論考

Thesis

福島の真の復興を実現する ~地方自治改革による自立都市計画〜

【目次】

1 福島“Fukushima”における現状と地方自治の再考

2 地方自治とは何か

3 地方自治の課題

4 理想の地方自治の姿

5 理想を実現へと導く実践

6 福島市HDCs構想

1.福島(Fukushima)における現状と地方自治の再考

 私の故郷である福島は、東日本大震災を機に“Fukushima”として、世界に名の知れた地名となった。Fukushimaは、震災以降、着実な復興の歩みを進めているが、2021年に大きな節目を迎えようとしている。東日本大震災から10年が経ち、集中復興期間・復興創生期間が終了するのである。復興庁設置法に基づけば、21条により2021年に復興庁は廃止、人も予算も削減されていく。

 復興予算がもたらした効果は大きい。そこに住んでいた人たちの新たな挑戦、地域外の人たちの参入や支援、維持されてきたコミュニティなど、人口減少や産業の衰退が進む地方において、復興予算は確実に地方の衰退速度を緩やかにさせた。復興予算に支えられてきたのである。復興予算によって、Fukushimaは一面豊かになりながらも、新たな課題が浮き彫りになっている。震災以降に飛躍的に伸びた認証NPO数は、現在は認証数より解散数が上回る。その流れの中で、復興予算が打ち切られた後も、企業やNPOが事業継続できるかどうかが問われている。持続可能な姿に復興を果たしているかは、まだまだ先の見えない部分が多い。しかし、復興予算は、そんな復興の状況や進捗を待ってはくれない。復興予算がきれるあと3年の間にいかに体制を整えるかが、福島の未来の方向性を大きく左右していく。予算に頼るだけではなく、予算を適正に活かし、自律していく力が、今、福島には求められているのである。

 この年月によって育まれた復興の波を、予算や行政の都合で途絶えさせてはならない。2021年以降も発展し続けるFukushimaの姿を、今こそ模索する必要性がある。今、Fukushimaは大きな岐路に立たされているのである。

 私はこれをチャンスと捉える。一人ひとりそれぞれの垣根を越えて結集し、力を出し合い実践する、そんな素地が福島では「復興」という流れの中で生み出されてきている。これは、「地方の衰退」に歯止めをかける意味で、とても重要なファクターだと考えている。この一人ひとりの実践を、より確かなものにしていくことが、地域活性の鍵となるのである。

 1888年、基礎自治体数が71,314あったのに対し、現在は1,718と、当時の約2%となっている。これには、経済合理性と効率化を理由に基礎自治体の数を大きく削減してきた経緯がある。しかし、効率化とは名ばかりで、実際は国も地方自治体も膨大な借金を抱えており、その額は年々増大している。経済合理性や効率化という「ものさし」で、基礎自治体の価値を図ること自体に無理が生じているのではないだろうか。

 だからこそ、私は新たな基礎自治体の在り方を考える「ものさし」をつくりたい。新たなものさしとは、経済合理性や効率化を第一に置くのではなく、「人」そのものに着目し、一人ひとりが未来に希望を抱き、わくわくできる社会を指す。人々が心地よくまちを歩き、出会い、くつろぎ、挑戦する、そんな日々笑顔が溢れる「まち」である。そのことが結果的に経済合理性や効率化を後押しし、次世代に繋がる持続可能な社会につながっていくと考える。

2.地方自治とは何か

 日本では、明治以降、国と地方の関係を上下・主従の関係で捉えてきた歴史的背景があり、基礎自治体より首都・東京に富みを集中させた経済成長路線を歩んできた。しかし、1990年代に入ると、基礎自治体をより自律した「地方政府」にするため、国と地方の関係を対等・協力の関係へと見直す動きが活発化し、国と地方の権限を整理する法律が次々と成立した。地方分権推進法(1995年)や、三位一体改革(2002年)、地方分権改革推進法(2006年)、まち・ひと・しごと創生法(2015年)などが挙げられる。これらは「分権改革」と呼ばれ、国から地方へ、または官から民へ、権限を委譲していくものであった。

 現在の日本の地方自治は、日本国憲法の第8章(92条~95条)に記載されている。また、基本原則として92条に「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」と明記している。そして、その法律である地方自治法には、第一条において「この法律は、地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする。」とある。

 両者で述べられている「地方自治の本旨」とは大きく2つの解釈が挙げられる。それは住民自治と団体自治である。前者は、地方自治が住民の意思に基づいて行われるという民主主義の要素を指し、後者は地方自治が国から独立した団体に委ねられ、団体自らの意思と責任の下でなされるという地方分権の要素である。一人ひとりの自治の意識と一つひとつのまちができる機能に分けて捉えられている。また、本旨という言葉には、いかなる法律であっても変えることのできないと解されているが、これら二つの概念は憲法・法律上で述べられているわけではなく、不明瞭な部分が多い。

3.地方自治の課題

 自治とは、「一人ひとりが自らそのまちを治め、経営する」ことである。地方分権改革のように権限の委譲をするだけでは、たとえ国から地方へ仕事が移行したとしても、一人ひとりの自治の意識が形骸化していては成り立たない。行政だけではなく、そこに住み働く一人ひとりが当事者となり、自治の意識が根付くまちを育てることが重要なのである。

 ここでは、住民の自治意識が高いドイツを参考に述べていく。第二次世界大戦で敗戦を経験し、一から国を立て直した日本とドイツの両国だが、各自治体の集合体を国と考えたドイツと、日本という国の名のもとに各自治体が存在すると考えた日本では、現在のまちの姿が大きく異なっている。それは、広域自治体や基礎自治体の数を見れば明らかである。「地球の歩き方」によると、ドイツは「ドイツ」「ベルリンと北ドイツ」「南ドイツ」など3冊あり、それだけ多様な文化圏が存在している。なぜ、ドイツは日本よりも少ない人口であるにも関わらず、このように多くの自治体の多様性を維持することができるのだろうか。ドイツの地方自治の在り方に、日本は学ぶべき部分があるのではないか。

表:各国の地方政府の体系(日本都市センターのデータをもとに筆者作成)

 ドイツ連邦共和国基本法第 28 条第1項及び第2項に「州、郡及び市町村においては、国民は、普通、直接、自由、平等、秘密の選挙に基づく代表機関を有しなければならない。…市町村は、地域的共同体のすべての事項について、法律の範囲内で自らの責任において規律する権利を保障されなければならない。市町村連合も、法律の定める権限の範囲で、法律に基づいて自治を行う権利を有する。自治の保障は、財政上の自己責任の基盤をも包含し、税率設定権を有する市町村に帰属する経済関連の租税財源もこの基盤の一部をなしている。」と定めており、自治を前提とした上で、いかにそのまちや人々に対して自治を保障するかという機能について憲法レベルで確認をしている。ドイツは連邦制の国であるという日本との違いはあるが、自治の権利の所在や保障事項について明記していることに大きな意義がある。こうした法律の規定が、まちの施策にも反映され、一人ひとりの自治意識に表れている。その一つが、コミュニティ・マネージメントである。これは、現代になって表面化した都市の問題に対して住民などの人の活性化や社会的ネットワークの形成を目的としたコミュニティ再生の仕組みである。まちの課題に対して、多くの関係者の関心を高め、問題意識を共有し、一人ひとりの参加を促進する都市政策が、各地にあるコミュニティハウスなどを起点に数多く行われている。このように、国とまちの双方が自治について、法律への言及から実際の行動まで一貫して示されている。まさに日本でいう地方自治の本旨を体現しているのである。

 日本は、自治について、法律に規定されていないだけではなく、コミュニティ形成や政策に対する一人ひとりの自治の意識も、選挙の投票率や請願・陳情の件数、政策に対するコミュニティの意見などをみても低いと言わざるを得ない。日本は、これからの地方自治についての方向性を指し示すことが喫緊の課題である。

4 理想の地方自治の姿

 自治を実践するには、法律による規定と実際の行動が必要であるが、それらを実現させるには一人ひとりの実践力が必要となる。先に述べたように、分権改革の代表である権限の委譲は、判断と責任の委譲のみならず予算の扱いも委譲される。これが時には自治体にとって負担になり、権限委譲は行政の機能を低下させる恐れもある。だからこそ、一人ひとりの実践力によって、行政だけではなく、一人ひとりが結集した皆の力でまちを経営していくことが求められるのである。地方自治を行う上で、基盤となるのは一人ひとりの実践力であることを忘れてはならない。

 ドイツでは、日本と同じく人口規模の縮小が激しいが、1999年から「社会都市(Sozaiale Stadt)」という制度を創設し、この危機を乗り越えようとしている。これは、コミュニティの再生を中核に置いた衰退市街地再生プログラムである。地域住民の活力向上、コミュニティの強化、ネットワークの構築を図ることで、そこに住み働く人々が、自律性を高めて持続可能なまちを形成することを目標としている。これは、行政の体制や市民の活動、地域コミュニティ、地域企業などに大きな変革を目指すため、地域からの社会改革とも言える。

 社会都市は、大きく3つのプログラムがあり、

 

 1:地域の主体性・自律の確立

 2:複数の課題に対する統合型アプローチ

 3:地域資源、人的資源、資金の発掘・集約と活用

 

から成立している。例えば、ドイツのブレーメン市で行われている住宅や居住環境改善事業は、コミュニティハウスの運営を各自治体が担い、議員に声が届く仕組みになっている。それだけでなく、この一つの事業には失業対策や雇用研修、社会参加促進対策など、複数の目的がある。また、運営資金は、公的資金に加え、補助事業、民間からの寄付などを行い積極的に集められた。ドイツでは、全体の効率的な運営を目指し、独自で財源を調達するために仕掛け続けていることに大きな特徴がある。

 これらのコミュニティ政策は一人ひとりの実践力に重きを置くことでコミュニティの自律を可能にしたのである。日本においても、こうした取り組みを参考にしていきたいが、日本では自治を考える際に忘れてはならないことがある。それは、地方自治と災害の関係性である。

 日本は、災害大国である。東日本大震災以降も、豪雪、台風、豪雨などが日本列島各地で頻繁に起こった。災害の現場は基礎自治体である。この繰り返される災害において、私たちは災前としてハード面の工事など厳重に備えようとしがちだが、災害の間(災間)としてハード面のことだけではなくソフト面も活用して柔軟に捉えていくことの方が持続可能性がある。災前の思考は、リスク回避にあるが、災間の思考は災害を何度も起こり得るものとして受け止め、誰もが弱者(被災者)になることを前提として、どのように命を守るかを考える。大自然を相手にすれば人間は小さな生き物である。自然と向き合い共生していくためにも、一人ひとりの知恵を結集してまちとしての力が必要なのである。現在のように効率を最優先に置く社会は、自己責任を突き詰めていくこととなり、あらゆることに対して個人がリスクを背負うことになる。しかし、それは社会としての受け皿が希薄化し、災害など有事が起きた際の対応が脆弱的である。有事となった際に、最も身近で頼りになるのはコミュニティである。そのコミュニティが、日本では過疎化や核家族化、プライバシーの主張などを受けて、崩壊しかけている。実際、東日本大震災では、コミュニティが強化されていれば、誰が今避難所にいないのか、どこにその人がいそうかなど、もっと早くわかっただろうという反省も挙げられている。コミュニティという概念は、すぐに結果を求める効率化の観点から見れば、価値を見いだせないかもしれない。しかし、人と人をつなげていき、まち全体にゆとりを生み出すには“(あそび)間”が必要である。災害の多い日本では、なおのこと大切にすべきことではないだろうか。まちはそこで住み働く人のものであり、まちをつくるのもそこで住み働く人である。まちで起こることに対して、他所事、もしくは誰のものでもない「みんなの事」として、政治や行政に頼り、任せてしまうと、有事の際に自ら当事者となった時に対応できない。そのまちに住み働く人たちがまちで起こることを「私たち事」として捉え、実際にまちを動かしていく実践力が必要なのである。“あそび(間)”とは、そんな実践力を発揮するための環境であり、時間・空間・仲間を指している。互いを知りアイデアを出し合える時間づくり、安心する空間づくり、自由でゆるいつながりづくりである。いざという時に迅速に対応できるように、個人の持てる力を最大限に発揮できる強固なまちを築くためにも、“あそび(間)”のある環境を整えることが、日本の地方自治では行わなくてはならないのである。

 現在の福島は、一人ひとりの実践力や個人の持てる力を発揮できる“あそび(間)”のある環境の実現が求められているが、人々の活力の向上を根底に置くドイツの社会都市の理念は、非常にリンクするところがある。一人ひとりの実践力を育むためのコミュニティ政策が、人々の日常生活の中にある “あそび(間)”によって行われているからだ。気楽に話すことを重視するティーブレイクの時間や、何かをしてみようと思える空間、そこで出会える仲間など、コミュニティハウスが起点となって、まちに“あそび(間)”が溢れている。

 Fukushimaは東日本大震災を経験し、世界中から多くの支援を頂いてきた。

 Fukushimaは「大震災・原子力発電所事故」を表す世界共通語となっている。そんなFukushimaだからこそ、各自治体の先頭に立って課題解決にあたり、その結果と過程を力強く世界に発信していくことが、支援者への最大の恩返しにつながるのではないだろうか。現在、“Fukushima”のPR活動は、行政主導の下で国内だけはなく世界各地で行われているが、果たしてそれは住民や企業から望んで行われていることなのだろうか。「行政がしてくれるからするのであって。」という声も数多い。行政主体の取り組みでは、予算の変更があった際に継続が困難となる。行政主体から、一人ひとり、一つひとつの企業が主体となることが早急に求められており、そのための実践力を高めることが課題となっている。その環境とは何か、人として力を最大限に発揮できるようにするための環境を模索したい。

 アジア初のノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者であるアマルティア・センは、『人間は私利私欲を追求することのみを行動規範とする「合理的な愚か者」ではなく、コミットメント(使命感)とシンパシー(他人への思いやり)を重視する存在である。』と述べ、人間的発展の必要性を提言した。それは、国連でも議論されることになり、「内発的発展」として展開されていくことになる。1975年の国連経済特別総会報告「何をなすべきか」にば、よれば内発的発展を、以下の4点でまとめている。

 

 1:経済人像から全人的発展という新しい人間観

 2:一元的、普遍的発展像ではなく、自律性や分かち合いに基づく共生の社会

 3:資本主義や中央集権的計画経済とは異なる生産関係の組織

 4:住民の創造性

 これは、世界だけではなく日本国内でも議論されていることであり、社会学者である鶴見和子が内発的発展を5点にまとめている。

 

 1:目標において人類共通

 2:目標達成への経路と創出する社会のモデルは多様

 3:共通目標は、衣食住の基本的欲求を充足し、人間としての可能性を発揮できる条件を創造

 4:固有の自然環境に適合し、文化遺産に基づき、歴史的条件に従って、外来の知識・技術・制度などを適合しつつ自律的に創出

 5:地域の小さき民の創造性の探求

 目標や達成のための手段など、両者に共通していることは多い。その中で、内発的発展を遂げるための要素を抽出してまとめてみると、

 

 1:住民学習

 2:まちの風土

 3:オープンイノベーション

 4:自治制度

 

 と大きく4つに整理できる。住民学習とは、地元の技術・産業・文化を土台にして、地域内の市場を主な対象として、地域の住民が学習し計画し経営することを指す。まちの風土とは、環境保全の枠の中で開発を考え、自然の保全や美しいまちなみを創るというアメニティを中心の目的とし、福祉や文化が向上し、地元住民の人権の確立を求める総合目的を立案することにある。オープンイノベーションとは、産業開発を特定業種に限定せず複雑な産業部門に渡ようにして、付加価値があらゆる段階で地元に帰属するような地域産業連関を推進することを指す。自治制度とは、住民参加の制度をつくり、自治体が住民の意思を通して計画に乗るように資本や土地利用を規制する自治権を保持することである。この4つの要素は、先に挙げたドイツの社会都市の特徴である3点とも類似している。ドイツの地方自治は内発的発展に基づくものと言えるだろう。人を育てることは、地方自治を育むことと同義なのだ。

 内発的発展を実際に社会に落とし込み、一人ひとりがまちの発展を体感できるようにするには、できる限り多くの人が成功体験を積めるよう仕掛けていく必要があり、政策・経済・コミュニティの3分野が重要となる。条例や法律の制定といった政策展開、起業や事業展開などの経済展開、自治会長やコミュニティ施設の運営であるコミュニティ展開である。これら3分野は、そこに住み働く人にとって、直接影響力があり、議会や行政、経済界を動かす力を持つため、まちへの効果が大きいと言える。

5 理想を実現へと導く実践

 私は内発的発展を遂げるための施策として参画型実践サイクルを提案する。これは、そこに住み働く一人ひとりが実践者となれるようにまち全体で人を育むことを目的とし、知る(Knowing)→アイデア(Being)→実行(Doing)の流れを軸とする。これには大きく二つのサイクルがあり、趣味から生まれるゆとりの文化創出と、社会にインパクトを残す挑戦の文化創出である。ここで最も重視することは、夢や情熱、ちょっとやってみようかなという気持ちを一人ひとりに育むことにある。そうした一人ひとりも想いがエネルギーとなって、このサイクルを動かすのである。

 1周目のサイクル、ゆとりの文化創出とは、まず自分自身のことや周りのこと、故郷のことを知る(Knowing)ことから始まる。自分の趣味や好きなこと、こんなことしてみたいなという気持ちを育みそこで育まれた興味関心から、自分だったらという価値観(Being)を形成し、何ができるかアイデアを練る。最後に、練ったアイデアを実行(Doing)する。どんなことでも、動き出したことに対して評価し、その結果についてきちんとまとめ、次回に向けて動き出せるように整理する。

 このように1周目のサイクルについては、自らの趣味でつながるようなサークル的な活動が日常的に行われるように仕掛けていくことを目的とし、失敗を許容し小さな一歩を踏み出すことを重視する。これらは先に述べた地方自治を目指す上で必要な、住民学習やまちの風土、オープンイノベーションという内発的発展を遂げるための要素が取り入れられているが、自治制度の取り組みには至っていない。だからこそ、ここで終えてしまってはいけないのである。

 2周目のサイクル、挑戦の文化創出は、1周目のサイクルで積み重なってきた経験をもとに、一人ひとりの実践からまちの実践へと落とし込んでいくためのものである。1周目の経験から、社会において何が求められているのかを整理する。(Knowing)集められた経験をもとに話し合い、こんな社会にできたらいいなという夢を育む。次に、その夢に対してどのようにしたら実現できるかを、立場を越えて考えることのできるオープンイノベーションの環境を整え、アイデアを整理する。(Being)最後に、社会に落とし込むために政策展開、もしくは経済展開に落とし込んでいく。(Doing)

 このように、2周目は、より一人ひとりがまちの実践者となるための仕掛けである。1周目、2周目で述べたことは、内発的発展を遂げるための4要素の全てを含んでいる。これらを持続的に行うためにどのような順序で実現していけばよいものかを示したものである。一人ひとりが実践者となれば、今以上にまちに対する自治の意識が働き、どのようにして生き残っていくかをまちの皆で考えていき、まちとしての決断・実行することを実現できるだろう。このサイクルを根底に置かない限り、一人ひとりの実践力なき改革となり、分権改革の時と同じく、戦略なき戦術となってしまう。今こそ、一人の百歩から、百人の一歩へ動き出す時なのである。

6 福島市HDCs構想

 では、この参画型実践サイクルをFukushimaにて実現するにはどうすればいいだろうか。ここからは、私の故郷であり、最も身近な基礎自治体である福島市を舞台にして述べていく。これからの福島市の理念として「福島市HDCs構想(Human Development Communities)」を打ち立てたい。これは住む人働く人の“わくわく感”を軸として生きがいを持ち、自らまちを営むことを目指すものである。

 Human Development (以下、HD)とは、人間力を育むことを指し、ここではそれを行っている施設のことをHDC(Human Development Community)と定義する。福島市内のHDCは、行政の管轄するもので、公民館(16施設)、男女共同参画センター、市立図書館、県立図書館、県立美術館などがあり、民間の管轄でも商工会議所が入っているコラッセやアクティブシニアセンター、子どもの夢を育む施設、コラボスペースCOCO、チェンバおおまち、コラッセなど多数ある。いずれのHDCもそれぞれに講座やイベントなど企画が行われており、参画型実践サイクルの実現を目指し関係する人々でコミュニティを形成している。しかし、一つひとつのHDCが独立しており、HDCsというまとまりは存在していない。故に、参画型実践サイクルの1周目までは達成できたとしても2周目までは達成できず、たとえまちに対して意見を持っていたとしてもインパクトを与えられる機会もない。まちとして、住む人働く人に自らのまちを営む力を育むのであれば、HDCsとしたまちの理念の確立が何よりも大切となる。福島市として、HDCsというまとまりの中で、一つひとつのHDCを捉え、社会へのインパクトを与える活動が展開できれば、参画型実践サイクルは一層循環していくことになる。たくさんある福島市のHDCも、それぞれ特徴sを活かし、ALL福島市をもって一人ひとりの実践力を育むことができるだろう。昨今、コミュニティ・カレッジが話題となっているが、福島市HDCs構想は一つの施設という点に重視するのではなく、まち全体の今ある施設全てを活かした面的な構想となるだろう。ないものねだりではなく、あるものを積極的に活かそうとするものである。

 福島市HDCs構想は、福島市公認の団体を設立し、その団体がそれぞれのHDCの窓口となる。そして本団体が認定した講座・企画において参加者と企画者にポイントを付与し、そのポイントが一定の水準を上回った者がHDCs Managerとして任命され、政策展開や経済展開、コミュニティ展開を可能とするものである。ここでいう政策展開は、議会における市民スピーチを指し、経済展開は補助金や事業コンサルティングを、コミュニティ展開は自治会長になる権利や公民館などの施設の館長となる権利をそれぞれ指している。 

 まちの経営を担うことのできる実践者を増やし、一人ひとりがリーダーとなるまちづくりを育むことが地方自治の基盤である。現在行われている観光政策や、伝統工芸品の展開、六次化産業、権限委譲などの地方創生事業は、どれも重要な政策であるが、その根底にあるものを見失ってはならない。私は、それを一人ひとりの「人」が当事者意識をもって参画し、実践者となることだと考えている。

 福島市HDCs構想は、一人ひとりの実践力を育むための参画型実践サイクルの実現を目指すものである。未来とは誰かかがつくってくれるものではない。一人ひとりの力でつくりあげていくものだ。私は、Fukushimaという地でFukushimaに関わるすべての人と共に挑戦していきたい。

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馬場雄基の論考

Thesis

Yuki Baba

馬場雄基

第38期

馬場 雄基

ばば・ゆうき

衆議院議員/東北ブロック比例(福島2区)/立憲民主党

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