Thesis
今回は、ピッツバーグ市のヒル地域開発協議会(ヒルCDC)の取り組みを紹介する。ヒル地区は、人口約1万5千人(黒人96%/白人4%)、約6700世帯のインナーシティである。市内で最も住宅の荒廃ぶりが激しく、夜間はもちろん昼間でも歩くのが危険とされている。高層ビルが建ち並ぶダウンタウンに隣接し、1950年代にはスラムが一掃され、64年にマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺された後は暴動も起きている。70年代から構想はあったそうだが、実際には87年にヒルCDCが設立された。
同地区は、貧困・失業・低い教育水準・劣悪な住宅・商業地の衰退・高い犯罪率など都市問題のほとんど全てを抱えている。例えば、年収5千ドル(約50万円)以下の世帯は33%(市内平均10%)、1万ドル(約100万円)以下は50%(平均25%)であり、貧困ラインを下回る世帯は1980年の36%から90年は56%に増加している。 また、離婚世帯も28%(平均12%)と高く、母子家庭も80年の1700世帯から90年は1987世帯に増加している。高校卒業者は43%(平均63%)で、働いていない割合は男性43%(平均27%)、女性が44%(52%)である。女性の働く率が高いのは、母子家庭が多いせいである。地区の住宅のうち50%以上が市営住宅であり、これは市内の約40%に相当する
各家庭の貧困や家庭そのものの崩壊が、子供の教育機会を損なわせ、就職できない、極端な場合は犯罪に走る、という悪循環が繰り返されるている。ヒルCDCはこの悪循環を壊すために、まず物理的な住宅事情の改善や職業訓練などに力を入れてて活動した。
最初の7年間の成果は次の通りである。
現在、6人の有給職員と9人の理事(会社社長3人/住民2人/法律家・会計士・市議・市民活動家が各1人)が活動している。人気のない同地区に、民間デベロッパーが進出する可能性は低い。それ故、この衰退地区において行政と協力しつつ上記の成果を納めたヒルCDCの役割は極めて大きいと言えよう。
1994年からの5か年計画では、新たに低・中所得者向け住宅151戸の建設と110戸の修復を行い、事務所に隣接する古い劇場を多目的ホールとして再利用するなど商業基盤も整え、職業訓練も継続する予定である。
次に、事業を支える予算について報告する。ヒルCDCの運営予算で、最大の収入源は民間財団からの助成金であった。1983年にフォード財団・ハワードハインツ財団・メロン銀行財団・ピッツバーグ市などが共同で設立した、ピッツバーグ地域開発パートナーシップ(PPND)からの2種類の助成金が24万7千ドル(約2470万円)で、全体の約56%を占める。連邦政府の住宅都市開発省(HUD)とピッツバーグ市の外郭団体である都市再開発公社(URA)を合わせた補助金は約3万2千ドル(約320万円)、収入全体の約7%に過ぎない。開発利益(=住宅の売買価格ー必要経費)と賃貸収入を合わした営業収入は約15万4千ドル(約1540万円)で、全体の約31%を占める。支出では6人の有給スタッフ人件費が約28万7千ドル(約2870万円)と最大である。 事業予算は、別枠で6のプロジェクトごとに合計約72万3千ドル(約7230万円)が組まれていた。取材に応じた開発担当のハッサン・ファカルディンさんは、カーネギーメロン大学でMBAを取得した優秀な人材で、公的セクターに余り頼らないヒルCDCの経営力を自賛していた。
1995年度ヒルCDC運営予算 (米ドル)
最近米国では、カリフォルニア州でのアファーマティブアクション(少数民族への教育や雇用機会の優遇措置)廃止の是非や、殺人容疑で起訴されたO・J・シンプソン(黒人の元アメフトスター選手)の無罪判決、首都ワシントンで開催された100万の黒人男性集会など、黒人などマイノリティと白人の間で緊張関係が高まっている。
その最大の原因は貧困だろう。マイノリティの貧困が教育の機会を制限し、就職のチャンスを小さくする。働かずブラブラしていると、容易に入手できる麻薬や銃に手を染め、人生を棒に振る。影響を受ける子供もまた、貧しさからスタートする。この悪循環を止めない限り、この国の人種問題は終らないのではないか。
もちろん、1954年のブラウン判決(公教育での人種差別の違憲を最高裁で示す)、55年のキング牧師らが指導したバス乗車ボイコットに始まる公民権運動の歴史を少し学び始めたところなので、軽々しくこの問題を論ずることは出来ない。現在、私が感じていることは、米国の家族や地域の崩壊は日本で想像していた以上に深刻であり、ヒルCDCのような地道で内発的な地域活動が長い目で見ると有効ではないかという2点である。
Thesis
Hiroaki Mori
第13期
もり・ひろあき