Thesis
放課後15時30分を過ぎた小・中学校。まだ数人の子どもたちが教室に残っている。ギターを黙々と練習する子、ダンスに集中する子、真剣に絵を描く子。そこには日中の授業とは違い、自分の好きなことに夢中になっている子どもたちの姿がある。しかし、その場にいるのは子どもたちだけではない。地域の高齢者や保護者が、子どもたちの様子を見守りながらお茶を飲み、談笑している。中には、子どもたちと一緒に活動を楽しんだり、自らの得意分野を子どもたちに教えている方もいる。
これは、人口約2万4千人の岐阜県山県市で、これから少しずつ形になっていく「アトリエ教室」の理想の日常である。放課後の学校の空き教室を活用し、子どもたち・保護者・地域の方が集い、創作活動や会話を通じて多世代が交流する。また、誰かに指示されたわけでもないのに、「子どもたちのために」という思いから自然に新しい活動が生まれていく。学校という学びの場が地域に開かれた居場所となり、世代や立場を超えた関係が芽生える。誰かのために動くことが、自分自身の楽しさをさらに駆動し、気付けば「よきこと」をせざるを得ない関係になっていく。気が付くと、その活動を通じて、地域の自治の醸成につながっている。まさに社会教育が目指す姿である。

図1、アトリエ教室とは(筆者作成)
筆者は山県市教育委員会での研修を通じ、本事業のコンセプトづくりから初期段階の実装まで関わってきた。事業はまだ始まったばかりであり、実際に多様なステークホルダーを巻き込んで活動を広げていくのはこれからである。本レポートでは、社会教育の理論的枠組みを押さえた上で、基礎自治体の教育委員会職員の立場から、本事業を通して社会教育を推進する上で直面する現実を記す。そして、事業の展望や課題を整理し、人口減少・少子高齢化が進むこれからの地域の未来を支える社会教育の可能性とビジョンを提示する。
社会教育の意義を考えるためには、まずその基盤となる「学び」の本質を問う必要がある。大田は学びを「人間には「関わりたい」という欲求が必ずある。他者と関わることで違いに気付き、折り合いをつけないといけないから、自ら変わる。違いを認め合ってつながっていく[1]」行為だと述べている。牧野は「人々が関係をつくることを通して、社会をつくる。そうすることで自分の存在を社会の中に認め、自分が他者とともに生きていることを実感し、うれしさを感じる、こういう楽しさを基本とした一連のプロセス。[2]」と述べている。このことから、私は学びとはただ単に机に向かって知識を詰め込む行為だけではなく、他者との関わりの中で自らが変化し、他者や社会とつながっていく連続的な行為という意義を本質的には内包しているのだということもできる。この学びのプロセスを制度的・組織的に支える仕組みこそが社会教育である。
このような社会教育の役割は時代の社会的・経済的背景に応じて大きく変化してきた。牧野によれば、明治以降の近代化の過程で、学校教育は産業社会の人材供給源として機能し、特に戦後の高度経済成長の時代にその機能が一層強化され、その結果、社会教育は戦前戦後を通して学校教育を補完し、拡張し、あるいは代替する役割として位置づけられていた[3]。すなわち当時の社会教育は、学校教育を中心とした社会システムの「外縁」に位置付けられ、独自の役割を果たすというよりは、学校教育の補助的機能として理解されていたのである。
しかし、現代社会においては状況が大きく異なる。価値観の多様化や人々の孤立化、さらには人口減少が進行する中で、学校教育は「個別最適化」や「ウェルビーイング」といった新たな要請に直面している。これに呼応するように、社会教育に期待される役割も大きく変容している。すなわち、現代の社会教育は単に学校教育を支える「補助的な教育」ではなく、住民の「参加」を促し、「自治」を醸成し、さらに「孤立の解消」を図り、「創造」と「共存」に向かっていくという、社会的包摂の役割が強く求められている[4]のである。本章の冒頭でまとめた「他者との関わりの中で自らが変化し、他者や社会とつながっていく連続的な行為」という学びの要素が社会教育には強く内包されている。
このような社会教育が担う役割は近年ますます強まっている。第四次教育振興計画[5]によると、「社会教育は、地域住民が共に学ぶものであり、地域コミュニティ形成の営みという性格を強く有している。近年、防災、福祉、産業振興、文化交流など、広義のまちづくり・地域づくりに関する多様な行政分野において、その地域課題の解決に向けて、関係省庁が地域コミュニティに関する政策を提示している。これらの政策は地域コミュニティが維持されていてこそ機能するものであり、社会教育の役割が重要となる。」、さらに続けて「地域において人々の関係を共感的・協調的なものとするためには、社会教育による「学び」を通じて人々の「つながり」や「かかわり」を作り出し、協力し合える関係としての土壌を耕しておくことが求められる。こうして形成された地域の人々の関係は持続的な地域コミュニティの基盤となり、ひいては社会全体の基盤となる。「人づくり・つながりづくり・地域づくり」の循環が生み出されることにより、地域コミュニティにおける個人と地域全体のウェルビーイングの向上がもたらされる。地域で人と人とのつながりを作り、協調的な幸福感を紡ごうと取り組んでいる人たちが自信と誇りを持つことができるようにしていく必要がある。」と記されている。つまり、社会教育が、人々が協力し合える関係の土壌を耕し、分野横断的な政策ターゲットである「地域コミュニティ」の基盤となるための役割として注目されているのである。例えば、教育におけるコミュニティ・スクール[6]や地域学校協働活動[7]、農業における農村地域づくり事業体[8]、福祉における地域包括ケアシステム[9]や重層的支援体制整備事業[10]、まちづくりにおける小さな拠点[11]、防災における国土強靭化政策[12]など、人口減少を前提とした社会における持続可能な地域運営のために、各分野において地域住民の参画と自治を基盤としたコミュニティ形成が推進されているのは事実である。協力し合える関係づくりを醸成しコミュニティを形成するのが現代の社会教育の役割であり、社会そのものの持続可能性を担保する「基盤的な営み」にもなり得る。現代にとって一丁目一番地の施策となり得る可能性をもっていると言っても過言ではない。
地縁・血縁・社縁の希薄化が大きな社会課題の一つとして指摘されている現代社会において、社会教育の福祉的意義が大きく求められている。神野[13]は、かつて家族や地域コミュニティが担っていた無償労働による生活保障機能が、市場経済の拡大と大量消費社会の成立によって急速に失われてきたと述べている。すなわち、家族や近隣による共同作業や相互扶助は衰退し、家族は孤立化し、コミュニティとのつながりも希薄化した。その結果として、今日の社会では生きづらさが多様化・複雑化・複合化し、社会問題として顕在化しているのである。したがって、家族や地域コミュニティに代わる新たな社会的セーフティネットを政府が意図的に整備する必要がある。
とりわけ重要なのは、社会的孤立や孤独、ダブルケア、8050問題、老老介護、高齢単身女性の貧困といった課題に対し、事後的対応ではなく「事前的・予防的なセーフティネット」を構築することである。ここで求められるのが、参加を促し、自治を醸成し、孤立の解消を図り、創造と共存に向かう社会的包摂の機能をもつ社会教育の役割である。
神野[14]はさらに、重化学工業を基軸とする工業社会から知識社会へと移行する中で、福祉国家による現金給付(所得再分配)だけでは生活保障に限界があると指摘する。そのうえで、家族機能やコミュニティ機能を代替する「対人社会サービス」(相互扶助サービス、家族内相互扶助代替サービス、共同体維持代替サービス)といった現物給付の必要性を論じている。言い換えれば、現金給付による生活保障に加えて、社会参加を保障する現物給付を補強することが不可欠であり、この点にこそ社会教育の福祉的意義が見出される。
実際、地域包括ケアシステム[15]においては「高齢者の社会参加を一層推進し、元気な高齢者が生活支援の担い手として活躍することにより、生きがいや介護予防につなげることが重要」と位置付けられている。また、重層的支援体制整備事業[16]においても、社会とのつながりを創出するための参加支援や、交流・学びの機会をコーディネートする地域づくりが柱とされている。これらの政策動向は、社会教育が福祉的セーフティネットとして果たすべき役割を示唆している。
以上を踏まえると、社会教育の福祉的意義は、単に教育の枠を超え、予防的な社会的セーフティネットとして「参加」と「自治」を促し、孤立を防ぎ、全ての住民が生きがいをもって共生できる地域社会を支える点にあるといえる。
「学び」とは、他者との関わりの中で自らが変化し、他者や社会とつながっていく連続的な行為である。学校には義務教育課程以外にもそうした学びの場が存在するが、現代の学校は多くの場合、義務教育課程の児童生徒を中心とした閉鎖的空間として存続している。なぜ学校は地域社会の変化に追随できず、閉じた構造を保ち続けているのか。この問いに対する手がかりは、学校という制度と空間が形成されてきた歴史的経緯にある。
1872(明治5)年の「学制」公布は、全国を画一的に教育する制度の確立を目的としており、教育を国家的統制のもとに置く体制を構築した[17]。この時期、学区制や義務教育制度の導入に伴い、教育施設も「国家が教育を統制する装置」として位置づけられた[18]。結果として、教室配置、門、フェンス、職員室、校庭構成などが全国的に標準化され、「学校=閉じられた教育空間」という構造が制度的・空間的に確立していった。
大正から昭和期にかけて、義務教育の定着とともに学校数の急増および施設整備の本格化が進行した。この時代の学校建築は、「多くの子どもを同じ形式で学ばせる」「教員・教育行政が学校を管理・統括する」という理念に基づいて設計され、学校空間は地域生活から切り離された「教育専用の場」としての性格を強めた[19]。戦後に入ると、「全人教育」や「生活指導」の名のもとに、学校は子どもの学習のみならず生活全般を指導・管理する場として拡大していった。こうして学校は、子どもの生活を包括的に管理する「全日制装置」としての性格を強め、子どもが学校で過ごす比重が強くなり、地域や家庭との関係は一層希薄化していった。すなわち、学校空間の構造と学校の全日制装置としての性格が、社会との接続を阻む要因になっていたのだ。
しかし21世紀に入り、家族形態の多様化、地域コミュニティの衰退、労働市場の流動化など、社会の基盤が大きく変化する中で、学校教育は過渡期を迎えている。コミュニティスクールや地域学校協働活動、地域の特色を活かした総合的な学習の時間など、外に学びの場を広げてきた。しかしながら、学校自体は未だに閉鎖的である。
なぜ社会全体の構造変化に学校が追随できていないのか。それは、上記にも記した通り、学校が近代以降の「画一的秩序」を前提とした制度として形成されてきたためである。学校の運営は時間割、学年、教科、評価といった明確な枠組みに基づいて構築されており、これらは産業社会における「効率性」や「統制」を支える価値観と親和的であった。しかし、現代社会では生活様式・価値観・働き方が多様化し、学びの場も学校外へと拡散している。それにもかかわらず、学校の制度や文化は依然として「同質性」「一斉性」「序列性」を基盤としており、この構造的ギャップが学校の機能不全をもたらしている。言い換えれば、社会が「多様な関係性を基盤とした学び」へと移行しているのに対し、学校は「管理と秩序を前提とした学び」の枠組みから抜け出せていないのである。
こうした変化の中で、学校施設を「地域の学び・交流・支援の場」として再定義しようとする動きが少しずつ生まれている[20]。令和期の学校施設整備方針では、「可変的な教室」「地域共用ゾーン」「地域に開く設計」などが政策的論点として掲げられており、学校建築が地域住民の交流や学習の拠点として再構想されつつある。施設論的観点から見ると、この動向は「管理される空間」から「関係が生まれる空間」への転換を意味する。
従来の学校建築が時間割と教室配置によって秩序を維持する閉鎖的構造を持っていたのに対し、近年の学校設計では校舎・校庭・体育館・地域共用ゾーンを連続的に配置し、児童生徒、保護者、地域住民が共に学び・活動できるように設計されている。例えば秋田県五城目町の五条目小学校[21]では、図書館の一角を地域共用ゾーンとして常に解放している。さらに、校舎も子どもの学びだけではなく、大人も学ぶことができるような空間設計になっており、場合によっては子どもと大人が一緒に学ぶこともある。このように空間構成そのものが、関係性の生成を促す仕組みへと変化しつつあるのである。
それでもなお、この転換は限定的である。学校が社会構造の変化に十分に対応できないのは、ソフトを支える行政間の運営体制にあるのではないだろうか。日本の行政では、学校教育は教育委員会の学校教育課に設置されていることが多いが、社会教育は生涯学習課管轄であり、教育委員会に設置されている場合もあれば、首長部局に設置されている場合もある。どちらにせよ、学校を地域に開く観点では、管轄の部署を横断した連携が必要になる。この縦割り構造が、学校が地域に開かれることを阻む一因となっている。
今後求められるのは、学校を「地域が自らの未来を創出する共創の場」へと再定義することである。しかしそれは、必ずしも新たな施設整備や建築的再設計を意味するものではない。もちろんハードの設備が変わることで、開かれた学びへと向かっていくのは間違いないだろう。しかし、学びをどう捉えるのかという意識が変わらないとどれだけハードを整えたとしても根本は変わらない。既存の学校空間をどのように使い、誰がそこに関わるかという運用の転換こそが、教育と社会の関係性を再構築する鍵となる。アトリエ教室の実践が示すのは、閉じられた学校施設の中にも、関係が生まれ、学びが循環する可能性が潜んでいるということである。空間を変えなくても、関係を変えることで学校の意味は変わり得る。すなわち、学校を管理の装置から、関係と創造の実践が生まれる場へと変換することが、現代社会における教育の再定義につながる道である。
冒頭述べたアトリエ教室では、こういった現代社会の教育の再定義にチャレンジしている取り組みと言えよう。ここではアトリエ教室の実践をまとめたい。現場においては多くのジレンマが存在するが、その実態を記録することは、地域社会における社会教育の意義を考察する上で重要である。
山県市第三次教育振興基本計画[22]によれば、アトリエ教室は「子どもたちが夢中になることを目的に、学校の余裕教室を活用し、地域住民との交流を可能とする午後15時30分以降(放課後)の子どもたちの居場所の提供」と定義されている。2024年度に小学校1校で試行的に開始され、低学年児童を対象に3回、6時限目の時間に、ビニール傘に絵を描くアンブレラアート教室が開催された[23]。筆者は2025年度より山県市教育委員会に「教育改革推進フェロー」として参画し、生涯学習課職員とともに本事業に携わることとなった。以下に事業の詳細を時系列で記していく。
本事業においてまず着手したのは、長期的展望を見据えたコンセプトの再検討である。事業を誰にとって、どのような成果があれば「成功」と言えるのかについて、担当職員や教育長と議論を重ね、基本的理念を整理した。
コンセプト① 「三方よし」が地域の未来を創る
教育振興基本計画では、子どもたちを主語に据え、ギター、ダンス、料理など学校の授業では体験しにくい活動を通して「夢中になる経験」を重ねることが掲げられている。しかし、それだけにとどまらず、地域住民との交流に重要な意義がある。本事業では、地域住民、特に高齢者が得意分野を活かすことによって自己有用感を得る機会を提供し、予防的な社会的セーフティネットとして機能させることを目指す。また、保護者同士のネットワーク形成に寄与する可能性もある。このように、子ども・保護者・地域住民にとって利益をもたらす「三方よし」の事業と位置付けられる。

図2、三方よしのアトリエ事業(筆者作成)
さらに、この事業の背景には、人口減少に直面する山県市において「未来の学校のあり方」を見据える意図がある。同市は人口約24,000人規模であり、「山県学園構想」のもと、学校統廃合か小規模校存続かという二項対立を超える「第三の道」を模索してきた。2025年8月時点で全校児童27人という小学校も存在し、算数や国語などの基礎教科は個別最適化の形で実施される一方、体育・音楽・英語などは近隣校との合同授業を行っている。こうした中で、急速な人口減少により学校再編が避けられないことが予測される一方で、残存する学校を「学びを通じた地域の交流拠点」として活用する新しい学校の形を模索している。
牧野[24]は、学校統廃合によって地域のつながりが失われ、自治の基盤が揺らぐ危険性を指摘している。すなわち、住民が子育てや教育を通じて相互扶助の関係を築く機会が減少し、行政サービスへの依存度が高まる結果、自治体の負担が増大する。また、子どもが地域で大切にされていると実感する機会が減少し、大人にとっても地域の教育に関わる誇りが損なわれる。山県市のアトリエ教室は、このような統廃合による負の影響が本格化する前に、小学校区を中心に地域のつながりを再構築しようとする未来志向の取り組みであるといえる。
コンセプト②運営主体は住民、行政は住民のサポート役に徹する
アトリエ教室は、既存の地域有志の方が参加される放課後子ども教室や公民館活動とも同様のコンセプトを持ち合わせている。それは、行政がサービスを提供するのではなく、住民自身が主体的に運営する点にある。牧野[25]は、行政がサービスを過剰に提供するほど住民が依存的となり、不満やクレームが増え、逆に、住民が「自分が人の役に立っている」という実感を持つことが、自尊心・自己肯定感・自己効力感を高め、地域における主体的な参画を促進すると指摘している。
この視点の通り、本事業では年間の事業運営をコーディネートし、講師の選定や活動頻度を決定する役割の「放課後学校長」を設置するに至った。ただし、意思決定を放課後学校長一人に委ねるのではなく、学校ごとに運営方針を協議する会議体を設け、住民と行政が協働する体制を整備する構想を練った。生涯学習課はその会議体を統括する立場にあるが、基本的には住民の意思を尊重し、支援に徹する役割を担う。すなわち、運営主体はあくまでも住民であり、行政は伴走的なサポートを行うという構想のもとで事業は展開されている。加えて、当日に子どもたちを見守ったりする役割の無償ボランティアの方を「地域サポーター」と位置付けることにした。
本節では、上記のアトリエ教室のコンセプトを基盤としつつ、実装に向けて進められた準備過程を記述する。実装準備期は、学校・行政・地域住民といった多様なステークホルダーとの調整が不可欠であり、その過程で多様なジレンマが顕在化した。本節では、①学校との調整、②放課後学校長の選定、③地域サポーターの巻き込み、の三点を中心に検討する。
①学校との調整について
アトリエ教室の実施場所は学校の余裕教室であるため、学校教職員との調整が必須であった。教育委員会生涯学習課が最終的な責任主体であるとはいえ、子どもの安全確保を最優先に考える教職員の理解を得ることが前提条件となった。2025年度は伊自良南小学校を対象に実施することが決定した。
実施の際に課題に挙がったのが下校時間の取り扱いであった。協議の結果、当該年度は3年生以上を対象に、6時間目終了後の余裕教室を活用して年に4回ほど実施することとし、保護者の事前同意と迎えの推進を伝えることにした。
②放課後学校長の選定と役割分担のジレンマ
アトリエ教室の核となるのは、年間の事業運営や講師の選定、活動頻度の設定を担う「放課後学校長」である。しかし、初期段階から自発的にその役割を担おうとする住民は限られており、既存の学校運営協議会の構成員からも適任者を見出すことは容易ではなかった。また、行政が責任を住民に押し付けているように受け止められる危険性もあった。
理念的に事業を理解できる人材としては、社会教育士などの資格保持者が想定されるが、山県市の一般住民においてそのような人材は極めて稀少であった。このような現実を踏まえると、行政と住民の役割分担を一挙に移行させることは困難である。行政が過度にサービスを提供すれば住民の主体性は育まれず、逆に責任を一方的に委ねれば「行政の怠慢」と捉えられる可能性がある。このジレンマを回避するためには、行政が制度設計を担い、まずは「子どもにとって良い場」を可視化し、その価値を住民に実感してもらう段階を経る必要がある。
牧野は、強力なリーダーや政策が社会を牽引するのではなく、むしろ弱い人々が重なり合いながら関係性を紡ぎ、小さな社会を形成する「運動」こそが持続的社会の基盤である[26]と論じる。その観点からも、初期段階において行政が講師依頼や運営を担い、事業の「楽しさ」や「やりがい」を住民と共有できる環境を整備することが、地域参画への移行に不可欠であると考えられる。したがって、まずは行政が実装を担い、住民の参加を促す仕組みを整備し、その後に地域主導型へと移行するという段階的展開こそが、事業の持続性を確保するための現実的かつ効果的な戦略であると担当者と意見が一致し、その方向で進めていくことにした。今回の講師は、市内に拠点を構え、過去に市内の小学校で授業を実施した経験のある「ふくのきょうしつわたから[27]」様に依頼した。本企業は、畑の土づくりから無農薬で和綿を栽培しその和綿で様々な製品を製造している。その実績から講座内容は、綿からオリジナルのハンドストラップを作ることとした。
③地域サポーターの巻き込み
放課後学校長の担い手を将来的に育成するためにも、初期段階での地域サポーターの巻き込みが不可欠であった。候補者として想定されたのは、子どもとの関わりを好み、平日昼間に時間的余裕を有する元気な高齢世代である。健康介護課と福祉課から意見を集め、地域包括支援センター、社会福祉協議会、NPO団体等がそうした人材情報を有している可能性が示唆され、担当者と共に各アクターに活動内容をプレゼンし、連携を図った。
さらに、地域住民を説得するにあたっては、主観的訴えだけでは不十分であるため、総務課と連携を図り、客観的データに基づく「地域カルテ」を作成した。特に伊自良地区においては、他地区と比較して今後の人口減少が顕著であることが数値として示され、この状況を共有することで「地域の持続可能性を守るための事業」という認識の醸成が図られた。

表2、2025年度 アトリエ事業の年間スケジュール
本節では、2025年度に実施したアトリエ教室の実装過程について述べる。今年度は、9月から12月にかけて4回、「綿から糸を紡いでオリジナルストラップをつくろう」をテーマに実施した。以下に、実施日程と概要を示す。第一回のアトリエ教室について中日新聞に取り上げていただいた[28]。

表3、伊自良南小学校アトリエ教室スケジュール
実施を通じて明らかになったことは、大きく3点である。
①地域人材の発掘の難しさ
今回、地域サポーターとして2名のボランティアが参加してくださった。社会福祉協議会の協力により、学校近隣に住む70代の女性に声をかけて実現したものである。その方は毎回楽しそうに参加し、子どもたちや他の大人と積極的に交流していた。地域の高齢者がこのような形で関わることは、健康面・心理面の両方で大きな意義をもつ。アトリエ教室は、単に子どもの学びを支援する場にとどまらず、地域の人々が世代を超えて関わり、互いに元気を与え合う「共生の場」としても機能しうることを実感した。一方で、地域人材を掘り起こし、継続的に関与してもらう仕組みづくりにはまだ課題が多い。社会教育が地域福祉と連携しながら、ゆるやかな参加の機会を増やすことが今後の課題である。
②「教育」と「自治」のダブルスタンダードの困難さ
アトリエ教室には、「子どもの夢中や没頭を引き出す教育的目的」と「住民同士の交流を通じて自治を促す社会教育的目的」という二つの目標がある。この二つを同時に成立させることの難しさを、実践を通して痛感した。
まず、子どもの「夢中」を引き出すためには、大人の関わり方が重要である。大人が過剰に手助けをしてしまうと、子どもが自ら試行錯誤し、失敗を通して学ぶ機会を奪ってしまう。今回のアトリエ教室では、大人の参加者が子どもより多かったこともあり、当事者の私も含めて無意識に手を出してしまう場面が見られた。大人がどこまで関わるべきかは常に難しい課題だが、時には一緒に楽しみ、時には見守るという「関わりの緩急」が求められると感じた。
次に、環境設定の重要性である。今回は、糸を紡ぐか編むかを選択できるようにした。アトリエ教室は学校の授業ではないため、期限や到達目標を設定せず、子どもが自ら関心のある活動を選べる環境づくりが大切である。多様な選択肢の中から自分で選択することができる環境設定が重要だ。興味をもてない活動だけが提示されると、主体的な学びは生まれにくい。
最後に、コンテンツ設計の段階で「教える」と「任せる」のバランスが重要である。基礎的なやり方を理解して初めて、自ら試行錯誤する段階に進める。つまり、夢中とは無秩序な自由ではなく、「理解の上に成り立つ自発性」である。
このように考えると「教育的夢中」と「自治的交流」は切り離した方が良いのではないかと思うかもしれない。しかし、この二つは対立概念ではなく、むしろ相互に補完し合う関係にあると私は考える。安心できる他者の存在があるからこそ、子どもは没頭できるのではないだろうか。黙々と糸を紡ぐ私と同時に、黙々と糸を紡ぐ他者がいることで、場に安心感が醸成される。今回のアトリエ教室の経験から、「夢中」には色々なパターンがあり、その一つは孤立した行為ではなく、安心という人間関係の中で育まれるものであると実感した。
③学校教育と社会教育の新たな相互補完関係の可能性
アトリエ教育を理論的枠組みから分析すると、従来学校の外側に置かれてきた社会教育の機能を、あえて学校内部に取り込むことで、学校教育と社会教育の関係性を相互補完的なものへと組み換えた取り組みであるといえる。
たとえば、これまで比較的閉鎖的であった学校空間に地域の大人が参画することで、子どもたちは多様な価値観に触れながら安定した人間関係のなかで育つようになり、地域社会への愛着を育む主体として成長する。この点において、社会教育は学校教育を補完している。一方で、子どもと関わる大人自身も新たな役割を得ることで自己の可能性を拡張し、人生の豊かさを感じるようになる。これは、学校が社会教育を補完する構図である。
本レポートでは、社会教育の理論的側面、学校施設の新たな学びの場としての可能性、福祉的意義、そして山県市における実践的展開について論じてきた。理論と実践を往還する過程で明らかになったのは、制度的な導入そのものよりも、住民同士が関わり合い、共に学ぶことを通して少しずつ「自治」が醸成されていくという可能性である。住民が自らの地域に誇りをもち、主体的に参画することで、「よきこと」をせずにはいられないような自治の文化が創出されていくと考えられる。
しかし、社会教育を通じて住民主導の自治を形成していく過程では、理論だけでは見えてこなかった多くの困難が存在することも明らかになった。その一つは、人的・制度的基盤に関する課題である。第12期中央教育審議会生涯学習分科会[29]においては、「社会教育士」といった専門職の拡充が議論されてきた。しかし、本事業の実践から明らかになったのは、単に資格を有する人材を増加させることでは課題は解決しないということである。むしろ、社会教育、福祉、介護、まちづくり、総務といった多様な行政分野において、「自治」の意義を理解し、実践できる職員や住民を増やしていくことが重要である。そうすることで、「自治」という一本の軸を通じて分野を横断し、それぞれの事業を有機的に結びつけながら展開することが可能になる。さらに、それらの取り組みを理解し、適切に評価・支援する教育長や課長といった管理職の存在も欠かせない。山県市においては、理解のある教育長や行政職員の支援により、柔軟な実践が可能となった。これは、小規模自治体ゆえに可能であった自由度を活かした実践でもあり、今後はより大きな自治体でも実現できるよう、自治の意義を深く理解する人材を育成していくことが求められる。
もう一つの困難は、学校という場を活用する際の制約である。とりわけ責任の所在が曖昧になりやすく、学校内で地域活動を展開することには制度的な困難が伴う。しかし、本事業ではあえて学校で実施することにこだわった。学校という場は「学び」の機能を内在しており、誰もがその空間で学びを経験してきたという共有感覚をもつ。人口減少が進行するこれからの社会において、たとえ学校が統廃合されたとしても、学校が「住民が学びを通じてつながり続ける地域の拠点」として機能し続けることは、日本社会にとって極めて重要である。牧野[30]は、地域づくりにおいて「小さなドットを増やしていくこと」の意義を述べている。つまり、強固な共同体を目指すのではなく、人々が緩やかに関心を持ち合い、どこかでつながるような小さな「社会」を多数形成することの重要性である。現存する学校や廃校になった施設もまた、人々が学びを通じて関わり続ける「地域のドット」として機能し得る。今後は、このような学校を拠点とした新しい社会教育モデルを展開していくことが求められる。
すでに他の自治体では、児童生徒数の減少を背景に、小中学校の統合や、学校と社会教育施設を複合化する動きが進んでいる。だが、ここで重要なのは、ハード面の整備だけでなく、ソフト面のデザインを伴った持続可能な仕組みづくりである。学びを通じて人々をつなぐ「地域のドット」として、社会教育の視点からソフトを行政が主体的に「経営」していくことが不可欠である。
学校施設を媒介として、学校は「地域が自らの未来をつくるための共創の場」へと転換する可能性をもつ。学校における新たな学び、すなわち、一人ひとりが固有の存在として他者と関わりながら自己を再編し続けるプロセスを通じて、「地元」社会のあり方そのものが変わりうる。それは、国家が教育を行う装置としての学校から、子どもの全人格的な成長と、地域社会を創り変える主体者を育む場への転換を意味する。
したがって、今後の社会教育は、行政が提供する「サービス」として消費されるものではなく、誰もが主導者として参加し、学びの楽しさによって駆動される営みへと再構築されなければならない。そのためには、行政が従来のサービス提供者の枠を超え、地域住民と共に学び合い、小さなドットをいくつも育む「経営主体」としての視点を持つことが求められる。社会教育に基づき、地域の全世代で地元を創る「学び」を学校で展開することで、学校は地域の核として存在できる。学校が持つ可能性を今一度問い直し、全世代が参加できる新しい学びへの転換が今必要だ。そうすれば、学校教育と社会教育の関係性が自然と組み変わり、相互補完関係という新しい学校のかたちへと生まれ変わるだろう。
[1] 大田尭(1990年)『教育とは何か』 岩波書店
[2] 牧野篤(2021)『社会教育新論「学び」を再定位する』ミネルヴァ書房 p9
[3] 同上 p12
[4] 同上p13
[5] 文部科学省(令和5年6月16日)「教育振興基本計画」
(https://www.mext.go.jp/content/20230615-mxt_soseisk02-100000597_01.pdf)(2025年8月17日現在)
[6] 文部科学省 学校と地域でつくる学びの未来「CSの取組」
(https://manabi-mirai.mext.go.jp/torikumi/cs-torikumi/)
(2025年8月17日現在)
[7] 文部科学省『地域学校協働活動ハンドブック』
(https://manabi-mirai.mext.go.jp/document/handbook_2.pdf)
(2025年8月17日現在)
[8] 農林水産省「農村型地域運営組織(農村RMO)の推進〜地域で支え合うむらづくり〜」
(https://www.maff.go.jp/j/nousin/nrmo/index.html)
(2025年8月17日現在)
[9] 厚生労働省「地域包括ケアシステム」
(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/index.html)
(2025年8月17日現在)
[10] 厚生労働省「重層的支援体制整備事業について」
(https://www.mhlw.go.jp/kyouseisyakaiportal/jigyou/)
(2025年8月17日現在)
[11] 内閣官房・内閣府総合サイト 地方創生2.0「小さな拠点・地域運営組織の形成(小さな拠点情報サイト)」
(https://www.chisou.go.jp/sousei/about/chiisanakyoten/index.html)
(2025年8月17日現在)
[12] 内閣官房「国土強靭化」、2022年、224-232頁。
(https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kokudo_kyoujinka/index.html)
(2025年8月17日現在)
[13] 神野直彦(2015)『「人間国家」への改革 参加保障型の福祉社会をつくる』NHK出版
[14] 同上p106,107
[15] 厚生労働省「地域包括ケアシステム」、1999年。
(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/index.html )
(2025年8月17日現在)
[16] 厚生労働省「重層的支援体制整備事業について」
(https://www.mhlw.go.jp/kyouseisyakaiportal/jigyou/)
(2025年8月17日現在)
[17] 文部科学省『学制百五十年史』 第一編 第一章 P30–40
[18] 同上 第一編 第一章 P45–55
[19] 同上 第一編 第二章 P90–110
[20] 同上 第四編 第三章 P1000–1015
[21] 五城目町立五城目小学校
(https://www.goshou.net)
(2025年10月30日現在)
[22] 山県市教育委員会「第3次山県市教育振興基本計画(2025〜2029:5ヵ年計画)」
(https://www.city.yamagata.gifu.jp/uploaded/attachment/17358.pdf)
(2025年8月17日現在)
[23] 山県市教育委員会「アトリエ教室 開催」
(https://www.city.yamagata.gifu.jp/uploaded/attachment/16520.pdf)
(2025年8月17日現在)
[24] 牧野篤(2017年1月12日)『「つくる社会」が面白い―小さなことから始める地域おこし、まちづくり』さくら舎 p89,90
[25] 牧野篤(2024年12月5日)『「ちいさな社会」を愉しく生きる―広い世界から、深い宇宙へ』さくら舎 p112,113,116
[26] 牧野篤(2017年1月12日)『「つくる社会」が面白い―小さなことから始める地域おこし、まちづくり』さくら舎 p208
[27] 「ふくのきょうしつわたからHP」
(https://www.wamen-tsumugu.com)
(2025年8月20日現在)
[28] 中日新聞「放課後はアトリエ教室に変身 山県・伊自良南小で住民が講師、児童に無料サービス」
(https://www.chunichi.co.jp/article/1137958)
(2025年9月23日)
[29] 中央教育審議会生涯学習分科会(令和6年6月)「第12期中央教育審議会生涯学習分科会における議論の整理 ~全世代の一人ひとりが主体的に学び続ける生涯学習とそれを支える社会教育の未来への展開 ; リカレント教育の推進と社会教育人材の養成・活躍のあり方~」
(https://www.mext.go.jp/content/20240712-mxt_syogai03-000037073_2.pdf)
[30] 牧野篤(2024年12月5日)『「ちいさな社会」を愉しく生きる―広い世界から、深い宇宙へ』さくら舎 p199,p200
Thesis
Ryota Akagi
第43期生
あかぎ・りょうた
Mission
大らかな心で満ち溢れる共生社会の実現