誰かにやってほしい。

 調整しないことが常になってしまえば、多数決で勝った方が負けた方を従える構図となる。しかし、負けた方の要求はさらにエスカレートし、誰かへの期待が膨らんでいく。その期待が最高潮に達した時、社会で大きなうねりとなって現れる。小泉郵政改革や、民主党政権の誕生もその一つである。しかし、期待が大きければ幻滅も大きくなり、また国民は新たな誰かを探し始める。日本の民主主義はこの繰り返しなのかもしれない。

 また、新型コロナウイルスの拡大が民主主義の曖昧さを露呈した。未曽有の危機に直面する今、世界各国は様々な対応を迫られている。アメリカや欧州では、政府や自治体が人々の移動や屋外活動を強制的に禁止するロックダウンが行われた。日本では、4月7日に東京と大阪を含む7都府県を対象地域として宣言が発令され、4月16日に全都道府県に拡大された。その特徴は、行政指導とはいうものの政府主導による強制力は弱く、あくまで国民による自粛を促す点であった。それは、5月25日の解除宣言後に顕著に表れ、第二波、第三波と感染が拡大し、逼迫した地域の都道府県知事が自衛隊に派遣要請をする事態となっても、政府や自治体は基本的に国民へ自粛をお願いするメッセージを発するのみであった。(2020年12月11日現在)共同通信やNHK、JNNなどの世論調査では、軒並み菅内閣への支持率が下がっている。決められない現政権に対して、ヒーローの出現を待っているかのようである。

 忙しいから誰かにやってほしい。権力を委ねられた政府も行使できずに、国民に節度ある行動をお願いする。

 今の日本は、調整責任も決定権限も国民は政府へ、政府は国民に求めてしまい、曖昧なものになってしまったのではないか。

3、民主主義のクッションの必要性

 現代は忙しい。

 仕事や家事などそれぞれが生活をしていくことに集中しており、ゆとりをなかなか生み出せない。私は松下政経塾へ入塾した年に、同期との共同研究「2050年の日本のビジョン 新・ゆとり社会」の中で、まちづくりにはわたしたち事の“間”(時間・空間・仲間)が必要であると述べた。民主主義も同様である。

 民主主義には、多くの資源が必要なのだ。

 物事を考えるための時間、自分の意見を安心して発言できる空間、共に学び合える仲間。そのすべてを一人ひとりに求めることは実際問題難しい。だからこそ、効率よく、質の高い資源を用意する環境が必要なのである。

 ヒーローの登場以上に大切なのは、調整することなのではないか。世の中に正しいも悪いもない。どちらかを制すること以上に、完全な合意は難しくても、大きな方向性を皆で向けるようにすることに価値がある。

 ○○賛成!△△反対!

 このような一方通行のやりとりではなく、双方が安心して意見を表現でき、受け止め、皆が少しずつ前に進んでいくことのできる環境が必要なのである。

 今、日本にはこのようなクッションがない。

4、戦後の民主主義―寺中作雄氏の公民館構想―

 戦後の日本には民主主義のクッションがあった。

 第二次世界大戦後、日本は戦争への道に突き進んだ過去を反省から、平和国家再建を模索し、国民が文化的教養を身につけ、主体的に行動できる新たな民主主義を築くことが急務であった。

 当時、文部省の社会教育課長であった寺中作雄氏は、新たな民主主義の実現のために公民教育が必要であると考え、公民館構想を打ち立てた。著書「公民教育の振興と公民館の構想[2]」の中で、国民一人ひとりに課せられた義務と使命について以下のように言及をしている。

“此の仕事は、従来の様に、上からの命令を俟って唯々として其の指示の侭に動くとか、一定の方針に従って其の方針の侭に進むとか言ふものではなく、国民自身の仕事として、国民の意思と力を以てやり遂げなければならない仕事である。命令を下し、方針を定める仕事も亦国民自身が研究し、国民自身が共同して作り上げてゆくのである。それは民主主義の使命であり、民主主義の本領である”

 寺中氏は、公民館を民主主義の訓練所とも呼んでいた。時間・空間・仲間を効率よく、質を高く整える環境を築こうとしたのである。また、公民教育の本質を、「自己と社会の関係の捉え方」に見出している。

 “自己とは社会に於ける自覚的個性の存在であり、社会我である。社会の中に自己を見出すと共に、自己の中に社会を見出すことが近代の特徴であり、現代人の任務である。そしてこれこそが「人の人たる所以」である。”

 これは、SDGsの概念にも近いのではないか。個人と社会の双方を理解したうえで、一人ひとりが役割をもって実践する。私という個人を強くし、その集合体であるわたしたちという世界を築こうとするものである。

 寺中氏は、この公民教育を実現するために3つの柱の必要性を説いている。公民教育とは、第一に“実践教育”であり、自ら団体を構成し、その運営を担うことで目的を達成できるとした。第二に“相互教育”とし、それぞれが体得したことを相互に研究、批判し、討論することが必要であるということ、第三に“総合教育”とし、立憲人としての自覚に立ち、確固たる政治的見識を身に着け社会的教養を獲得するとしながらも、政治のみならず幅広い、生涯学習が行われることを期待したのである。

 こうした議論の末、1946年に文部省の通達により公民館の設置が奨励され、1947年の教育基本法、1949年の社会教育法の公布・施行に基づき、全国各地に公民館は整備された。その数、14,000館。基礎自治体の数が1,718、中学校の校数が10,000校(国公私立合算)と考えると、規模が大きい。世界でも、これだけ公的かつ各地に整えていることは珍しく、英語でもKOMINKANと呼ばれている。

公民館構想は日本オリジナルの政策なのである。

5、地方自治は民主主義の学校のはずだが…

 地方自治は民主主義の学校である。

 これはイギリスの政治家ジェームズ・ブライスが述べた言葉である。

 国民に主権がある中で、地方自治は住民が暮らす地域を対象にしているため、住民の意見を反映させやすい体制になる。日本では、日本国憲法第8章に地方自治が規定されている。92条には、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨にも基づいて、法律でこれを定める」[3]とされ、1947年に地方自治法が制定された。

 地方自治の本旨とは、住民自治と団体自治の二つの要素からなる。住民自治とは、地方自治が住民の意思に基づいて行われるという民主主義的要素であり、団体自治とは、地方自治が国から独立した団体に委ねられ、団体自らの意思と責任の下でなされるという自由主義的・地方分権的要素であると言われている。[4]

 日本は地方自治を推進するため様々な政策を行った。特に、1900年代以降、「官から民へ」「国から地方へ」というスローガンの下で、政治改革、行政改革の一環として規制緩和とともに地方分権改革[5]が活発化した。1995年の地方分権推進法や、2000年の地方分権一括法、2007年の行政改革推進法、2015年にはまち・ひとしごと創生法が施行された。都道府県や市町村に地域独自の総合戦略の立案を求め、その達成にむけて国が自治体へ補助金を提供する仕組みとなった。

 しかし、これだけ大きく改革が推進されながら、私たちは自治を実感することができているだろうか。日本財団による18歳意識調査[6]の一つの項目。

 「自分で国や社会を変えられると思う。」

あると回答した若者の割合が、日本は先進国で最下位である。制度という外面以上に精神という内面の重要性があるのではないだろうか。思えば、日本が行ってきた分権改革は「団体自治」の拡充にのみ寄与しており、住民自治の視点に欠けていることに大きな落とし穴がある。いくら各自治体に権限が与えられたとしても、その自治体に住む人たちが自ら地域のことを調整し、決断、実践する「住民自治」の精神が充分に働くことをなしにして、民主主義を達成することは難しい。

 戦後、寺中氏の構想が明確な理念をもって確立しながら、なぜこのような状況になってしまったのだろうか。

6、日本のコミュニティ施設はハコモノか

 現在、既存のコミュニティ施設は批判の的になっている。

 日本は公民館をはじめとするコミュニティ施設を全国各地に整え、どこでも全国一律に、公的サービスを受けることができるようにした。しかし、利用者が固定化・高齢化し、行財政を悪化させる“ハコモノ施設”と呼ばれ、批判も受けている。

 最後にコミュニティ施設を使ったことがあるのはいつかと問えば、覚えていない、行ったことがないという方も多いのではないか。残念ながら、今のコミュニティ施設は、寺中氏が説いた①実践教育、②相互教育、③総合教育の場として住民の身近な存在となってはいない。

 行財政の批判を受け、近年、コミュニティ施設は公民連携の方式を採用させ、PPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)やPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)を活用し、経営を見直す動きが加速している。


(表)公民連携(PPP)手法の類型整理[7]

 表のように、コミュニティ施設は各自治体で様々な経営形態がとられ、そのかたちは一層多様化した。しかし、新たな問題も浮上している。コミュニティ施設の経営の変化に伴い、地域と住民が一体となる仕組みを築くことのできた施設と、うまくいかず急速に力を失う施設との差が如実に表れたのである。

 一方で、既存のコミュニティ施設の風当たりは強いものの、居場所の必要性は強く主張され、多くの自治体では新たな施設を次々と建設している。これまでの検証が行われていないにも関わらず、新しいものを築いても一時の効果しか望めないのではないか。施設をきれいにし、名称を変更するのは単にかたちを整えたにすぎない。

 外面以上に内面の、より本質的な改革が、今求められているのである。

7、福島のコミュニティ施設の現状

 福島はコミュニティ施設王国である。

 福島県は、寺中構想が確立した後、1951年に全国に先駆けて設置100%を実現している。市政について語る会や、体育祭の拠点、まちの台所、さらには結婚式にも利用されるなど、まちの象徴たる場所こそが公民館であった。人材育成にも注力し、公民館を担う指導者への研修体制の充実や、確かな給与の確保、広報協力を行うなど、歴史的に見れば、福島は生涯学習に対して極めて積極的に取り組んでいた。まさに①実践教育、②相互教育、③総合教育の場として存在し、住民の憩いの場といえる。福島は、歴史的にコミュニティ施設に対して高い意識がある。

 福島市は、2005年に公民館を学習センターと名称を変え、総合学習支援施設として整えてきた。主催事業には、高齢者学級・家庭教育学級・女性学級・少年学級・青年学級など、年代別に講座を分けて各地区で行われている。福島市には16の学習センターの他に、子どもの夢を育む施設として「こむこむ」(2005年設立)と、幅広い年代の方が世代間交流を図れる施設として「アオウゼ」(2010年設立)を駅前に設置するなど、数多くのコミュニティ施設が存在している。

 コミュニティ施設の維持にはお金がかかる。

 「福島市公共施設等総合管理計画[8]」によると、公共施設やインフラ資産など福島市が保有する資産は令和元年ベースで固定資産が約6,794億円である。福島市には699の公共施設があり、約4割は小中学校などの教育施設である。福島市の固定資産の特徴は、多くの故郷施設が昭和40年代後半から昭和60年代にかけて整備されており、築30年を経過する施設が多く、今後10年で一斉に更新時期を迎えることにある。市全体の固定資産に対する減価償却率は60%となっている。今後40年間に、公共施設及びインフラ資産の回収・更新に係る費用は約9,505億円と推計されている。これは、毎年101.7億円不足する計算になり、この額は福島市の一般会計予算(1170億円)のおよそ1割に当たる。これまでと同等の施策やサービスを継続することは非常に困難になることが予測される。

 福島市の人口構造は変化する。

 福島市は令和2年ベースで、人口が約28万人である。人口動態では、社会要因がここ数年で減少、自然要因は継続的に減少傾向にある。復興需要の関係から社会要因が増加・減少繰り返しており、安定していない。高齢化率は令和元年ベースで31.5%だが、地区によっては55%になるなど、急速に高齢社会が進んでいる。この中で、コミュニティ施設の適切な在り方を考えなくては、財政がますます厳しくなってしまう。

 一方で、福島県の人口構造も同様である。

 東日本大震災以降、各地で居場所づくりが求められ、多くのコミュニティ施設ができた。しかし、人口構造の変化は、社会要因は復興需要に比例し、自然要因は他の地域と同じく減少傾向にある。福島市と同様に、同じサービスを維持するのは困難な状況である。
財政事情が厳しい中、コミュニティ施設にあがる多くの批判の声にも応えなくてはならない。コミュニティ施設は、まさにそれぞれの地域で正念場を迎えている。

8、コミュニティ施設の可能性

 まちづくりの基本は、「ないものねだりではなく、あるもの活かし」である。

 たしかに、今のコミュニティ施設は課題が多い。しかし、可能性の宝庫なのではないか。全国各地に設置し、公的に展開してきた日本だからこそ、目指せる世界がある。戦後日本が、荒廃した土地から復興を願い、公民館政策に託した寺中氏の精神に立ち返り、コミュニティ施設から疲弊した地域の希望を見出したい。

 時代は昭和から平成、平成から令和へと流れた。個人情報の取り扱いが厳しくなったり、技術が進化する中で一人で生きていくことができるようになったり、人と接する機会や必要性が以前と比べて減っているのかもしれない。コミュニティ施設も、社会教育という展開以上に、生涯学習という個人に着目した取り組みが多くなっている。

 今後、疲弊する地域では、素敵な話だけではなく、過酷で辛い決断を迫られることもあるだろう。だからこそ、一人ひとりが社会参画した強い民主主義が必要であり、それを実現するための地方自治を整えることが急務である。

 寺中氏の想いを受け継ぎ、国内外の事例を研究して、求められるコミュニティ施設の理念を再定義し、実践を試みたい。コミュニティ施設の可能性を最大限に引き出すことで、新しい民主主義・地方自治の扉を開くのである。

第2部 「徹底的現場主義」政経塾生としてコミュニティ経営研修

1、アオウゼの事業統括コーディネーター就任

 コミュニティ施設改革の実践者へ。

 私は、ご縁を頂き、2019年度から福島市のコミュニティ施設「アオウゼ」にて事業統括コーディネーターを務めている。アオウゼは、2010年に設立された施設であり、以来行政が運営を担ってきた。2019年度に指定管理制度が導入され、(株)福島まちづくりセンターが運営することとなった。アオウゼは、市民ボランティアと職員が協働で事業企画を行っており、その規模は年間500を超え、利用者数は60万人に達している。県内最大規模のコミュニティ施設といえる。

 しかし、アオウゼも他のコミュニティ施設と同様に、利用者の固定化、高齢化が課題であった。事業の幅も生涯学習が中心となっていたため、その基盤を活かしながら、民主主義の実現や地方自治を構築するための方法を考え、実践する挑戦が始まった。
ここでは、アオウゼでの実践をする際に、非常に参考にした国内外のコミュニティ施設経営の研修内容を確認する。


(写真)アオウゼにて

2、ドイツのコミュニティ政策からみえる可能性

 単身ドイツへ。

 2018年度の冬、アオウゼの事業統括コーディネーターに就任する直前、ドイツのコミュニティ政策(Quartiersmanagement)を学びに行き、現場を仕切るコミュニティマネージャーたちと過ごした。彼らは私に何のために事業を行うかを説いた。日本ではコミュニティ施設の評価は、参加者数、事業企画数など数で決められる。アオウゼの達成目標も同様であった。しかし、彼らははっきりと、

「それは自己満足にすぎない」

と伝えてくれた。誰がまちの主役か、子どもからシニアまで全員が参加しやすい工夫をとことん考え抜くことがコミュニティの役目であると教えてくれた。実際、まちづくりに関するフォーラムを開けば、運営者も住民。参加者は学生からシニアまで参加し、活発な議論が交わされていた。壁には賛否両論の意見と、票数、達成までのスケジュールや予算計画まで示されている。議論ができない子どもたちには、様々な表現方法を用意し、声に耳を傾ける。例えば、新しい公園をつくる際、子どもに対しても、理想の公園像を粘土で作ったり、既存の公園に遊びに行き、その公園が好きか嫌いか風船を挙げて意思表示を行ったりしていた。

 この政策は、住民が自らコミュニティを維持できるようになれば支援が終了する仕組みとなっていた。マネージャーは卒業を目指してコミュニティ経営を住民と共に実践していた。主体が行政にあるか、住民にあるか明らかであった。


(写真)ドイツにて各地区のマネージャーの皆さんと

3、スウェーデンの高校から見た国政選挙

 スウェーデンで感じた“対話”の力。

 ドイツを訪れた同年、スウェーデンの国政選挙の実態を調べに現地に訪れた際、対話の重要性を考えさせられた。スウェーデンの選挙は日本では考えることのできない派手さがある。駅も各党の色に染められ、まち全体が各党のポスターで彩られる。まちが選挙一色となる。主要駅では、各政党が支持をうったえるためのブースが用意されるが、政党の大きさには関係なく、公平に準備されていた。ポスターが非常に多く目立っていたが、いたずらなどはほんの一部で、一人ひとりが民度高く選挙を行っていた。今回の選挙の投票率は、87.18%と日本と比較して圧倒的な高さであった。なぜ、スウェーデンでは可能なのだろうか。

 それは、高校教育と対話の文化にある。

 私は、Tumba高校に視察に訪れたが、高校では模擬選挙が行われ、各党の政策を生徒自らが演説し合い、本物の投票箱と投票用紙を用意して行っていた。その運営もすべて学生が担っていた。模擬選挙の際に演じる政党は、直前に決まるという。学生の内から、本物の環境を用意して、真剣に議論する文化がスウェーデンにはある。

 また、FIKA というコーヒーやお菓子と一緒に気楽に対話する文化がある。たとえ仕事であってもこの時間を大切にし、あらゆる方々とコミュニケーションをとっていた。ビジネスマンの方に話を聞いた際、このFIKAで得たアイデアをもとに商品開発を行ったり、世界事情を理解してマーケティングを行ったりすることもあるといっていた。安心して気楽に話せる空間は、一見時間を割いているように思えるが、実は物事を円滑に進める近道になることも多いのである。


(写真)スウェーデンの高校視察

4、斎川公民館の主催事業

 日本に寺中構想を体現した場所があった。

 2020年8月、福島県市町村社会教育担当者研修会にて講演する機会を頂いた。その際、文部科学省主催の第72回公民館大賞に輝いた宮城県白石市斎川公民館の畑中多賀男氏(館長)と佐藤幸枝氏(事務長)と出逢った。シンポジウムを行わせていただいたが、鳥肌がたった。寺中氏が描いた像がそこにあったのだ。

 斎川地区は、人口960人で高齢化率43%の町である。小学校や中学校も統廃合されたが、地域存続の危機意識から、住民が本気になったという。一人ひとりの考え・要望を把握するために、中学生以上の全地区民対象のアンケート調査を行い、若者の声を聴くための年代別の学習会、若者と高齢者がつながるためのSNS学習会など、あの手この手の取り組みを行った。この地域を次世代に、無理なく託せるよう地域組織を立て直すことに踏み出したのだ。

 面倒くさい。忙しい。

 この声は、斎川地区でも同様に聞こえていた。アンケートの結果によると、H30年度の取り組みは、地域の役員の活動は合計で年間5,133時間となり、1日あたり14.1時間となる。活動回数は年間817であり、1日あたり2.2回。役員・従事者数は2,875人にもなり、人口が940人にもかかわらず、住民一人当たり3役担っている計算になる。これは、赤ちゃんも含めての数になるため、生産年齢人口が担っている負担は計り知れない。

 そこで、畑中館長や佐藤事務長は、行事・会議・組織の棚卸を行った。役職を統合し、行事の掛け合わせを行い、本当に地域に必要なものを見極める調整を住民たちと何度も何度も協議し合ったのである。その信頼関係から、斎川地区では行事も住民が運営をしている。地域円卓会議やささえあいマップづくりなど、地域が抱える課題を老若男女で確認し合い、個々がもっている情報を地図に落とし込み、暮らしやすい環境を自分たちの力で整えていた。

 まさに、寺中氏が説いた①実践教育、②相互教育、③総合教育の場が斎川公民館では整っていたのである。


(図)河北新聞 2020年2月18日

5、現場研修から感じたコミュニティ施設の要諦

 現場から感じたコミュニティ施設に求められること。

 第一に住民に好かれることである。

 コミュニティ施設は事業を提供している。しかし、その利用者は高齢化・固定化している場合が多い。だから、提供する側は人が来ない、利用する側は一部の者しか使っていないと不満がたまる。人が来ないのであれば、その工夫をドイツの様にとことん考え抜く必要がある。面倒くさいが理由であれば、斎川公民館の様に棚卸し、本当に必要なことを見極めて整理し、無理することない範囲で参加できるよう考える必要がある。提供する側も、利用する側も、その地区のニーズを理解することが大切である。

 第二に、理念である。

なぜこの地区にコミュニティ施設が必要なのか。ドイツでも斎川地区でも、問題を解決するため、地域存続の危機意識から住民の行動が変わった。なんのためにコミュニティ施設があるのか、寺中構想などを参考にしながら、自分たちの地区のニーズを整理し、理念をまとめていくことが大切である。

 第三に、文化である。

 何を話し合うにしても、自分の意見を安心して表現できることが重要である。緊張して言えなかったり、大きな声の人が目立ったりすることはなくさなくてはならない。スウェーデンの様に、学生にもリアルに体感する環境を整えたり、地域として対話の文化をつくっていくことも有用であろう。表現活動を多様化することが大切である。

 昔はつながりが強い。今はつながりが希薄という方もいるかもしれない。

しかし、昔はある意味で「~しなければいけない」というつながりが主だったかもしれない。現在はSNSなどのテクノロジーによって、人は場所や時間に関係なく気軽につながることができる。そういう意味では、自分の興味に合わせて選択が可能になったといえる。自分が無理なく自己実現できる社会を目指すことができる。

 個人のゆとりとは、一人ひとりのわくわくする気持ちや自分の存在が認められているという満足感から生まれてくる。わたしたち事とは、そうした一人ひとりの想いと、その他の人の悩みやまちが抱える社会的課題が合わさっていくときに育まれるものである。まさに、コミュニティ施設は、地域にこれらの実践と共感の循環を生み出すものである。

 民主主義の確立と、それを実現する地方自治の仕組みには、コミュニティ施設は不可欠な存在であると、国内外の事例からも私は感じている。

第3部 「緊急提言」コミュニティ施設改革で地域をこう変える!

1、私が目指すコミュニティ施設の理念

 私が考えるコミュニティ施設の理念は、「わたしたち事」である。

 学生も、シニアも、あらゆる職業の人が、老若男女、国籍、障がい問わず分け隔てなく集い、誰もが気軽に・楽しく・真剣に、話し合い、考え決断して実践できる状態である。
その達成のために、地域の一人ひとりが主体となり、教え教わり合う学びの環境を築く必要がある。自分の生い立ちでもいい、趣味や仕事のことでもいい、それぞれが主役となる環境を、工夫を凝らして作っていく。そうして、一人ひとりが安心して表現できる環境をつくり、対話の文化を構築する。共通の話題の中から連携し、実践に移せる土壌を築く。このように、誰かが先生なり生徒になるのではなく、お互いが学び合う半学半教の精神を大切にし、「表現、対話、連携、実践」のサイクルが回る事業を確立することがコミュニティ施設の目標となると考える。

 このオリジナリティーは、コミュニティ施設が半学半教の精神を養うために、一人ひとりを主役にすることにある。例えるなら、盆踊りである。盆踊りでは、先にシニア層が歌い、太鼓や笛を鳴らし、その音に合わせて周りを人々が躍り、食べ、飲み、会話する。しかしその後、演奏側がシニア層から中堅層にバトンタッチされる。そして、その後、演奏は子どもに任されていく。このように、一人ひとりが主役になることによって、まちは盛り上がり、まちの文化や伝統を遊び、体験しながら自然と学ぶことができる。そしてこの演奏役を、まちの人全てができるようにすることで、まち中の人の顔が見え、そのつながりがまちを強くするのである。


(図)コミュニティ施設が目指す目標のサイクル

2、アオウゼの実践

 アオウゼは青春の場。

 私は、アオウゼの事業統括コーディネーターとして、職員とサポーターと共に事業を展開してきた。アオウゼのサポーターは、職員の手伝いをする存在ではなく、自ら企画を考え、運営する実践集団である。アオウゼが設立する前から、どんな施設にするべきか議論し合ってきた経緯がある。いつ来ても、誰が来ても何かやっているという姿を目指してきた。

 そこで、まず取り組んだことが理念の整理である。話し合いを重ね、アオウゼが達成したい像としてコンセプトを「いくつ“で”あっても今が旬」と定めた。「いくつ“に”なっても」ではないのは、子どもからシニアまで分け隔てしない感覚を大切にしたかったからである。ここからアオウゼは、多世代交流と地域交流によって福島市の一人ひとりが主役となり青春を感じられる社会を目指し、事業を展開することとなった。


(図)アオウゼの方針

 これまでのアオウゼは、来館した方に生涯学習を届けることが主であったが、積極的に地域に出て協力してくださる方を探し、コラボした事業を手掛けることを意識した。時には商店と連携し地域経済の潤滑油となり、時には学生が挑戦・表現できる教育の場となる。新しいことに挑戦していることもあり、批判の声も上がったが、とにかくやり続けていくことにした。

 しかし、ここに新型コロナウイルスが襲いかかる。

 福島市の措置に基づき、アオウゼも4月19日から5月18日まで休館となった。普段、「会う・集う」ことを目的に持つコミュニティ施設が、「会わない」ことを要請されたときに何もできないのか。私は職員だけではなく、地域の人にもオンラインで協力いただき、コミュニティ施設の使命を考え続けた。

どんな状況であっても、学びを止めない。

どんな状況であっても、地域のつながりを深めていく。

 わたしたちの出した結論である。一人ひとりが主役となる世界の実現のために、リアルがだめならオンラインをと、Youtubeチャンネルを開設した。施設再開後も、オンラインとオフラインの融合によって、さらに深い学びとつながりが築けないか挑戦を続けている。

 市内高校生有志が運営する高校生フェスティバルを、コロナ禍でありながらアオウゼが共催となり実施できたのも、コミュニティ施設とオンラインの可能性を高校生たちと諦めずに議論し、行政や学校側の理解を得ることができたからである。

 平時も有事もコミュニティ施設は地域の要であり、一人ひとりの青春の場となれると確信した。

3、福島市コミュニティ施設アオウゼの課題

 しかし、2年間の実践を通して、アオウゼが抱える課題も感じることがある。

 それは、アオウゼが単にサービスを提供する施設と住民から思われている点である。2010年から行政が運営してきたことを通して、事業を用意することが当たり前、無料で提供することが当たり前となってしまった。事業を提供する側と、受ける側の距離が非常に開いており、まちと共にアオウゼを成長させようと、住民と共に考え、実践する場にはまだまだ到達していない。

 また、行政の魔物さも感じている。事業を行う際も安心感のある話題が好まれ、特に賛否が分かれるものを取り上げづらい傾向がある。例えば、憲法・震災・安全保障など、政府と反対の意見が根強く存在する分野については、過去に事業化が避けられた経緯もあることを知った。学び合いの大切さを説きながら、矛盾があるように感じた。

 指定管理制度によって、市の行政領域だけではなく、県や国、民間や教育機関などと積極的コラボする機会を設けたため、事業の幅を広げることができた。しかし、この制度も完璧ではない。運営を民間に任せるといえども、はっきりしない。台風19号、新型コロナウイルスなどの有事に、現場対応の在り方について打診をしても権利と責任が曖昧で、判断ができない状態も続いた。市内にある各コミュニティ施設も所管課が異なるためか、それぞれの対応に違いがあり、矛盾を感じざるを得なかった。また、認定期間が5年で一区切りするため、長期スパンでの戦略が非常に立てづらい。評価軸も行政の指導に基づいているため、結果的に毎年同じことをしていた方が楽になってしまう。経理では、利益の科目が存在しないため、持続可能な経営を行うことが非常に難しい。一方、このような縛りは、指定管理業者が暴走しないようにするためのものと解釈することもできる。

 コミュニティ施設が、「民主主義の練習場」として機能するには、住民と共にまちのこと、その施設のことを考え、実践することが不可欠である。その上で、行政は市内に有するコミュニティ施設運営の管轄を一元化させる覚悟が求められる。行政評価は、数ではなく、いかに住民を主役にできたかに重点を置くようにし、コミュニティ施設から生み出された意見は速やかに整理し実施する体制を築くのが望ましいだろう。これらは、それを決定できる首長や議会の力も必要となってくる。

 しかし、まずはコミュニティ施設ができることを最大限取り組まなくては、その世界も切り開けない。だからこそ、アオウゼが先頭に立って、動き出さなくてはならないのである。

4、コミュニティ施設が補完し得る行政機能

 コミュニティ施設は、行政機能をリードし補完し得る。

 行政を説得するには、コミュニティ施設の意義が、「一人ひとりが主役となり青春を感じられる社会」だと理解を得られづらい。具体的にどんな市政運営に役立つのか明確に定義する必要がある。ここでは、コミュニティ施設が、地域をどのように変える力を持っているかを具体的に5分野(健康・経済・危機管理・教育・自治)から指し示したい。

(1)生きがい創出から健康の伴走

 コミュニティ施設があらゆる方面の事業を企画することにより、住民の福祉が向上し、地域の魅力を次々と発見できるようにする。多世代に渡りコミュニティ施設を憩いかつ、遊び、学びの場とする。

 人生100年と言われる時代、最も大切なことはいかに健康でいられるかである。健康でい続けるためには、身体的なことだけではなく、自分を知り、地域を知り、世界を知り、自分の生きがいを見つけ行動する心理的な側面も必要である。日本は長寿社会といわれるものの、日本人の平均寿命は男女ともに80歳代、健康寿命は70歳代と、10年の差がある[9] 。高齢社会である今だからこそ、コミュニティ施設の存在が一人ひとりの健康を支え得るのである。

(2)地域内循環を生み出す経済の潤滑油

 コミュニティ施設の事業を通して、地元企業を紹介したり、コラボ企画を行ったりするなど、まちに賑わいをもたらし、経済を活性化させる。地域経済にとって、内資と外資の調和を不可欠である。自分の地域の外から来る会社は、多くの資本と雇用を生み出し、経済を支える力となる。しかし、外資は企業であり、マーケットがあるから来るのであり、そこに投資的価値がないと判断すれば撤退する。外資に頼りきった地域は自立することが困難である。外資は補完であり、地域経済は自分たちの力で生み出す信念が必要である。

 コミュニティ施設が、地元企業の代表や店主たちと交流の輪を広げ、この地域には素敵な人が多いのだと広く発信することで、地域経済の基盤を築き上げるのである。

(3)命を守るプラットフォーム

 有事に災害拠点となるコミュニティ施設だからこそ、住民の命を守るためにシミュレーション訓練を積極的に行うなど、危機管理への住民意識を高める主体となる。実際に東日本大震災、台風19号などで避難した人たちが集った場所はコミュニティ施設であった。普段からコミュニティ施設を利用し、地域の人たちの顔を認識していたら、「○○さんのとこは大丈夫か?」「協力して一緒に取り組もう」などといった対応が柔軟に可能になる。

 有事は、様々な情報が飛び交い混乱を招きやすい。だからこそ、最悪のケースを想定(Assumption)し、各フェーズの最善の行動を整理させることを指示し(Better)、各自治体、国民にも共有した上で、冷静に行動することを求めることが必要である(Calm)。私は、これを「危機管理のABC」と呼んでいる。コミュニティ施設は普段から危機管理を意識した経営を心掛けなければならない。

(4)学校教育から学公教育

 コミュニティ施設が小中高大全ての教育機関と連携し合い、学校教育で担いきれない郷土学や地元学、キャリア教育などの機能を補完する。また、学生の学びを披露する場としても活用する。新たな学習としてアクティブラーニングの必要性が叫ばれている。これは、学習者である生徒が受動的となってしまう授業を行うのではなく、能動的に学ぶことができるような授業を行う学習方法である。2012年に中央教育審議会では、生徒が能動的に学ぶことによって「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る[10]」としている。

 コミュニティ施設が実践の場として、学生と共に事業を企画し、運営まで携わることで、新しい学習を補完することができる。また、コミュニティ施設がもつ地域のつながりから、地域にいる素敵な大人たちと出逢い、自分自身のロールモデルを探すことも可能になる。

(5)地域のことは地域で決める

 コミュニティ施設が中心となって、まちづくり政策について意見を収集し、行政に提言する体制を整える。そもそも公民館ができた背景の一つには、改憲議論を住民間で活発に行われるようにするためという目的があった。しかし、現状は賛成と反対の意見を議論し合う空間にはなっていない。むしろ、そういう住民が真っ二つに分かれるような議論は避けている。事実、アオウゼでも行政が運営していた際、原子力発電所事故に関する事業に慎重になっていた。公民館ができた背景を今一度考えたい。住民間で意見が分かれる議題こそ、積極的に取り組み、賛成も反対も自由に表現し合える環境を築かなくてはならない。今、地域に突き付けられている課題は数多い。厳しい決断を迫られることもあるだろう。だからこそ、互いの利害関係を超えて地域として進むべき道を歩みたい。コミュニティ施設はその土台となれる。

5、福島第一原子力発電所の廃炉で感じた未来の作り方

 10年間で32兆円から、5年間で1.6兆円に。

 復興庁は、2021~2025年度を「第2期復興・創生期間」と位置づけ、1.6兆円の事業費を計上した。2011~2020年度の復興予算が約32兆円だったことを含めて考えるとその規模は激減する。これまで以上に、最小の資源で最大の効果を生み出す必要がある。

 東日本大震災の教訓の一つである、福島第一原子力発電所事故。現場では、廃炉作業が続いており、まだまだ先が見えない。廃炉作業の問題は、大きく①処理水、②燃料デブリ、③働く環境に分けられている。現場から未来を探すために、私は資源エネルギー庁の木野正登氏の協力を受けながら何度も足を運んだ。

 敷地内には、高さ約12mのタンクがハチの巣状にそびえたつ。タンクには、汚染水に含まれる放射性物質を多核種除去設備などで浄化した処理水が溜まっている。震災から10年。敷地という敷地にタンクの置き場をつくり、1000基以上、約137万㎥分が建設される。もうこれ以上の置き場はない。今のペースのままでいくと、2022年の夏にはこれらすべてのタンクが満水になる。何とかしなくてはならない。

 処理水への疑問や不安は多い。地元だけではなく、多くのメディアが処理水を海洋放出反対!と取り上げている。しかし、私は現場で光を見た。それは、漁業関係者と共に敷地内を視察した際、膨大なタンクの量の説明を受けていた時、その方が、

「海洋放出は困る。・・・けど。」

一度言葉に詰まった後、決して大きな声ではなく、自らに言い聞かせるように言ったのだ。

「なんとかしないとまずいな」

 物事は賛成反対の二分論ではない。どちらかが正しい、悪いのではない。そこにあるの は、過去の人の努力と、今の人の暮らしと、未来への責任である。互いが事実を受け止め、声なき声に耳を傾けた時、はじめて同じ方向性を向けることができるのではないか。答えは現場にある。力のある人の言葉でも、SNS上の言葉でもない。その地区、その現場にある声なき声に耳を傾けなくてはならない。

 廃炉は、処理水だけが問題ではない。燃料デブリの取り出しは、まだまだこれからである。処理水をつくる際に用いた機械類の廃棄法も目途が立たない。汚染土に関しては、政府は福島県内の中間貯蔵施設に置き、30年後に県外に出すと方針を述べているが、信用できるものなのか。

 誰も答えられない問いだからこそ、逃げてはいけない。一人で抱え込んではいけない。今の地域はどこも苦しい。違う課題で福島と同じような境遇を迎えることもあるだろう。
だからこそ、この国にはクッションが必要なのだ。




(写真)木野正登氏と複数開催した廃炉視察

6、小さく強い自治が日本の未来を築く

 コミュニティ施設は、世の中のクッションとなりうる。

 コミュニティ施設が、世の中のひずみを事実として受け止め、一人ひとりの表現を大切にし対話を重ねる文化を築き、連携、実践し合える土壌を整える。これが、全国各地14,000館に波及したらどうだろう。きっと、コミュニティ施設が住民主体のまちづくりの礎となるに違いない。一つひとつのコミュニティ施設には無限の可能性が秘められている。

 あるものを最大限に生かすことで、不必要に財源を使うことなく、各地域に多くの効果を生み出すことができる。アオウゼは、指定管理制度の導入をし押して多くのコストを削減した中で、事業を多様化することに成功した。まだまだコミュニティ施設は変われるのだ。

 今こそ、コミュニティ施設から民主主義の実現と地方自治制度を整えよう。

 現在の地方自治制度は、明治維新から150年間大きな変更はない。江戸時代では飛脚だった通信手段も、今は携帯ひとつで瞬時に行える。時代に即した地方自治を実現しなくてはならない。市町村合併や広域連携、移住促進、ふるさと納税など、現在行われているのは地域の拡大政策である。これには都市機能を持つ一部の地域には期待が寄せられるも、力を失いつつある小さな地域では、さらに拍車をかけて弱体化しかねなく、固有の文化や歴史も失われかねない。

 コミュニティ施設を軸にした改革を行うことで、14,000以上の地域に潤いを持たせたい。どんな困難な課題も、適切に住民間で議論され、完全な合意は難しくとも大きな方向性を皆で向けるようにするための制度を確立しよう。これは、一つのコミュニティ施設改革にとどまらず、日本全体の課題を解決する処方箋である。

 日本の一つひとつの地域を強靭化する、わたしたちの世界を、わたしたちの手で共に築きあげるのだ。

 決意を込めて、伝えたい。

 もう、コミュニティ施設をハコモノとは言わせない。

さいごに ―わたしたちが選択できる最後の世代―

 日立京大ラボの研究によると、東京一極集中に象徴されるような都市集中型ではなく、地方分散型の社会こそが、人口や地域の持続可能性、格差、健康、幸福など豊かな社会を生み出す上で優れている。選択する道として後戻りの利く最後の分岐が2025年から2027年頃にあり、わたしたちは地域を救う最後の世代になる可能性がある。

 しかし、わたしたちは選択ができるのである。

 地域には多くの課題が多い。その地域に生きるということは、世の中のひずみと向き合う覚悟が必要である。それは賛成反対の一方向な議論ではない。過去を尊重し、今の暮らしを考え、未来に責任をもつ、途方もない道である。

 一度決断をすれば、犠牲という言葉が広まってしまう場合もある。

 塾主・松下幸之助は、停滞することのない繁栄の道を模索するには、①主座を保ち、②衆知を集め、③和を尊ぶ日本の精神を忘れずに人間の営みを支える心構えが重要であると説いた。

 まさに、「表現、対話、連携、実践」するコミュニティ施設の在り方ではないか。

 犠牲という言葉ではなく、長期的なWin-Winを共に目指すことができるように、求められるビジョンを国民や住民を共につくり、それを達成するための実践力、一緒にやろうと思ってもらえる人間力を常に磨くことが、松下幸之助が説いた言葉の神髄なのかもしれない。

 私はコミュニティ施設の経営を通して松下幸之助の想いを受け継ぐ覚悟である。

 世の中をよくするのは、ヒーローではない。

 今を生きるわたしたちである。

 わたしたちはすでに術を持っている。あとは使いこなし、乗り越えていくことができるかである。

 今こそ、日本中に「わたしたち事」を掲げる時なのだ。

注1 名古屋大学 民主主義の歴史と現在(文系教養科目)http://www.law.nagoya-u.ac.jp/~t-ohya/_userdata/demo10.pdf 最終閲覧日2020年12月12日

注2 寺中作雄(1995)「公民館の建設―新しい町村の文化施設―」国土社

注3 山崎重孝 総務省https://www.soumu.go.jp/main_content/000562327.pdf 最終閲覧日2020年12月12日

注4 参議院憲法審査会 https://www.kenpoushinsa.sangiin.go.jp/kenpou/houkokusyo/houkoku/03_45_01.html 最終閲覧日2020年12月12日

注5 井川博 政策研究大学院 http://www.clair.or.jp/j/forum/honyaku/hikaku/pdf/up-to-date_jp4.pdf 最終閲覧日2020年12月12日

注6 18歳意識調査 日本財団https://www.nippon-foundation.or.jp/app/uploads/2019/11/wha_pro_eig_97.pdf 最終閲覧日2020年12月12日

注7 公民連携(PPP)手法の類型整理https://www.city.fukushima.fukushima.jp/management/kanrikeikaku/symposium/symposiumh300228syuryo.html 最終閲覧日2020年12月12日

注9 厚労省 https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000637189.pdf 最終閲覧日2020年12月12日

参考文献

・赤坂憲雄 鶴見和子(2015)『地域からつくる 内発的発展論と東北学』藤原書店

・アマルティア・セン(2007)『人間の安全保障』集英社新書

・入山章栄(2015)『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』日経BP社

・上田幸夫(2017)『公民館を創る』国土社

・大盛彌(2017)『人口減少時代を生き抜く自治体』第一法規

・木下勇(2013)『ワークショップ』学芸出版社

・ジグムント・バウマン(2017)『コミュニティ』ちくま学芸文庫

・名和田是彦(2009)『コミュニティの自治』日本評論社

・松下幸之助(2005)『人間を考える』 PHP新書

・松下幸之助(2015)『実践経営哲学』 PHP新書

・松下幸之助(2015)『商売心得帖』 PHP新書

・松下幸之助(2015)『指導者の条件』 PHP新書

・松下幸之助(1999)『遺論 繁栄の哲学』 PHP研究所

・松下幸之助(2015)『日本と日本人について』PHPビジネス新書

・牛尾治朗ほか(2019)『松下幸之助と私』 祥伝社

・村上敦(2018)『ドイツのコンパクトシティはなぜ成功するのか』学芸出版社

・室田昌子(2010)『コミュニティ・マネージメント』学芸出版社

・山崎繭加(2016)『ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか』ダイヤモンド社

・山崎亮(2016)『縮充する日本』PHP新書

・ヤン・ゲール(2016)『人間の街 公共空間のデザイン』鹿島出版会

・湯浅誠(2012)『ヒーローを待っていても世界は変わらない』朝日新聞出版社

・松下政経塾第38期生『2050年の日本のビジョン 新・ゆとり社会』 2018
https://www.mskj.or.jp/report/3401.html (最終閲覧日:2020年7月5日)

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馬場雄基の論考

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馬場雄基

第38期

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