論考

Thesis

福島の真の復興を実現する「わたしたち事」のまちづくり

本レポートでは、これからの国のかたちを地方自治の観点から読み取り、「わたしたち事」のまちづくりを掲げた自治改革について提言する。日本と世界を比較した中で、日本の特徴を生かした自治とは何か、筆者の実践事例を取り上げながら考察する。

目次

 

第1章 これからの国のかたち

1、移り変わる時代

  (1)国主導の時代から地域主導の時代へ

  (2)経済資本主義の時代から多様な価値を実現する時代へ

2、地方自治の変遷

3、目指す地方自治のかたち

  (1)地方自治体は、地域経営を実践する

(2)地方自治体は、地域住民の福祉を増進する

4、この国に求められる自治のビジョン

  (1)わたしたち事の概念

  (2)わたしたち事の指標

5、参考事例

  (1)スウェーデンの総合防衛政策

  (2)ドイツのまちづくり政策

6、ないものねだりからあるもの探し~日本にある宝物~

 

第2章 これからの福島市のかたち

1、福島市の現状

2、目指す福島市のビジョン

3、福島市にある宝物の現状

4、ビジョン実現へと導く政策案

  (1)生涯学習施設・現場・学校による協同実践

  (2)「わたしたち事課」の新設

  (3)生涯学習施設の活用

 

第3章 福島市での実践

1、福島市生涯学習施設アオウゼとの出逢い

2、アオウゼ主催講座・イベントの改革

3、大切にしたい想い

おわりに

第1章 これからの国のかたち

 1、移り変わる時代

(1)国主導の時代から、地域主導の時代へ

 明治維新以降、日本は中央集権体制で国力を高めることに成功し、世界の先進国の仲間入りを果たした。しかし、現在の日本では、少子高齢化や人口減少、産業構造の変化が進み、その課題も地域ごとに事情が異なり、一括的に解決することが難しくなっている。こうした中で、人々の暮らしや地域の持続の可能性をどのようにしたら保つことができるのだろうか。こうした課題について、京都大学と日立製作所がAI(人工知能)を用いたシナリオ分析が2017年9月に発表された。これは2052年までの約2万通りの未来シナリオを分類した結果、「都市集中シナリオ」と「地域分散シナリオ」で大きく二つに傾向が分かれることになった。都市集中シナリオは、主に都市の企業による技術革新によって都市の一極集中が進行し、地方は衰退し、出生率は低下し、個人の幸福度は低下するというものである。一方、地域分散シナリオは、地方への人口分散と出生率が持ち直し、個人の幸福度も増大するというものである。さらに、この研究では、各都市がどちらのシナリオを辿るかは、2025年を目途に分岐すると結論付けている。まさに「今!」一つひとつの地域のかじ取りをしなくては、後戻りできなくなってしまうのである。

(2)経済資本主義が主流であった時代から、多様な価値を実現する時代へ

 人類は貨幣を生み出し価値を判断し、今日もGDPが世界経済の軸として評価されている。しかし、豊かさをGDPだけで測ることは難しく、1968年にロバート・ケネディは警笛を鳴らしていた。「私たちはもうずっと前から、個人の優秀さや共同体の価値を、単なるモノの量で測るようになってしまった。この国のGDPは、8000億ドルを越えた。しかし、もしGDPでアメリカ合衆国の価値を測るのなら、GDPには、大気汚染や、たばこの広告や、交通事故で出動する救急車も含まれている。(中略)一方、GDPには、子どもたちの健康や教育の質、遊ぶ喜びは入っていない。(中略)つまり、GDPは、私たちの人生を意味あるものにしてくれるものを、何も測ることはできないのだ。」

 2015年に人類の生存戦略として、Sustainable Development Goals(以下、SDGs)が国連にて193の加盟国の全会一致で採択された。これは、“No one will be left behind”(誰一人取り残さない)をコンセプトに、経済・環境・社会という3つの側面を軸に取り組んでいこうとするものである。

 人類の繁栄の道は、多様な価値を認め、それぞれを発展させることであり、どのようにすればその社会が達成できるのかを模索しなくてはならない。人々の生活空間であるまちがこれから目指す姿について考えていきたい。

2、地方自治の変遷

 多様な価値が実現できる地域主導の仕組みを考えるとき、地方自治の概念の再検討が求められる。

 「自治」とは、自分たちの地域のことは自分たちが責任をもって行うことであり、その範囲・対象については、英米法系の「自己統治(住民自治)」であるか、ヨーロッパ大陸法系の「自治行政(団体自治)」であるかに整理される。英米型は、地域が「自(みずか)ら治める」ように、国と地方の役割について徹底的して地方自治体に任せる分権構造を目指し、行政の機能分化が起こる。一方、大陸型は、地域が「自(おの)ずから治まる」ように、国と地方の権限機能を融合し、国や地方自治体が多層的に関与して地方の充実を目指すものである。

 日本における自治の捉え方は、明治憲法下において大陸型の流れを汲み、日本国憲法下でも維持したとする理解が一般的である。しかし、自治体が中央政府に対して補助金の獲得や国策誘導、自治体間での政治的競争を行い、それに対し中央政府が、時には政治家を介して陳情などを通じた懇願をすることで課題の早期解決を図ることもある。これら中央と地方の関係観からすれば、日本の自治は「自(みずか)ら治まる」のでも「自(おの)ずから治まる」のでもなく、中央政府に対して「自(みずか)ら治まる」ように地域が主体的に働きかけていた状態といえよう。地域側は受ける利益をより大きくするため「どのように治まるか」を考え、中央政府側は国全体の利益、安定に資するように「どのように治めるか」を考えている。

 地方の時代として地方分権が求められる中で、日本でも地方分権改革が行われてきた。2000年地方分権一括法などの地方分権改革は、国と自治体の役割を再度明確にし、市町村中心主義を明示し、その理念・原則・しくみとして「対等・協力」と、自治体の自己決定権の実現を目指していた。2001年に小泉純一郎元内閣総理大臣が経済財政諮問会議でまとめた「骨太の方針」の中でも、地方自立・活性化プログラムや、民営化・規制改革プログラムなど、「地方ができることは地方に」を合言葉に改革が次々に実行されてきた。しかし、こうした分権改革は、権限委譲などといった団体自治の面に偏っており、一人ひとりの主体性を支える住民自治に対する取り組みは、十分に論じられてこなかった。

 中央政府に対して「自(みずか)ら治まる」ようになっていた日本が、中央からの権限委譲を試みても効果は得られにくく、今もなお、どの地方も中央に頼っている現状にある。しかし、現在の日本の財政は非常に厳しい。2019年度の国の一般会計歳入101.5兆円の内、税収などでは歳出全体の約2/3しか賄えておらず、残りの約1/3は借金 (公債金)に依存している。ここに加えて、地方が中央政府に「自(みずか)ら治まる」状態では、国は持たない。一方で、既に少子高齢の波に揉まれ、弱体化した自治体では、権限を委譲して分権化しても、長続きはしない。

 だからこそ、「自(みずか)ら治める」意識を持つ住民自治を軸とし、地方と中央が補完し合う新たな自治のかたちを模索する必要がある。

3、目指す地方自治のかたち

 前述したように、日本の自治は、足元から強くする必要性がある。改めて確認すると、自治とは、「自分たちで考え、決定し、実践する力」である。この概念をかたちにするため、地方自治体には二つの理念があると考える。

 

(1)地方自治体は、地域経営を実践する

 経営の神様と称された、Panasonicの創業者である松下幸之助氏は、経営とは確かなビジョンを築き、その実現のために人を育てることであると述べた。これは、「自(みずか)ら治める」ことと同義であろう。地域住民にとって、日本国民にとって、世界の人々にとって必要なビジョンを、地域で打ち立てる。そして、一人ひとりを大切にして、そのビジョンを達成するために住民を育んでいくことが、地域に求められるであろう。

 

(2)地方自治体は、地域住民の福祉を増進する

 福祉とは、「“ふ”だんの、“く”らしを、“し”あわせに」することである。住民との距離が近い自治体は、一人ひとりの住民の顔を思い浮かべながら、暮らしが快適であるかを考え抜いて、政策を実行する必要性がある。住民の想いをかたちにする行政の仕組みを整えていくことが、地域に求められている。ここでいう住民の想いとは、住民が述べる要望の全てを表すのではなく、地域経営として打ち立てたビジョンに沿うものである。

 

 二つの理念を実践することが叶えば、自ずと団体自治も住民自治も成り立つことになる。つまり、これらの理念を達成する仕組みづくりが最も大切になる。そして、こうした自治を各地域が行うことで、一つひとつの地域の花が咲き、百花繚乱の国ができるのである。

4、この国に求められる自治のビジョン

 これからの地方において、地域主導による住民自治の確立を目指す時、求められるビジョンは「わたしたち事」だと考える。

 

(1)わたしたち事の概念

 これから目指すべきまちの姿は、単に人口や産業が集積している都市ではない。一定の経済力を活かしながら、歴史と自然を大切にし、住む人が誇りとやすらぎを感じ、訪れる人が憧れを抱く、いきいきとした持続可能なまちが望ましいと考える。本来、まちとはそこに暮らす人のものであり、まちをつくるのもそこに暮らす人である。しかし、そのことを忘れ、政治や行政に任せきりになり、他所事、もしくは誰のものでもない「みんなのこと」として、少し距離を置いてはいないだろうか。わたしたち事とは、自分と他者という人と人の間の空間を表す。学生も、シニアも、あらゆる職業の人が、老若男女、国籍問わず垣根を越えて集い、誰もが気軽に・楽しく・真剣に、話し合い、考え決断して実践できる状態である。例えるなら、盆踊りである。盆踊りでは、先にシニア層が歌い、太鼓や笛を鳴らし、その音に合わせて周りを人々が躍り、食べ、飲み、会話する。しかしその後、演奏側がシニア層から中堅層にバトンタッチされる。そして、その後、演奏は子どもに任されていく。このように、一人ひとりが主役になることによって、まちは盛り上がり、まちの文化や伝統を遊び、体験しながら自然と学ぶことができる。そしてこの演奏役を、まちの人全てができるようにすることで、まち中の人の顔が見え、そのつながりがまちを強くするものであると考える。

 

 また、わたしたち事とは、まち・日本・世界、それぞれの目線に立ち、混ざり合う空間である。まち・日本・世界は、それぞれ別の色を持っている。だからこそ、それぞれを他人事ではなく自分事として考え、そして自分事だけではなく、人と人、お互いの良さを引き出し合い、折り重なる一つの色を見出していく。わたしたち事とは、1+1が2以上になる世界観であり、これはないものをねだるのではなく、あるものをフルに活かしたまちづくりである。


(図)わたしたち事 筆者作成

 上の図は、わたしたち事のロゴマークである。わたしたち事のイメージをもとに、友人がデザインを製作した。誰もが自分の強みを生かし合いながら笑いあえる、まちが一つの輪となる姿を描いている。そのような、”誰もが主役となれるまち”を目指したい。

(2)わたしたち事の指標

 わたしたち事の社会を実現するために必要となる指標を考えたい。

 地域交流を文化として育み、誰もが主役となり、住民が主体となれるまちづくりを行うには、住民自身が「わくわく」することが大切である。ここでいう「わくわく」とは、一人ひとりが一歩を踏み出し、今日よりも明日、明日よりも明後日といきいき過ごし、まち全体が成長していく姿である。一人ひとりのわくわくがつながり、広がり、循環していく、わくわくの連鎖、つまり、「わくわくサイクル」を築いていくことを大切にする。


(図)わくわくサイクル 筆者作成

 わくわくサイクルとは、「表現」「対話」「連携」「実践」の4STEPで成り立っており、これからの自治体はこれらの指標に基づいてまちづくりの評価を検討していくことが求められるであろう。

(ⅰ)STEP1:表現

 「表現」とは自分の想いをかたちにすることである。わくわくの原点は自分の想いにある。自分はどんなことに関心を持っているのか、今何を考えているかを可視化することである。時には、絵をかいたり、作品にしてみたりするのもいい。想いが溢れ、表現豊かなまちを目指していく。まちづくりの主役は人である。しかし、本来主役であるはずの人々は、まちづくりに参加していると言えるだろうか。これは、まちづくりが政治化し、難しい、ややこしい、関わりたくないという気持ちが漂ってしまっているからである。まず、その気持ちを変えていくためにも、趣味や生きがい創出、コミュニティづくりなど、人々があそぶことのできる空間を創っていくことが自治の第一歩である。一人ひとりが表現できる時間や空間、それらを後押ししてくれる仲間を築いていくことが最も求められることである。

 公的な理由で、「ここでは~をしてはならない」という制限はある。学校などの教育課程では、「これが正しい」と一つの回答を教えてしまうこともある。時には制限を加えることも必要であるが、一人ひとりの価値観や考えを、安心して自由に表現できることを根底に置いた空間づくりが必要ではないだろうか。

(ⅱ)STEP2:対話

 「対話」とは人と人との交流である。表現を通して自分の考えが少しずつ見えてくると、今度は人との違いが見えてくる。スウェーデンでは、仕事よりも趣味よりも優先させる「FIKA」という文化がある。これは、コーヒーを逆から読んだ言葉であるが、友人や恋人、仕事仲間とお菓子と一杯のコーヒーをいただきながら話をするというものである。対話から、新たなアイデアの発想が生まれてビジネスに繋がることも多いという。異なる考えや価値観を持った方々が集い、何でも自由にお話しできる関係性を、まち中で築き上げていくことが必要である。

 戦後、日本は欧米にならって「自立した個人が自由意志で人生を選択する社会」を指向し、それまであった共同体のしがらみから個人が解放される道を歩んできた。大家族は核家族となり、隣人のお付き合いは減少し、家族や共同体というシステムがどんどん小さく、弱体化していった。個人に重きを置く一方で、「対話」という機会が消滅していってはないだろうか。欧米では、個人を尊重しながらも、「対話」の文化は根強く存在している。「対話」があるからこそ交流が生まれ、「対話」があるからこそ温かみが増し、まちが賑やかで明るくなる。日本は、もう一度「対話」という文化を取り戻すことが肝心である。

(ⅲ)STEP3:連携

 わくわくサイクルの三つ目は、「連携」である。対話が生まれるうちに、知恵や情報、ネットワークがどんどん集まり、「連携」が生まれる。一人の想いではなく私たちの想いとなる。人と人との連携は、まちの土台なのである。例えるならJAZZで行われるジャムセッションである。ミュージシャンたちが集まり、本格的な準備や予め用意しておいた楽譜、アレンジにとらわれずに、即興的に演奏をすることを指している。

 わくわくサイクルの中で、特にこの「連携」が回るか否かが、まちづくりに大きく影響を及ぼすことになる。連携をもたらす可能性を秘めている具体的な事業として、ワークショップやまちづくりフォーラムの開催などが挙げられるが、福島県のお隣である山形県では、それらが文化として当たり前のように行われている。山形県では、1970年代にアメリカのハルプリン氏が来日し、まちづくりワークショップ文化を伝え、1979年に山形県飯豊町にて、日本初・農村型まちづくりワークショップを開催した。その文化は現在も受け継がれており、飯豊町の近くにある川西町吉島地区では「きらりよしじまネットワーク」というNPO法人が、旧公民館の運営を行っており、そこで学生からシニアまで含めたワークショップを定期的に開催している。集った仲間とテーマについて語り、まちの課題の洗い出しと、目的や目標、手段を整理し、事業を定め、それを評価する指標を決めることまで一連の流れで行われている。内容によっては、その事業を実践に移し、住民自らが担い手となり、評価も行っている。

 ワークショップを行っている自治体はたくさんあるが、行政が総合計画など大きな指針を定める前に住民の声を聞くという政策的パフォーマンスとして用いられている場合が多いように思えてならない。「連携」という意味を、わくわくサイクルの中に載せて実践することで再検討する必要性があるだろう。

(ⅳ)STEP4:実践

 「実践」とは実際に一歩を踏み出すことである。表現、対話、連携と、ここまでのわくわくサイクルが動き始めた時、「実践」力が必要となる。この「実践」のかたちは、事業やボランティア、イベントや政策など様々あるが、その一つひとつに大きいも小さいもなく、連携の中で見いだされたアイデアの実践をまちで積み重ねていくことが大切である。

 ここで最も大切なことは、「成功は成功するまで続けるところにある」ということであり、失敗を恐れて動かないことをリスクと考えることである。そして、その政策や事業は、各部局や関係する民間企業などの横串を指して行うこととし、縦割りで任せきりにするのではなく、まちの課題として風通しを良くし、皆の意見や知恵を吸収しやすくした中で行うものとすることが求められる。

また、その実践について、それが生まれた背景や内容、これからの展開について発信を強化し、住民の人々や、同じ課題や悩みを抱えているであろう日本の地域や世界に広く発信していくことが求められるだろう。

 表現し、対話し、連携し、実践していく。これがわくわくサイクルの循環であり、これを繰り返すことで、小さな成功体験を積み重ね、次第に自分たちで経営し自立したまちにつながるだろう。

5、参考事例

 目指す地方像を捉えた時、地域主導による住民自治という点でスウェーデンの総合防衛政策を、住民自治の確立という点でドイツのまちづくり政策を参考とした。

(1)スウェーデンの総合防衛政策

 ここで自治を、防衛政策の観点から捉えていきたい。

2018年、スウェーデン政府の民間緊急事態庁(Civil Contingencies Agency)は、「もし、危機や戦争になったら(IF CRISIS OR WAR COMES)」という、危機や戦争への備えをまとめた小冊子を作成し、約470万の全世帯に配布した。この中で、スウェーデンの全国民は、国家の防衛と安全への責任を共有し、有事にはお互いに進んで助け合うことが最も重要だと述べている。また、有事の際、数か月は自分たちの力でなんとか生き残ってほしいという、行政の限界を伝えていた。

 筆者は、この小冊子がどこまで国民に浸透しているのかを調査するため、現地へ赴いた。驚いたことに、学生から大人、シニアまで全ての方が理解していた。また、スウェーデンには全国民を守るためのシェルターがまち中に整備されており、自分たちで命を守る意識と、それを支えるハード事業が融合したかたちとなっていた。

 わくわくサイクルに当てはめた時、政府が行政体制の限界を国民に対して表現し、それに対して国民一人ひとりが連携し、各自が実践するということになる。ここでSTEP2の対話についての言及はされていないが、スウェーデンでは前述の通り「FIKA」という対話の文化があるため、記載する必要がないであろう。

 これから求められる自治のかたちは、スウェーデンのように、まずはなんとか自分たちの力で生き残るという強い意識が必要不可欠であろう。日本では地域が中央に対して「自(みずか)ら治まる」傾向がある。一人ひとりは地方政府に、地方政府は中央政府にという治まりの連鎖を断ち切らなくてはならないのである。

(2)ドイツのまちづくり政策

 ドイツで参考とした政策は、Quartiersmanagement(地区のマネジメント)である。これは、1980年代後半にイギリスやオランダで発展し、それらを組み合わせて1999年からドイツ全土で展開された政策で、地区環境や、経済、福祉、教育など、まちのあらゆる課題に対して総合的に取り組むことを目的としている。筆者は、この政策の現状を知るために、ドイツに一カ月滞在し、各都市を回り、その実態を調査した。

 この政策は、まず行政が抱えている課題が多い地区(空き家、人口減少、移民など)を選定する。選ばれた地区に空き家を活用してコミュニティ・ビューローという拠点を設けて、地区の運営を行うマネージャーが派遣される。マネージャーの形態は都市によってさまざまである。公募もあれば、行政職員が直接指名することもあり、委託者が会社単位もあれば個人になる時もある。ベルリンでは公募を通して社会起業に任せており、ドルトムントでは第三セクターと似た形の会社を設立し、ハンブルクでは公募を通して完全民間会社に委託し、デュッセルドルフでは行政職員が任命した個人がマネージャーを担っていた。

 マネージャーの役割は、住民主導で地区の課題を洗い出す支援を行い、課題を可視化した上で、行政を巻き込んで解決していくことである。住民のサークル活動の支援や、小規模から大規模のイベントを企画しながら、住民の声を吸い上げて地区の目指すべきまちの姿を模索している。例えば、まちづくりのフォーラムを開催する時に、その運営は行政ではなく、その地区のマネージャーと住民で行っている。行政側も参加はするが、その場で発言はせず、住民の自発性を尊重している。また、新しい公園が必要であるとなった際には、マネージャーと行政担当者が、各幼稚園を対象に地区内にある公園を一緒に回り、子どもたちがその公園が好きだった場合は赤いバルーンを、そうでない場合は緑のバルーンを握ってもらうことで、子どもたちに意思表示する機会を与えている。子どもたちの反応から、今度は大人たちが、なぜこの公園が好きか、好きでないのかを分析し、新たにつくる公園の参考にしていた。このように子どもたちにも参加しやすい方法で行うことで、小さいころから、まちづくりに自然と参画できる仕組みを整えている。なぜそこまでやるのかと筆者が訪ねた時、マネージャーや住民は「最も多く公園を利用するのは子どもだからだ。」と答えた。事実、出来上がった公園を利用する子どもも非常に多かったという。

 主体は住民であり、管理はマネージャーが行い、行政は中立の立場を貫いていることに価値があり、このように吸い上げた意見から、マネージャーと行政は担当部署と相談を重ねた上で、政策の実行を行っていた。また、この政策の予算は、連邦、州、基礎自治体がそれぞれ1/3ずつ拠出されており、どこか一つに権力が集中することを避けていた。地区が主であり、それを支えるのが基礎自治体であり州であり、連邦であるということがはっきりと示されている。

 このように、ドイツでは子どもたちを含めて一人ひとりが主役となるまちづくりが進められている。住民主体のボトムアップ型の政策決定を行うには、事例にあるドイツの様な大陸型の自治が望ましいともいえる。この好循環を生み出している背景には、もともとドイツにはまちの人々が交流し合う文化「Stamtish」が根付いていることが挙げられるだろう。これは誰もがお酒や食事などを交えて自由にお話しすることができる空間のことである。まちづくりというのは、政策だけで進められるものではなく、文化として交流が根付いていることが必要不可欠である。

 わくわくサイクルに当てはめて考えても、学生からシニアまで、住民一人ひとりの声を大切にし、表現を重んじている。ワークショップやフォーラム活動を通じて対話や連携を図り、行政と協力して実践を行っている。このように、地方分権を推進しながらも、完全に分権体制にするのではなく、国と基礎自治体との対等・相互協力関係を維持しながら住民主体のまちづくりを行うことが求められる。

6、ないものねだりからあるもの探し~日本にある宝物~

 目指すまちづくりのビジョンと指標を確認したが、達成するために具体的にどんなことをしていくべきか。日本にはスウェーデンのような総合防衛の考えも、ドイツの様な交流し合う文化を表す言葉もない。だからこそ、海外にはなく、日本にある宝物を探したい。筆者はその一つとして、生涯学習施設のかたちがあると考える。

 日本には、公民館、学習施設、コミュニティセンターなど生涯学習施設が多数存在している。その代表的な公民館は、日本独自に考案されたものである。第二次世界大戦以降、日本は戦争への道に突き進んだ過去を反省し、平和国家再建を模索し、教育こそ、その役割を担う者という認識に立った。文部省から全国に発せられた公民館設置の文章に、以下のように記されている。「日本に最も大切なことは、すべての国民が豊かな文化的教養を身に着け、他人に頼らず自主的に物を考え平和的協力的に行動する習性を養ふことである。そして之を基礎として平和的産業を興し、新しい民主日本に生まれ変わることである。その為には、教育の普及を何よりも必要とする」。つまり、学校教育だけではなく、むしろ成人も視野にいれた社会教育の発展を目指しているのである。

 ドイツのQuartiersmanagementでは、住民たちが集まり教育活動が行える場を創るために、空き地をリノベーションして築き上げていた。日本には、公民館だけでも、全国15,000館ほど設置されている。これは公立中学校よりもはるかに多く、その他の生涯学習施設を含めれば、その数はさらに増えていく。これからの自治を実践するにあたり、生涯学習施設が、住民の意見を表現し、活動の拠点となり得る可能性を持っていると言えるであろう。

 第2章では、筆者の故郷福島市を舞台に、どのようにこの核となる生涯学習施設を活かしていくのかを述べていくことにする。

第2章 これからの福島市のかたち

 第1章では、これからの国のかたちとして、「わたしたち事」をビジョンに掲げた自治の必要性と、日本では生涯学習施設が要になるという可能性を言及した。第2章では、筆者の故郷である福島市の現状を確認した上で、これからの福島市に求められる理想の住民自治の在り方を述べていきたい。

1、福島市の現状

 福島市は、東日本大震災以降、世界や日本各地から多くの支援をいただきながら復興の歩みを進めてきた。しかし、その支援も徐々に減少し、国が定めた「復興創生期間」が終了する2021年以降は益々となる。言い換えれば、履かせてもらっていた下駄がなくなり、自らの力で歩まなくてはならない。今、確かな住民自治の基盤を築かなくては、福島市は減少する支援と共に先細ってしまうため、「わたしたち事」の社会の実現が急務である。

 まず福島市の現状について述べる。2019年、福島市の人口は29万人である。2001年に30万人という人口のピークを迎えて、それ以降は減少傾向にあり、2040年には22万人、高齢化比率は40%に達すると予測されている。少子高齢社会の課題を抱える日本の代表的な地域の一つと言えるだろう。

 年間予算は、一般会計が1200億円程度(除染関連予算の約200億円も含む)で推移し、市債残高は約830億円である。現在の22万人の都市を例に挙げると、一般会計の規模が600億~800億円ということを踏まえると、福島市も2040年には現在の予算規模が半分ほどになる可能性を含めて行動していかなくてはならないことになるだろう。

 さらに、筆者自身が福島市で研修を進めるにあたり、入塾前に福島県内の官民学に勤務する者、農家や主婦などを含めて200人以上にヒアリングを行い、入塾後には官民それぞれのプロジェクト(駅前イベント企画、コミュニティカフェ立ち上げ、中心市街地活性化策の提言など)に参画してきた。そこで市民や民間の方から多く伺ったのは、「結局、補助金なんだよね」「駅前はよくなったかもしれないけど、少し駅から離れたらなにも変わっていないんだよね」という声である。震災以降、多くの支えによって今の福島市は築き上げられ、沢山の市民が活躍の場を手にすることができた。しかし、それら全てを自らの力であると過信してはならないのである。

 また、復興を支える行政側の方からは、「ここにいれるのもあと〇年だな」という声である。福島市は、県庁所在地であるため、福島県庁も存在している。この二つの行政機関は、国や他県から多くの応援を頂いており、非常に多くの行政職員が福島を支えている。しかし、その職員は任期が限られているため、満了となれば戻っていく。「復興集中期間」と称された5年間は、福島市から空きビルがなくなるほどであったが、徐々にその支えは減っていき、「復興創生期間」が終わる2021年以降は目途が立っていない。

 これから、福島市は自らの力で地域を築き上げていかなくてはならなく、そのための決意を改めて強く持ち、「わたしたち事」の社会を実現する必要がある。

2、目指す福島市のまちのビジョン

 福島という言葉は、2011年の東日本大震災と、福島第一原子力発電所事故により、英語表記の“Fukushima”として全世界に広まってしまった。海外の人が抱く福島のイメージが、放射能に汚染されたまちであることは、貿易の苦戦状況を見ても明らかである。筆者個人の経験ではあるが、海外や日本各地で研修を行う度に感じていることでもある。

 そこで、日本の省庁が示している世界の放射線の空間線量の図を用いて、今の福島の放射線の空間線量がロンドンやソウルと同じ値を示していることを説明してもなかなか信じてもらえない。だからこそ、今の福島を安全・安心と謳っていくことではなく、ありのままを伝えていくことが非常に重要なのである。


(図)主要都市の空間線量率の測定結果

 全世界の人が知る“Fukushima”だからこそ、この状況を逆手に取って世界とのつながりを強化し、存在感のあるまちを目指すことができる。2015年に、国連は人類の生存戦略としてSDGsを打ち立て、193の加盟国の全会一致で採択をした。わたしたち事とは、自分たちのまち、日本、そして世界、それぞれの立場の考えの中で、重なり合う想いを大切にすることである。自分たちだけのことだけではなく、世界で求められている技術やまちづくりの在り方を追求し、積極的に海外に発信し続けていくことが、福島市には必要である。

 さらに、震災をきっかけに福島が、避難したか否か、福島産を食べるか否か、福島に住むか否かなど、選択を迫られたことで分断を余儀なくされた。いつも仲良く話していた住民同士が、急に疎遠になってしまったケースは数しれない。その痛みを知る福島だからこそ、全ての方の考えを受け止め、活かしていく、温かく力強いまちを目指すことが肝要である。

3、福島市にある宝物の現状

 第1章で、日本にある宝物として「公民館、学習施設、コミュニティセンターなど生涯学習施設」と述べた。福島市は、公民館(学習センター)16施設、地域包括支援センター(22施設)、その他民間のコミュニティセンターがある。子どもの夢を育む施設として「こむこむ(2005年設立)」、アクティブシニア層の生きがいを育む施設として「アオウゼ(2010年設立)」がそれぞれ福島駅近くに立地している。

 福島市及び県は、歴史的に生涯学習を大切に扱ってきた。戦後、民心の安心と生活の確保、民主化の礎として、1946年4月に文部省から「社会教育第一」という公民館構想が提唱されたが、福島県はいち早く取り組みを始め、1951年に全国に先駆けて設置100%を実現している。市政について語る会や、体育祭の拠点、まちの台所、さらには結婚式にも利用されるなど、まちの象徴たる場所こそが公民館であった。人材育成にも注力し、公民館を担う指導者への研修体制の充実や、確かな給与の確保、広報協力を行うなど、歴史的に見れば、福島は生涯学習に対して極めて積極的に取り組んでいた。(参考、『福島民友』1951/04/20)

 しかし、平成に入り、社会教育の観点以上に一人ひとりの生涯学習に重きを置くようになったこともあり、生きがい創出や趣味を支えていくための空間へと変化していった。その現状を知るべく、各学習センターにヒアリングを行った。各学習センターは基本計画に基づいて運営されており、事業は大きく少年教育(小学生向け)、女性教育(成人女性向け)、高齢者教育(シニア向け)、家庭教育(幼児と保護者向け)がある。また、これら以外の地域をつなぐ社会教育の取り組みについては、担当する職員の裁量により大きく変化している。加えて、福島市が運営を担っているため、人事交流のため職員が変わってしまい継続しきれていない事業も多くある。このことから、現在は利用者層の偏りや高齢化が、大きな課題となっている。

 さらに、

「社会教育が大切なのはわかるがその方法が分からない」

という声を学習センター職員から聞いた。そこで、月1回有志で集まり、これからの生涯学習施設の在り方について議論を重ねている。メンバー間で整理した生涯学習施設の強みは、地域に根差していることにあり、そこに現場があり、子どもからシニアまでが住んでいることにあると考えた。よって、これらがつながりを密に構築することで、福島市にある宝物はさらに輝きが増していくであろう。

 一方で、課題の声も聞こえてくる。

「学校との関係構築が難しい」

 これは、学校の先生方は、教育の現場で忙しく、社会教育の面に生涯学習施設を活かして行おうとする余力があるのか不安であるということである。事実、先生方に教育現場の状況を伺うと、現在の学校を運営する基本法である学習指導要領の内容は膨大であるにも関わらず、時代の要請に合わせて、さらに英語、プログラミングを追加するなど年々増加していく傾向にある。先生方は増えていく学習指導に対応しながら、学生に対する支援、部活動、保護者対応も行わなくてはならない。学校側の過密なスケジュールにより、宿題は保護者の協力を得ている状況である。しかし、保護者の声を伺うと、仕事と子育ての両立が求められる中で、学校側が課す宿題のやり方や量について不満の声が上がっている。これらの点を乗り越えていかなくては、生涯学習施設と学校側が協力していくことは難しい。

「まちのことを実はよくわからない」

 これは、まちにある会社や土地、施設など、目の前をよく歩いているはずだが、何をしているところなのか、その背景や成り立ち、働いている方々の顔がよくわからないということである。農業や工業、テクノロジーなど、本物の現場がすぐ近くにあるにも関わらず、その強みを生かしきれていないため、どのようにすればつながりを築くことができるかを考えていかなくてはならない。

4、ビジョン実現と導く政策案

 日本が誇る生涯学習施設をただ使うのではなく、使い倒して世代間交流や地域間交流を積極的に図ることで、「わたしたち事」という新たな自治の実現を目指していく。

(1)生涯学習施設・現場・学校による協同実践

 まちづくりには、「わたしたち事」の構築が必要であると述べてきたが、その実現のために、まず地域交流と多世代交流を生みだすことを目指す。農地や企業などの現場と、学生を始めとする市民とのつなぎ役として生涯学習施設を機能させる。

 そのために、市が先頭に立ち、学習指導要領の一部の内容を学校ではなく、生涯学習施設に委ねるための調整を図る。これまでも学校では、アクティブラーニングや、地元学、IT教育が推進されているが、その現場は学校の中にはない。学びの現場は地域にあるはずだ。そこで、学校と生涯学習施設が相互に協力し合い、学習指導要領の中から社会教育として生涯学習施設がコーディネートできるものを委託することとする。これにより、学校の先生は、自らの専門領域をより集中的に担うことができ、学生はより現場を知ることができるようになる。学習指導要領を改定するのではなく、その全ての内容を学校単体で担う現状から、生涯学習施設と補完し合うことで、教育の質と地域の向上につなげていく。

(2)「わたしたち事課」の新設

 福島市の生涯学習施設は、行政の組織をみても、学校や学習センターは生涯学習課、町内会は市民協働課、地域包括ケアセンターは長寿福祉課、アオウゼは商業労政課と、各施設を管轄する課がばらばらになっている。地域交流を担うこれら生涯学習機関がまちづくりの中心となるには、市長直轄の政策調整部に「わたしたち事課」を新設する。わたしたち事課では、公民館・学習センター・コミュニティカフェや地域包括支援センター、その他生涯学習施設を一手にとりまとめ、各施設で挙がる市民の声を分析し、行政各部署の横串を指して協議し、実践する。

 さらに、生涯学習施設で、定期的にまちづくりに関するワークショップを開催するようにし、市が総合的なビジョンを模索する際の土台とする。これは、現在行われているパフォーマンス的なワークショップではない。学生からシニアまで参加できるまちづくりの対話を積極的に増やし、そこで取り上げられた疑問やアイデアを、わたしたち事課が中心となり、各部署と連携して応えていく。また、アイデアを実践する際に必要な資金について、補助金や融資、クラウドファンディングなど、どのかたちが適切であるかアドバイスを行えるシンクタンク的機能を有していく。

(3)生涯学習施設の活用

 生涯学習機関の運営は民間へ外部委託する。生涯学習施設の運営は、行政が担っている場合が多いが、それにより弊害を及ぼしていることもある。大きくは、経費と人事、ビジョンの面である。各生涯学習施設は、館長や課長、それに伴う職員を配置して業務を行っているが、効率的な運営を行えばより適切な人員配置で運営することは可能である。また、行政職員は2年から3年で異動が伴うため、中長期的に腰を据えて取り組むことがしにくい。そして、管轄される課としての立場に囚われてしまい、課を跨ぐことになるアイデアはなかなか出にくい状況であった。

 今後は、点でもなく、線でもなく、まちづくりという面のつながりを意識し、生涯学習施設が住民と共に各地区のビジョンを形成し、その実践を行うための組織となる。全ての生涯学習機関で、わたしたち事のまちづくりを目指すのである。学校や、文化施設、商店街、民間企業などとコラボする企画を考え、生涯学習機関を中心として、面となるまちづくりを目指していく。

 さらに、生涯学習施設を担う人材の交流を盛んにする仕組みを整える。生涯学習施設での経験がまちにとっての強みとなるように、学校や商工会議所、行政や民間企業など、様々な機関と提携を結び、多様な人材を生涯学習施設へ登用する。一定期間、生涯学習施設での経験を積み、その人材が地域の人の顔や、地域の資源が見えるようになって、元の機関へ戻っていく。生涯学習機関での経験を職場で生かしていただくことで、地域の資源を効果的に活用することが可能になるのであろう。

第3章 福島市での実践

 筆者は2019年4月から「福島市アクティブシニアセンター・アオウゼ(以下、アオウゼ)」というコミュニティ施設の事業統括コーディネーターに就任することになった。アオウゼとは、「あそこにいけば、何かができる」をコンセプトに掲げている。50名を超えるアオウゼサポーター(ボランティア)と22名の職員が協働で運営し、年間500を超える市民講座を開催し、年中無休で貸館業務を行い市民活動の支援を通して、市民力の向上を目指している。福島駅から徒歩7分にあること、大型の商業施設内にあること、駐車場台数を700台保有していることから、年間利用者数は延べ60万人以上となり、人口比で表すと全市民が年に2回以上来館していることになる。

1、福島市生涯学習施設アオウゼとの出逢い

 筆者は、アオウゼが開館した2010年は高校3年生であり、受験シーズンでもあったため、毎日通っていた。翌年に襲った東日本大震災の際にも、筆者はアオウゼの自習室にいた。それほど、身近な施設であった。

 昨年度まで、福島市が直接運営していたが、2019年度から指定管理制度が導入されることとなった。筆者は、2018年に(株)福島まちづくりセンターでインターンをしていた際に知り、指定管理申請へのプロジェクトを一から担うこととなった。競合の末、同社が行うことに決定し、実際に運営者として携わることとなった。

2、アオウゼ主催講座・イベントの改革

 アオウゼが民間委託されることに伴い、福島市の運営委員会でも懸念を示された点が、直接利益と結びつきにくい市民講座サービスの減少である。

 そこで、4月以降まず取り組んだのが、市民講座のビジョンを明確に打ち立てることである。福島市が運営していた時には、市民の生きがい創出や趣味の発見が大きく位置付けられていた。しかし、サポーターと職員と対話を繰り返す中で、アオウゼは単に市民一人ひとりの生涯学習への寄与に留まらず、まちの人と人とをつなぎ合わせていく社会教育の土台を築き、わたしたち事のまちを実現する力があると確信した。市民講座を運営する新たなコンセプトの確立と4つの事業の柱と、2つの土台を整理した。

■コンセプト:アオウゼが目指すこと 「いくつであっても今が旬」

■4つの事業の柱:事業を通して達成したいこと

(1)市民にとってのアオウゼ

いきがい創出、趣味の発見や、季節や時事に合わせた講座を実施すること。

(2)中心市街地としてのアオウゼ

市内の魅力を発見し続け、学生や商店主など、まちの一人ひとりが主役となるようなコラボ企画を実施すること。

(3)県都としてのアオウゼ

県内の魅力を発見し続け、福島市以外に触れられるように他地域とのコラボ企画を実施すること。

(4)全国に誇る生涯学習施設としてのアオウゼ

世界でも最先端の分野が知れる、体感できる内容や、新たな講座を開発すること。

■2つの土台:事業を企画する上で意識したいこと

(1)持続可能なアオウゼ

指定管理料という税金で事業を行っているため、ゆくゆくは自ら経営していくことを視野に入れなくては、万が一指定管理料が減額された際になにもできなくなってしまう。

(2)テナント活性化のアオウゼ

アオウゼはMAXふくしまという商業施設の一員であり、各テナントとの交流を大切にし、お互いがWin-Winの関係を築けるようにすること。


A・O・Z JAZZフェス 高校生と社会人がジャムセッションを行っている様子


SDGsの講座 高校生からシニアまで幅広い方が学ぶ様子


キッズファッションショー MAXふくしまのテナント企業とのコラボ企画


県立美術館とのコラボ企画


福島大学生の研究発表


スーパーサイエンスフェア 福島高校生とのコラボ企画

 特に、参加者が本物の現場を体感できるように、まちの一人ひとりの顔が見える工夫をしながら事業を展開している。

 地域交流という観点では、まち中を歩きながら、商店主の方々にお話を伺い、市民講座の講師をお願いする。商店主の中には、自分が働いていることではなく、趣味をお話したいと言われる場合もあり、床屋さんがまちの歴史をお話ししたこともある。あるいは、蕎麦屋さんの店主が体操の資格を持っていると知り、体操教室を行っていただいたこともある。また、美術館や医師会、各学習センターなどの各施設とは担当者の方と積極的に連携し、歴史・背景など専門的なお話を提供する講座を開催した。

さらに、多世代交流という観点では、学生たちが今取り組んでいることを市民に発信する拠点として使ってもらえるように、大学生のゼミの発表、高校生の研究成果発表、そして中学生にも講師として講座を行っていただいた。また、キッズファッションショーや、着物ショーなど、子どもから大人まで主役となれる企画を展開した。

 2019年4月から12月末までの9か月間で、アオウゼの企画講座数は481件、企画参加者数は22,031名となった。これまでアクティブシニア層に大きくターゲットを置いていたが、その発想を、多世代の方と、まち中の方を主役にすることで、結果としてシニア層も明るくとなるとしたことで、参加者層に変化が生まれてきた。これまでの参加者は、シニア層が大半を示していたが、今では学生や若い主婦層の方も多く講座に参加いただいている。参加者からのアンケートでは、「引越しをしてきて、はじめてアオウゼに来たが、こんな素敵な企画は他所で見たことがない。」「お隣の郡山市から来たが、来る価値があった。またやってほしい。」という声をいただいた。また、学生が講師を務めた講座では、保護者から「娘をこんな素敵な企画に呼んでいただいてありがとう」と言われたこともある。講師からは「アオウゼでお話しできることを誇りに思う」という声や、講座が終了してからも「講座の参加者がお店に遊びに来てくれた」などといった嬉しいお言葉もいただいた。市民にとって、まちにとって、講師にとって、それぞれに価値を提供できる空間を模索し続けていきたい。

 しかし、今まで行っていないことに多くチャレンジしているため、上手くいかないことも多い。講座の参加者が少なくなってしまったり、講師になる皆さまから不安や不満の声をいただくこともある。そうした一人ひとりの率直な声がさらによいアオウゼを築く種になるものと大切に受け止め、どのようにしたら市民の方と主役になる講師の方とアオウゼ(福島市)が三者Win-Win-Winのかたちとなるかを考え、成功するまで続けていきたい。

 これらの活動は、わくわくサイクルでいえばまだSTEP1の「表現」の取り組みにすぎない。そこから対話が生まれ、連携し、実践へと繋いでいく仕組みを整えなくてはならないため、チーム一丸となって取り組んでいきたい。近い将来、アオウゼで、多世代の方が集い、まちづくりのワークショップがあそぶ感覚で行われ、対話し合っている姿を当たり前にしたいと考えている。

3、大切にしたい想い

 現場で活動を始めてから一番大切に思うことは、「人とのご縁」である。筆者一人やアオウゼだけでは絶対に成し遂げられないことを、数多くの方とのご縁のおかげで少しずつではあるが、かたちにすることができている。ご縁を深める上で、わたしたちが何を目指しているのか、ビジョンやミッションを明確にすること、そして実際に活動していることを絶えず発信していくこと、そしてどんな小さな出会いでも大切に温めていくことが重要だと感じている。

「ないものねだりから、あるものさがしへ」

 自治の原点はこの概念にあると改めて思う。福島市をはじめ、日本全てにあるまちには、歴史、技術、文化、人材、信頼など、有形無形の資源がたくさんある。これらを最大限に生かし、一人ひとりの一歩を後押しできるようにしていきたい。趣味や遊びの創出からまちを知り、自分を知り、他の方々と連携して、次世代に伝えていくまちを「わたしたち」で築いていく。そんなまちづくりを私は目指し続けたい。

おわりに

 わたしたち事の社会とは、これからの自治体に求められる像である。そしてここで述べた方法や政策は、新たにコストをかけることなく、実践できるものである。むしろ、効率的な地域経営を行うことができるようになり、経費を節約することができる仕組みである。

 これまで日本は、地方自治改革について制度改革を重視し団体自治を推進してきた。実際に基礎自治体ができることは拡大してきている。だからこそ、もう一つの自治である住民自治の概念の再興が求められる。現場を強くするための仕組みづくりは、今、取り組まなくてはならない喫緊の課題であろう。

 

 わたしたち事の社会が充実すれば、昨今言われている、働き方改革や子育て支援、防災対策、文化創出、農業(転地)等の課題も大幅に改善に向かうであろう。なぜならば、働き方改革の本質は、本業以外に子育てや趣味、まちづくりなど地域参加に加わることにより、事業改善を行う経営改革である。しかし、現在の働き方改革は、単に時間を短くすればよいという話に留まっている。わたしたち事の社会を通して、まちづくりなどの地域参加を充実することができれば、仕事終了後にどのように趣味を満喫し、自己研鑽に励むのかなど、一つのモデルを示すことできるようになるであろう。子育て支援も、とにかく保育施設をつくることばかり目立っているが、なり手不足の問題やいずれ子どもの数も減少する問題に直面している。わたしたち事の社会では、子どもの育成を地区としてどのように考えるかを皆で考えることができるようになり、元気なシニア層などの力を借りながら、保育機能を実現することもできるであろう。このようにわたしたち事の社会は、全ての社会課題の核になっており、ここを鍛えることでまちは間違いなく強くなることができるであろう。

 筆者は、わたしたち事の社会を故郷の福島市から進めたいと考えている。世界中の人たちはFukushimaを聞けば原発のまちと認識する。それは事実であり、変えることのできないことである。それに対し福島市や県は、特産品のPRや技術の推進で払拭しようとしている。それも必要である。しかし、最も根底に必要な力はわたしたちの力ではないであろうか。Autonomy of us, by us, for usというこのパワーこそが、真の復興であると私は考える。そしてその力を福島市で実現させたのち、日本全国に広げていき、百花繚乱の国を実現させたい。

 「わたしたち事」の社会の実現に向けて、身命を賭して挑み続けることを改めて決意し、本レポートを終了する。

参考文献

赤坂憲雄 鶴見和子(2015)『地域からつくる 内発的発展論と東北学』藤原書店

アマルティア・セン(2007)『人間の安全保障』集英社新書

入山章栄(2015)『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』日経BP社

上田幸夫(2017)『公民館を創る』国土社

大盛彌(2017)『人口減少時代を生き抜く自治体』第一法規

木下勇(2013)『ワークショップ』学芸出版社

ジグムント・バウマン(2017)『コミュニティ』ちくま学芸文庫

名和田是彦(2009)『コミュニティの自治』日本評論社

村上敦(2018)『ドイツのコンパクトシティはなぜ成功するのか』学芸出版社

室田昌子(2010)『コミュニティ・マネージメント』学芸出版社

山崎亮(2016)『縮充する日本』PHP新書 

ヤン・ゲール(2016)『人間の街 公共空間のデザイン』鹿島出版会

参考資料

日本都市センター「各国の地方政府の体系」(2017)

『松下幸之助が考えた 国のかたち』PHP/2013.3.12

『福島民友』1951/04/20

日本政府観光局「主要都市の空間線量率の測定結果」(2018)

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