松下政経塾 The Matsushita Institute of
Goverment and Management

日本語英語


塾生レポート 一覧へ戻る
2000年12月

塾生レポート

理想郷とは何ぞや
喜友名智子/卒塾生

 
 理想郷―「ユートピア」といったほうがわかりやすいだろうか―は、私が入塾する動機のキーワードだった。人が本当に幸せに生きることができる(と感じる)社会はどういうものなのか、ということが根底にあるのだが、「幸せ」とは結局個人の主観ではないかと考えると非常に扱いに困るテーマでもある。
 この言葉を使うときに気をつけなくてはいけないのは、自ら描く理想郷を実現するために、反対する立場の人たちを攻撃する材料にしてはならない、ということであると私は考えている。自分は理想に向かって邁進している、と信じこんでいる人と付き合うのは時折骨の折れる作業でもあるが、目指す理想がないのに今目の前にある社会を変えようとする人はさらにおそろしい。そこで私がつくりたい、と思った「理想郷」について、今一度振り返ってみる。(以下、ここでは「理想郷」と「ユートピア」はほぼ同じ意味ととらえてください。単に日本語と西洋語の訳という意味で使っています。)

古代からあった「ユートピア」論

 辻井喬(注1)は、ユートピアに関する最も古い叙述として叙事詩『ギルガメシュ』を挙げている。これに関しては辻井氏の解説がわかりやすいと思われるので、その一部を引用させていただいた。

「ユートピアに関する最古の叙述は、1873年頃から順次発見された叙事詩『ギルガメシュ』である。いくつもの言語、古アッカド語、アッシリア語、バビロニア語などで書かれ、ヒッタイト語版、エラム語版と呼ばれる異本が発見されていることは、少なくとも紀元前十八世紀ころから紀元前三世紀におよぶ長い間、この物語が先進分化地域で、広く流布されていたことを物語っている。
 この叙事詩は、意志的、自覚的な性格を持つ英雄ギルガメシュと、情動的、主観的なエンキドゥの友情、自然との共生感覚を大事にしながらも、フンババが支配する香柏の森の開発、女神イシュタルとの恋、死の恐怖と永生への希望が、やがて死の受容へと変わってゆく、太陽神シャマシュに愛されたギルガメシュの精神形成譚である。
 この英雄叙事詩は、人間として完成されてゆく雄々しい指導者たちが作る世界を描くことで、ユートピア思想に必要な要素を牧歌的叙述のなかに展開している。と同時に、幾つもの版があることは、この物語が伝えられていく過程で、異なる地方、異なる民族によって様々に変更されたことを意味し、それはこの物語の前にも、いくつもの物語が存在していたことを暗示している。それは歴史内的存在としての人間が常にユートピアの在り方を希求していたことを教えているといえるのである(この叙事詩については月本昭男の秀れた訳と解説《一九九六年》岩波新書、がある)。」

 一方、「ユートピア」という言葉で最もよく知られているのはずばりそれをタイトルに用いたトマス・モア著「ユートピア」であろう。この目次は「国家の最善の状態についてのラファエル・ヒスロデイの物語」となっており、ヒスロデイ氏がかつて訪ねたことのあるユートピア島について語る、という形式で話が進められる。そこにある理想の国は、長い年月をかけてつくられた美しい街なみ、生気と活力に満ち、かつ行儀や徳を身につけた人々、よって少ない数ですむ法律などまさに「理想の郷」である。
 だが一方でこの内容は私有財産を認めない、1着の服で2年間もつなどというのは現在の先進国では非現実的だし、都市部の全世帯が14歳ほどの子どもを10人以上持たねばならないことなど逃げ出したくなるようなことだらけでもある。
 だが当時の政治や宗教の背景が無視できなかったとはいえ、モアの考えていた理想の国家がどんなものであったのかを感じるには充分すぎる書ではないかと思う。

沖縄に伝わる「理想郷」

 古代から現代に至るまで、私が全てを網羅することは難しい多くの「ユートピア」論があるわけであるが、実のところ、私が「ユートピア」=「理想郷」という言葉に関心を持つのは、これらの文献などに直接触れたからというわけではない。私は少なくとも中学生の時期には「理想郷」というものを信じる土壌が自分の近くにあったことを、沖縄の方言である「ニライカナイ」という言葉を通して知っていた。
 「ニライカナイ」とは、遠い海の彼方から豊穣や富をもたらしてくれる神がいるという理想郷の伝承のことで、南西諸島には(その位置する場所や伝わっている時代、発音など)細かい部分では異なるもののおおむね似た話が伝わっている。ポリネシアといった島嶼地域にも類似した伝承はあるものの、沖縄のそれが特徴的であるのは、理想郷が豊さのみだけではなく、ときに災いをももたらすこともあるとされている点である。
 だがそのような「ニライカナイ」の話を聞いても、そんな世界があったらいいなぁと感じつつ、どこかでそれをまっすぐに信じることにも疑いを抱いてもいた。「ニライカナイ」にある豊穣は、その土地の人たちがそれをうまく維持するための運営のシステムを確立しかつ実施しているからであって、何もしないまま生まれる豊さとはありえないのではないか。理想郷からの豊穣がありがたいと思うのならば、その豊さを自分たちの住む土地でも生み出していけばいいではないかと考えたからだ。

 この伝承を現在、改めて考えてみても、同じである。ニライカナイを遠い海の彼方のものととらえるのではなく、われわれの住む土地自身をそのような豊穣の地にし、他の地域から見た理想郷にしていけばいいということになると思う。他の地域にも豊かさをもたらす存在になればいい。そして、「ニライカナイ」が災いをももたらす地域になりうるという解釈は、われわれが自ら住む地域を損なうような行為をしたら世界にそれが広まる、という自戒的な意味が込められるのではないか。
同時に私は、理想郷=自分のふるさと、という捉え方をする。自分が生まれ、育った場所、そこは多くの人にとって働く場となり、人生の多くの時間を送る場所となり、人生を終える場所となる。短い滞在期間にも関わらず他の理由で思い入れの深い場所ができる場合は例外として、おそらく多くの人が、理想郷といったときに自分のふるさとの風景を思い浮かべるのではないだろうか。
 沖縄に伝承として伝わる「ニライカナイ」があるように、多くの著書で「ユートピア」が出てくるように、それぞれの地域にはその理想とした社会の姿が伝えられていたはずではないか。それに縛られる必要はないが、先人が夢にみ、めざした社会とは何だったのか、「地球上のどこかにあって、どこにもない場所(それは人によっては家族、コミュニティ、国家、などいろいろであろうが)」は、「私の目の前にある風景」そのものではないのか。理想郷という形のないものを考えていると、いつのまにか自分が見たことのある空、海、緑、建物、食べ物、人、といった目に見える、えらく具体的に形のあるものになっていく。見えないものを大事にするために見えるものをつくっていく、というある種の矛盾を感じながら、それだけ一人の人間の考えに印象を残す、理想郷になりうるふるさとの風景を、この世界はいったいあとどれだけ持っているのかと危惧する。理想郷を考えることは、今の社会が解決しなければならない課題とともに、未来に何を残すのかということをも付き付ける、痛いものでもあった。


注1:辻井喬「ユートピアの消滅」集英社新書、2000

2000年12月 執筆
  1. HOME >
  2. 卒塾生一覧 >
  3. 喜友名智子 >
  4. 理想郷とは何ぞや
ページの先頭へ