Thesis
北海道富良野市と、福井県鯖江市を訊ねる機会を得た。同じ「地域振興」「産業振興」でも、地域によってその姿は異なる。今回、2つの市を訪ねたことで、そのことを実感した。直接、テーマである「沖縄の自立」にどう結び付けるかは今後の課題としたいが、地域の核となる産業をどうとらえればいいのかを考える材料になるのではないかと思う。
北海道富良野市
北海道富良野市は言わずと知れた「ラベンダーのまち」「”北の国から”のまち」である。冬はスキー、夏はラベンダーを見るために、全国から観光客が訪れる。その富良野で「ふらのびいる館」を経営する、みやま観光の荒田政一さんが1日中車で富良野のことについての説明とともに、案内をしてくれた。
荒田さんは商社に15年つとめ、去年地元に帰省したばかりだというが、よくも悪くも商売っ気のない風土に、どうやって事業を起こすかを真剣に考えている人だ。びいる館ができた経緯をきくと、地元で土木建設業を営む荒田さんの父がハンガリービールを飲んでおいしかったからつくったのだそうだ。また、びいる館に隣接するトリックアート美術館が先に建設されていたこともあって、そこに客を呼ぶための意図もあったという。しかしまだまだ十分な採算をとることは厳しく、トリックアート美術館と合計して収支トントンというところだそうだ。
富良野の経済も公共事業が中心に成り立っている構造であり、主力である観光産業はドラマ「北の国から」のPR効果が絶大だ。いまでこそ、JRのポスターなどでも定着している富良野=ラベンダーというイメージも、ラベンダー栽培で有名な「ファーム富田」がやってはいたもののやはり有名になったのは「北の国から」の撮影で使われたことがきっかけだった。林の中につくられた10軒ほどの小さなログハウスでクラフト小物をそれぞれ販売している「ニングルテラス」も本来撮影用につくられたものだ。単に何か観光資源があったり、つくったりするだけでは不充分で、PRによる集客という現実も見える。
富良野観光の問題は、車がないと移動が不便だということ。ふらの駅周辺は「北の国から資料館」のみが徒歩で行けるものの、チーズ工場やワイン工場はバスがないと移動不可能で、夏のピーク時でも1時間に数本である。同じふらのの中でも上富良野駅から富良野駅まであり、それぞれに観光する場所が点在している。送迎バスがある「麓郷の家(これもドラマの撮影でつかわれたもの)」の近くの宿に1週間くらい泊まり、自転車で周囲を散策するという滞在型の観光ならさほど不便さも感じないとは思うが、よほどの富良野フリークでないとリピーターは呼びこみにくいのではないだろうか。点在している観光施設を集積させてテーマパークのようにしたほうがよほどインパクトがある、と荒田さんも指摘する。
富良野のイメージがある程度できている現在、それを維持しながら、何を残し何を変えていかなくてはならないのか。ここでは優位な観光資源を持ち始めた地域の、次の段階への発展への模索が始まっている。
めがね生産地・鯖江市
一方、あるご縁で知り合いになった方と会うために福井へいった。そのとき、日本国内の産業集積地の一例として関連する論文やレポートなどで名前は知っていた、めがね枠生産で知られる鯖江市も訪ねた。鯖江市の資料によると、この地域のめがね生産地としての概要は次の通りになる。
明治38年、鯖江市近郊において農家の生活打開を図るために、大阪から職人を招いて眼鏡枠の生産を始めたのが、この地域における眼鏡生産の初めとされる。大正期に入ると、縁故関係者や徒弟制度から育った熟練工が独立するようになり、産業としての広がりをみせはじめた。戦後は機械化の進展に伴った部品・中間加工業の発生、生産流通拡大による材料卸、産地問屋の立地、プラスチックレンズメーカーなどの出現により産地は拡大していった。ドルショック、オイルショック、円高不況等により一時的な打撃を受けたものの、産地企業や団体を中心に体質強化や品質の向上等、種々の努力が図られた結果、全国生産の大部分の眼鏡枠を生産するといわれる一大産地として、また、技術的にも世界トップ水準をいく産地として成長し現在に至っている。この地域の眼鏡生産の特徴として、産地分業制と零細過多性が挙げられる。眼鏡製造業には、眼鏡フレームを完成させる「完成品メーカー」の他、作業工程の一部を専業に行う「中間加工メーカー」、眼鏡フレームに必要な部品を生産供給する「部品メーカー」など、種々の形態をもつメーカーが存在し、これに材料販売業、産地卸商社などの関連業種を含め、相互に複雑な関係をもつ産地内の分業制が確立している。またこうした眼鏡企業のほとんどが中小企業であり、うち約8割が従業者9人以下の零細企業である。このような眼鏡生産の特徴は、いろいろな問題や課題をもたらしている反面、これまで大手県外企業の本格参入を防いできた要因の1つとして考えられ、産地内企業の競争は優秀な製品を生み出す土壌となっているとも言える。
どんなところかと想像しながら鯖江駅を降りてまちの中心部に向かおうとしたが、いったいどちらへ向かっていいのかわからない。駅前のロータリーには「めがねのまち鯖江」と書いてはあるのだが、肝心のめがね屋を目にすることがない。駅周辺は、住宅や2~4階建のビルに会社が入っているのを目にする程度で、拍子抜けするほど静かなところである。まちなかでこれでもかとばかりにテーブルの上にめがねのフレームを並べて売っている韓国のソウルのほうが、イメージとしてはよほど「めがねのまち」のようだ。一体、どこを見れば「めがねのまち」となるのか…。
だが市役所の中にある組織を見つけて「眼鏡産地・鯖江」を知る。産業部の下には商工観光課、農政課、農林整備課と並んで、なんと「めがね課」なるものがあるのだ!めがね産業の支援強化や市のイメージアップをはかるために昭和62年に設置されたそうだが、鯖江におけるめがね産業の位置付けをあらわしていると思う。
また、鯖江市の統計によると(平成8年)関連事業所数が816、従業員数が6,862人と、人口64,648人(平成9年)の市のおよそ10%がめがね関連企業に携わっていることになる。駅などで目にする看板も眼鏡関連の会社のものがほとんどだ。あるめがね部品の製造会社を見学させていただいたが、「これからはめがねの一部分に関わることだけではなく、デザインなども含めて、めがね全体のことを考えた製造をしていく必要がある」とおっしゃっていた。生産地にとっては、ブランド品などのライセンス生産が売上に大きい影響を与えたが、一方で新しいデザインが多く出ることで多品種少量生産に追いつけないという問題も出てきたのだ。10人以下の零細企業が多い中、車で市内を走りながら「あそこはフレームをつくっているところ」「ここはねじをつくっているところ」。。。と説明されると、街中関連企業だらけではないかという気すらしてくる。観光とはまた違った、地域の産業の姿を見た。
同じ「産業集積」とはいっても。。。
ある民間シンクタンクで地域振興の調査をしている研究員がこう言ったことがある。「他の都道府県と比較して、PRするものがあるところは、地域振興を考えるのはある意味ラクだ。地域振興の調査やプランニングに関わっていると、PRするべきものが何も見つからないところも出てくる」。「どこの地域も企業誘致や産業集積を目標にするが、実はターゲットにしたい産業の中身をどうするかが難しい。産業集積といったって、その地域の”顔”のような存在を目指すなら、企業の数さえ増えればいいというものでもない」
富良野にしろ、鯖江にしろ、商品企画力の強化・生産技術の高度化や、販路開拓の推進、人材の養成、経営基盤の強化など、抱える問題も多い。しかし、地域の中核産業としてどの分野に重点を置いていけばいいのかがある程度わかっているという点では、そうでない地域よりも相対的に恵まれているといえよう。
その優位性をどうやって維持・発展させていくのか、地域ごとに異なる”顔”となる産業そのものとともに、その方法にもまた地域ごとの特色が出てくるのではないだろうか。
Thesis
Tomoko Kiyuna
第20期
きゆな・ともこ
沖縄県議会議員(那覇市・南部離島)/立憲民主党
Mission
沖縄の自立・自治に関する研究