論考

Thesis

私がリーダーになって一番大事にし実行する経営理念〜伊那食品工業株式会社から学んだこと〜

 年輪経営で世界から注目されている「伊那食品工業株式会社」で約一ヶ月間の経営実習を行った。長きにわたる成長には創業者の「忘己利他」の考えを土壌にした社員の幸せを第一に考えた「快適な職場環境づくり」と社員の自己決定に委ねる「たくましさ」の取り組みがあることがわかった。松下幸之助塾主の経営理念と通底している点について考える。

 私は、2022年5月11日~6月10日の約一ヶ月間、長野県伊那市に本社を置く伊那食品工業株式会社(以下、伊那食品工業)で経営実習をさせていただいた。伊那食品工業は、1958年に設立され、年商は183億円(2021年)、2020年12月時点で社員数566名の会社だ。一番の特徴は「年輪経営」と呼ばれる経営手法である。木の年輪のように、いい時も悪い時も無理をせず、ゆっくり少しずつでいいから確実に成長をしていくことを目指した経営である。この成長は決して利益を第一に考えていない。社員の幸せを第一に考え経営することによって社員が幸せに働き、結果的に後から利益が付いてくるものである。だからこそ目標数値はないのである。この経営は、今や日本だけにとどまらず世界からも注目を集めている。
 実習では、塚越寛最高顧問、塚越英弘代表取締役社長、井上修取締役会長と個別で総計20時間ほど話を伺った。また、それぞれの部署の担当者に話を伺ったり、ショップ、工場、グループ会社で勤務をさせていただいた。役職に関わらず、総勢50名以上の社員さんに関わらせていただいた。
 社是は「いい会社をつくりましょう 〜たくましく そして やさしく」である。この「いい会社」というのは単に多くの利益を得ている会社のことを言っているのではない。地域や社員など会社に関わる人全てが末広がりに幸せになり、周りから「いい会社ですね」と言われる会社のことだ。この社是には創業者の最高顧問の二つの想いがある。一つは二宮尊徳の「遠きをはかるものは富み 近きをはかるものは貧す」[1]だ。長期的視点に立ち、人に幸せを与え、みんなの幸せを最優先にする考え方だ。もう一つが「忘己利他」だ。天台宗の祖である最澄が書いた『山家学生式』の一説に「悪事を己に向かえ好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり[2]」と記されている。私欲は捨てて、まず人の役に立つことを積み重ねていけば、自分も幸せに生きることができるといった考え方だ。この二つの想いが根底にある社是なのだ。想いがあるからこそ社是が一貫してブレたことがないと言う。
 「いい会社」を目指すので、利益ではなく「社員の幸せ」が第一である。社員の幸せのために特に工夫していたのが「快適な職場環境」の追求だ。特に感じた二つの実装を説明する。一つ目は「生活まで心配してくれる上司の存在」だ。社長と話したときにはっきりと「上司の仕事は、部下を管理することではなく、部下の生活に気を配ることだ」とおっしゃっていた。会長と同行させていただいた時には、久々に会った社員に対して「有給ちゃんと使って家族との時間は取っているか」とおっしゃっている場面に出くわした。私自身も担当の上司が「赤木さん、寮での生活はどうですか」など上司の方が毎日生活を心配してくださった。今の日本社会では仕事とプライベートは別々といった考え方が主流だが、上司が部下の生活まで気にかけているのである。二つ目が「部下の意見に耳を傾けてくれる」ことだ。役職関わらず現場の人の意見を素直に聞き、受け入れ、即座に改善している。部下の意見が上がってきやすいように、上司の方が意識的に日頃からコミュニケーションを欠かさずに行っている。実際に工場で、ペンやハサミの位置に関して意見が出たら、快適な職場環境になるならばと即座に改善している。このように快適な職場環境が社員の幸せにつながると考え、そのために現場で具体的な実装を行なっているのである。
 2020年度の製造業者離職率は9.4%。しかし、最高顧問は「伊那食品工業は誰一人会社を嫌でやめた人はいない」とおっしゃっていた。これは、快適な職場環境にするための数多くの実装の結果であると言えるだろう。
 とはいえ、目標数値もなく社員の幸せを目指して経営していて、利益が出るのだろうかと疑問をもち続けていた。しかし、その点でも伊那食品ならではの工夫がなされていた。社是にも書かれている「たくましさ」が重要なポイントであったのだ。社長は「本来目標というのは人に言われて作るものではなく、自己決定して作るものだ。だから、結果が出る」とおっしゃっていた。伊那食品では、上から降りてきた目標に向かって仕事をするのではなく、現場で目標を作りそれに向かって仕事をしているのである。
 以上の「快適な職場環境」と「たくましさ」が両立して実装されていることが年輪経営を実現させていると私は感じた。そして共に勤務させていただく中で、実装から伊那食品独特の風土が醸成されていると感じた。それは「仲の良さ」と「自発的に働く」だ。現場で働く社員さんは「快適な職場環境によって、心に余裕が生まれ、人に優しくなれる。だからこそ自然と社員同士の仲も深まる。また、目標を任されることから責任感が生まれ、積極的に働らくことができている。」とおっしゃっていた。このように「仲の良さ」と「自発的に働く」は、社員が幸せな状態になっているといっても過言ではない。そして最後の最後に現れるのが、「利益」だ。最高顧問は利益について「利益は残ったカスにしか過ぎない」とおっしゃていた。これら一連の伊那食品の経営についてまとめたのが、以下の図である(図1)。
 以上の伊那食品工業の経営と塾主の経営を比べてみると共通点が四つ見られる。一つ目は「社員に任せる」経営だ。これは塾主が1933年5月に松下電器で導入した制度で、三つの事業部の下に18の工場群を再編し、それぞれが自主責任経営にあたる体制である事業部制を導入した。この塾主の社員を信頼して任せる事業部制は、伊那食品工業の現場の社員に目標を自己決定して進める「たくましさ」の経営と通ずるところがあるのではなかろうか。二つ目は、自然の理法に従う経営だ。これは経営は成功することを前提に無理なくなすべきことをする経営のこと[3]である。年輪経営も、無理をせず少しでも成長することを目指した経営である。三つ目は、社員を大事にすることだ。1929年世界恐慌の影響で松下電器は売上が半減になり倉庫も満帆で製品が累積する事態に陥った。他の企業が首を切る中、工場は半日操業、従業員は半日勤務、生産は半減する措置を取ったのにも関わらず、塾主は従業員は一人も解雇せず、しかも給料は全額支給した。その考えの裏には、企業の都合で解雇したり採ったりでは、社員は働きながら不安を覚え、大をなそうという松下としては、それは耐えられないことと思い[4]、この措置を取った。目先の会社の成長ではなく、社員を第一に考えた行動は、伊那食品工業の経営方針と同じと言える。最後に、利益は報酬であることについて塾主は「その事業を通じて社会に貢献するという使命と適正な利益というものは決して相反するものではなく、その使命を遂行し、社会に貢献した報酬として社会から与えられるのが適正利益だ[5]」と述べている。伊那食品工業は、赤字でも暴利でもなく当たり前のことを当たり前にする年輪経営によって社員の幸せつまり社会に貢献した結果、報酬として利益が生まれてくる。「利益は残ったカスにすぎない」考え方だ。塚越最高顧問は塾主の考えについて特段意識したことはないとおっしゃっていたが、上記に述べたように塾主と伊那食品工業の経営には多くの共通点があることがわかる。
 最後に私がリーダーとして一番大事にし実行する経営理念について話したい。結論から言うと、「忘己利他の積み重ね」だ。私は自分の都合や自分が優先になってしまうことが多々ある。そのような自分を振り返って、まずは自分の心の中に常に「忘己利他」の考えを根付かせたい。この考えは、二宮尊徳の「経済なき道徳は戯言、道徳なき経済は罪悪」といった「道徳経済一元論[6]」にも共通する考えだろう。また、上記に述べたように塾主や伊那食品工業の根幹を成す考えでもある。さらに、21世紀に向けてフランスを変革するための政策提言をしているジャック・アタリは未来の世界を予測した書籍の中で、自分たちの幸せは他者の幸せに依存していることを悟り、世界に対して慈愛と尊厳の念を抱き、収益が最終目的ではない調和重視型企業が活躍している[7]と述べている。これからの世界で、結局はこのように私欲に囚われず他者の幸せを大事にする「忘己利他」の考えが根付いている企業や個人が世界をリードする存在になるのだ。つまり、「忘己利他」の精神は二宮尊徳の時代から、松下電器、伊那食品工業、そして未来の世界、つまり過去現在未来、いつの時代も変わらず世の中に結果的に良い影響を与える重要な考えなのだ。
 改めて「忘己利他」の精神を自分の中に根付かせたい。しかし、どのように根付かせることができるのか。塾主は茶道とか花道というような、生活の美やうるおいを求めつつ心身の成長をはかる日本の伝統精神をさらに伸ばすことが、思いやりとか助け合い、生かし合いといった自他共存の精神の育成につながる[8]と述べている。つまり一つの方法として日本の伝統精神を伸ばすことが忘己利他の醸成につながるのだ。まず私はこの松下政経塾で日本伝統精神を素直に学びたい。もう一つ心がけたいことは、常に生かされていることを自覚することだ。塾主は「自分みずからも生かされていることを正しく知るとき、いっさいのものに対して感謝とか報恩の念が湧く[9]」とおっしゃっている。日本伝統精神と生かされていることの自覚を常に心に刻み、行動に起こしていきたい。そして結果的に、関わる人々が幸せになる社会を実現していく。

図1 「伊那食品の経営」

参考文献

伊那食品工業株式会社「企業概要」(2022年6月20日現在)( https://www.kantenpp.co.jp/corpinfo/corporate/overview )

PHP研究所(2019年4月27日)『衆知2019 5・6月号』.PHP研究所

厚生労働省(令和3年8月31日)「令和2年雇用動向調査結果の概況」(https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/doukou/21-2/dl/gaikyou.pdf )

百年史編纂委員会ブランドコミュニケーション本部歴史文化コミュニケーション室(2019年11月27日)『パナソニック百年史』.パナソニック株式会社

松下幸之助(2014年6月19日)『実践経営哲学/経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』.PHP研究所

松下幸之助(2014年12月19日)『人間を考える 新しい人間観の提唱 真の人間道を求めて』.PHP研究所

松沢成文(2016年3月29日)『教養として知っておきたい二宮尊徳 日本的成功哲学の本質は何か』.p127 PHP研究所

たすけあい共に輝く生命がある 天台宗 一隅を照らす運動 HP「一隅を照らす人になろう〜『山家学生式』の教え〜」(https://ichigu.net/person/)

経営者通信(2014年4月)「人々から「いい会社だね」と認められれば永続企業になれます」(https://k-tsushin.jp/interview/kantenpp/)

ジャックアタリ(著) 林昌宏(翻訳) (2008年8月30日)『21世紀の歴史—未来の人類から見た世界』.作品社

松下幸之助(1976年)『私の夢 日本の夢 二十一世紀の日本』p97,98 PHP文庫

[1] 経営者通信(2014年4月)「人々から「いい会社だね」と認められれば永続企業になれます」(https://k-tsushin.jp/interview/kantenpp/ )

[2] たすけあい共に輝く生命がある 天台宗 一隅を照らす運動 HP「一隅を照らす人になろう〜『山家学生式』の教え〜」(https://ichigu.net/person/ )

[3] 松下幸之助(2014年6月19日)『実践経営哲学/経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』.p42-45 PHP研究所

[4] 松下幸之助(昭和37年1月15日)『私の行き方考え方』.実業之日本社

[5] 松下幸之助(2014年6月19日)『実践経営哲学/経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』.p46 PHP研究所

[6] 松沢成文(2016年3月29日)『教養として知っておきたい二宮尊徳 日本的成功哲学の本質は何か』.p127 PHP研究所

[7] ジャックアタリ(著) 林昌宏(翻訳) (2008年8月30日)『21世紀の歴史—未来の人類から見た世界』.作品社

[8] 松下幸之助(1976年)『私の夢 日本の夢 二十一世紀の日本』p97,98 PHP文庫

[9] 松下幸之助(2014年12月19日)『人間を考える 新しい人間観の提唱 真の人間道を求めて』.p158 PHP研究所

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赤木亮太の論考

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Ryota Akagi

赤木亮太

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